合戦直前の6月24日、浅井長政は援軍に来た朝倉景健と姉川の北方3キロに当たる大依山に布陣しました。合戦当日の28日未明、長政・景健の両将は姉川北岸に前進、織田・徳川軍と決戦を決断しました。朝倉景健の本陣は、この北西にあたる三田集落内の三田村氏館におかれ、対岸の岡山に徳川家康の本陣がおかれました。その中間にある当地は、両軍の決戦の地となった場所で、多くの戦死者の血で染まったので「ちはら」と呼ばれています。
両軍の戦いで、最も有名なのが朝倉軍の武将で、刃長5尺3寸(約175センチ)の大太刀を振るって奮闘した、真柄(まがら)十郎左衛門直隆の討死です。最初徳川家康の家臣、向坂(さきさか)式部と渡り合っていましたが、途中からその弟の向坂吉政が十文字槍をもって助太刀に入り、真柄の首を討ち取ったと言われています。(『信長公記』には真柄の首を取ったのは青木一重と記されており、諸本によって多少異なるようです)
血原(三田町)の案内看板
血原公園
血原古戦場跡の碑
滋賀県長浜市三田町血原公園