JU幽雪
1994 1/12
どうしてEOのように「宇宙はなんのために存在するのか」というような疑問が沸き起こらないのだろうか。
そもそも僕は、そのような疑問を持ったことがないのではなかっただろうか。
僕の人生とは、どんなだったのだろう。
小学校の終わり頃まで逆上る。
兄貴の影響で自然科学に興味が絞られつつあった。どういう縁であったか定かではないが、ニュートンに引かれ、彼の伝記を何種類も読んだ。学問に一途な彼の姿に憧れた。そういう伝記の一つに、このような言葉があった。「天才とは努力することのできる才能である」。この言葉は僕の中に深く刻まれた。
その前後に、母が買って来てくれた一休さんの伝記を読んだ。若き日の彼の命懸けの修行の姿に打たれた。そして、小舟の上での「悟り」という不思議な事件が印象に刻み込まれた。
この人生をどう生きて行ったらよいものかと思い、そのサンプルを見るために多くの人の伝記を読み漁った。主に科学者たちの伝記だった。
中学に上がる前後には天文学者になるつもりであった。アインシュタインという人のことも知った。ニュートンよりもすごい人がいることを知ったのだ。やがて実際に星を見ることよりも、そこで何が起きているのかということを理論的に知ることの方に興味が移った。そして、それは結局のところ物理学に帰結すると思い、中学の終わり頃には物理学者になることに決めた。
その頃から、「人生をどう生きたらよいのか」ということと「この世界の最高、最深の真理は何か」ということが表裏一体をなしていた。最高の真理を求めることが最高の生き方に外ならなかった。最高の真理を求めてこそ、最高の生き方が可能だった。
だから、「何が」最高のものであるか、ということだけが問題だった。それを見つけることだけが問題だった。「何故」「何のため」ということは問題にならなかった。
中学の時、その最高のものが物理学であると判断したから、後はそれを追求するだけだった。
小学校の終わり頃から学校の成績が良くなって来た。小学校5年の時の担任教師が勉強のおもしろさを教えてくれたからである。やればやっただけ成績は上がった。友人たちと競争するおもしろさも知った。教師たちはそういう競争を徹底的に煽った。
しかし何故そのように勉強するのかということは何も分かっていなかった。小学校の頃は大学というものの存在すら知らなかった。また決してガリ勉ではなかった。高校に入るまでは家で勉強することなどほとんどなかった。田舎の学校だから、のんびりしたものである。
高校は自宅からバスで1時間近くかかる所にあった。中学までどうしても成績で勝てなかった友人が別の高校に行ってしまったので、高校に入るといきなりトップに立ってしまった。高校時代は物理学者になるため、大学の理学部に入るための受験勉強にすべてを費やした。
夜中の1時頃まで勉強して朝7時頃起きてバタバタと支度をして7時半のバスに飛び乗る毎日だった。
そんな朝のことだが、ある日、どういう訳か、2、3分だけ余裕ができてしまった。新聞を読むほどの時間でもないので、ただコタツにあたってじっとしていた。全く何でもないことだった。何の特別な体験でもなかった。何でもなかったのに、とてつもないことだった。このことで、一つの確信をつかんでしまった。「人の幸福は、一切の外部環境に依存しない」。
この頃としては、この確信をつかんだということだけが重要だった。この時のことはさして気にもとめなかった。何も知らなかったから、何か重要なことが起きたと考える余地はなかった。ずっと後になって、この時、心意識の働きが落ち、思考が落ちて、ただ在るということの一瞥が起きたのだろうと思うようになった。
大学に入って興味の世界が急激に拡大した。その中で科学論に出会った。柴谷篤弘の『反科学論』を読んだ。信じられないことだった。この本ほど怒りを込めて読んだ本はない。至るところに怒りの書き込みを殴り書きした。彼の言うことには全く同意できなかったが、その真偽ではなく、そのようなことを言う人がいるということが、決定的にショックだった。最愛の恋人に対する苛酷な中傷のようなものだった訳だ。
