令和3年度のひとりごと

「椋の木のひとりごと」は牧の原宝保育園長による保育エッセイです。(ほぼ)月に一度発行いたします!

過去のお話は、画面上部のメニューバーからどうぞ!

令和3年度のひとりごと

令和4年3月28日号 

「 小さな頃のはなし 」

  卒園式の後に保護者主催のセレモニー(感謝の集い)を開催して頂きました。卒園式後の子どもたちの疲れとコロナ禍に配慮して15分ほどの会でした。最後に手話で歌のプレゼントがありました。歌の2番に差し掛かる頃です。前列に居た子どもたちの傍らに、その子の小さかった頃の写真を持って保護者が並びました。4,5年前の自分の写真を見る卒園児とそれを持つ保護者の顔はどちらも本当に幸せそうで見ているこちらの気持ちも大変暖かくなりました。

4,5年前の我が子の写真にはきっとその頃の思い出があるのでしょう。「寝るときには必ずこのタオルを持っていたのよ」「この写真を撮り終わったら転んで大泣きして病院に連れて行ったよ」「初めて歩いた時だよ」「この洋服お気に入りだったよね」等々。お子さんの小さかった頃の思い出を話して聞かせたのではないでしょうか。

      

 子どもたちはお父さんやお母さんがする自分が小さかった頃の話しが大好きです。何故なら自分が生まれて親から受け入れられ、大切に大切に育てられたことを実感するからです。

 子育てをする中では楽しいことも有れば、こまったり、辛かったり、投げ出したくなることも有ります。でも、そんな中でも一生懸命大人が迷い、考え子どもに応答することで、子どもは自分の存在が肯定されていることを学びます。自分の存在の確かな基盤が作られ、安心感と自信をもって新たな未来へ一歩を踏み出せるようになるのです。

だから、お父さんもお母さんも我が子を育てている中で嬉しかったことも、困ったことも、悲しかったことも伝えてみて下さい。子どもは喜んで受け入れてくれます。

       

『あなたはいつも、トイレを通り越してママを探し「トイレに行ってくる!」って言ってからトイレに駆けこんでいたわねえ。』・・・私にはまったく記憶にありませんが亡くなった母が笑顔でよく私に話していました。小さな頃、トイレに行きたいのを我慢して家の中で母を探す小さな自分を想像して今でも苦笑いと何だか幸せな気持ちがこみ上げてきます。


 今月は卒園アルバムや進級カードを全園児に渡しています。それを見ながら、今よりはるかに小さかったお子さんの話を何度でもしてあげて下さい。その時間はお子さんにとっても親にとっても暖かな幸せな時間になること間違いありません。それが4月からの新しい環境で生活していく力になることでしょう。(園長 足立園恵)

令和4年2月28日号 

「 マスクしてても 」

「園長先生、子どものマスクってどうなんでしょう?みなさん着けてきてますか?」

休園明けに何人かのお母さんから聞かれました。

確かに、子どもがマスクをすることで呼吸のしにくさや、言葉の聴き取りづらさ、顔色や吐物の確認が出来なかったりと心配なことがあります。また、周りの大人がマスクをしながら保育をすることで、専門家や保育関係者からも「子どもの表情が乏しくなった」「口の動きから言語を習得するのに、マスクのせいで発語が遅い。」「咀嚼が出来ない子が増えた」等々マスク着用の弊害を気にする声も聞かれます。けれども着用しないことで感染したり、まわりから白い目で見られるのも困ります。

顔が全て見えていることで、言葉の習得や口元から相手の気持ちを読み取る等、成長に不可欠な要素を補えていることは沢山あります。ただ、世界を見れば宗教的および文化的な理由で、あるいは病気や汚染からの保護として、顔を覆って生活している人は沢山います。そしてその地域の子どもたちが言語の発達や他者とのコミュニケーションで著しく劣っているという事実はありません。家庭では顔を覆っているものを取り、スキンシップやコミュニケーションを取ることで顔を覆うことの弊害を最小限にしているからではないかと考えられています。

    

先日、まだまだマスク着用に不慣れな私にこんなことがありました。

 (えんちょーせんせいも、きて)

私が事務室でパソコンと向き合いつつ、ふと園庭を見ると担任と一緒にひまわり組のA君が歩いているところでした。A君は私を見つめながらも担任と一緒に倉庫の方に向かっていきます。どうも目で(えんちょーせんせいもきて)と訴えられているような気がして呼ばれもしないのにA君と先生の後を追いました。

