椋の木のおはなし
令和4年度のおはなし
令和5年3月1日
「ドラえもん」
「ドラえもんは、なぜのび太の友達になれるのか?」
先日の研修会で面白い話を聞きました。答えは「どら焼きを食べられるから」です。京都大学の脳科学者、明和先生の講演でした。アタッチメント(愛着)形成の土台となる重要な感覚のひとつに「内受容感覚(内臓感覚)」というものがあります。お腹がすいた、心臓がドキドキする等の内臓の感覚のことです。近頃、子育てグッズにもAI(人口知能)が搭載された便利なものがたくさん登場しています。しかし、AIは内臓がないので、子どもの気持ちに寄り添い、共感することは出来ないそうです。ところが、ドラえもんはどら焼きを「うまい!」と言ってムシャムシャ食べます。「これは内臓がある証拠です。だから、のび太の悲しみや喜びに共感できるのです」と可笑しそうに話されていました。
宮の森公園に遊びに行った時のことを思い出しました。ぞう組のSちゃんは、公園のトイレの前できりん組のYちゃんが出てくるまで「ここにいてあげるね」と待っていました。先生に言われたわけではありません。「公園のトイレに入るのは怖いだろうな」と想像して考えた行動です。
子ども達は、家庭や保育園で誰かに共感してもらう喜びをたくさん体験し、少しずつ友達の思いに共感するようになり、やがて人のために行動できるようになるのだろうと思います。
今後、AI技術が飛躍的に発展することが予想されますが、人間関係や感情はますます希薄になりそうです。そのような世界の中で「人」として幸せに生きていくには、他者との温かな交流や感情のやり取りが今以上に重要になるでしょう。子ども達の姿を見ていると、友達っていいものだなとつくづく感じます。
『共に感じ、共に育ち、共に生きる』これは当園の経営理念です。
「共に感じるー子どもの喜びを自分の喜びとして、子どもの寂しさを自分の寂しさとして、子どものいたみを自分のいたみとして感じ取ること。それが保育の第一歩です。共感のないところに保育はありません。保護者や同僚の思いにも共感します。子どもと一緒に泣き笑いし、保護者や同僚と一緒に子どもの成長を喜びながら保育にあたります」
図書室に掲げているこの理念をあらためて読み返しました。
3月13日からの感染症対策の緩和に合わせ、卒園式では3年ぶりに歌を歌います。1曲は園歌、もう1曲は偶然にも「夢をかなえてドラえもん」です。友だちや先生と共鳴する喜びを感じながら、高らかに歌いたいと思います。
(園長 番場朋子)
令和5年2月1日
「大工さんは忍者」
園庭に新しい遊び場が出来ました。
既成の立派な遊具ではなく、ベニヤの壁に板とロープを取り付けただけのシンプルなものです。一週間ほどの工事で、3人の職人さんが仕事をする様子を子ども達が柵のまわりから眺めていました。木材を切ったり、ボルトでとめたり、鮮やかな手さばきで作り上げていく様子は見ていて飽きません。柵の前にベンチを置き、長いこと熱心にみつめている子もいます。しばらくして、きりん組のY君が、職人さんのひとりが地下足袋を履いていることに気付きました。「あっ!」と声をあげ、担任の先生に何かを耳打ちします。「本当ね!」先生の驚いたような声に他の子ども達も集まってきました。
「あのひと忍者?」、「だってさ、あれ(地下足袋)、忍者の本に載ってたよ」、「もしかして壁のぼったの、あのひと?」 聞こえないようにヒソヒソと興奮気味に話す子ども達。担任も子ども達に合わせ、「そうかもしれない」と真面目な顔で答えています。
きりん組では、秋から忍者ブームが続いています。部屋の入り口には「にんじゅつがくえん(忍術学園」とひらがなで書いた看板が掛かっています。(春夏は恐竜ブームで「ジュラシックパーク」と書いてありました。)折り紙の手裏剣、ダンボールで作った剣、忍者風の衣装はいつでも使えるように置いてあります。壁には忍者らしき足跡がついています。忍者の本や図鑑で色々なことを知り、11月には忍者飯を作って宮の森公園へ修行に出掛けたりもしました。
「大工さんは忍者に違いない!」そう確信したY君は、部屋に戻っても、耳に鉛筆を掛けたり、直角になっている定規を真似てダンボールで作ったりと、忍者の大工さんをリスペクトしてやみません。そのうちに、寒い中でずっと作業していることを気にかけ、「おなかすいちゃうね」と心配し、友達と相談して「飴をあげたらいいんじゃないか?」と副園長に伝えに行く場面もありました。
