令和5年度のひとりごと

令和6年3月22日号

「子育て仲間」

「お題は『最近、我が子の困っていること』です。いくつでもポストイットに書いてくださいね。時間は3分です。」

そう伝えると、お母さんたちは次々と書き出しました。「言葉遣いが悪い」「ユーチューブを見たらとまらない」「野菜を食べない」「泣けば済むと思っている」「すぐすねる」「話を聞かない」「兄弟ケンカがひどい」等々3分では足りないほどでした。


4歳児の懇談会でのことです。懇談会というと園から一方的にお子さんの様子を伝えて、質疑応答でおしまい、というやり方が多かったのですが、子どもの成長を担う園と保護者が1つの場所に集まる貴重な時間です。せっかくなら保護者の声を聞きたいという思いがありました。そこで4,5名のグループに分かれ冒頭のワークをやってみました。


困ったことが出た所で、内容を分類してその対応策をグループで考えます。「ウチはこうするなあ。」「なるほどね。」「でも、こういう風に言われたら?」保護者同士の話し合いは盛り上がり、笑い声も聞こえます。何だか生き生きとしていて、とても困ったことを話しているようには見えません。最後にグループごとに発表してもらいました。


「言葉遣いは・・・まずは親が直していきます。」

「ユーチューブやゲームは忙しくて相手ができないときに渡してしまうのですが・・・時間制にします。」

「野菜は・・・一緒に作ったり、魅力的な献立を考えます。」

「泣く時は・・・ほっときます。」

「すねてムカッとする態度を取られても、親の余裕が大事!イライラしないようにします。」

専門家の我々も納得する素晴らしい対応でした。みなさん保育教諭になれそうです。


とは言え親だって人間、感情的になってしまうことだってあります。大事なのは、どこかでそのストレスを話してみたり、後で冷静に考えることだと思います。家族や子ども本人に話しをして解決できればそれに越したことは有りませんが他の保護者と話すのも1つのやり方です。自分がやり易い範囲で保護者同士が関わりを持つことは子どもにとっても嬉しいようです。親同士が関係を持つことで、大人に対する態度や言葉が育つ機会になることも有ります。


私だって、わが子が保育園に通っていたころは、ママ友にお迎えに行ってもらったり、休日に一緒に遊んでもらったりしていました。何人かのママ友は、子供が社会人と高校生になった今でも、子育てや仕事の悩みを言い合える良き友だちです。「戦友」といっていいかもしれません。

同じ時代に、同じ地域で、同じ年代の子どもを育てることになったのも、きっと何かの縁です。その縁を大切にしてほしいなと思います。


開園して12回目の年度末を迎えます。今年度も沢山のご理解とご協力をありがとうございました。(園長 足立園恵)

令和6年2月27日号

「おてがみごっこ」

「えんちょうせんせい だいすきです。 おしごとがんばってね」

事務室前の手作りポストに届いたはがきです。差出人はゆり組のAちゃん。ひらがな表を見ながら書いたのでしょう。文字の大きさはまちまちですが、しっかりとした筆跡で書かれています。ハートで埋め尽くされたかわいらしい手紙でした。


毎年、この時期になると年長児ではお手紙ごっこが盛んになります。就学を控え文字に興味を持ち出したり、お正月に年賀状のやり取りがあったからでしょうか。今年はリーダー職員を中心に先生たちが全クラスに小さなポストを仕掛けました。おかげで、最初は年長児だけのあそびだったお手紙ごっこは全園に広がり、2歳児が書いたまるだけの手紙もやりとりされるようになりました。文字は書けないけど思いは伝えたい3歳児は「おうちにあそびにきていいよ」という手紙を担任の先生に代筆してもらいます。クラスのポストを毎日チェックして手紙が来ていないか確認する子もいます。


年長クラスの担任は子どもが郵便に興味を示す様子をみて、日本郵便のサイトにあった「ゆうびんはいたつ」の動画を見せてみました。ポストに投函された手紙がどんな流れで自分の家に届くかが良く分かります。特に興味をもったのは、消印を押す機械と郵便配達のバイクでした。

その後の遊びはいっそう盛り上がり、年長児の手紙には消印のハンコが押されるようになりました。廃材を使った赤いバイクも作られました。配達時間を記したポストを作り、その時間になるとバイクに乗って各クラスに配達に行く遊びが始まります。

そのうちに本物の郵便局に行ってみようという話が持ち上がりました。せっかくならと北総線に乗り、千葉ニュータウンの印西郵便局まで見学に行ってきました。子どもの興味関心から職員がタイムリーに対応し、実現した社会科見学でした。


