沙門 幽雪
昼過ぎに忠海駅に着いた。駅から海蔵寺へ電話をするように言われていたので、電話ボックスから電話をかけた。海蔵寺への道順を簡単に教えて頂き、「もう修行は始まっているのだぞ。一歩一歩に成り切って来なさい」と指示された。
その如く努力しながら忠海の小さな町を通り抜けて海蔵寺へ向かった。
山門を入ると本堂に老師がおられ声をかけて下さった。玄関を示され、玄関を入ると奥様が丁寧に手をついて迎えて下さった。そのことも全く上の空だった。緊張していた。
本堂も素通りしてしまい、老師が待っておられる茶卓へ向かった。
ここでお茶を頂きながら、今まで疑問に思っていたことなどを思い切り話した。幸いなことにこの時、老師は秩父から来られるM居士を待っておられ、その待ち時間をすべて費やして話を聞いて下さった。
「この際だから、すべて吐き出してしまえ」と、何でも聞いて下さった。2、3時間も話し続けた。すべて吐き出したら、すべてすっきりと片付いてしまった。何も残っていなかった。後は、やるだけだった。
夕方、道場へ入ると、先ず着物と袴に着替え、M居士と共に仏間に通された。
仏壇の前で線香を供えられた老師は、そのままこちらへ向きを変えられて説法を始められた。仏間の黒板に残されている老尼の接心提唱を示され、少林窟の修行の在り方を丁寧に示して下さった。
そして、経行の仕方について、足の裏の感触に心を置きなさい、と言われた後、
「手を畳についてみよ。そこにそれがあるだろう」と言われた。
言われるままに片手を畳についた。
ゾクッとするものが背中を走り抜けた。生まれて初めて畳に触れたような気がした。確かなそれそのものの感触がそこにあった。経行はこうするのか、という驚嘆と喜びを覚えた。
説法の後、老師は去られた。今、初めて知った経行を実践し、足の裏の感触を深く味わいながら、ゆっくりと禅堂へ向かう。老師が廊下の向こうから声をかけて下さった。
「浅田君、その調子だ」
確かにこれで良いのだ、と意を強くした。
三日目の朝、朝食の戒尺が鳴り、禅堂から食堂へ向かう。
一歩一歩明らかに足の裏の感触を確かめながら歩く。
食堂のガラス戸を静かに開ける。そして閉める。
その時、どうしたことか微かに笑いが起こり、顔の緊張感が失われた。老師はそれを見逃されなかった。
「君には真剣味が足らん!」
と罵倒された。
本真剣になって命懸けで修行する覚悟で乗り込んで来たにもかかわらず、真剣味が足りないと言われることは、悔しさの極みだった。自分自身の不甲斐なさに憤りを覚えた。
「コンチクショー!」という噴き上げるものを一息一息にぶつける。
禅堂は寒い。毛布を腰に一枚巻き、肩からもう一枚被って坐る。
ふと、鼻の先が痛いことに意識が向いた。余りにも冷たい空気を吸っているものだから、鼻の先が痛くなっていたのである。そこに意識が向いた途端、そこに意識が固定されてしまった。
「あっ」
経行と同じことだった。
痛い程の鼻端の感覚。そこに意識を置いておけば呼吸に付いて行くことが出来た。
一息という得体の知れないものの尻尾を捕まえることが出来た。
昼食時に、老師に確認を求めた。それで良い、と言われた。鼻端の感覚も今瞬間の様子であり、そこに意識を置いて雑念に遊ばなければ、それで良いということだ。
老師の確認をもらったことで、ますます意を強くした。
昼食後、その鼻端の感覚を導きとして一息に猛烈に切り込んで行った。
ふと、膝先の畳に光が射していることに気が付いた。夕日だった。もう夕方になっていた。全く時間の経過を知らなかった。無我無中だった。
これでいいのだ。このままやればいいのだ。自信に満ち溢れた。
もう迷いは全くなかった。
何かが分かったのではなかった。余計なものが落ちただけだった。
一息というのは、只これだけのことだった。
人の考え、言葉が入る以前のもの。それが明らかな今の様子だ。すると、すべて今でないものはない。一息も一歩も一箸も一噛みも見ることも聞くこともすべて今の様子だ。
修行の着眼が明白になった。
一息に成り切るも今に成り切るも、只これだけをとことん守り切り、そして徹すれば良いだけだ。
この時から本当に安心をして、一息一息に成り切り成り切りする努力ができるようになった。静寂がどんどん深まって行った。
七日目朝、禅堂で坐っていた時、トイレに行きたくなった。
単を降り、廊下を歩き、トイレのドアを開け、用を足し、ドアを開け、手を洗い、廊下を歩き、単に上り、坐についた。