行った先には園庭倉庫の上に凍らせていた様々な容器がありました。このところひまわり組では氷作りが流行っています。場所や容器、水の量など試行錯誤してどうしたら氷が出来るかを探っています。2、3日前にA君と一緒にベランダで氷作りをしました。容器を数種類そろえ、入れる水の量を変えて臨んだのですが氷はできませんでした。その時のことを覚えていたのか今朝のA君の表情は「ねえねえ、新しい場所で氷作ったから、園長先生も見においでよ。」と声には出さずとも語っていました。


人と接するときに、言葉で語らずとも目や表情、その場の雰囲気で相手の気持ちを察する経験は誰しも持っていると思います。我が子や妻や夫、同僚や上司、友だち等気持ちを向け合う人と人のあいだには独特の空間、雰 囲気が生まれます。そのような人と人のあいだに成り立つ独特の空間や雰囲気を京都大学の鯨岡先生は「接面」と呼んでいます。

園ではよく午睡中に「接面」の場面を見かけます。お布団に入り、眠りにつくまでの間、担任が子どもたちを優しくタッチしながらトントンして寝かせてゆきます。手は2本しかないので1度にトントン出来るのは多くても3人までです。みんな先生にトントンして欲しいのですが、「早く来て!トントンして!」と言ったり、先生も「早く寝なさい!」と叱ることはありません。目が合い、無言の先生のうなずきで安心してトントンに来てくれるのを待っていられます。気持ちを向け合っているからこその「接面」です。

この何とも言えない他者との関わりはマスクがあっても目と目、その場の空気で感じ取れるものです。マスクがあるからこそ目や顔全体での意思表示の力が上がっているかもしれません。マスクの着用は様々な考え方がありますが、しばらくは今の生活が続きそうです。その中で目や雰囲気から伝わる「接面」を大事に子どもたちと関わっていきたいと思います。(園長 足立園恵)

令和4年2月14日号 

「 小さな科学者 」

 「ここがあやしい」

虫眼鏡を持ってすずらん組のAちゃんがつぶやきます。一緒に虫探しをしていたB君、Cちゃんもその言葉にうなずき、3人で地面のひび割れをじっと眺めています。ひび割れは虫の通ったあとだと3人とも信じているようです。

3人は虫眼鏡でひび割れをたどりパーゴラの柱の下にたどり着きます。すると、今度は柱にひび割れや穴を発見し、「ここもあやしい」と穴に木の棒を突っ込み深さを確認したり、何か音は聞こえないかと耳を当ててじっとしています。耳を柱にしっかりと着けていたCちゃん。「テントウムシの歌が聞こえる」と言って聞き耳を立てています。しばらく観察をしていましたがそれ以上の収穫が無く、あきらめた顔で他の遊びを始めました。

 そして翌日。またもや虫眼鏡を持ち、今度は地面の色に興味を持ち始めます。「ここはちゃいろい」「ここはしろい」と地面の色を分析します。そして茶色の方の地面を掘り始めました。昨日の虫が潜んでいるのでは?と期待しているようです。ところが出てくるのは地面とは違う質感の粘土土ばかり。虫探索は終わり、その粘土土で団子を作り始めました。この小さな科学者たちの動向を楽しみに見守っていた私は、うーん、今日はここまでかと腰をあげました。

 その時その粘土土を使ってヨーグルトを作りたいと今度はB君が動き始めました。水を加えたり砂を入れて硬さの調整をしています。しかし途中で砂を入れ過ぎ感触がヨーグルトから離れてしまいました。しょんぼりとした顔で「おすないれすぎた」と反省するB君。また粘土にさっきとは違う量の水と砂をいれてヨーグルト作りに励みます。何故か白砂ばかりを入れるので様子を伺っていると硬さだけではなく、色もヨーグルトの白色にしたいようです。白砂と水ではヨーグルトは出来ないよ。そんな大人の現実的な考えは微塵もないB君。少しの水と沢山の白砂でヨーグルト作りを熱心に取り組み続けました。

  

 大人になるにつれていつの間にか不思議に思ったことを探究する気持ちが無くなっていくように感じます。知識が増えるからでしょうか?気になったことはググれば答えがすぐに出る世の中になったからでしょうか。