保育園から印西牧の原の駅まで歩き、切符で改札を通り、みんなで電車に乗る。そして見学をして、また電車に乗り、駅から園まで歩いて帰る。3時間を超える行程でしたが帰園した子ども達の顔は達成感と自信に満ちていました。途中で「歩けなーい、つかれたー」と言い出すのではと引率職員は心配していましたが、なんの問題もありませんでした。大人がやらせたのではない、子供たち自身の遊びから生まれた園外保育となりました。


それにしてもSNSやメールでのやり取りが一般化している世の中で、どうしてこれだけ子どもの心を手紙が惹きつけるのでしょう。自分だけへの手紙の嬉しさや文字や絵の一つひとつに温かみとその人らしさを感じるからでしょうか。近い将来、自分のスマホを持つ日が来ても、手書きでのやり取りの良さは覚えていて欲しいと思います。


Aちゃんに返事を書きました。「おてがみ ありがとう。えんちょうせんせいも Aちゃんがだいすきです。」(園長 足立園恵)

令和6年1月31日号

「優しさの連鎖」

ジグモ(地蜘蛛)ってご存知でしょうか?私はつい最近知りました。いわゆる蜘蛛なのですが、空中に巣を張るのではなく、木の根元等に地下10cmほどの袋状の巣を作ります。その巣の地上部分を見ると、地面から柔らかいひもが伸びているみたいです。この地上部分をつまんでそっと引っ張ると、するすると地下部分が引き抜かれます。その袋をむいて中に住んでいるクモを捕まえることができます。今回はこのジグモ探しをする子どもの姿からみえたことをお伝えします。


「ぼくがやると切れちゃうんだ・・・」Aくんがしょんぼりと悲しそうに言います。それを聞いたBちゃんが「やさしくひっぱるんだって。Aくんもやさしくひっぱればできるよ。」と声をかけました。やる気をなくしていたAくんはその声に励まされてもう1度やってみました。すると一匹捕まえることができ、先生や友だちに見せてまわりました。その顔は誇らしげで自信に満ちていました。

2歳児クラスのジグモを捕まえる時のエピソードです。担任と友だちが始めたジグモ探し。興味を持ち一緒に探し始めたAくんですが、巣を見つけると友だちより先に自分が抜きたい気持ちが高まります。結果、勢いよく引っ張るため途中で切れてしまいます。それが何度も繰り返され、もうやだ!できない!と途方に暮れていました。そこで冒頭の一言です。


私はこの話を聞いたときにBちゃんの優しさにほっこりしたものです。同じ遊びをしていたBちゃんは上手に捕れないAくんのくやしさがよく分かるのでしょう。焦ることないよ、Aくんなら捕れるよというBちゃんの思いが伝わります。だからこそ、Aくんも自暴自棄になることなく、再度挑戦する気になったのでしょう。

Bちゃんはクラスでもそんなに目立つタイプではありませんが、先生や友だちの言動を観察している姿が印象にあります。A君への声掛けは先生が泣いたり、困っている子に対応する姿をみていたからでしょう。いつの間にか困っている友だちへの関わりをBちゃんは学んでいました。

     *         *         *        *

どの年齢でも、何かのきっかけで子どもがすねたり、怒ったり感情が崩れる時があります。先生はその子の感情を早く立て直したい気持ちを持ちつつも、「怒らないの!」「泣いてたら○○できないよ」「○○ちゃんがわるいんでしょ」なんて声掛けはしません。

 泣いていたら抱きしめ、地団駄を踏んでいても膝に乗せ、時間をかけて気持ちの切り替えを手伝おうとします。子どもの感情を否定することなく寄り添い一緒に解決策を考えていきます。私からみても「よく、つきあうなあ」と感心するほどです。


子どもは良いこともそうでないことも自分がされたように、他人にも行います。自分の気持ちに寄り添い大事にされれば、他者にも同じように振る舞うことが出来るようになります。ジグモ探しは普段の遊びの1コマですが、そんなところにも現れるんですね。

子どもに真似されても良いように一人ひとりにあった対応を心がけ、これからもその子らしさを尊重していきたいと思います。

「ここの園は怒る声が聞こえませんね。」と見学にみえた他園の先生の言葉を思い出しました。(園長 足立園恵)

令和5年12月25日号

「子どもの片づけ」

子どもたちが園庭遊びを楽しむ中、「サッ、サッ」とテラスをほうきで掃く音が聞こえます。見ると4歳児のA君がテラスの砂を掃いていました。先生たちが掃除をしている姿を見ていたからでしょう。子ども用ほうきで上手に砂を掃いています。白いタイル地が見えてくると満足そうな笑顔です。「きれいにしてくれて、ありがとう」と事務室から声をかけました。 

5歳児の女の子は玄関ホールや階段を掃除する先生を見かけ、自ら雑巾やモップを持ってきて拭き掃除を手伝ってくれます。これも先生が特にお願いしたわけでも、当番で割りあてたわけでもありません。「みんなが使う場所がぴかぴかになって嬉しいわ。ありがとう。」感謝の言葉を伝えました。