そして、科学とは何なのだろうか、という探究が始まった。
最初の前期試験の後、何か小説でも読んでみようかと思った。どうせ読むなら最高のものを読もうと思った。岩波文庫の前で物色していると、「世界文学の最高峰」と帯に書かれているものがあった。これが最高峰か、という訳で、それを手にした。『カラマーゾフの兄弟』であった。僕の中で決定的に引っ繰り返ってしまうものがあった。それが何なのかは、はっきりとは分からなかったが、人間とか心というものに、科学や物理学よりも深い問題があるということを感じ取った。そしてドストエーフスキイの作品のすべてとロシア文学を中心に多くの小説を読んだ。
科学論、科学哲学の分野は、村上陽一郎やファイヤーアーベントを中心にいろいろ読んでみたが、どうもしっくりしなかった。結局、哲学の方に入り込むことになり、プラトン、ニーチェ、ヴィットゲンシュタイン等々を読んでみたが、どうも何がなんだか分からなくなっただけのことだった。ニューサイエンスの分野もカプラなどを読んだ。
結局、大学時代は関心が支離滅裂に分裂して収拾がつかないまま終わってしまった。
関心が物理学からそれてしまったので、研究者の道は断念せざるをえなかったし、それどころではなかった。4回生の時、レーザー分光の研究の真似事をして、レーザーとはおもしろいものだと思い、働くならレーザーに関わる仕事をしてみたいと思った。大企業は嫌だったから、レーザー専門の中小企業を探したら、幸い、そういうベンチャー企業があった。そこでエキシマレーザーやら金属蒸気レーザーの研究開発に携わった。
とりあえずおもしろければ良かった。そして実際おもしろかった。しかし、科学技術の社会的責任というようなものとは別に、おもしろければ何でもどんどん巨大な「力」を生み出してしまうことに耐えられなくなった。
一方、精神的なものの探究も細々と続いていた。ある時、クリシュナムルティに出会った。この人は本当のことを言っていると思った。しかし僕の中には何も変化はなかった。そしてケン・ウィルバーに出会った。科学、思想、哲学、宗教等をすべて一直線上に並べて陳列して見せてくれたことに驚嘆した。これが僕の中にあった宗教に対する偏見、嫌悪感、距離感、近づき難さを解除した。そして彼が禅を最高のものとして位置付けていることが僕を禅に引き込んだ。
最初に沢木興道に接した。彼の生き方に非常に引かれた。そして横尾忠則の参禅記を読んで総持寺に行けば坐禅ができることを知った。最初から臨済宗には近づきたくなかった。直感的に公案禅というものに抵抗があった。
総持寺の日曜参禅会を中心にしていくつかの禅会を訪ねて回った。伴鉄牛、酒井得元、余語翠巌などの禅会にしばしば足を運んだ。
そしてこの道に全力を挙げてみたいという思いが日増しに強くなって行った。会社の同僚で絵心のある男がいた。彼は画家としてやって行けたらな、と時々言っていた。彼が学んでいた画家がポルトガルかどこかに行っていて、その人から彼に、君も来ないかと言って来たらしい。そして、彼がぽつりと、行ってみようかな、と僕に言った。それが、僕にとっての最後の一押しになった。「自分の本当にやりたいことをやるのが一番なんだ」と。そして会社を辞めた。
出家するあてがあった訳ではない。出家することは容易なことではないはずだと思っていた。とりあえず禅会に出ながら、アパートに閉じこもって独坐していた。一度、道元禅師の「修せざるには現われず、証せざるには得ることなし」の言葉を巡って思考が暴走し始めてしまい、全く制御が効かなくなってしまったことがある。総持寺の参禅会からの帰り道だった。文字通りオーバーヒートして来るし、吐き気もするしで恐慌に陥ってしまった。気が狂うと思った。こうなったらメインスイッチを切るしかないと思って、寝た。それは一時的なもので終わった。しかし以後、本を読むことは止めて、とにかく坐るしかないと決定した。
