自由に遊べ!どんどん学べ!第5回

(平成29年9月25日号)

わたしたちは、自由な遊びを主体とした保育こそ、子供にもっとも必要なことだと考えています。しかしながら、軽く見られたり、敬遠されたりすることが多いのもまた事実です。なぜなのでしょう。

今回は、あまり表だって語られることのない、自由な遊びにまつわる「不都合な真実」についてお話ししましょう。


子供の遊びから自由を奪うのは、とてもたやすいことです。「危ない」「汚い」「行儀が悪い」「くだらない」。理由はいくらで見つかります。あなたも思わず口走ってしまったことがあるのではないでしょうか。もちろん、大きな怪我を防いだり、ルールを覚えさせたりするために、時には制止や指示をする必要もあります。しかし、それが行き過ぎたものになると、もはや遊びは遊びではなくなってしまいます。

多くの場合、大人は善意の動機によって遊びから自由を奪おうとします。安全衛生や躾といった大義名分があります。善意や大義に「ちょっと待って」というのは容易なことではありません。

試されているのは、実は大人の方なのだと思います。「あの危ないことになぜそんなに惹きつけられるのか」「あの行儀悪いふるまいがなぜそんなに楽しいのか」大人の視点を押し付けるだけでなく、親、保育者、そして社会全体が、もっと子供の視点で遊びを捉えられるようになれば、子供の学びはどんどん豊かになっていくはずです。


自由な遊びには、短期的で分かりやすい成果がありません。「遊び中心」の保育は、その点で不評を買っているようです。

「英語の歌を覚えた」「一年生の漢字を全て書けるようになった」確かに素晴らしいことかもしれません。しかし、目先の測定可能な成果ばかり追い求めれば、かえって子供の学びは貧弱なものになってしまうでしょう。

そもそも学びとは、一見無関係に見える無数の細い体験の糸を、長い時間をかけて大きな布へと織りあげていくような営みです。

何ができるようになったのか、何を達成したのか。ひとくちに説明することはできなくても、子供たちは日々の遊びのなかで、さまざまな学びの種を得ています。

心配することはありません。一本では頼りなく見える体験の糸も、時間をかけて他のたくさんの糸とより合わさり、いつか大きくて丈夫な帆となります。この大きくて丈夫な帆は、人生の海原に吹く風をしっかりつかまえて、子供を力強く進ませてくれるはずです。


保育園・幼稚園で自由な遊びを主体とした保育をおこなうためには、実は経営上の困難が付きまといます。子供一人ひとりの興味や関心に寄り添う必要があるため、保育者には高い資質が要求されます。また、子供一人ひとりと応答的なやりとりをする必要があるため、保育者の数も多くなければなりません。

法令の基準よりも多い保育者を配置し、保育者の資質を向上させるのは、大変にコストがかかることです。短期的な経営上の利点だけを考えれば、マニュアルによる定型化された指導法によって、集団活動ばかり行うほうが得策です。少数の未熟な保育者でも、いっぺんに大勢の子供を保育することができるのですから。

偉そうなことを言うつもりはありません。わたしたちもまだ道半ばです。これからも、子供の「遊び=学び」を豊かにするという「大きな利益」に向かって一歩一歩進んでいきたいと思います。