吾輩は亀である

吾輩は亀である。名前はまだ無い。田んぼで泳いでいたところをいきなり人間にすくいあげられた。S君のおじいちゃんにつれて来られたこの場所は、保育園というらしい。ここで初めて子供というものを見た。

さっそく御注進にきた団子虫の連中によれば、子供というのは人間の中で最も小さくて、最も騒々しい種族らしい。吾輩の甲羅を叩いたり、首を引っ張ったりして喜んでいる。野蛮なことといったらない。野蛮を通りこして非道だ。


先生という種族もいる。子供にこき使われているからよっぽど下等なのだろう。なにせ朝は子供よりも早くやって来ては、かいがいしく立ち働いている。

先日の早朝に一番乗りしたE先生は、吾輩の入った桶を覆っている簾(すだれ)を開け放つと、欠伸をしながらそのまま立ち去った。吾輩はすかさず壁をよじ登って逃げ出した。木の縁台の下に潜り込んで奥へ進んでいくとやがて行き止まりになった。


そのうち騒動が起きた。「亀がいない」と子供が叫ぶ声が聞こえる。先生どもが縁台の下を覗き込んで探している様子だが、息をひそめて静かにしていた。このまま縁台の下に住むのもいいかと思案していたが、しばらくしてぞう組のR君に発見されてしまった。

子供から身を隠す方法はないと団子虫が言っていたが、なるほどその通りだ。子供というのはなかなか優れたものだと大いに見直した。


この一件を境に子供をよく観察してみることにした。子供は実によく働く。彼らの仕事は遊びというらしい。空腹も厭わずに遊ぶ。「遊ぶのが苦痛だ」とは一言もいわない。大人が退屈そうに仕事をするのとは大違いだ。なぜ子供のようにできぬのか。きっと大人というのは子供が退化して出来あがったものなのだろう。


先生のなかでも最下等なのが園長という奴だ。こやつが「小学校で亀を貰ってくれるらしい」と嬉しそうに話していた。全く憎たらしい。小学校には池もあり、吾輩の同胞も棲んでいる。おまけに保育園よりも沢山の子供がいるというから、それもいいだろう。

いざ別れる段になると、子供がいかに吾輩の孤独な精神を癒してくれていたかが身に染みる。次に会う時は少しぐらい首を引っ張られても大目に見ることにしよう。