給食中に各クラスをまわると、「みてー、えんちょうせんせい。おさらぴかぴかだよー」ときれいにたいらげたお皿を誇らしげに見せてくれます。「全部、食べれたんだね!えらいね!給食先生も喜ぶし、明日も元気に遊べるね!」と手で大きな丸を作って返します。


子どもには「きれいにする=すごいこと=認められる」という図式があるように感じます。でも私たち大人が思う「きれいにする=片づける」という図式には思いが至らないように感じます。特に自分が直接関係することには目がいかないようです。 

例えば、タイルをお掃除してくれたA君。自分の鞄の中は、シャツやタオルやシール帳がぐちゃっと入っていてもまったく気にしません。

自分たちで作った作品を取っておくクラスの棚も、傍から見たら何だか色々なものが山積みになっています。

ぬり絵やお絵描きも、しゃしゃっと描いておしまい。余白が沢山あるのに何枚もとにかく書き連ねます。しかもそれを捨てる選択はしないで、自分の引き出しや「ママへのプレゼント」と言って嬉しそうに鞄にしまいます。子どもにとってそれらは片付けの対象では無いようです。私たち大人が考える、「きれいにする=片づける⇒捨てる」というのはもっと後から出てくる概念なのかもしれません。


振り返って考えると、子どもの鞄の中を「きれいにしまってくれて、ありがとう」だったり、空き箱をテープで留めただけの作品を「すごいねえ、じょうずにできたねえ」とは言うことがありません。ついつい、「畳んでしまってね」だったり「もう少し飾りを付けてみたら?」なんて、子どもにとっては面白くない声掛けをしてしまいがちです。

さらに言えば、みんなで使うものや場所に対しての片付けは感心したり、感謝の気持ちを伝えますが、自分が使った物や場所に対しての片付けは「当然」と思いがちです。これではなかなか大人が考える片付けや捨てるという事に対して前向きにはならないですよね。


そこで園ではなるべく子どもに聞くようにしています。ぐちゃぐちゃの鞄の中身に対しては「どれを畳む?」、描き連ねたお絵描きも「どれが1番好き?好きなのを残そうね」、沢山の積み木で作った作品も「いつまで飾っておく?写真で撮っておく?」と自分で選択してもらいます。そうすることで満たされる思いがあります。「どれを捨てるの?」「いつやるの?」というよりずっと前向きに取り組めますし、選んだものは大切にする気がします。そんなことの繰り返しで、いつか子どもは自分が関わったものを主体的に片づけることを覚えていくのではないでしょうか。


さあ、年末です。私も捨てるものを選ぶのではなく好きなものを残す片づけに取り組んでみたいと思います。どうぞ、良いお年をお迎えください。(園長 足立園恵)

令和5年12月5日号

「想定外の遊び方」

「ガンッ、ガンッ」 園庭でわかば組のA君がパレットに何回も三輪車の前輪をあてています。高さ15センチのパレットですが、なかなか三輪車で乗り上げることが出来ません。繰り返すうちに、ペダルを漕ぐだけではなく少し足で地面を蹴ると上手くパレットに乗れることを発見しました。後に続く友だちにも「ほら、見てよ」と嬉しそうに教えています。

前輪を持ち上げて手助けしたいのを我慢していたB先生は手を出さなくて良かった、と敬意を込めてA君を見ていました。

その後A君は何枚かのパレットの上を漕ぎ進め端まで到着。漕いでいた勢いのまま15センチの高さを降りようとしました。前輪が降りて体が前のめりになります。続いて後輪がドシンと地面につきました。お尻までくるその振動が想定外に面白かったようです。乗り上げる術は身に着けたA君。今度は降りるスリルが面白くなり三輪車でパレットに乗ったり降りたりを繰り返し遊んでいました。その姿はチビッコオフロードライダーのようでした。


パレットは先月園庭に設置しました。「こんなもの保育園で使うんですか?」配送にきたおじさんは心配そうな顔で納品していきました。120センチ四方、高さ15センチの物流パレットが10枚、園庭に並びました。

ことの発端は「園庭に舞台があったら良いのにね」という職員の思いです。

年間を通じて子ども達は色々なダンスを楽しんでいます。室内で衣装を付けて踊るのも楽しいのですが、園庭で踊るのはまたひとあじ違います。先生も子どもも一緒になって踊り出すと、年下の子も真似をして輪に入ります。自然に踊り方を教える年上の子の姿も見られます。たいてい1曲では終わらずダンスメドレーになります。何故か踊り出すと高い所でやりたくなるようで登れる子は宝島の上で踊っていました。