本は読まないつもりだったが、ひょんなことから新宿の紀伊国屋に寄り、そこで少林窟道場の参禅記を見た。これだ、と思った。
坐禅を始めたことによって、僕には「悟り」という自他共に納得させるのに十分な、立派な目標が与えられた。それが「最高、最深の真理」となった。おまけに「工夫」という「道」まで与えられたから、僕はただその道を歩いて行くだけで良かった。そうすると自動的に「悟り」という「最高、最深の真理」に到達できることになっていた。
僕の中では何も変わっていなかった。ただ目標が「物理学」から「悟り」に置き換わっただけのことだった。
死に物狂いにならなければ悟れはしないということは古人の様子から明らかだった。そして死に物狂いになりさえすれば、僕も悟れるだろうことは実感されていた。しかし、それがそうできなかった。雪渓老師の口癖を借りれば「自分の問題になっていない」ということなのだろう。工夫も悟りも、僕にとってはオモチャに過ぎず、ゲームに過ぎなかったのだ。そんなものに死に物狂いになれるはずがない。
目標を探して、それを定めたらそれに向かって走る、という行動パターンから抜け出せない。悟りとはそんなものではない、と言われても、どうしてもそこに距離を作って、それに向かおうとしてしまう。今だ、ここだ、と言われても、それを目標にしてしまう。何がなんだかよくわからないから、とりあえずとにかく工夫をするしかない、となってしまう。
僕にはEOのような疑問が一切浮かんで来ない。僕には仏教の言う「苦」というものがどうしても実感できない。いろいろ嫌なこともあるにしても、それらがそんなに根源的な疑問を引き起こしたり、「苦」というものに煮詰まったりしない。ごくささやかなことで十分満足してしまえるし、「真理探しゲーム」など贅沢、道楽というものだ。
そもそも僕にはそういう探究に向かう動機がないのだ。これだけ満ち足りた生活の中で不足など何もない。こんなゲームなんか放り出したってかまわないことだ。
それでも何かが僕を引く。
何なのだろう。
1994 1/13
僕にはEOのような疑問が何も浮かばない。疑問の内容など問題ではない。たとえどんなに高尚そうな疑問でも疑問自体が問題なのだ。その疑問を問う人自体が問題なのだ。これは理屈に過ぎないのかもしれないが、この感覚は禅で学んだものではない。
そう、おそらく高校の時の、あのコタツの一件で、外部を問題にする心が死んだのかも知れない。そういう方向では心が働かなくなってしまったのだろう。
僕は何を求めているのだろうか。何に引かれているのだろう。
祖師方の、あの粋な生き方。ふっきれた在り方。
そんな「姿」に憧れながら、その裏でもう一つ引っ掛かっているものがある。
それは「何でもない者」として終わることの恐怖だ。
どうしても何か「ひとかどの者」になりたいという欲望があるようだ。人に説教を垂れたいという誘惑から逃れられないようだ。
・・・しかし、・・バカみたいなものをかかえていたもんだなあ・・・。
悟り、見性、一隻眼、大悟、脱落、光明、解脱、仏性、涅槃。
こんな言葉はみんなトリックだったんだな。全く悪魔のささやきだ。
道は一つしかない。
何者にもなろうとするのではなく、ただ行じて行くだけだ。
何の期待もなく、ただ坐ることだけだ。
それが、すべてだったんだ。
あの得度式は「私」の葬式だったんだ。
帰依仏法僧。これで何者かになろうとする「私」は死んだのだ。
知らなかった。
<本格的な>修行の始まりだと思っていた。
そうではなかった。そこで「私」は既に死んでいたのだ。
問題は、本当に「悟りゲーム」をおしまいにして、
「なんでもない者」として死ねるか、ということだ。
ただ坐る、ということだ。
恁麼の事を得んと欲せば、急に恁麼の事を務めよ。
これで「振り出し」に戻った。
1994 1/15