保育園には、大工さんや石屋さんなどの専門の職人さんが時々やってきます。見慣れないたくさんの道具を魔法のように操り、様々な物を作ったり直したりしてくれる職人さん達は、子ども達の憧れの的です。子どもの育ちには、このような人的環境がとても大切だと感じています。憧れや興味関心は、子ども達の意欲や行動の原動力となります。「すごいな」「自分もやってみたいな」と感じる機会を出来るだけ多く作ってあげたいと考えています。
さて、忍者の大工さんが作ってくれた遊び場は忍者修行に持ってこいです。ちびっこ忍者たちが楽しく修行に励めるよう、私たちも安全対策をしっかり行っていきたいと思います。にんにん。(園長 番場朋子)
令和5年1月4日
「しめ飾り」
明けましておめでとうございます。
保育園の玄関に子ども達が作った「しめ飾り」を飾りました。個性的で勢いを感じる一点ものです。(詳しくは園だより(11月30日号)をご覧ください)
それがきっかけで「しめ飾り」に興味を持った私は、年の暮れに、しめ飾り作りの見学に行きました。師匠のMさんは布佐下という自然豊かな地域に住んでいます。Mさんの作業場になっているビニールハウスに入ると、青い稲わらのいい匂いがしました。しめ飾りに使う稲わらは、布佐下の住民総出で真夏に刈り取り、シートを被せて4ヵ月間大切に保管するそうです。他にも、昆布、ゆずり葉、南天、橙などが用意されていました。ゆずり葉と南天はMさんの庭にあるものを使います。Mさんがしめ縄を編んでいる横で、飾りを作るお手伝いをさせてもらいました。水引きは「あわじ結び」に、折り紙は「祝い鶴」にとのことですが、作るのは初めてです。複雑な工程に苦戦しましたが何とか形になりました。Mさんお手製の道具を使い、飾り物をしめ縄に差し込むと、立派なしめ飾りの完成です。思いのほか大変な作業でしたが、清々しい気持ちで一年を締めくくることができました。
保育園では、ハロウィンやクリスマスを楽しみますが、日本の季節行事や身近な伝統文化にも親しみます。出来るだけ工程を見せたり、五感を使って体験させたいと考えています。季節に合わせて生活の場を整え、無いものは自分達で工夫して作るといった、少し前の日本の生活がお手本です。例えば、米飯の日は、朝から栄養士がぞう組の保育室で米を研いで炊飯器で炊きます。お昼前には炊飯器からごはんの甘いにおいが部屋中に広がります。きりん組のテラスには黒土のコンポストが置いてあります。給食で出た野菜くずを入れて土に還る様子を観察します。肥料が出来たらプランターのいちごに与えるのもいいでしょう。新嘗祭(にいなめさい)には、育てた大根を収穫して「のの様」にお供えし、冬至にはバケツに張った湯に柚子を入れて手を温めます。年末の大掃除は、ぞう組からりす組の子ども達がみんなで感謝を込めて行いました。
保育園は日々生活する場です。「生活」ではなく「暮らし」と呼ぶ方が合っていると提唱する幼児教育の研究者もいます。暮らしとは人々が創意工夫しながら生活を営むことだそうです。まさに保育園の生活は暮らしそのものだなと感じます。遊びも生活も、試行錯誤しながら自分達で作り出して楽しむ。その中で非認知的な能力(粘り強さや協調性など)が育まれていくのでしょう。出来上がったものをお金で買うのは簡単ですが、自分で作る喜びや達成感は何ものにも代えがたいと改めて感じた年の瀬でした。
年神様をお迎えする「しめ飾り」は、その家に幸せをもたらしてくれるそうです。みなさんのお家にも保育園にも、たくさんの幸せが訪れますように。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。(園長 番場朋子)
令和4年12月1日
「中国から来たおじいちゃん」
K君のおじいちゃんは、今年の7月に中国から来日しました。
息子夫婦の子育てを助けるためにおばあちゃんと一緒に来てくれたのです。日本語は話せませんが、保育園のお迎えがおじいちゃんの担当になりました。
