判断と決断

もう一つ考えてみましょう。表題の判断と決断です。皆さんよくお使いですよね?

どのように使い分けていらっしゃいますか?

まさか同じものとは思っていませんよね?

このホームページでは、以下のように定義します。

判断とは、ある基準があり、その基準を元に現象・事象などを判定する。

基準━━━━━━━

基準があれば、AかBか判定できますよね。判断材料がほしいということは、基準を当てはめる対象がほしいということです。判断能力とは、基準を元にAかBか正しく判定できることです。

では、基準が無かったら?判断できませんよね。判断を渋っている人がいたら、基準を聞けばよいのです。そうすれば、おのずとほしい判断材料も見当がつきます。よね?

おおむね基準と言うのは、いわゆる「想定内」のことです。想定出来たから、基準を作れたのではないでしょうか?

もし、「想定外」の事象が起こったら、あるいは、出会ったら?おそらく基準は有りませんよね。どうすれば良いのか?

この答えは簡単です。基準を創ればよいのです。もちろん基準を創ることは大変ですよ。でも、これが、決断です。

━━━━━━━新しい基準

つまり、決断とは新しい基準を作ることに他ならないのです。

もちろん、新しい基準を作らずとも判定することは出来ますが、それは「決断」ではありません。単なる「行き当たりばったり」です。

これ以外の定義もあると思いますが、このホームページでは、上記のように定義させて頂きます。

ここからが、本番です。判断と決断、皆さんどちらを使われることが多いでしょうか?高度成長時代は、判断ができれば大抵の場合、十分でした。バブル崩壊とともに今までの「モノサシ」が使えなくなり、決断を求められる状況になった時、対応できずに「失われた十年」が産まれたのではないでしょうか?そこまで言うのは「ウサンクサイ」ですが、決断が求められる機会が、増えているのではないでしょうか?

ではどうすれば、決断力を身につけられるでしょうか?

決断は、新しい基準を作ることです。そして同じように新しい基準を作る行為があります。もうお判りですね。前項で説明した課題設定能力です。つまり、自ら課題を設定し、それを解決する。それを繰り返すことで、新しい基準を作る能力は高められるのです。これなら普段からできますよね?(固有心理学の項からお判りのように継続することが大切です。)

ここで誤解して頂きたくないのですが、決して「決断する」ことが「判断する」ことより優れているのではありません。しっかりした基準があって判断で済むのであればそれにこしたことはないのです。また、判断に必要な情報や材料の収集を怠ってはいけません。それを怠っておきながら、「判断できないから決断する」では、本末転倒です。

問題や判断の基準は、変えずにいたいものです。しかし、環境や自分自身の変化によって変えざるをえない状況が生まれてくるものだと思います。その対応として、課題や決断が必要になるのではないでしょうか?

環境の変化にいち早く気付き、それに対応して基準を変え、常に判断で済むようにする。こんな風になりたいと思いませんか?

余談2

昔「決断の時」というテレビで放映されたアニメーションがありました。太平洋戦争における日本軍の戦いを描いたものです。子供の頃(リアルタイムに、年がばれますが)これ見て以来、ずっと判断と決断の違いを考えていて、行き着いたのが上記の内容です。これに至るもう一つの前の解答は、「判断はプログラムできる。決断はプログラムできない。」でした。