文学研究科修了生座談会
「修了後のキャリアと私」
文学研究科修了生座談会
「修了後のキャリアと私」
聞き手
文学研究科 哲学専攻
稲垣 諭教授
登壇者
2023年度文学研究科
哲学専攻博士前期課程修了
金屋 杏佳さん
稲垣
本日のゲストは修了生の金屋杏佳さんです。大学院修士課程を無事に修了された後、キャリアにどのような進展があったのかについて伺います。これは今後大学に来られる方や、現在大学院にいる方々にとっても、ひとつのモデルとなる内容ですので、ぜひお話を聞かせていただければと思います。
金屋さんは今年の3月まで大学院に在籍しており、修士論文のタイトルは『なりきりの特異性における多面的理解』というもので、少し長いタイトルですが「なりきり」という言葉を使った、ある種特殊なコミュニケーション形態に関する社会学的および哲学的な考察を行いました。金屋さん、修士論文について少し説明していただけますか?
金屋
2023年度に博士前期課程を修了いたしました金屋杏佳です。よろしくお願いします。
修士論文では、「なりきり」というSNS上で行われる、自己と異なる他者のパーソナリティを装いながら関係性を築く過程を研究していました。このテーマは、インターネット上で匿名のコミュニティにおいて、他者になりきって関わり合うという現象についての考察を中心にしています。
稲垣
私も「なりきり」という文化は知らなかったのですが、インターネット上で始まったものだそうです。例えば、ある人が自分の好きな俳優の役を演じ、相手も別の俳優の役を演じながら交流する。最初はインターネット上の匿名で交流を続け、その後直接会うこともある。お互いがなりきっていることを前提にして関わり合うコミュニティですので、かなりニッチなコミュニティです。この現象は、自分が何か今の自分とは異なるものになりたいという古代ギリシャから続く変身願望と結びつけて考えることができるかもしれません。つまり、古代から存在している人間の欲望と現代の若者のコミュニティを絡めて哲学的に考察するとどう見えてくるのか、といった問題を論じたものになっています。
そもそも、どうして大学院に進もうと考えたのですか?
大学院進学の動機とその後の学び
金屋
私が学部3年生のとき、ちょうどコロナ禍が始まりました。そのため、大学に通うことができず、約1年半は完全にオンラインで授業を受けていました。その影響で、就職活動もすべてオンラインとなり、情報を自分で収集する必要がありました。最初は大学を卒業して就職しようと思っていたのですが、大学に通えない期間が続き、このまま卒業して働くのはもったいないと感じました。
そこで、東洋大学には推薦入試の制度があり、成績がその要件を満たしていたため、大学院に進むことを考えました。それを稲垣先生に相談したところ、「それもいいかもしれない」と後押ししていただきました。
稲垣 諭教授(左)と金屋 杏佳さん(右)
稲垣
実は、私は金屋さんの主査ではなく、卒業論文の指導教員も別の先生でしたよね(笑)。
金屋
はい、そうです。
稲垣
でも、学部時代に私の講義を受けていたとき、金屋さんは非常に良い文章を書いていて、視点も面白かったので、この能力をもっと活かしてみてはどうかと思い、「大学院もありますよ」という話をしたのだと思います。そのころは、卒論ではミルを扱っていましたよね?
金屋
はい、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』で卒業論文を書きました。
稲垣
そして、大学院に進んでからテーマが変わったわけですね。
金屋
そうですね。『自由論』で研究を続けてもよかったのですが、大学院でどういう研究をしたいかを考えたとき、せっかくなら今の自分の一部を形成したともいえる「なりきり」という特異なサブカルチャーに向き合ってみようと思ったのがきっかけです。
稲垣
コロナ禍でこれまでとは違った大学生活を送って、このままでは物足りないなと感じ、大学院に進学して、自分のコミュニティに対する哲学的分析を行ったということですね。修士論文を書くことについては、やってよかったと思いますか?
金屋
はい、文章を書くのはもともと好きでしたし、自分の考えを論文としてしっかりと形に残すことができて、本当に良かったと思います。大学院では、研究を進めながら自分と向き合う時間が多くあり、その時間がとても貴重でした。
稲垣
そういえば金屋さんが非常に落ち込んでいた時期があり、理由を聞いたところ「指導教授に論文について厳しく言われた」と話してくれましたよね(笑)。その後、一緒に散歩したこともありました(笑)。とにかく苦しみながらも最終的には修士論文を完成させ、賞をもらいましたよね。
金屋
はい、校友会の賞をいただいて、そのことが自信につながりました。なんとか最後まで書き上げられてよかったと思っています。
修了後のキャリアについて
稲垣
その後、今働いている会社に就職するまでの経緯を教えてください。
金屋
大学院進学後、私は研究者を目指していたわけではなかったので自分が納得できるキャリアを積むためには社会人としての経験も重ねるべきだと考え始めました。博士後期課程に進むことも考えたのですが、一度社会人経験を積んでから後期課程に進むのも良いかと思い、修士1年の時に業務内容に興味があった今の会社でアルバイトを始めました。当初は映像制作が主でしたがウェブ制作にも携わらせていただけるようになり、現在に至ります。
稲垣
ウェブ制作等を含めて、今はどのような仕事をしているのですか?