毎日、夕方になると自転車でお迎えに来ます。自転車の前に妹のAちゃんを、後ろにK君を乗せて帰ります。ところが、おじいちゃんの言葉が分からないからでしょうか、K君が「帰りたくない」とぐずる日が多くなりました。おじいちゃんも困り顔でしたので、職員が自転車に乗せるまでお手伝いすることにしました。おじいちゃんは身振り手振りで話しかけてくれるのですが、中国語が分かる職員はいません。
そこで、ポケトーク(翻訳機)を購入してみました。最初のうちはなかなか上手くいきませんでしたが、だんだんとコツを掴み、おじいちゃんと少し会話が出来るようになりました。会話を重ねる中で、忙しいお父さんとお母さんに代わり、おじいちゃんがお風呂、食事なども積極的に手伝っている様子が伺えました。お母さんが出張で家を空けていた時は本当に大変だったようです。そのうちに「子ども達が言う事を聞いてくれない」等、おじいちゃんの悩みも分かってきました。
もっとおじいちゃんの話を聞けないかと考え、知り合いのつてを頼り、中国語の出来る方を紹介してもらいました。「通訳の方が見つかりましたよ」と知らせると、おじいちゃんは嬉しそうに笑ってくれました。
話し合いには、おじいちゃん、通訳の方、担任、私が参加しました。おじいちゃんは、K君やAちゃんの好きな遊びや苦手な食べ物など、細かいことを本当によくご存じでした。お話を伺い、国により子育ての仕方や考え方に違いがあることもよく分かりました。何より、K君を立派に育てたいというおじいちゃんの強い思いを感じました。
最後に、「保育園に何か伝えたいことはありますか?」と聞いてみました。通訳の方が中国語で伝えると、おじいちゃんは「謝謝!」と私達に手を合わせ、「せっかく日本で育つのだから、日本人の良いところを見習って欲しい。園の先生達のように丁寧な挨拶ができる子になってもらいたい」と優しい目で仰って下さいました。
数日後、おじいちゃんはうさぎ組の散歩に同行してくれました。宮の森公園ではK君が乗るぶらんこをいつまでも押すおじいちゃんの姿がありました。
「私はいつも叱り役なので、子ども達は私を嫌っていると思う」とこぼされていましたが、そんなことはないでしょう。おじいちゃんの深い愛情はきっとK君にも伝わっていますよ。
おじいちゃんは12月下旬に中国へ帰ります。来年もぜひ来てくださいね。(園長 番場朋子)
令和4年11月1日
「石の金魚」
「金魚がいるから、見せてあげる」
園庭で落ち葉を掃いていたところ、うさぎ組のSちゃんに声を掛けられました。
Sちゃんに手を引かれ庭の隅の方へ行くと、KちゃんとYちゃんが待っていました。「連れてきたよ」と二人に声を掛け、Sちゃんは傍にあったバケツを覗き込みます。
「ほら、見てごらん」と促されて私もしゃがんで中を覗き込みました。紅白の小さな花びらが水に浮んでいます。底には小石が何個か見えました。
「赤と白のかわいい金魚だね」と言うと、「石が金魚だよ」と言ってSちゃんがニヤッと笑いました。周りの子達もクスクス笑っています。
「ああ、石の方なのか…」となんだか可笑しくなって、私も、うふふと笑いました。そして、4人で頭を寄せ合い、石の金魚をしばらく眺めていました。
私はこのような時間が大好きです。
子どもの世界に入り込むと、柔軟な発想に感動し、時間が穏やかに流れることを感じます。子ども達とたわいもないことで笑い合い、とても幸せな気分になるのです。
保育園の先生だから当たり前でしょうと言われるかもしれませんが、自分の子育ては「ちょっと待ってて」ということが多く、子どもの「見て」にどれだけ答えてあげられたか、はなはだ自信がありません。子どもが成長するにつれ、石や葉っぱを何かに見立てたり、砂山や積み木をひたすら高く積み上げたり、終わりのない鬼ごっこをすることが無くなってきます。気付いた時には、「見て」ではなく「ごはんまだ?」と言われるようになってしまいました。
乳幼児期の子育ては本当に大変ですが、子どもの世界で一緒に遊べるのは、ほんの短い時期なのだなとあらためて思います。
保育園では「おさんぽ見守り隊」の隊員を募集しています。
散歩に出掛けるクラスの安全を守るため付き添っていただくのですが、お子さんとゆっくり関わる時間にしてほしいと考えています。
見守り隊に参加したお母さんからこんな感想を聞きました。「兄弟がいるので、家ではこの子ひとりと遊ぶ時間がありませんでした。公園で十分に遊べたので、子どもも嬉しかったようです」
