『日本戦史』によれば、合戦は28日未明に、この西方に陣した朝倉・徳川軍の間で始まり、最初朝倉軍が優勢でしたが、榊原康政らが側面から朝倉軍を突き形勢は逆転しました。一方、この一帯では浅井・織田軍の間でも戦闘が開始され、最初浅井軍が優勢でしたが、西美濃三人衆の側面攻撃や徳川軍の加勢により、浅井軍も敗退したと伝えられています。
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ただ最近、姉川合戦は浅井軍の信長本陣への奇襲作戦であり、通常言われるような大規模なものではなかったとの説も唱えられています。合戦後、織田信長は本陣を横山城や虎御前山城におき浅井氏攻撃を続けましたが、最終的に浅井氏が滅亡したのは、3年後の天正元年(1573)9月1日でした。なお、合戦があった太陰暦6月28日は、ユリウス暦(西暦)では同年7月26日に当たります。
姉川古戦場案内看板
野村古戦場
滋賀県長浜市野村町姉川古戦場跡