小さな世界へ

平成27年7月17日号

大人になって、保育園や小学校を久しぶりに訪れたときに感じること。

「あれ、こんなに狭かった?」

あの頃はものすごく広く感じていたんだけどなあ…。子供の頃に親しんだ広大な風景が、大人になると窮屈にみえる。よくありますよね。でも、なぜなのでしょう。

ひょっとするとそれは、わたしたちが大人になるにつれて、ある能力を失ってしまうからなのかもしれません。小さな世界の広々とした奥行きを感じとる能力を。

 

人は成長するにつれて、賢くなります。「重要なもの」と「とるに足らないもの」の違いを学ぶというかたちで。わたしたちの賢さは、役に立たなくて無駄なものどんどん排除してくれます。便利さと効率をますます高めてくれます。

子供は大人のように賢くありません。「重要なもの」と「とるに足らないもの」の区別がつきません。その代わり、ありのままに、この世界をつかみ取ろうとします。

 

たとえばブランコを見たとき、大人はただブランコとしか見ません。気になるのはせいぜい「新しい」とか「鉄製」とかいうことぐらいでしょう。

子供はもっと小さなことに注目します。目をこらさないと見えないことに。鎖が放つ光沢、剥がれそうな塗装片の感触、揺らし方で変わる音、支柱の根もとにあるアリの巣…

子供とともに生活するというのは、小さな世界の道案内をしてもらうということです。「親になる」というのは、一度は失ってしまった能力を取り戻していく過程なのかもしれません。

 

テーブルにこぼした牛乳を熱心に指でかき回したり、道端にしゃがみ込んだまま砂粒を見つめて動かなくなってしまったとき、子供はきっと旅をしているのです。小さくて広大な宇宙の中を。

「また、くだらないことをして」というつぶやきが口からこぼれそうになったら、このお話を思い出してください。世界のすみっこに隠された宝のありかを、子供が教えてくれるかもしれませんよ。