戸外遊びが気持ちのいい季節です。石の金魚を一緒に探しに行きませんか?(園長 番場朋子)
令和4年10月1日
「かんじゃって、ごめんね」
先日、昼に職員会議がありました。
予定の議題が終わったので、何か困っていることがないか聞いてみました。すると、若手の先生から、「噛みつきの対処について困っている」と声があがりました。先輩保育者に投げかけてみると、手立ての方法や噛みつきが起こる原因、噛んでしまう子どもの気持ちについてなど参考になる意見がたくさん出されました。
ひと通り話がまとまった時、黙って聞いていたK先生から手が上がりました。
「実は昨日、うちの子も保育園でお友達に噛まれてしまいました」
予想外の発言に先生達も驚いた顔をしています。
子ども同士の事と頭では理解していても、痛々しい傷あとを見て、とてもショックだったと話してくれました。「そこまでされるほどうちの子が悪いことをしたのかなと…」途中から涙声になり、辛い気持ちが伝わってきます。
K先生が話し終わると、隣のY先生が「私もいいですか?」と小さく手をあげました。
「うちの子はもう高校生ですが、小さい頃は噛んでしまう子でした」
幼稚園から電話があり、友達を噛んでしまったことと相手の電話番号を一方的に伝えられたそうです。満足に理由も教えてもらえないまま、震える指で電話のボタンを押し、顔も分からない相手の親御さんにお詫びの言葉を伝えるのが精一杯だったと話してくれました。
「どうして噛んでしまうのかわからなくて、本当に毎日がドキドキでした」当時の苦しい気持ちを思い出してしまったのでしょう。B先生の目にも涙が浮んでいます。
会議は思わぬ方向になり重い空気に包まれましたが、当事者双方のお母さんの率直な気持ちを知るいい機会になりました。
突然、B先生がA先生の前に正座し、「噛んじゃってごめんね。代わりにあやまるから許して!」と頭を下げました。「やめて下さいよ!」とあわてて止めるA先生。2人の様子に笑いがおき、空気が少し和んだところで会議は終わりの時間となりました。
「噛んでも噛まれても、お母さんはつらいよね…」
誰かのつぶやく声に、周りの先生達も黙ってうなづいています。
「今日はとてもいい勉強になりました」
会議の片付けをしていたところ、新人のS先生から声を掛けられました。
「うちのクラスで噛みつきはありませんが、ケンカやトラブルがあった時は、両方の保護者へもっと丁寧に経緯を説明しようと思いました」
決意表明のように私にそう告げると、軽やかな足取りで子どもが待つ保育室へ戻っていきました。(園長 番場朋子)
令和4年9月1日
「人形へ布団が届きました」
「お布団が出来ましたよ。これから届けますね」
夏の終わりに、近所のAさんから電話が掛かってきました。
6月に保護者と地域の方を対象に「ラベンダーを楽しむ会」を開催しました。お花の好きなAさんにお声掛けしたところ、近所の方を誘って参加してくれました。とても器用にラベンダーを編むので、聞いてみると手芸サークルの仲間だとわかりました。そこで、「人形の布団を作ってもらえないですか」とお願いしていたのです。
電話から程なくしてAさんが来園しました。持ってきた紙袋には小さな布団がたくさん入っていました。どれも丁寧に縫われ、掛け布団にはレースまでついています。枕も布団の数だけありました。中に入れる綿は本物の布団に使う物をわざわざ購入してくれたそうです。均一に綿が入り程よい弾力です。薄くなった布団で我慢していた人形たちも、これならよく眠れるでしょう。
近年、地域との関わりが難しいと悩む園が多いと聞きます。幸いなことに、当園は創立以来ずっと地域の皆さんに支えられています。散歩に出掛けると「かわいいね」と声を掛けてくれるご近所さん。何かあればすぐに駆けつけてくれる電気屋さん。自治会や小中学校とも相談しやすい関係です。昨年開設した子育て支援センターは、お隣りさんが敷地を通らせてくれるおかげで、来館した親子が安全に利用できます。