年齢を問わず、使えるような舞台があれば、ダンスはもちろん、その上で手作り楽器の演奏をするのも良いかもしれません。砂場の近くなので砂団子を取っておいたり、ござを敷いておままごとも展開できるかもと思案しての導入でした。


設置後、子ども達はまず登り、その上で何故か跳ねます。走り回って感覚を掴み安全を確認できたのか、こちらの思った通りダンスやままごとを楽しむ姿がありました。

ところが、冒頭のA君のオフロード使いは想定外。またゆり組の子ども達は砂場に続くパレットの先に大きな落とし穴を作りました。先生を呼んで目をつぶってもらいます。パレット上を安心して歩く先生の先に落とし穴です。まさか、落とし穴に続く道として使うとは思いませんでした。


お店で玩具として販売されているものは安全性も高く、見た目も魅力的です。でも遊び方はあらかじめ決まっていて、子どもの発想力や挑戦する力に結びつく物はなかなか見当たらないように思います。一見遊び方が分からず、どうやって遊ぶの?と頭をひねるものは子どもの好奇心や創造力を育みます。例えば土や落ち葉や木の実といった自然物、布や古タイヤや廃材などは代表的でしょう。

既製の玩具も活用しつつ、子どもの「どうやって遊ぼう?」という気持ちが膨らむ素材を今後もそろえていきたいと思っています。(園長 足立園恵)


*パレットは今年千葉県が創設した「自然環境保育認証制度」の補助金を活用して購入しました。本園は自然環境を重点的に保育に活用していると認められた県内28団体の1つに認証されました。

令和5年10月31日号

「虫歯バイキン」

コロナの影響かはたまたバイキンマンのおかげなのか子ども達に「バイキン」という言葉が随分なじんでいるように感じます。園でも手洗いの習慣をつけるため糊に黒い絵の具を少量入れたバイキンエキスを作ることがあります。これを先生が手のひらに付け、虫眼鏡で覗き「あれ?遊んだら手がバイキンだらけ。よく洗わなきゃ」としっかり手を洗います。子ども達にも付けて洗ってもらうので、どれほど丁寧に洗うと汚れが落ちるのかが実体験できます。「バイキン落ちた?」と手のひらを見せて聞く表情は真剣そのものです。


すずらん組では築山の虫歯工事がブームです。築山を誰かの歯に見立て、子どもたち自身が虫歯のバイキンになり、シャベルで山の凹凸部分を叩いて傷を付けていきます。始まりは子どもの見たて遊びでしたが今では男女問わずだれかしらが参加しています。お医者さん役で病気を治すより、病気を引き起こすバイキン役の方が楽しいようです。

 

この日は男の子数人が大きなシャベルやスコップ、大小異なるバケツを両手に持ちバイキンになりきっていました。「はい、これあげるからせんせいも虫歯のバイキンになって。」と担任にも声がかかります。担任が「この歯は誰の歯なのかな?」ときくと、「今日はねぇ・・・K先生の歯!」と答えが返ってきます。

シャベルで築山の表面をトントン叩いてみたり、小さなあなを掘ったりします。A君は、「K先生、痛いって言ってるかなあ?」と嬉しそうにK先生の姿を目で確認します。バイキン仲間のB君が「Aくん、ちょっとまっててね。みてくるから!」と言いK先生のところまで走って行きます。「(築山を指差し)K先生の歯だ。いたい?」と聞きます。事情を察したK先生は頬を押さえて「いててて!虫歯がいたいよ。」と痛がる様子を見せます。バイキンたちは大喜びです。

一緒に工事をしていた担任が「今度は先生がバイキンになってもいい?」と聞きます。「だめ。」とあっさり断わられてしまいました。


園では年に2回、歯科検診を行います。歯医者さんはとても優しいのですが、頑として口を開けない子が毎回数人います。それでも「お口にバイキンがいるか見てもらうだけだよ」という先生の声掛けや先にやっている子の姿を見て全員が検診を受けます。実際に虫歯がある子は2%ほどです。

子どもにとってバイキンは未知なる恐怖なのでしょう。どんな姿をしてどんな手順でぼくのことを病気にするのか。どんな道具で、いつ、わたしの所にやってくるのか?想像が広がります。築山を歯に見立て、虫歯バイキンになりきった子どもたちは、すぐに大きな穴をあけるのではなく、まずひっかくくらいから始めていました。相手の反応を見て少し穴を開けて・・・とバイキンの手順を考えているようです。最初から大きな穴をあけないのは自分がいきなり強い痛みにあいたくないからでしょうか。

 

子ども達を必要以上にバイキンにおびえさせることはありませんが、手洗いやうがいなど子どもなりに出来る健康対策は遊びの中で身に付けて行きたいと思います。(園長 足立園恵)