 もしかしたら園庭の下に今まで見たこともないような巨大な昆虫が潜んでいるかもしれません。テントウムシは実は歌うのかもしれません。水と白砂の絶妙なブレンドで白色ができるかもしれません。自分が感じたことを自分が思ったようなやり方で調べる。失敗したらまた違うやり方で試してみる。そんなことを遊びのなかで好きなだけ繰り返すうちに子どもたちは沢山のことを学んでいます。それを大人が「このひび割れは雨が降らないで乾燥しているからできたのだよ」「この穴は釘を刺していた跡だよ」「砂は水を入れたら茶色くなるんだよ」と教えてしまったらどうでしょう?想像力も発想力も、失敗して再チャレンジする気持ちも育ちません。

 私たちは子どもの「不思議」に向き合う時間を出来るだけ保障するようにしています。小さな科学者たちはいつか偉大な発明を起こすかも知れませんから!(園長 足立園恵)

令和3年12月27日号 

「 初めての毎日 」

「おはよう。今日は寒いよ」

「おはよう。明日から雨。今日洗濯しなさいね」

「おはよう。マスクと換気忘れずに」

「おはよう。体調大丈夫?」

「おはよう。年末はいつ帰宅する?」

「おはよう。今日はめっちゃ寒いから早く帰りなさいよ」

毎朝7時前に私から送信されるLINE 。一人暮らしをしている長男との日々のやり取りです。

返事は常に「おはよう」の一言のみ。しかも返信がなかったり、文面は「おはよう」でも時刻は午後4時などという日も。

大学生の息子に「なんて、過保護な」と自分でも思いますし、主人は「やめれば?」、ママ友にも「うーん。優しすぎ!」と言われます。当の本人にも「返信面倒」と言われる始末です。

やめようかと思いつつ、事故に会っていたら?、オンライン授業が長引きコミュニケーション不足かも?、何か困っているかも?とついつい良からぬ想像をして、連絡をいれてしまうのです。親というのは困った生き物のようです。

就職して結婚でもしてくれたら安心できるのでしょうか?こんな自問自答をしてもやもやする毎日です。最近は次のように自己解決しています。「答えはわからない。なぜなら、大学生の一人暮らしの息子を持つのは私にとって初めてのことだから」

誰にとっても子育ては毎日が初めての連続です。第一子となればなおさらでしょう。だからこそ悩みもある一方、楽しさもあると思うのです。

悩んだ時には育児書を読んだり、夫(妻)や友人に話したり、園の先生に話してみてください。解決はしなくても心が軽くなるはずです。それでも、もやもやするときは「私にとって、初めてのことだから」と考えてみてはどうでしょう。

 先日も園庭を歩いていると、3歳児のアイス屋さんから「アイスクリームどうぞ」とお皿を渡されました。「寒いけど、美味しそうだね。いただきます」と食べようとした瞬間でした。

「消毒をしてから食べて下さい」の一言。コロナ禍ですね。思わず笑ってしまいました。子どもは悩みの種でもあるし笑いの種でもあります。

今年もあと数日で終わり、新しい年を迎えます。これからも「初めて」の子育てをおおらかに受け入れて過ごしていきたいと思います。(園長 足立園恵)

令和3年11月30日号 

「 小さなスプーン 」                              

「えんちょうせんせー。ちいさなすぷーん、かってください!」

かわいいお願いの声が園庭から聞こえました。職員からはよく「ボールを買って下さい」「保育机が足りません」等の要望は受けますが、子どもからのリクエストは初めてです。

   

「どうしました?」と聞きに行くと、すずらん組のAちゃんが「おすなばのちいさなスプーンがなくなりました。」とのこと。

保育園の砂場にはコップや大小のお皿、ザル、型抜き用のカップ、お鍋等々ままごと用の玩具が揃えられています。そして、掘ったり混ぜたり盛ったりするために大きいスコップと小さいシャベルもあります。「小さいスプーンなんてあったかしら」と思い見に行くと、確かに大匙くらいのスプーンを給食室からのおさがりで数本入れていました。それが無くなったから、新しいのが欲しい、と言うのです。

「わかりました。すぐに買いに行きますね!」とAちゃんに答えました。今度はおさがりではなく、新しいままごと用のスプーンを購入しました。「子どもからおねだりされてすぐに買うのはどうなんですか」と思われるかもしれませんが、すぐに行動に移したのには理由があります。

理由①砂場には砂場用の小さいシャベルやお玉があります。それで、穴を掘ったり、お料理を作ったりすることは出来ます。でも、それでは作った料理を食べることは出来ません。大きすぎるからです。まして、すずらん組で手づかみでご飯を食べることはありません。だからこそ、砂場の「ままごと」とは言え、適切な食具を揃える必要があるのです。(購入後はきちんと、できあがったお料理にスプーンが添えられていました。)

