詩人のように

「どうして、としひろ先生は髭が生えているの?」

Sちゃんが、不思議そうに尋ねます。

「それはね、男だからだよ。」

「なんで男だけ髭が生えるの?」

「えーと、それはね…」

3歳くらいになると、子どもは次々に疑問を大人にぶつけてくるようになります。簡単に答えられるものもありますが、時には答えに窮するような難問もあります。正確な回答をしようとするあまり、かえって子どもを混乱させてしまうこともあります。

子どもが次々に発する「なぜなの」「どうしてなの」にどう答えたらよいか。戦後長らく、町医者の立場から悩める親の道しるべとなっていた松田道雄先生の名著、『育児の百科』の助言は秀逸です。

「母親は百科事典のように答えるのではなく、詩人のようにこたえねばならぬ」

凡百の薄っぺらな育児書とは一線を画す名言です。

正確であることにこだわらなくてもいい。子どもと同じ目線で、疑問や驚きを分かち合えばいい。知識を身に付けさせようとしたり、能力を開発しようとしたりすることに汲々とする必要はない。「もう少し、肩の力を抜きたまえ。」古風な語り口も手伝って、老先生に優しく諭されているような、不思議な安心感があります。

書店をのぞくと、育児書の花盛りです。表紙には、「知育」「天才を育てる」「頭の良い子の習慣」といった言葉がおどっています。一人の親として、私も思わず手に取ってしまうことがあります。しかし、30年後、これらの本はほとんど姿を消しているでしょう。

1967年に出版された『育児の百科』が、版を重ねながら読み継がれてきたのは、それなりの理由があるからです。最近になって、伝統ある岩波文庫に編入されたのもうなずけます。私たちの子が親になる頃まで、この本は、日本の子育てのともし火として、悩める親の心を照らし続けているでしょう。

しどろもどろになっていた私に、隣にいたY君が自信満々で助け舟を出してくれました。

「あのね、男はカッコイイから髭が生えるの!」