令和5年10月03日号

「楽しくない遊び?」

その日のすみれ組の日誌には遊んでいる最中の怪我とその対応について書かれていました。

「朝の園庭でAちゃんが玩具を片付け中、転がっていたボールに足をとられ背中から転倒。後頭部 背中 ひじをうつ。直ぐそばに担任がいたが、地面に玩具が散乱していて、同時に男児を中心にものの取り合いも起きていた。騒然としている中での出来事で防げなかった。好きな玩具で好きなように遊ぶことは保証してあげたい。しかし、今回のように玩具が散乱していて友達が怪我をするようなことは避けていきたい。部屋に戻ってから子ども達に話をした。B男はそれとなくわかったみたいで、その後の片付けへの取り組み方に変化が見られた。どういうことが危険につながるのかを子ども達に伝えていきたい。」


怪我や危険を避けるためにどうしたら良いかを大人から伝えることは必要です。私たち保育者は子どもが大きな怪我をしないような環境を整えていかなければなりません。しかし、あらゆる危険を事前に排除するような環境は、かえって子どもの健全な成長を妨げかねません。たくましく育つには、子ども自身が自ら危険を察知して避ける力を身につけていくことが求められます。そして子ども達は遊びの中でその術を身に着けているのも感じます。

例えば、玩具で遊びだすと0歳児でも興味のあるものを次から次へと出して行きます。まさに散らかり放題です。1歳を過ぎると友だちが使っている玩具が欲しくなってさっと持って行く行動も見られるようになります。もちろん取られた方は泣いたり、じっと目で追ったり先生に訴えかけてきます。園ではそんな行動が見られると箱に戻す遊びとして片付けを一緒に行ったり、取られた友だちが悲しそうな顔をしているねと、相手の子の様子を感じてもらってから玩具を返すように促します。「出したら片づけます。」「お友達の物は取りません」というより伝わるようです。

そんなことを園生活で繰り返す中で、どんな遊びが危険で、どんな遊びが友だちを嫌な気持ちにさせるのかを学んでいきます。


子ども達にも聞いてみました。

「みんなは毎日保育園で楽しそうに遊んでいるよね。だから園長先生は遊びは楽しいだけだと思うのだけど、そうじゃない遊びってあるかな?」4歳児の半分くらいの子は全部が楽しい遊びだという回答でした。ところが5歳児になると全員が楽しい遊びもあるけど、そうでない遊びもあると答えました。

それはどんな遊びかと更に聞いてみると「友だちが作ったものを壊す」「人形やブロックを投げる」「ハサミや玩具を出しっぱなしにする」「ピアノに乗る」「スコップで戦いごっこをする」「ごめんねって言わない」「あかちゃんが居るのに三輪車で築山から降りる」等々、なるほどと思う遊びの場面が出てきました。こういう遊びは「楽しくない遊び」だと言っていました。

 

「楽しくない遊び」。子どもらしい表現だなと思います。

「楽しくない遊び」からの学びも合わせて、これからも丁寧に子どもたちに何が危険に繋がるかを伝えていきたいと思います。「楽しい遊び」だけで過ごせる時間が多く持てますように。(園長 足立園恵)

令和5年8月31日号

「親の都合」

やってしまいました。自分の子を信じられず疑ってしまったのです。次男の目はあきらかにがっかりしていました。「俺を信用してないんだな」と語っていました。

夏休みの最終週。気温も湿度も高く、ニュースでは外での運動を避けるように厳重警戒が出ています。学校生活がテニス部一色の次男はその日も午後からの部活に参加していました。

19時。「帰るの遅くなる」とラインが来ました。もうボールも見えないだろうに、と思いながら「どうして?」と返すと「めっちゃ練習」との返事。頑張るなあと思い夕飯を用意していました。ところが20時になっても21時になっても帰ってきません。ラインの返事もありません。「もう、高1なんだからほっとけよ」という夫の声も理解しつつ、熱中症で倒れたのか、トラブルに巻き込まれたのか、遊びにいってしまったのかと気が気ではありませんでした。ようやく連絡が取れたのは22時前でした。これから学校を出るということでした。結局その日は次男に会わないまま終わりました。


そして翌朝。起き抜けの次男を問い詰めました。「どうして昨日はあんなに遅くなったの?」「だから練習だって。」「あんな時間までテニスできないでしょ!大会だって終わったのに。」と口調も強くなります。「電気ついてんだよ。知らないくせに。もう、いいよ。」と彼は私をじっと見ました。数秒、目が合いました。何故だか本当に練習していたんだと感じました。

その瞬間、どうして嘘だと決めつけてしまったのだろう。珍しく帰宅が遅くなる連絡もあったのに。嘘でも無事に帰宅したのだからほっとけば良かったのにと様々な反省の念がこみ上げてきました。