その時、はっとした。
「トイレに行った」という行為が脱落していることに気付いた。一瞬一瞬が完全に切れていた。
坐った時、「アレッ」と思い、確かにトイレには行った記憶はあるが、「トイレから帰って来たから坐っている」のではなかった。只端的に坐っていた。それからゾロゾロ、いくつかのことが分かって来た。
個々の事象は独立していると思った。
昼食時、老師は「それは平等智である。一面の見方から法を批判してはならない」と言われた。
「ところで、父母未生以前本来の面目がどう分かった?」と聞かれたので、
「これだっ!」と膝を叩いてみせた。絶対の確信があった。自明のことだったからだ。
「父母未生以前も、道理として分かっただけで、本当のところはわかっていない」と判決を下された。
「色々分かって来ることに取り合ってはならぬ。どこまでも一息を守るべし」と。
その法話ですっかり頭が切り換わり、午後はそういうことは出なくなった。
少林窟で三年近く修行した後、発心寺に二年近く安居して原田雪渓老師に参じた。
独参という形式の中で雪渓老師の教えをくみ取って行くのはとても時間のかかることだった。
数回の独参の後、どうも雪渓老師の指示されていることを受け取り損ねているような気がして、基本的なことから確認することにした。
「着眼の確認をお願いします。(畳に片手をついて)ここに確かにあるものがある。これに『感触』とか『肌触り』とか、あるいは『ありのまま』というレッテルを貼ることができる。しかし、それはそういう言葉とは一切関わらない事実です。この事実にジッとおれば良いのですね?」
「その『事実』というのも今あなたが言われた『感触』とか何とかと同じものです」
「では、どうすれば良いのですか?」
「『どうすれば良いのか』ということを止めれば良い。以前、あなたが言われたように一息に成り切って行けば良い。呼吸というものは、ずっと以前からやっていた事だ。それを『理』を聞いたことによって意識するようになった。それを元のように意識することがなくなるまで尽くすのです」
雪渓老師はすべての持ち物を奪い取ろうとされた。
そのことがおぼろげに見えて来たのは、半年後のことだった。そして、確かに余計な持ち物があったと気づいたのは一年後のことだった。
その余計な持ち物というのが、確信だった。今とか一息というもの、修行の方法というものに対する確信という自分の思いがあった。分かった、分かっているというものが、根底に潜んでいた。
「今は決して知ることはできません」
これは雪渓老師の金句だ。
発心寺安居の終わり頃、EOという人物の書いた文書を見た。猛烈な否定の炎だった。修行というものを逆方向から照射していた。自分の中に残り続ける持ち物を焼き尽くす炎のように感じた。
どうしても彼に会いたくて、時期を早めて発心寺を下り、会いに行った。そして一週間、彼のアパートに泊まり込んで、彼の教えに従った。
その後、実家に戻り、少林窟へ帰山するまでの七週間、独接心をした。EOからは連日、手紙が来た。その中の一つが心に突き刺さった。
「何のために修行するのか?」「十秒後に死ぬとするとどうなのか?」という詰問だった。
ある朝、目が覚めて、まだ布団の中にいた時、時間と空間が無くなって行った。今一瞬、それだけしか無かった。過去も未来も脱落していた。
もう何も要らなかった。「悟り」もどうでもいいことだった。
本当に何も必要とせず、何も求めるものも無く、只、行ずることができた。
これが最後の答えだった。
ふとハンガーに掛けてあった絡子に目が留まった。その裏には雪渓老師に揮毫して頂いた「百尺竿頭進一歩」の文字があった。戯れ言が浮かんで来た。
『百尺竿頭進一歩』
返し
刹那に滅却す見性悟道。
醒眼に見来れば修も無く証も無し。
什麼としてか是の如く成る。
当処を離れ得ずして当処に滅す。
末期還って不知に合す。
畢竟、作麼生ー
「なんでもみんなよろしゅうございますなあ」呵呵。
独接心の終わり頃、右足の股関節を亜脱臼したようだった。手紙を出しに行った時、右足を引きずるようにして脂汗を流しながら歩いていたが、全く心に障るものはなく、それだけのことだった。
老尼の御命日を期して、少林窟へ帰山した。発心寺での修行もEOとのことも、老師に一蹴された。
振り出しに戻った。
明暗各々相対して比するに前後の歩みの如し。
1998年10月29日