理由②室内のままごとコーナーにはスプーンやフォークが必ずあります。子ども達に遊びながら上手持ちや下手持ち、三指持ちを覚えて欲しいからです。給食の時間ばかりに食具の持ち方を言われたら、食べる楽しさが半減しちゃいますよね。だから、園庭の砂場にも、小さい手にピッタリのスプーンが必要なのです。

理由③そして、最大の理由は職員ではなく、すずらん組のAちゃんにお願いされたからです。自分の言葉で自分が必要なものを言いに来てくれたことが嬉しかったのです。


新しい小さなスプーンはすぐに砂場の人気アイテムになりました。Aちゃんが私に言いに来ました。「えんちょーせんせい。スプーンかってくれてありがとう。」いえいえ、こちらこそ、無いことに気が付いてくれて「ありがとう」です。(園長 足立園恵)

令和3年10月29日号 

「 ぼくの散歩 」                           

「そろそろ、ほいくえんにかえりまーす。」

秋晴れで近くの公園に遊びに来ていたわかば組。お腹もすいてきて保育園に戻る時間になりました。滑り台や砂場、虫探しやドングリ拾い、思い思いの遊びを満喫した子供たちが先生と一緒に集まってきます。もちろんまだ遊びたい子もいるので「あと、ドングリ5個拾ったらね。」「このお団子を食べたら行こうか」など折り合いがつけられるような声掛けをしながらゆっくりと帰園の方向へ気持ちをもっていきます。

 そんな中Aちゃんが保育園とは反対の方向へ歩き出しました。「Aちゃーん、こっちだよー。おともだちもまってるよ。」という先生の言葉は届かないようでどんどん自分の興味がある方へ向かっていきます。お友達や先生がいる方に関心を持たない姿に興味を引かれ私がついて見ることにしました。もちろん、私にも関心はもちません。目の前の道がどこまで行くのか、続いている道をとっとこ歩いていきます。車道にぶつかる前に「Aちゃーん」と声をかけました。自分でも危険を察知したようで戻って来ました。手にはどこかで拾った木の棒を自慢げに握っています。すると今度はその棒でいたるところを叩き始めました。アスファルトの地面。立っている看板。石、ベンチ、太い木の幹。目についたものを叩き、その音の違いを感じているようです。「ふーん、なるほどー」と思い私も似たような棒を探し、一緒に地面や幹を叩いてみました。するとようやく「せんせーいたんだ」という風に私に気が付き、にやっと笑ってこちらを見ました。二人で目につく色々なものを叩き、音の違いを楽しみました。

Aちゃんにどこまでも付き合いたい気持ちと、空腹を満たすために保育園に戻さなければ・・・という気持ちが交錯します。そこでAちゃんの先に行き、まだ叩いていない工事の囲いや標識を叩いてみました。その音にひかれてAちゃんが進みます。今度は叩くだけでなく、棒を引きずって違う音を出してみました。するとAちゃんも真似をして棒を引きずって音を出します。そんな音遊びを楽しみながら保育園の近くまで戻ってくることが出来ました。「トゥルルルル」今までと違う音が聞こえました。Aちゃんがフェンスの下から上に棒を動かして新しくメロディのような音の出し方を見つけました。「すごい!新発見!(担任の)B先生にも教えてあげよう!」と言うとすんなり保育園に入っていきました。

     *     *     *     *     *

楽しい帰り道になりました。

「散歩」というと行った先の公園で遊ぶことを私たちは考えて準備をしています。でも、そもそも散歩ってとりとめもなくぶらぶらと歩くことです。行き帰りの道程も立派な散歩の一部です。「ぼくの・わたしの散歩」の楽しみ方を見つけていきたいと思いました。(園長 足立園恵)

令和3年9月30日号 

「 食べる 」                             

「園長先生、給食の残食量が増えました。」栄養士が相談に来ました。毎年4月は入園や進級で環境が変わり、残食は多くなります。園生活に慣れてくると徐々に残食も減り、秋には食べられる量も増えてくるというのが今までの傾向でした。

クラスの給食の様子を見に行ってみました。

乳児組では口には入れたものの、べっーと出したり、見た目だけで受け付けない子もいます。食を提供している大人は困りますが、これは人の成長過程では当たり前の姿です。私達の舌には、味蕾(みらい)とよばれる味を感じるセンサーが存在します。生後3ヶ月頃には1万個にもなるというこの「味蕾」ですが、じつは大人になるにつれて数が減少していきます。つまり、子どもは大人以上に味に敏感なのです。我々には丁度よく美味しく思える味も子どもにとっては酸っぱすぎたり、辛すぎて口から出してしまうのです。