リビングに入ってきた息子に「ごめんね。」と謝りました。「なにが?」と聞くので「遅くまで練習してたの嘘だと思って。」と伝えました。そんなことかという顔をして朝食を食べ始めます。我が子を疑ってしまったとうじうじと反省する私とは裏腹に息子はもう気にもしていないようでした。


園でも子どもの嘘はよく耳にします。誰かがチョコアイスを食べたと言うと「ぼくはね昨日、アイス100個たべたよ。」「私は虹のアイス食べたの」と架空のアイス話に花が咲きます。そんな時はもちろん「100個も食べられるわけ無いでしょう。」なんて返しません。「アイス100個も食べておなか痛くならなかったの?先生なら3個までかなあ。」と嘘を追及するような話はせず会話を続けます。感情的に叱ることは無いのです。

 

どうして自分の子だと感情的に叱ってしまうのでしょう。今回は冷静に考えてみました。①お腹を痛めて生んだ我が子を愛しているから。②自分はものすごく心配したのに当人が何も感じていないようだから。③自分が予想していた通りに事が進まず夕飯の片付けや就寝が遅くなったから。④義務教育も終了し親の管理下から巣立つ頃なのに子離れできていないから。よくよく考えると自己都合ばかりです。まだまだだなあと長男も含め23年間の子育てを振り返ります。もし次回帰宅が遅くなることがあれば「練習大変だったね。肩でも揉みましょうか」と優しく言ってあげたいと思います。(園長 足立園恵)

令和5年7月28日号

「ケチャップ作り」

「ピーマンの肉詰めを作りたいのですが。」

ゆり組の担任が相談に来ました。クラスではピーマン、トマト、トウモロコシの夏野菜を栽培しています。毎日水をやり、雑草を抜き、追肥もしました。そのおかげで沢山のピーマンができました。

子どもたちの目の前で炒めて見せたところ、野菜嫌いのAくんもそのピーマンを食べることができました。このことはうれしい事件として、職員のあいだでも話題になりました。

ピーマンはまだまだあるので、子ども達とどうやって食べるかを話し合ったところ、ピーマンの肉詰めに決まったそうです。ついでにトマトでケチャップも作ることになりました。ケチャップだけは給食先生にたよらず、自分たちで作ってみることになりました。


ゆり組専用のパソコンで作り方を調べます。子供たちはふだんから虫の図鑑アプリなどを使っているので、操作はお手のものです。わいわい言いながら検索ワードを入力して、あっという間にレシピを探し出しました。

担任は念のため、自宅でレシピ通りに試作をして、満を持して当日を迎えました。まずはトマトのヘタをくりぬき、湯むきをします。皮がするっとむけるのが不思議なようで、あちこちで驚きの声があがります。

さいの目に切ったら、しばらく煮込み、ザルで濾します。そこに玉ねぎをおろしたもの・にんにく・ローリエ・塩・こしょう・砂糖・酢を適量入れて、ひたすら混ぜます。

部屋中にトマトの香りが広がってきました。30分ほど煮込んだら完成です。ちょうどピーマンの肉詰めも焼きあがりました。

ケチャップをかけたピーマンの肉詰めがテーブルに並びました。Bくんはいただきますと同時にかぶりつきました。Cちゃんは最後までとっておいてから大事に食べました。ピーマンが苦手なAくんも、ケチャップと一緒に少しだけかじってみました。


どんな野菜を育てるかも子どもたちが話し合って決めました。トマトやピーマンを選んだのは、ふだんは苦手だけれど、自分たちで育てたら食べられる気がしたからだそうです。

トウモロコシが動物に食べられてしまったときは、案山子を作りました。雨に濡れないようにとレインコートを着せてあげました。

担任の先生は、できるだけ指示をしたり、決定をしたりすることのないように気を付けました。たとえ同じことをするのだとしても、大人にやらされるのと、自らすすんでするのとでは、天と地ほどの差があります。目を輝かせながらケチャップの味の感想を言い合う子どもたちの姿が、そのことを物語っています。

収穫できたのは、どうやらピーマンやトマトだけではなかったようです。「自分たちで考えて、自分たちでやってみる」という主体的な体験そのものが、いちばんの収穫だったようです。

(園長 足立園恵)

令和5年6月30日号

「今もこれからも」

「超少子化社会における認定こども園の役割と課題」というテーマの研修を受講しました。今、日本は経験したことが無い少子高齢化が進んでいます。人口も2100年位には明治時代と同じ程度になるそうです。そこから人口が増えていけばよい気がするのですがその頃の高齢化率はなんと40%。人口は明治と同じでも生産年齢の比率が全く違う「年老いた国」になるそうです。

待機児童がいて、毎年印西市には新しい保育園ができています。目の前で活き活きと遊んでいる沢山の子ども達を見ていると別世界の事のようですが、いずれこの目の前の子ども達に降りかかる問題です。

