名もなき遊び

鬼ごっこに飽きたA君が、おもちゃのシャベルをとりだします。何かをたたき始めました。どんぐりです。乾いた音がしました。驚きの声があがります。意外と簡単に割れることに気付いたようです。

次々とたたいて割ります。殻をむくと、中身がするっと出てきました。たくさんの白い中身でお椀が山盛りになり、今度は中身をつぶし始めました…。

遊びというとわたしたち大人は、「おみせやさんごっこ」とか「お絵かき」というように、名前のある遊びを思い浮かべることが多いようです。「教育的な視点」が加わるとなおさらです。名前のある遊びの方が、意義や成果を見出しやすいからかもしれません。

しかし、子供は名前のついた遊びばかりしているわけではありません。先程のA君の遊びのように、ひとくちに説明しがたい遊びもたくさんあります。そういう遊びは、「今日はこれをやりました」という分かりやすさがありません。とかく見過ごされがちです。

子供の生活全体を見わたせばすぐに気づくことですが、実際は名前のある遊びなどほんのわずかです。名もなき遊びの方がずっと多いのです。名もなき遊びこそが子供の生活の中心にあるともいえます。そして実はそのなかに、多くの学びが詰まっているのです。

わかりやすい教育的な意義や成果を求めようとするのは、大人の自己満足に過ぎないのかもしれません。大人の本当の役割は、一見すると取るに足らない遊びの奥にかくれた学びを見つけだし、それを大切にしてあげることなのではないかと思います。

A君とどんぐりの場合もしかり。どんぐりの殻の硬さ、たたくと割れること、中身の白さ、その感触と匂い。「ふしぎだな」「食べられるかも」そんな心の動きひとつひとつも、かけがえのない学びの体験です。

こうした名もなき遊びの体験の数々が、小学校へあがってから、学習で培う知識へと結晶していくのです。名もなき遊びで得られる分厚い体験の層があることで、教科書の知識が真の学力になっていくのです。

「くだらないことをしている」と決めつける前に、子供のしていることを注意深く観察してみましょう。なんなら一緒にやってみるのもいいでしょう。子供が夢中になる理由が分かるかもしれません。「どんぐりの殻むきって、くせになる楽しさね」なんて発見があるかもしれませんね。