Huck's raft ハックのいかだ

いつかお話しましょうと言ったきりそのままになっていました。昨秋園庭に建てた木製遊具の名前の由来です(『たから』平成26年9月26日号参照)

通称は“ひみつきち”なのですが、見晴らし台の外壁に正式名として“Huck’s raft”と書いた板を打ち付けておきました。「ハックのいかだ」という意味です。


『ハックルベリー・フィンの冒険』という小説をご存知でしょうか。『トム・ソーヤーの冒険』の続編といったほうがピンと来る方が多いかもしれませんね。

前作ではトムの脇役だった浮浪児ハックが、本作では主人公として活躍します。舞台はまだ奴隷制度が残っていた南北戦争前のアメリカ南部。ハックは酒飲みで暴力をふるう父親から逃げ出し、同じく主人のもとから逃げてきた黒人のジムとともに、いかだに乗ってミシシッピ川を旅します。

この小説のなかでわたしが最も好きなのが、ジムをめぐってハックがある決断をする場面です。


当時のアメリカでは法律によって奴隷制度の正当性が認められていました。法によれば奴隷は人間ではなく持ち主の財産です。だからジムの逃亡の手助けをするのは罪にあたるのです。罪を犯した者は地獄に落ちるとハックはさんざん教えられてきました。ハックは悩みます。そして恐怖で体が震えるほど煩悶した末にある結論にたどり着きます。

たとえ地獄に落ちることになっても、親しい友を裏切ることはできない。自分にとってジムは財産などではなく、ひとりの人間であり、かけがえのない友人なのだ。ジムを引き渡さないことで地獄に落ちるのなら、すすんで地獄に落ちよう。ハックはそう決意を固めたのでした。

正義の遂行と呼べるようなかしこまったものとは少し違うような気がします。ハックは身近な存在への素朴な愛情に人生の価値を見出したのでした。みせかけの権威や大義ではなく、自分自身の意志で生きる道を決めたのです。その瞬間に、ハックは本当の意味で自由を獲得したのだと思います。


ミシシッピの奔流に棹を差して進んでいったハックのように、自分の行く先を自分で決めることのできる人になってほしい。「ハックのいかだ」という名前にはそんな願いをこめました。子供たちがかけがえのない人生を自由に歩むことのできる社会を作らなければならないという、わたし自身のさささかな決意表明でもあります。


一年生になる子、入園する子、進級する子、そして新しい職場や仕事に向かうあなた。未知の大河に漕ぎ出すみんなにエールを送ります!




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