他にも、統計的なデータをもとに以下のようなことが分かっているそうです。①子どもの貧困は、経済的な貧困はもちろん他者との関係性、経験の貧困性が今は目立ち、このような貧困が犯罪行動や認知症に繋がる。②乳児期に受けたネグレクトは忘れてしまうわけではなく、確実に他者攻撃の多さに影響している。③情緒面の教育は乳児期にしっかりおこなえば生涯効果がある等々。

園にいる数年間を小学校への「養成期間」ではなく子どもが一生の間「幸せに生きていく」ために何が大切なのか、何を学ぶことが必要なのかをしっかりと見つめて関わって下さいね、という話しで研修は終了しました。世界と日本の様々なデータから導き出された現状と未来について4時間の講義を受け、何から始めたらよいのだろうと私の頭は一杯いっぱいになりました。

もちろん私一人で何が出来るわけでもないので、まず職員会議でこんな世の中を生きていく子ども達にどんな手だてで何が必要だと思うのか話し合ってみました。

・沢山の職員でとにかく愛情たっぷりに関わっていく。

・辛いことや苦しいことの経験も必要。嫌だという事を先生やお母さんたちに伝えてよいことも教える。辛いことに負けない心を育てたい。

・友だちや先生や家族と沢山関わって、自分が愛されている存在だと気付き自己肯定感を高める。

・抱っこする。スキンシップを取る。抱っこしてもらったことは幸せな記憶として今も覚えているから。

・自分で判断する力をつけるために多くの選択肢を用意して経験値をあげる。

 そうです。新しい手立てではなく、今も日々おこなっている保育をよりしっかりとやっていけば良いのです。どんな時も子どもをしっかりと受け止め、認めていきたいと改めて思いました。

 

 講師が次のようなことも言っていました。「いずれ先生が子どもの言動を見て、その情報がAIに入ると、その子に対してこんな環境や手立てが良いと瞬時にAIが先生に教えるようになるかもしれません。」

 子どもはAIの提案の上をいく存在だと私は信じていますが、仕事は効率化されるでしょう。でも、そんな世の中になったら、「お野菜も食べて欲しいな」という先生の気持ちや「今日は疲れて抱っこ出来ないの。ごめんね。」という親の気持ちもAIが子どもに教えてくれたら良いのに、と思います。(園長 足立園恵)


注:文章中の数字や内容は私が研修内容から抜粋・解釈したものだということをご了承下さい。研修主催:全国認定こども園協会 講師:山﨑史郎(内閣官房社会参与)、駒村康平(慶応大学経済学部教授)、谷村誠(社福みかり会理事長)、吉田正幸(保育システム研究所代表)



令和5年5月31日号


「昆虫の魅力」


 「園長先生、見てみる?」4歳児のA ちゃんが園庭から声をかけてきました。手には蓋の付いた黄色いバケツがあります。「なにかな?飛び出してこないよね?」と確認をしながらバケツを覗き込みました。そこには大量のダンゴムシがひしめいていました。ざっと100匹はいそうです。「よく見つけたねえ。どこに居たの?」と言いつつ正視は出来ませんでした。Aちゃんをはじめ子ども達は平気です。動き回るダンゴムシを上手に掴み、手のひらに載せて丸まる姿に見入ってます。


 すずらん組の子ども達はミミズに夢中です。地表にいる生き物ではなく、掘ると出てくるというのも魅力の一つのようです。石の下や枯葉の下に潜んでいることを遊びの中で学び、確実にミミズを捕まえます。なぜだか長いミミズほど子どもにとっては価値が高いようで、短いミミズや発掘中に誤ってシャベルで切ってしまったミミズは、放り出されます。放り出されたチビミミズを「赤ちゃんミミズだ!」と喜ぶ子もいるので子どもの世界は上手くできています。


 12年前に開園した当初はアリすらいない、粘土質の園庭でした。いつの間にかアリ、ダンゴムシ、ミミズといった昆虫が見られるようになり、それと同時に子ども達の興味関心が虫に向かうようになりました。最初はじっと見るだけですが、そのうち手で触れるようになります。自分で掴めるようになるまでは、何匹もの虫をつぶすことになりますが、翌年その虫が出てこなくなることはありません。そして入れ物に入れじっと観察を始めます。保育室や家に持ち帰りたいと言い出す子もいます。そのためには何が必要か。自分なりに考えて、捕まえた場所と同じような環境を用意します。土と水と適当な草木を容器に入れていきます。この学習能力には驚かされます。年長児になると、ダンゴムシの足は14本ということや、ダンゴムシは丸まるけどワラジムシは丸まらないという違いまで知っています。どうして小さな昆虫たちはこんなにも子どもの心を惹きつけるのでしょう。