思い返してみると、私自身も地域の方にたくさん助けて頂きました。息子が小学1年生の頃、学校の帰り道に転んで擦りむいてしまったことがありました。絆創膏が貼ってあったので息子に尋ねると、商店のおばちゃんが貼ってくれたというのです。翌日、息子を連れてお礼に伺うと、「時々、怪我をして駆け込んでくる子がいるから、お店に絆創膏を置いているのよ」と笑って教えてくれました。地域のゴミ拾いでは、息子を連れて参加すると、いつもおじいちゃんやおばあちゃんが「えらいね」と褒めてくれました。
親でも祖父母でもなく、先生でもない。ちょっと離れた所から温かい眼差しで子ども達を見守り、必要な時は手を差し伸べてくれる。地域とはそんな頼りになる存在だと思います。
子育てを応援してくれる人はたくさんいた方がいい。自分自身の子育てを通してそう感じています。
ぞう組の女の子達が、さっそくお礼の手紙を書きました。明日の朝、子ども達と一緒に届けようと思います。(園長 番場朋子)
令和4年8月1日
「ホタルのにおい」
小さな黄色い光がふわっと舞い降り、私の掌に止まりました。
暗闇の中に点滅する小さな光が無数に見えます。水路を流れる水の音が心地良く、幻想的なその光景を夢を見ているような気持ちで見つめていました。
ここはどこでしょう。決して遠くの秘境ではありません。湖北駅と東我孫子駅の間にある湿地帯で、「谷津ミュージアム」といいます。多様な動植物が生息する自然豊かな場所で、毎年7月下旬にはヘイケボタルが飛び交う光景がみられます。
その夜は、ウォーキングを兼ねて数人の先生達と見に行きました。私の掌にとまったホタルを見て、「においをかいでみて」とK先生が言いました。きりん組に配本した月刊誌「ちいさなかがくのとも6月号/みかづきのよるに」の中で、お父さんがホタルを捕まえた子に「手のにおいをかいでみな。ホタルのにおいだよ」と声を掛けるシーンがありました。物語はここで終わっているので、K先生はとても気になっていたようです。
ほたるが飛び立った後、私は急いで掌を嗅いでみました。残念ながら何のにおいもしませんでした。「敏感な子どもの鼻なら分かるのかしら?ゲンジボタルならにおうのかしら?」
におわなかったおかげで、私はさらにホタルが知りたくなりました。
翌日、ぞう組から「かがくのとも6月号/ほたるのひかりかた」を借りました。掌にとまった光が三角形で、その中に点々がたくさん見えたことを思い出したのです。読み返してみると、それは蛍のお腹だということが分かりました。光る部分は発光器で、メスには1つ、オスには2つあるそうです。
「知る」ということは、このように見聞きしたり、体験したりする無数の「点」が繋がっていくことなのでしょう。特に幼児期は、物事を順序良く系統立てて学ぶわけではありません。遊びや生活の中に散りばめられた「点」を五感で感じ取り、その「点」が少しずつ結びつき、やがて小学校以降の学習の中で本物の知識になっていくのだと思います。
先週から、りす組の廊下が水族館になっています。壁にブルーシートを張り、大きな水槽が作られました。子ども達が作った魚やクラゲが涼し気に泳いでいます。ぞう、きりん組では懐中電灯を使ったプラネタリウムごっこが流行っています。いつか本物の水族館や海に出掛けた時、夜空を見上げた時、子ども達の中で何かが繋がるのかもしれません。
「先生ね、ホタルを見たよ」と子ども達に伝えると、「ホタルっておしりが光るんだよね」とお尻に懐中電灯を当てて教えてくれました。「においは…」聞こうと思いましたが、やめておきました。次にホタルに出会った時のお楽しみにしましょう。(園長 番場朋子)
令和4年7月1日
「創立記念日」
たくさんのシャボン玉が飛び出し、夏空に向かって飛んでいきました。
「うわー、すごーい!」テラスから見ていた子ども達から大歓声があがります。
7月1日は宝保育園の創立記念日です。先生達がサプライズでシャボン玉を飛ばし、保育園の誕生日をお祝いしました。今日のおやつはお赤飯が提供される予定です。
宝保育園は昭和30年に始まりました。67年前のことです。
当時の布佐地区は農業を営む家庭が多く、農繁期の保育が望まれていました。町から依頼を受けた住職(私の祖父)が、延命寺の本堂で季節保育所を開所したのが始まりです。昭和30年4月のことでした。当初は田植えの時期の2カ月の予定でしたが、地域の皆さんから「常設してほしい」との声があがり、7月に正式に「布佐宝保育園」として発足しました。我孫子市(当時は町)で3番目にできた保育園です。