だから食の経験を積み、慣れるまでは食べないことを余り悩む必要はありません。園でも丁寧に食を進め、色々な食体験ができるようにしています。先生と目を合わせながらの給食も安心感の1つなのでしょう。そんなに残食が気になる感じはしませんでした。

幼児組を覗いてみます。「いただきます」の後に「減らしてください!」という声が聞こえます。苦手だったり、食べきれないおかずと「にらめっこ」ということが無いように、お箸をつける前に先生に自己申告をします。すると、先生は子どもに合わせて少し減らしてくれます。目の前でそうしてくれることで、何だか安心してその子は完食できるのです。体の大きさが様々だったり食への意欲は日によって差があります。最初のうち、このやり方は功を奏していたのですが、段々と「減らす」ことが「かっこ良い」ことと思ったのか、今まで減らしたことが無い子まで申告するようになってきました。そうすると、早く食べ終わり、遊びに行けるということも魅力のようです。

さらに拍車を掛けたのはコロナの流行です。園の給食の時間もお友達と距離を取ったり、一方向を向いたり、なるべくお話をしないで食べるということが常態化しつつあります。子どもなりに「黙食」や「ディスタンス」という言葉も理解しているようです。すると食べることに集中できるように思いますが、意外にそうでもありません。何となく給食の時間がつまらなくて食が進まないこともあるようです。

そこで職員でこの状況下でも楽しく食に向き合うやり方を考えています。ご飯を自分でおにぎりにしてみる。おかずを挟んでサンドイッチを作る。食欲が増すような音楽をかける。ランチョンマットを作る。青空給食の機会を増やす。遊びに切りをつけられた時点でそれぞれ食べ始める。子ども達の前で調理の様子を見せる。ランチボックスに詰めて提供する。今までの「保育園の給食」の概念を超えた案が次々に出てきました。実現可能なものから取り組んでいきたいと思います。人間の3大欲求の1つである食事は本来、楽しいものなのです。食欲の秋。これから盛り返していきますよ!(園長 足立園恵)

令和3年8月31日号 

「 前略。メダカより 」                     

ぼくはメダカ。ぼくたち家族は50匹以上。(正確な数はぼくにも分からない。)ある日、突然快適な池から連れ出され、「ほいくえん」という場所にやってきた。

しばらくすると、ぼくの周りがやたらと騒がしくなり、ぼくの家を叩いたり、覗き込んだりする小さな人間に周りを囲まれていた。「子ども」という生き物だとお母さんが教えてくれた。新参者のぼくたちが珍しいのか、毎回庭に出てくると覗きに来る。おまけにエサのつもりで土を投げ込んできたり、長い棒でかき回してぼくたちをすくいあげようとする。捕まるものかと必死に逃げ回り、どうにか元気でいる。

あまりの乱暴さに「先生」という人間が子どもに、ぼくたちとの付き合い方を教えていた。先生たちは実によく働いている。朝は子どもより早くやってきて、ぼくの様子を確認し、子どもが過ごしやすいようにほいくえんを整えている。子どもから特別手当でも貰っているかのように、抱っこしたり、汗だくで走ったり、ご飯を作ったりしている。ぼくの住みかも先生が掃除してくれる。

たくさんの子どもの中に、毎日ぼくの所にやってくるA君がいた。A君は懲りない。何回も先生に「めだかのおうちは叩きません。棒もいれません。めだかさんがびっくりしちゃうよ。」と言われているのに、この間は長いシャベルでぼくの家をかき回そうとした。先生が気が付いて未遂事件で終わったけど危ういところだった。そんなある日、A君が大泣きしてぼくの所にやってきた。使いたい玩具を取られたのか、もっと遊びたかったのか真相はわからない。先生はA君を部屋に入れたいようだったけど、ぼくの前に立つA君を見守っていた。A君はぼくをじっと見ている。どんな攻撃が来るのか身構えていたけどA君は急に泣きやんで微笑んだ。「?」。先生がすかさず言った。「そっか、めだかさんとお話したら落ち着いたのかな。お給食、食べに行こうね。」A君はおとなしく先生と部屋へ向かった。なんだかぼくはA君の役に立ったらしい。言葉は通じないけど、心が通じた気がして嬉しかった。

子どもって生き物は不思議だ。憎めない。同じことを繰り返し、取るに足らないものをよく見て、かしこくなっている。証拠にA君は、ぼくを見にはくるが、攻撃はしなくなった。もう少しここで暮らしてみようかな。   (園長 足立園惠)