 玉川大学乳幼児発達学科の大豆生田啓友教授は子どもと昆虫の関わりについて次のように述べています。

「小さな虫が飛んだり跳ねたりのそのそと動いたり、自分とは違う多様な姿は魅力的な存在として映ります。その生き物に触れ合う時、子どもは自然と相手に合わせることを学びます。不用意に手を出しては危険であったり、よく見ていなければ捕まえることが出来なかったりするからです。子どもの虫への興味は科学者が「なぜだろう」と問いをもって観察する姿と同じなのです。

 また命を大事にする心も培います。虫と関わる中で卵が産まれたりその虫が死んだりします。その経験を通じて子どもたちは生きることと死ぬことを学びます。自分が大事にしていても命には限りがあること、だからその時は命を粗末にするような関わりがあったとしても次第に命を大事にする気持ちが育まれていくのです。」(『非認知能力を育てるあそびのレシピ』講談社,56~66頁)


 どうやら小さな虫たちから、学ぶことは多くあるようです。私自身、昆虫はどちらかと言えば苦手分野ですが、子ども達の小さな先生と捉え、今後は親しんでみたいと思います。(園長 足立園恵)


令和5年4月26日号


「子どものための場所」


 入園・進級してから1ヶ月弱。我が子へみなさんはどのような思いでしょうか?園で泣いてばかりいないかな?先生はどんな人かな?お友達と遊べているかな?給食は食べているのかな?お昼寝は?・・・等々心配は尽きないと思います。

今年の入園式で次のような話しをしました。

 「毎年100人ちょっとの子ども達を保育していますが、同じ環境でも遊び方、関わり方は様々です。新しい環境ですぐ目についた玩具で遊ぶ子もいれば、じっと部屋や園庭を見ているだけの子もいます。

 すぐに遊び出せる子が良い子、じっとしている子、泣いている子は困った子でしょうか。

そんなことはありません。考える前に感じたままに行動できる子。対象をよく観察して考えてから慎重に行動する子。どちらも個性でありそれぞれの良さがあります。この2人が同じ空間に居ること、お互いに相手には無い力を持っていること、それが集団の良さのひとつです。少しずつ、関わりを持つことで補いあえる関係になっていきます。その中で自分や自分と違う相手を理解し、成長していくのです。みんなと同じでなくて大丈夫です。

 私たちはそれぞれの子がいつ、何に、どんな風に興味関心をもつのかに注目しています。そして興味を持つものを見つけられるように出来るだけ多くの選択肢を用意しています。絵本やブロック、砂場や滑り台等の玩具もありますが、この時期に一番子どもの興味をひくのは草花や春の風、そしてダンゴムシやアリと言った昆虫です。その過程ではお母さんやお父さんにご家庭での様子をお聞きしたり、相談することがあると思います。子どもに関わる沢山の要素を勘案して、お子さんの成長を共に育んでいきたいと思っています。」


 全員が新入園児の0歳児。芝生に出ると、担任から離れて探索を始める子もいれば、担任の膝の上からは降りず足を動かして芝生の感触を確かめる子もいます。手で触ってみるよう促すと、今日は足で精一杯。担任はまた次回とゆったり構えます。

 1歳児のAちゃんは、ブランコで遊んでいたら次はブロック。そのブロックがぴったりままごとの鍋に収まるとフラフープへ。フラフープを全てフックから外すと満足そうに次は砂場へと、あっちへこっちへ移動しています。遊びが定まらないように見えるかもしれません。ところが、担任の目は違います。この子は一つ一つの遊びをこの子なりに遊び切って、次の遊びを探しに行っていると見ています。遊びが定まらないのではなく、好奇心一つ一つを彼女のやり方で満たして居たのです。

 3歳から仲間入りしたB君。最初はどこか自分の気持ちを控えめにしているなと感じていた担任。何日か経った時、保育室で「だめ!」と言って突然泣き出しました。先生はしばらく見守ったのち抱っこで部屋の外へ連れ出し、2人で散歩をしに行きました。その日の日誌には次のように書かれていました。「B君がようやく感情を出してくれて嬉しかった。本児の気持ちをたくさん受け止め、”保育園は感情を出してもいい所”、”どんなときでも先生が受け止めてくれる所”、”楽しい場所”と思ってもらえるように今後も関わっていきたい。」


 保育園は子どものための環境が考えられており、専門の先生が揃った場所です。だからお父さん・お母さんも親として自分が選んだ「子どものために用意された子ども中心の場所」に安心感を持ってもらえたらと考えています。その安心感も、子どもが保育園を好きになる1つの要素だと感じています。

今年度も子ども一人ひとりの良さを見出しながら全職員で保育にあたっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。(園長 足立園恵)