文学研究科修了生座談会
「修了後のキャリアと私」
文学研究科修了生座談会
「修了後のキャリアと私」
登壇者 2017年度 史学専攻 日本史学コース 博士前期課程修了
重藤智彬さん(左)
聞き手 文学研究科 史学専攻 龍澤潤准教授(右)
龍澤
史学科の特命教員の龍澤と申します。重藤さんは、私が2009年から教えている博物館実習の授業で指導した学生の一人です。私が指導した卒業生の中では最も早く学芸員として活躍されている方で、今日はインタビュアーを務めさせていただきます。
早速ですが、自己紹介をお願いします。
重藤
こんにちは。大田原市那須与一伝承館で学芸員をしております重藤と申します。専門は日本中世史で、特に戦国時代後期の荘園・村落と戦国大名や国人領主との関係を研究してきました。
龍澤
ご出身は広島県ですが、東日本出身の学生が多い中、なぜ東洋大学を選ばれたのでしょうか。
重藤
西日本からすると東京に出たいという思いがありました。同時に、学芸員の資格を取得できる大学で日本史を学びたいと考えていました。高校時代から学芸員を目指しており、網野善彦さんの本を読んで村落に興味を持っていたこともあり、村落関係に強い先生が在籍している東洋大学を選びました。
龍澤
ちょうど神田千里先生がいらっしゃる時ですね。学芸員志望だったと伺っていましたが、大学院進学もその延長だったのですね。
重藤
はい、学芸員になるため、そのために何が必要か逆算し、さらに研究を深めたいと思い大学院進学を希望しました。
龍澤
修士課程に進まれた後、1年目が終わった時点で栃木県立博物館の学芸員嘱託の公募がありましたね。相談を受けたことを覚えていますが、受験して見事合格されました。栃木県立博物館ではどのような業務を担当されていたのでしょうか。
重藤
歴史の学芸嘱託員として、中世・近世史の調査研究、資料の寄贈引き受け、出前講座の実施、第三日曜のイベントの企画運営などを担当しました。学芸員の仕事を通じて人前に出る機会が増え、性格も変わったと思います。
龍澤
その後、大田原市の学芸員に採用されますが、経歴が複雑ですね。
重藤
はい。大学院修士1年が終わった後、2年間休学して栃木県立博物館で勤務し、休学終了後に修士論文を書くため大学院に戻りました。ただ、その年の9月に大田原市の学芸員採用が決まり、修論提出前に再び現場に出ることになりました。初年度の仕事をしながら修士論文を書いた形です。
龍澤
指導教員の神田先生にはその都度報告されていたのですか。
重藤
休学中も定期的にゼミに出席しましたし、大田原勤務後も週1回ペースで顔を出し、修論の進捗も報告していました。
龍澤
学芸員の仕事と研究の両立は大変だったのではないですか。
重藤
そうですね。帰宅後に研究や修論執筆に取り組まざるを得ませんでしたし、仕事も忙しいため、あまり休んだ記憶はありません。ただ、休学や自由な経歴を許していただいた分、修論提出は絶対条件だと思って必死に取り組みました。
龍澤
大学院での経験は今の仕事にどう生かされていますか。
重藤
具体的なテーマに限らず、調査研究の基礎や論理立てて説明する力が身についたと感じています。博物館資料館での仕事は、調査研究が土台となり、その成果をもとにイベント企画や地域連携を行います。研究の基礎力や人に説明・説得する力は、大学院やゼミで鍛えられた部分だと思います。
龍澤
少人数だからこその細やかな指導や、専門的な深い探求ができる環境についてはいかがですか。
重藤
大学院は学部時代と異なり、より専門的に深く学べる場所でした。また、学芸員や研究者などOB・先輩とのつながりも多く、人間関係が広がりました。現場で分からない事があれば、大学院で築いた人脈を頼ることもできますし、講演会の講師を紹介していただくこともありました。こうした深い人間関係を築けることが、大学院の大きな魅力だと思います。
龍澤
ありがとうございました。最後に一言お願いします。
重藤
大学院は人数が多くはありませんでしたが、先生方に細やかに指導していただくことができましたし、専門的な学びや多様な人間関係を築ける場でもありました。これらは今の仕事や人生にも大いに役立っています。
龍澤准教授(左)と重藤さん(右)
司会
ありがとうございます。まだ少し時間があるのでご質問があればどうぞ。
質問者A
今も研究生活に近い仕事をされていますが、博士論文を今後書く可能性はありますか。
重藤
博士論文を書く可能性もないわけではありませんが、現在は幅広い業務を担当しており、例えばアジア太平洋戦争テーマや明治・大正時代の医療などにも取り組んでいます。博士論文を書くには相当な覚悟が必要だと思いますが、チャンスがあれば挑戦したいです。
司会
ありがとうございました。