令和3年7月30日号 

「 雨ニモマケズ、夏ノ暑サニモマケヌ 」                            

「雨粒が追っかけっこしているみたいだね。」

里芋の葉に落ちた雨粒が二つ、はずむように転がっていきます。雨粒の面白い動きに気が付き詩的な表現をしたのは4歳児のA君です。 雨が続いた7月のはじめ。長靴を履き傘をさして4,5歳児は「雨の日遊び」を楽しみました。水たまりの中を好きなように歩き回ります。水を蹴って歩くのは初めてのことなのでしょう。深い場所では泥に長靴を取られ足だけ水たまりに入ってしまう姿もありました。それはそれで楽しいようで、長靴を履いているのに靴下がびしょ濡れの子も結構いました。雨が降ったら家の中にいるというのは大人の感覚です。子どもは雨ならではの遊びを見つけます。

梅雨が明け、毎日30度を超える夏がやってきました。さすがにこんな炎天下では外へ出られません。そこで涼しさを感じる玩具を先生が用意します。以下、0歳児の室内での感触遊びの記録です。

7月14日。 色水遊びをする。苦手そうなB君から始めて見る。思いの外意欲的で物怖じせずに、色水の中に手を入れて楽しむ。指先だけでなく、手のひらを使い、はねてしまっても気にせず楽しむ。園庭の砂は嫌がるが、色が綺麗だからなのか、色水は嫌がらない。画用紙を出すと、手をのせたり、横にスライドしたりと紙に映る色も楽しんでいた。

7月19日。 パン粉遊びをした。全員がボールにいれたパン粉を触り始める。最初は独特の感触に戸惑っていたが入れ物(れんげ、カップ、じょうご)を用意して、すくう仕草をみせると遊び始める。ボールからパン粉をれんげですくっては周りにまいて喜ぶ。パン粉にしても砂にしても、撒き散らすという行為は本能的にしたくなるのだと感じる。

7月20日。高野豆腐を用意した。食紅水で色を付け、ピンク色のスポンジのようだ。握ったり、ちぎるのが目的でCちゃんが抵抗なく触り始めた。指一本でも押すと汁が出てくるのにびっくりしていた。だんだん慣れてくると口に入れようとするのでタオルで口を拭うと怒ってしまう。怒って足をバタつかせ高野豆腐にいれてぐちゃぐちゃにする。それが気持ちよかったのか笑顔になった。この年齢は何がきっかけで機嫌が治るのか未だに分からない時がある・・・。

7月21日。 寒天遊びをする。赤や青の寒天が目に飛び込み、すぐに反応して触り始めた。Dちゃんは保育教諭にどうぞとの感じで寒天の塊を差し出してきた。嬉しくなり「わー、どうもありがとう」というと、お辞儀をする。ギュッと握ることはしない。塊のまま手渡すのが上手い。「そっと持つ」ができる。虫も潰さずに持てそうだ。


雨にも負けず、暑さにも負けず、その時を子どもと共に楽しむ先生たちに頼もしさを感じた7月でした。次々に来るメールをやっつけて、はやく私も仲間入りしたいです。

(園長 足立園恵)

令和3年6月29日号 

「 ともだちとのかかわり 」                             

 「いーれーて」「いーいーよ」

すずらん組の子ども達が順番に園庭のブランコで遊んでいます。少し前までは睨みを利かせ無言でブランコを奪い取っていた子ども達。取られた子は、大声で泣いて周りの先生に訴えていたものです。けれども3歳のお誕生日を迎える頃になると、友だちの存在が分かり言葉でのやり取りを始めるようになります。この年齢が可愛らしいのは「いーれーて」「かーしーて」と言われると、条件反射なのか内心は嫌でも「いーいーよ」と答えてしまう所です。 

 年齢が上がり、すみれ組になると「かーしーて」と言われても「いま、つかってるの」「○○ちゃんのあとでね。」と今すぐには譲れないという返しがきくようになります。


 これが、4、5歳児になるとより複雑な関わりになってきます。

「いっしょに、あそぼー」と言っても「(ままごとの)役が無いからだめー。」「○○ちゃんに聞いてみて。」「長い針が8になったらね!」等々、直接、嫌だとは言わないけれど、一緒には遊びたくない意志を表現します。仮に一緒に遊べたとしても、その子の隣ではなく元から遊んでいた子の隣に移ったり・・・。