金屋
企業ブランディングを中心とした映像制作やウェブ制作を行っています。基本的には企業の内部で求められるさまざまな業務を請け負っているので、事務的な作業からポップアップショップの運営や企業向けの展示会の運営に至るまで、さまざまな業務に関わっています。ルーティンワークではなく多様な業務経験を重ねられている実感があるのでとても充実しています。
稲垣
金屋さんは文章を書くことが得意で、ホームページ制作やポスターのデザインにも才能がありますので、現在の仕事は面白く感じていますか?
金屋
はい、とても満足しています。本業とは別に現在も週1回、哲学科の津田先生の研究室でアルバイトをしており、大学との関わりをもち続けられていることも大きいです。自身の修士論文にも重なるような研究をされている津田先生の下で細々と研究を続けられていますし、他方では、稲垣先生が大会長を務められた病跡学会のホームページ作成にも関わらせていただきました。大学と本業のつながりが出来ている状態で自分の能力を発揮できる職業に就けたと思っています。
稲垣
その通りです。7月には日本病跡学会という大きめの学会を招致したのですが、そのホームページやポスター作成で大活躍してくれました。金屋さんは、大学とのつながりを維持しつつ、自分の能力を発揮できる環境を作り出しています。
大学院での経験がキャリアにどのような影響を与えたと思いますか?
大学院で得た経験
金屋
大学院では、自分で考えて物事を進める能力がより強固なものになったと思います。あまり人に頼らずに自分だけで進めていくというのが元々の性分なのですが、その忍耐力がさらに鍛えられました。また教員との距離感が近くなり、学部時代は1対1で話すこともなかったような先生からも気軽にアドバイスをもらえる環境が整っていたことも大きかったです。大学院での研究を通じて、自身の力では限界がある局面では他者に頼るという力も身につけられました。現在の仕事でもその経験が生きていると感じています。
稲垣
仕事でも自分に無理がかかるときは、誰かに頼ることが大切ですよね。
金屋
はい、おっしゃる通りです。デザインやウェブ制作は独学で進めてきましたが、分からないことは最初から素直に尋ねるようになり、その結果、目標に向かって効率的に物事を進められるようになりました。
大学院進学を考える人へ
稲垣
大学院に進もうと考えている方々へのアドバイスはありますか?
金屋
大学院に進みたいと思っている方がどのような研究をしたいかにもよると思うのですが、進学すると研究を通じて自分自身と向き合う時間が増えるので内面的な成長が期待できます。私も最初は消極的な動機で入学しましたが、これまでの経験に向き合い続け苦しい思いをしながらも結果的には研究をしっかりと形に残すことができました。自分の今の能力に自信がなくても大学院の間口はとても広いですし、様々な経験を通じて間違いなく成長できるので、挑戦する価値はあると思います。
質疑応答
稲垣
質問の時間を設けますので、何か質問があればどうぞ。
質問者
修士論文を進めながら就職活動も並行して行うことについて、実際の生活はどのように進めていたのか、具体的に教えてください。
金屋
就職活動そのものについては、具体的に進めていませんでした。私の学年では、就職活動をしていた同期も少なく、基本的にはアルバイトやTA(ティーチングアシスタント)をしながら、修士論文に集中していました。私の場合は、修士1年目に見つけたアルバイトを続けながら、修士2年の秋学期の半年間はTAとしても勤務させていただきました。研究だけに集中したい方もいるとは思うのですが、私はアルバイトやTAとしての勤務を並行する方が合っていました。
稲垣
その点では、タイミングが良かったのですね。
金屋
はい、そうですね。もともとデザイン関係の仕事に就いてみたいとは思っていたのですが、哲学科在籍中にデザイン関連の企業にエントリーシートを送る勇気が出ないまま卒業してしまいました。そのまま進学という選択をしましたが、結果的には興味のある分野の研究を大学院で進めながらデザインにも関われる仕事をアルバイトで経験することができ、現在はその両者に引き続き携わっていられる職業に就けたので、自身にとって最適な進路選択ができたと思っています。
稲垣
修士課程は単位を取ってしまえば修士論文の執筆だけの時間になるので、その間に別の仕事への助走をしていたっていうことなのかもしれないですね。
今の学部生は3年から4年の頭くらいまでにインターンという形で仕事内容にすこし触れて助走をさせてから内定という流れができていますが、それにも少し似ていますよね。
入社してから初めてその仕事をやるよりも、その手前からどんな仕事をやるのかを大学に在籍しながら理解していくという流れがありそうです。
大学院生としての経験は、まさにキャリア形成にとって有意義だったと言えるでしょう。では、そろそろ締めくくりにしたいと思います。金屋さん、本当にありがとうございました。
金屋
ありがとうございました。