「宝」という名前は「求宝山延命寺」から頂戴しました。本堂を保育室にするため、畳を板の間に取り替え、トイレなどを増築しました。境内中が遊び場で、ブランコや滑り台も設置したそうです。
本堂を使用した保育園には色々な苦労がありました。一番の難問は法事や葬儀が平日に行なわれる時でした。机や椅子、オルガンを隅に片付け、座布団を並べて本堂らしくしましたが、園児たちも数時間を外で過ごさなければなりませんでした。当時は堤防上に車が通ることもなく、恰好の遊び場でしたので、利根川を眺めながら草の上で昼食やおやつを食べたそうです。のどかな時代でした。
67年の歳月の中で、園舎が建てられ、園庭の遊具もずいぶん入れ替えがありました。本堂は昭和の終わりに現在の本堂に建て替えられました。堤防の道は年々交通量が増え、いつしか土手で遊ぶこともなくなりました。変わらないのは、大きな椋の木と「遊び中心」の保育方針です。
「宝保育園の宝って何だと思う?」
ぞう組の子ども達に聞いてみました。「紙のお金」、「なんかキラキラするもの」…色々な答えが返ってきました。
「実はね、宝保育園の宝は子ども達のことなのよ」一人一人の顔を見てそう伝えると、「僕たち、宝物なんだね!」A君が誇らし気に言いました。
「子どもは宝」亡き祖父の言葉を懐かしく思い出しました。(園長 番場朋子)
令和4年6月1日
「なかよし給食」
こっそり始めました。気がついた人はいたでしょうか?
「卵なし」給食を始めて今月で一年になります。うまくいくか心配だったので密かに続けていました。でも一年続いたのでもう大丈夫でしょう。
「卵を使わないなんて」と驚かれる方もいるかもしれません。卵は栄養豊富で良質の食材ですが、反面、アレルギー反応が起きやすく、園でも数名の子がアレルギーを持っています。これまでは、アレルギーのある子には別メニューを提供していました。栄養士が献立をチェックし、調理室では卵が混入しないように細心の注意を払って調理します。保育室でも担任がお盆の名前と子どもが合っているか確認し、さらに、間違って他の子の給食を食べないようにテーブルも分けます。
切り替えたきっかけは、Aちゃんの悲しそうな顔でした。
保育園では給食の席は決まっていません。好きな席を選んで座ります。気の合う子同士で同じテーブルにつくことも多いようです。
Aちゃんは、午前中を仲良しの友達と一緒に楽しく遊びました。だから今日の給食は「隣で食べようね」と約束していたのです。ところが、給食の時間になり、卵のメニューだと気がつきました。隣で食べられないことに気付いたAちゃんの顔がみるみる曇りました。席に着いても箸が進みません。静かに涙を流すAちゃんを見て、先生も心が揺れますが、集団での給食ではルールを守らないと命の危険に繋がってしまいます。
そんな状況に心を痛めた栄養士と看護師から、「献立から卵を除いてはどうでしょう」と相談されました。頻繁に使う食材を抜いて給食が成り立つのか?」と最初は戸惑いましたが、調べてみると、すでに実践している園があることがわかりました。それで試験的に1ヵ月やってみることにしたのです。1ヵ月が3ヵ月、半年と続き、とうとう12ヵ月分の献立が成り立ちました。
昨年度は、「卵」の他に「牛乳」も給食から除きました。おやつでの提供は続けましたが、昼の給食には一切使いませんでした。この一年、栄養士は卵と牛乳に代わる食材探しに奔走し、調理員も豆乳や乾物が食べやすくなるよう試行錯誤しながら調理方法を探ってきました。
保護者にアンケートを実施し、8割のご家庭で週2~7日は卵を食べていることも分かりました。これで安心して続けられます。
このような給食を「なかよし給食」と言うそうです。アレルギーのある子どもが友達と同じものを一緒に食べられ、作る人も誤食を心配せずに提供できる給食です。
「なかよし給食」を始めてしばらくすると、担任の先生から報告がありました。「Aちゃんの表情がとても明るくなりました。友達と一緒に楽しそうに食べています」 (園長 番場朋子)
令和4年5月1日
「花さき山」
初夏の日差しがまぶしい朝です。
園庭では、ぞう組のD君の周りに子ども達が集まっていました。