 余りにも露骨な態度や、友だちが傷つくような言い方をした時は先生から注意を促します。でも、出来るだけ子ども達の中で解決して欲しいという思いから、見守ることもあります。園にいる間に多くのトラブルの経験を積み、自分の思いを言葉で主張する力、相手の子の気持ちを汲み取る力を付けて欲しいのです。


 お家でも「保育園で○○ちゃんが遊んでくれない!」とお母さんに言って来ることがあるでしょう。ご心配だと思います。でも、まずはお母さんに伝えてきたことを認めてあげて下さい。嫌なことも楽しいこともある園生活。その一日が終わった後でお母さんに伝えてくるのはよっぽど自分の気持ち中で折り合いがつかず、モヤモヤしている事象だと思います。お母さんに言うことで解決できなくても、お母さんが受け止めてくれたことで安心します。お母さんにきちんと伝えて認められることで自己肯定感も芽生えるのです。ゆめゆめ、「その子と遊んじゃダメ」なんて、言わないで下さいね。そして園にご相談ください。


 時には仲良しグループ内で揉める事もあります。解決できないと、担任に言いには来るものの、他の子と遊ぼうという考えには至らないのが不思議です。しばらくはグループから離れていても、また同じグループで遊んでいるのです。遊びの波長が合っているのでしょう。だから、大人が口出しをして意図的に他の友達と遊ぶような声掛けをしてもその通りには行かないことが多いのです。


 ところが、ある日ふと気が付くとAちゃんがいつもと違うグループで遊んでいます。珍しいなと思い担任に声を掛けると、「そうなんですよ。ちょっと遊びの環境を変えてみたら、いつものグループから離れて違う友だちと遊んでいるんです。」

 保育園にいる間、ずっと同じ友達と遊ぶ子はいません。自分の遊びの興味や環境が変わることで「仲良し」は変わっていきます。

その都度、子どもの気持ちに共感しながら、大人の適切な関わりをしていきたいと思いました。

(園長 足立園恵)

令和3年5月27日号 

「保育の中のSDGs」                    

SDGs(エスディジーズ)ってご存じでしょうか?

このところテレビやコマーシャルでよく見たり聞いたりするようになりました。

SDGsとは2015年に国連で採択された「持続可能な開発目標」(Sustinable Development Goal s)の頭文字をとったものです。17個の世界の深刻な課題に対して2030年までにその課題の解決を目指して取り組まれています。

例えば、①貧困をなくそう、②飢饉をゼロに、③すべての人に健康と福祉を、④質の高い教育をみんなに、⑤ジェンダー平等を実現しよう、⑥安全な水とトイレを世界中に・・・といった課題が並べられています。

それが、どうして保育園児に?と思われると思います。今、私たちが育てている子ども達は2050年位には社会の中心的な存在になっています。その頃地球の人口は現在の78億から100億人になるだろうといわれています。このままでは現在抱えている環境問題や貧富の格差、食料の問題などをこの子たちに負の遺産として引き継いでもらうことになります。だから今から我々大人もこの問題にきちんと取り組むけど、もし我々で解決できなければ今の子供たちの世代で解決してほしいとお願いするためにも、保育園にいる頃から分かり易く伝えていく必要があるのです。

ただし、「SDGs」という単語と世界が抱えている17の課題を話しても、子ども達には???でしかありません。そこで、先日ゆり組にこんな話をしてみました。

園長:「みんなは、いま、まいにちたのしい?」

ゆり組:「たのしー!」

園長:「なんで、たのしいの?」

ゆり組:「ほいくえんでともだちとあそぶしー、いえでゲームやったりするから」

園長:「ずっーと、このたのしいひが、つづくといいねえ」

ゆり組:「うん。」

園長:「じゃあ、みんながだいすきなひとと、これからもたのしくせいかつするために、どうしたらいいかちょっと、かんがえてみよう!」

「まずは、だいすきなひとってだれかなあ?」

ゆり組:「わたしは、Tくん」「わたしはKくん」「わたしはおにいちゃんのともだちのRくん」と女子の告白合戦が始まりました。(お母さんやお父さんという単語が当然出てくると期待していたのですが・・・。)その後、おにいちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんに続きようやく、おかあさん、おとうさんという言葉が出てきました。(本当に大事な人は居るのが当たり前すぎて意識に上がってこないんですねえ)

園長:「じゃあ、たのしいせいかつ、って?」

ゆり組:「ブランコにのって、おおきくこぐこと」「パパとゲームすること」「りょこうにいくこと」「すきなものをかうこと」「ずっと、せいさくしてること」・・・。副園長が「ねつをだしたり、おなかがいたくない、けんこうなせいかつ」と助け舟を出してくれました。

