卒園児に助けられた話
あっと思った時には手遅れだったのです。
近くの小学校で用事があり、約束の時間に遅れそうで焦っていたのです。慌てて自転車のカギをかけ、走っていこうとしたその時。自転車のカギが、側溝の蓋の網目をすり抜けていきました。
30分後、用事を済ませた私は、側溝の前で途方に暮れてしまいました。蓋を持ち上げようとしましたが、全く動きません。職員室でバールを借りてきました。ところが、バールを使っても側溝の蓋はびくともしません。
汗が滝のように流れてきます。そのうち、下校する子供たちが集まってきました。すぐに人だかりができました。
「あ、園長先生だ。何しているの」という声が上がります。卒園児も何人か混じっているようです。
「蓋があかないんだね」「先生たちを呼んでこようか」
みんな代わるがわる側溝をのぞき込んで、心配してくれています。
「俺がとってきてやるよ」
ひときわ大きな声の主は、卒園児のR君でした。
こちらが何か言う間もなく、側溝の端まで走っていき、金網の破れ目をくぐり、側溝の蓋が取れているところからひょいと飛び込み、なかを這って進んでくると、カギを拾い上げました。
カギを受け取ったとき、R君と目があいました。保育園のころの彼の姿が次々と浮かんできます。
いたずらっ子で先生たちの手を焼かせていたR君
どちらかというと叱られることの方が多かったR君
だけど自分より小さい子には優しかったR君
みなが嫌がる仕事をすすんで買ってでていたR君
いいところは変わらずに、さらに磨きがかかったようです。いたずらっ子というところも変わっていなかったようです。でも、だからこそ知っていた秘密の入り口を使って、私を助けてくれました。
土まみれで戻ってきたR君に、なんどもお礼を言いました。もともとシャイな彼は、照れくさそうな仏頂面のままです。「いいよべつに」と言い残すと、走って行ってしまいました。
保育園の先生という仕事をしていると、子供たちを教えたり、助けたりする側にいるのが当たり前と思ってしまいます。R君と久しぶりに会えたことで、いつの間にか立場が逆転していたことを思い知らされました。
いや、本当のところ、私はいつも子供に助けられ、教えられているのかもしれません。そのことに気づいていなかっただけなのかもしれません。
側溝の前で途方にくれるだけだった無力な大人は、R君がカギと一緒にくれたあたたかい何かを心にしまって、家路につきました。