因果関係。
これは、ただ、これ。それでおしまい。
坐禅は坐禅なり。
坐の功により悟る、という言い方は、人を陥穽に陥れる。方便、工夫、道というものは、それ自体に矛盾を抱えている。それが原因であるかのように見せながら、その実それがそのまま結果だからだ。
ならば、因果とは何なのだろう。
世の中に、本当に因果関係というものがあるのだろうか。善因楽果、悪因苦果というものは、結果の楽苦から原因の善悪を推定して判定しているだけのことだ。この世界の因縁は複雑多岐であり、一対一の原因、結果なんてないし、結局あいまいなものだ。
そもそも、今のこの私のこの結果とは、何を原因とも言えるようなものではない。
因縁説、縁起説とは何なのだろう。どうして釈尊はそういうものを説かねばならなかったのだろう。
「不落因果」は現在の因と未来の果を問題にしている。因としての現在において、未来に対する何の期待も望みも持たないことだ。
「不昧因果」は過去の因と現在の果を問題にしている。果としての現在において、過去をどうこう思い煩わないことだ。
どちらも今に安住することを示している。ただ、「安住する」だけ余計だ。
「これ」しかないからだ。
いや、それも違う。「それ」は知られざるものだからだ。
過去とか未来とかいう、実体のない蜃気楼のように浮遊するもの。それが思考だ。
それが落ちたら、それで、おしまいだ。
何が言いたいのかわからなくなったので、やめた。
1994 1/25
工夫の善し悪しじゃない。どんな工夫をやるかじゃない。
頭頂留意でも一息でも公案でも只管打坐でも、そんなものはどれでもいい。
問題なのは、それを本気でやるかどうかだけだ。
本当に、それだけが問題なのだ。
悟れないから困っているのではない。
本気になりたいのに、本気でやれないということが問題なのだ。
そんなことが問題だと言っていること自体が、本気でない証拠だ。
1994 1/27
「ギリギリの生」という公案と
「何のための修行か」という問いが、
ワンセットになって、確実に深く僕の中に食い込んだ。
実際、何のためにこんなことをやっているのだろう。
衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成
これが一番無難な答えであり、この世界では文句がつかない答えのはずだ。これが大乗仏教の根幹であり、出発点であり、終着点だ。これ以外に仏教徒である意味はない。
この誓願があるからこそ仏教徒であり、この誓願に依ってすべての修行が成り立つ。
ところがEOにかかるとひとたまりもなくなってしまう。「その誓願は何のためか」と来る。
「ギリギリの生」をぶつけても、こんな誓願は全く意味を喪失してしまう。
もう一つの答えは、
「ただ仏道のために仏道を修す」
というものだが、これは至り得た人の言葉だ。今の僕が言っても嘘、又はただの「努力目標」に過ぎない。
では実際どうなのだろう。とにもかくにもこんなことをやっているんだから、何か僕の中に「目当て」があるはずだ。
「求心をやめろ」「何もするな」「バカになれ」と言われ続けて来たから、そういうものは出来るだけ考えないように、捨てるようにして来たわけだが、どうもそれはただメッキを施していただけのように思う。僕の中には依然として何か求めるものがあり、それ故、今に落ち着けないわけだ。
逆に考えて、では修行をやめたらどうするのか。例えば世間で普通に働いたらどうなのか。そこには気を紛らわすことは沢山ある。一生かかっても読めないほど沢山の本があるし、音楽も映画も漫画もある。気を紛らわすことは出来るけれども、そういうことはもはや僕にとって本当のものではない。僕は「悟り」のことを聞いてしまったから、それが幻影として常に裏にひそんで、すべての世間的なものを無意味にしてしまうだろう。月に帰らなければならないことを知っているかぐや姫みたいなものだ。