園長:「そおだねえ。たのしいせいかつはげんきじゃないとねえ。みんなはまいにち、おいしいごはんをおうちやほいくえんでたべられるけど、せかいじゅうのこどもたちがみんなそおじゃないし、じゃぐちをひねっておみずがのめるのはせかいのはんぶんくらいの ひとたちだけなんだよ。で、このたのしいせいかつをつづけるために、これからどうする?」

ゆり組:「まいにち、ゲームする」「まいにち、こうえんにいってげんきでいる」「パパとおかしやごはんをつくる」「あめがふったらてるてるぼうずをつくる」

園長:「・・・・・そおかあ。じゃあまた、たのしいせいかつをつづけられるほうほうを、おもいついたらおしえてね。きょうおはなししたような、みんながおおきくなっても、だいすきなひととたのしいせいかつをするために、いまからどうする?ってせかいじゅうのひとがかんがえていて、そのことをエスディジーズっていってるの。しょうがっこうやおうちで、これからきくかもしれないね。」

こんな感じで1回目のゆり組とのやりとりは終わりました。

園で出来そうなことを考えてみました。出された食事を残して食べ物を無駄にしないこと。野菜を作ってみること。国籍が違ったり障害がある子がいることが普通であること。廃材を遊びに活用すること。水や紙の無駄使いをしないこと・・・・。未来の生活のことを思い浮かべながら保育内容を講じていきたいと思います。(ご家庭でも良い案があったら教えて下さいね。)

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お迎えに来たお母さんにゆり組のA君が言いました。「おかあさん、いまねえエスビー・チーズのおはなしをしたんだあ!」・・・確かに、エスビー・チーズの方が単語として馴染みがありますよねえ。語感だけでも覚えてくれたA君に感謝です。

(園長 足立園恵)

令和3年4月28日号 

「子育て応援団」                       

「せんせい、ウチの子なかなか慣れなくて、お手数をかけてすみません・・・。」「せんせい、ウチの子保育園にいかなーい!って朝おおさわぎです。」「せんせい、ウチの子、お昼寝しなくて・・・。」

 新年度の始まりは子どもはもちろん、お母さんやお父さんの困った顔もちらほら見えます。「ウチの子」が思っていた通りに園生活を過ごせないことが多くの原因のようです。

入園式でこんな話をしました。

「日本は、昔からみんなで子育てをしてきました。産むことが出来るのはお母さんだけですが、育てるのはお母さんだけではありません。日本には産みの親の他に、「仮親」と総称される帯親、取上親、名付け親、拾い親、養い親、里親などの大勢の親がいました。お母さんもしくはお父さんで子育てをほぼまかなう様になったのはここ三、四十年の事です。大人が少ない中での育児は大変ですよね。第1子のお母さんも2人の子どものお母さんも、3人の子どものお母さんも・・・みんな初めての事です。だからその子育ての仲間入りを保育園もさせて欲しいと思っています。心配なこと、困ったこと、そして嬉しいこと・・何でも話してくださいね。そして、保育園であったこと、取り組んでいることも保護者の方たちと共有していきたいと思っています。」


 それから2週間ほどたった頃です。毎朝泣いてなかなかお母さんから離れられなかったわかば組のA君。少しづつお気に入りの場所と玩具を見つけ泣かずに過ごせるようになってきました。そして園庭で三輪車に乗っている同じクラスのB君に気が付くと初めて三輪車に跨り、B君の真似をして足で地面を蹴って進みました。まるで、B君が「こうやって遊ぶんだよ」と教えてあげているかのようでした。

芝生で泣いていた同じくわかば組のCちゃん。ひまわり組のお兄ちゃんたちがやってきてあやしたり一緒に遊んでくれると笑顔が見られます。

全員新入園児のふたば組は、庭で自然の風を感じ、揺れている花を見て、砂場の砂の感触を味わい徐々に落ち着いて、周りを興味深く見始めます。

幼児組の新入園児も最初は、じっと在園の子ども達の様子を見て、先生の言う通りに動いていましたが、だんだん同じ遊びに興味を持った友だちと遊びだしたり、イヤなことを「イヤ!」と言ったり自分らしさを出してきました。


 みんなと同じでなくて大丈夫です。その子のペースで安心して過ごし、没頭して遊べるものが見つかるように、私たちは様々な手立て、環境を用意します。保育園には豊かな自然、同い年の友達、異年齢のお兄ちゃん・お姉ちゃん・・・応援団がたくさんいますよ。

(園長 足立園恵)