京極・浅井氏の家臣で、姉川北岸で大きな勢力をほこった三田村氏の屋敷跡です。ほぼ60メートル四方の土塁に囲まれた平地城館で、土塁の高さは2メートルから3メートル、幅も平均5メートル程度を測ります。北側の土塁の一部は近代になって破壊されましたが、西側には館の入口にあたる虎口(こぐち)が良好に残り、その前には堀跡が畑となっており旧状をしのぶことができます。
また、四角い主郭の北側にも、鍵形に土塁が存在し、複数の郭からなる城館であったことが類推されます。長浜市教育委員会による平成17年度・18年度の発掘調査により、西側土塁に平行する南北2本の溝が確認され、土塁が2時期に分かれて築造されたことが分かりました。上部(新層)からは15世紀から16世紀前葉頃の土師器を中心とした遺物が出土し、戦国時代に至り館の防御性を高めるため、土塁を高くしたことが明らかとなっています。
姉川合戦に際しては、朝倉景健(かげたけ)の本陣として使用されたとも考えられ、上部の土塁はその時盛られたものかもしれません。平成19年7月26日、「北近江城館跡群」の一つとして国指定史跡となりました。
三田村氏館跡(三田町)の
案内看板
三田村氏館跡(三田町)の
案内看板
館跡周囲の土塁
滋賀県長浜市三田町三田村氏館跡