だから、要するに僕は「悟り」を求めているわけだ。悟ってどうこうしよう、ということではなく、とにかく悟らないとどうにもならなくなっているわけだ。それがどうにも邪魔になっているのだ。虫歯の痛みのようなものだ。
悟れば解放される。「悟り」そのものから解放される。僕を縛っているものから解放される。誰からも、僕自身からも、もうつつかれることがなくなる。
その「くつろぎ」が欲しいのだ。
ところが「ギリギリの生」において、それは自動的に達成される。その時、悟ることなど僕には意味をなさない。僕はただこのままでしかない。
しかし考えてみれば、それは決して空想上のことではない。それは実際、常にそうなのだ。「無常」のはずだったのだ。それを忘れてしまって、未来に対するあれやこれやの目当てや葛藤を生んでしまっていた。月に帰ることを忘れてしまったかぐや姫になっていたのだ。
「無常」ということで言えば、それはただ無常だから急いで、「頭燃を救うが如く」修行せよ、ということでしか受け取っていなかった。無常ということが、本当にうけがえていなかったから、すべての修行も本当ではなかった。
結局、僕の修行とは仇討ち、敵討ちみたいなものだ。「悟り」という「親の敵」を捜し出して、そいつに止めを刺す。それが終わらないと人生が始まらなくなってしまっている。それが人生のすべてになってしまっている。
全くの世間事だ。
では、そもそも、どうしてそんなに「悟り」に執着してしまったのだろう。
それは「そうすれば一切が解決する」という口車に乗ったのだ。祖師方というそれらしい証人もいた。方丈や雪渓老師という生き証人らしいのもいた。
それがいつの間にやら「それがなければ、一切が無意味だ」という脅迫に変わった。
「ギリギリの生」においては、世界やら他人が存在していない。「相手」がない。
例えばそれが10秒ではなく、一日、一月、一年、10年、100年だったらどうなのだろう。「100年以内のいつか死ぬ」というだけなのに、ただの観念に過ぎないのに、そこに何か違った様子が現れる。未来が「内容」を持ってしまう。何と奇妙なことだろう。
方丈は「時間空間の観念が迷いの根源だ」と言ったことがある。しかし悟った人だって、未来のことは考えている。それは雪渓老師も証言している。方丈なんか山ほど考えている。ただそれにとらわれないということなのだろう。考えなかったら生きて行くのは困難になるだろう。
1994 1/28
時間があるから空間がある。空間には時間が含まれている。
時間があるから隔てができる。相手ができる。世界が生ずる。
時間が収縮して来ると空間も収縮して来る。
「ギリギリの生」において、それは「今、ここ」に極まる。
求めようがない。動きようがない。
求める用もない。動く用もない。
そして、死において、すべては無に帰す。
と言うことは、いつでもそうだ、ということだ。
「ならば、何のために修行しているのか」だって?
今ここに、ただこのまま在ることを「修行」と言うだけのことだ。
それを「禅」と名付けたまでのことだ。
ほかに何を「する」と言うのだ。
何もできはしないではないか。
「悟り」なんか知ったことか。
お師家さんたちの言うところでは、この「道」を行じていくうちに結果として、副産物として現れるものだそうだ。
しかし、そんなものを考えてみたって何になる。
そんなものを期待したって何になる。
「今」から遊離して行くだけだ。ただの遊びだ。
そんな言葉は悪魔のささやきだ。
事の真相は、真実は、
「今、ここ」しかない、ということだ。
「今、ここ」に踏ん張るんじゃない。
「今、ここ」しか足場がないのだ。
悟りなんて関係がない。
そんなものには用がない。
1994 2/1
『百尺竿頭進一歩』
返し
刹那に滅却す見性悟道。
醒眼に見来れば修も無く証も無し。
什麼としてか是の如く成る。
当処を離れ得ずして当処に滅す。
末期還って不知に合す。
畢竟、作麼生ー
「なんでもみんなよろしゅうございますなあ」
呵呵。