みたままつり①

みたままつりの企画会議の後、ぞう組の担任保育士が恐る恐る私のところにやってきました。その日園庭には、植木の手入れの際に出た葉っぱのたくさんついた枝が山と積まれていました。枝を手に取ったH君ほか数名の子どもが、「おそなえをしよう」といって、ままごとをしていたというのです。

「こういうことを遊びにしてよいのでしょうか。」仏様や神様へのおそなえという神聖な行為を遊び半分にするなんて罰当たりなことだ・・・・そう思うのもあるいは無理ないのかもしれません。心配そうにしている担任に、「むしろとてもよいことです。」と私は答えました。

みたままつりは、子どもたちの宗教的情操を養うことを大きな目的としています。「人間の理解を超えた存在に対する心の構えを養う」と言い換えてもよいかもしれません。宗教的情操は、漢字や掛け算のように知識として学び取るものではなく、幼いうちから生活の中で自然と身につけていくのが理想です。H君のままごとは、仏壇あるいは神棚にお供えをするご家族の様子を見ていたからこそできた遊びでしょう。

特定の宗教の信者になってとほしいと願っているわけではありません。それはむしろ私たちのねらいとはかけ離れています。人知の及ばない高みにあるものを敬い、そして健全に恐れる心が育つことを願っています。そういう心を持つ人は、自分のであれ他人のであれ、かけがえのない命を粗末にするようなことはないでしょう。

楽しくおそなえ遊びをするH君の心には、確実に宗教的情操が育ちつつあると言えましょう。おそなえをするご家族とH君の間に流れるあたたかで清らかな時間に思いをはせ、私は心の中で手を合わせました。