「見せて!」「すごい!」興奮気味の声が聞こえます。どうしたのかと見に行くと、茶色のカエルがD君の手の中にいました。園の駐車場で捕まえたと誇らしげに教えてくれました。
おもちゃのお椀に入れてクラスに持って行こうとした時、ひとつ年下の弟が自分もほしいとぐずり始めました。お母さんや先生も困り顔で声を掛けますが、D君は顔を真っ赤にしてうつむいています。
弟の泣き声はどんどん大きくなります。とうとうD君はお椀を弟に差し出すと、何も言わずに友達のところへ走って行ってしまいました。目にはうっすらと涙が浮んでいました。
保育園では、同年齢の子だけでなく様々な年齢の子と関わります。玩具も人数分はないので譲り合って使います。すべり台も鉄棒も順番です。
取ったり取られたりのケンカもよく起こりますが、子ども達の様子を見ていると、年齢があがるにつれ、先生に言われたわけでもないのに、自分から「いいよ」と譲れる子が多いように感じます。
弟にカエルを譲ったD君も、お母さんからは「家ではケンカばかりで」と聞きますが、保育園では年下の子に優しく、困っている友達を助けている場面もよく見かけます。弟にとってもそんなお兄ちゃんが憧れの存在なのでしょう。
ある絵本を思い出しました。「花さき山」という絵本をご存じでしょうか。斎藤隆介の文、滝平二郎の絵による名作です。主人公の少女あやは、山菜を取りにいった山で白髪の山姥と出会います。山姥は、山に咲き乱れる一面の花を指さしながら、「やさしいことをすると美しい花がひとつ咲く」と教えてくれるのです。
D君の花もきっと、花さき山できれいな花を咲かせていることでしょう。(園長 番場朋子)
令和4年4月1日
「楽しいほいくえんだよ」
春のお彼岸が過ぎ、だいぶ日も長くなってきました。
園庭では17時を過ぎても遊ぶ子ども達の姿が見られます。その傍らで、私はお迎えに来たことり組(1歳児)のお母さんと立ち話をしました。
「たぶん、年長さんだと思うのですが…」と前置きをしてこんな話をしてくれました。
「その子が、『ここは楽しいところだよ。宝保育園は本当にいい保育園だよ』と私に教えてくれたのですよ」そう話すお母さんも楽しそうです。「青い服を着たあの子ですよ」と指を指す方向を見ると、それは年長児のT君でした。友達と鬼ごっこをしているのでしょうか。秘密基地を登ったり降りたり夢中で駆け回っています。
「宝保育園に入ってよかったね!と言われましたよ」と笑い、「子どもが毎日楽しそうに遊んでいる姿を見ると、私もここへ入れて良かったと思います」と仰って下さいました。
このところ、会議が続いていました。
年度末の職員会議では一年の保育を振り返りながら、次年度の計画を立てます。子ども達は「遊び」を楽しめたのか、遊びを通してどのような「学び」があったのか。もっとこうすれば良かったと、反省点もたくさんありました。何より「子ども達は本当に楽しく過ごせたのかな…」そんなことを考えていた時でした。
私は、T君から合格点をもらったような気分になり、思わず「ばんざーい!」と叫びたくなりました。それくらい嬉しい出来事でした。
当園は、創立以来「遊び中心の保育」を保育方針に掲げています。乳幼児期は、好きな遊びを心ゆくまで楽しむことで心身が健全に成長すると考えています。特にここ数年は、子どもの主体性を大切にした保育を実現するため大きく保育内容の見直しを行なっています。昨年からは練習を重ねて発表する形式の行事(運動会や発表会)を思い切って取り止めました。その分、季節を感じながら存分に好きな遊びを楽しめるよう日々の保育を大切にしてきました。ですから、子ども達に「保育園が楽しい!」と感じてもらえることが、私たちにとって何よりもうれしいことなのです。
今日から新年度が始まりました。
新しいお友達16名を迎え、新しい職員も2名入りました。
初めての保育園生活にドキドキしながらお子さんと一緒に門をくぐった方もいるでしょう。どうぞ安心してお子さんをお任せください。
私たちは、どの子にとっても保育園が居心地の良い場所になるよう、一緒に楽しい遊びをみつけていきたいと考えています。
保育園で5年間過ごしたT君は、この春から小学生です。T君に恥じないよう、今年度も職員一丸となり、さらに「楽しい保育園」にしていきたいと思います。(園長 番場朋子)