自由に遊べ!どんどん学べ!第3回

(平成29年6月23日号)

自由な遊びが「おまめ」を育む

子供の遊びにおいて、大人がもっとも大切にしてあげなければならないことはなんでしょう。

わたしは自由だと思っています。

自分のやりたいことがやりたいようにできる環境で遊ぶことで、子供は様々なことを学び、人生を切り開いていくための力を身に付けていく。わたしはそんなふうに考えています。


逆に自由でない環境は、すぐに遊びを窒息させてしまいます。

命令によってやらされる遊びや、禁止ばかりの制限された遊び。いくら大人がよかれと思ってしていても、いくら表面的に遊びのように見えたとしても、それらはもはや、本当の意味での遊びではありません。

「自由のないところに遊びはない」といっても過言ではないのです。

では、自由な遊びを通して、子供たちはどのような力を身につけることができるのでしょうか。ここでは特に大切な3つを挙げてお話いたしましょう。


まずは主体性。

これは、自らの意志や判断で物事に取り組む態度のことであり、人がよりよく生きていく上で絶対に欠かせないものです。

「自分のやりたいことができる」という環境のもとで、主体性ははじめて健全に育まれていきます。

大人による指示や制限が過剰になると、子供はそのうち自ら何かをしようとするのを放棄し、何事にも受け身な態度で臨むようになってしまうでしょう。


次は創造性。

新しい価値を生みだす力であり、高みを目指して生きていくためのエンジンです。自由に遊べる環境のもとで、子供はいろいろなことを試したり、挑戦したり、話し合ったり、時には失敗したりしながら、遊びを広げ、深めていきます。

こうした経験をたくさん積むことによって、創造性のエンジンは、その出力を次第に高めていくのです。知識や技術のように、「教え込む」ことで身に付くのではありません。


最後に挙げたいのが社会性です。

自由な遊びを通じて主体性や創造性が育つというのはすんなりと理解していただけるでしょう。しかし、自由が社会性を育むといったら、首をかしげる方が多いのではないでしょうか・・・


みなさんは「おまめ」をご存知ですか。子供が鬼ごっこや缶けりをする時に、しばしば使われるルールです。異年齢の子供たちが集まると、発達度や理解力も様々であり、ひとつの遊びを営むのが難しいことがあります。

そんな時、「この子は捕まっても鬼にならない」などという特別ルールを作るのです。これが「おまめ」です。

時代や地域によって呼び名は変わっても、子供が自由に遊ぶ場所には自然と生まれてくるようです。

みなと一緒にできない子を排除するのではなく、仲間に加えて遊ぶための子供なりの工夫です。小さい子が何かヘマをしたとしても、たいていは大目にみてもらえます。大きい子たちがつまらなくなることもありません。


自由な環境だからこそ、子供たちは自ら秩序を形成し、維持しようと努めるようになります。

誰かに見られているからルールを守るのではなく、たとえ誰も見ていなくても正しいことをしようとする態度を身に付けていくのです。

管理が行き届いた、強制や禁止の多い環境ではこうはいきません。ルールを作るのは大人であり、裁くのも大人になります。

そこで身に付くのは、評価されるのを前提とした規範意識や従順さに過ぎません。


「自由に遊ばせてばかりいると集団行動ができなくなる」という心配の声を耳にすることがあります。杞憂というべきでしょう。

おおらかな包容のなかで生まれてくる内発性にこそ、わたしたちは期待したいと思います。それが、人との関わりの中で生きていくための揺るぎない核となるはずだと。(次号へ続く)