八十嶋龍三が、生前にお世話になった皆様から頂戴したメッセージをご紹介いたします。
ルドルフ・ワインスハイマー 氏
ルートヴィヒ・クヴァントとベルリンフィル12人のチェリストの皆様
藤田 鋼一 氏 (ゴーシュの会)
吉村 美紗代 氏
親愛なる龍三、
我々は、龍三がもう生きていないということは想像できません。
私も信じられないですが、この悲しむべき事実を受け入れなければいけません。
しかし龍三は何年も病床に臥せっていたのではないのですから、一瞬のうちに何らの苦痛もなく、
我々が皆たどるべき永遠の旅路に出発したのは、不幸中の幸としなければいけません。
1978年4月、君は師匠である大村先生といつしょに、ベルリンツェーレンドルフの我が家に来られました。
この日の午後のことを私は今でもよく覚えています。
春の陽差しが私どものリビングルームに差し込んでいました。
君はそこでヴィヴァルディのソナタを弾きました。
1957年以来の知己であつた大村先生は、彼をこれから教えてくださいと私に頼んだのです。
私はこの願いを喜んで受け入れたので、君は4年半私の弟子になりました。
私は君の進歩を期待し、毎週レッスンを行いましたが、きみの熱意と音楽性とチェロへ打ち込みぶりに驚いたものです。
ある日のこと、君は魅惑的な婚約者である洋子を連れてきたので、我々は歓迎し、家族のようになりました。
それ以来のお付き合いは今日まで続いています。
君たちはフィルハーモニーホールのコアザールで、招待客たちの前で、ブラームス、ベートーヴェン、ボツケリー二を演奏しました。
ベルリン留学時代の締めくくりとして、フィルハーモニーホールの室内楽ホールで、
素晴らしい音楽性と優れたテクニツクでハイドンのチェロコンチェルトニ長調を演奏したのでした。
君はベルリンフィル12人チェリストと知り合い、何回かヤラヤン・コンサートに臨時団員として参加演奏しましたね。
ベルリン留学は、お二人の幸せな時代でした。
日本へ帰国後、君は皆の信頼を得ながら、チェロレツスンと洋子とのDuo活動に大きな喜びを感じていました。
君と洋子と60人もの私の孫弟子たちに日本に招待され、カザルスホールで一緒に演奏したことでは感動し、感激したものでした。
さらに、高円宮殿下もご臨席くださいました。
1998年11月神戸と、2010年5月広島で開催された男女1000人以上のチェリストによる
世界最大級チェロコンサートの企画準備における君と洋子の尽力を私は忘れることが出来ません。
これは、お互いに美しい幸福な行事でした。
ベルリンフィル12人チェリストが東京で公演する時には、いつもお二人がきめ細かい気配りで対応してくれました。
12人チェリストと孫弟子たちとの合奏はいつでも特別な成果を挙げ、楽しいひとときでした。
私の親愛なる龍三、君は私にとってはとても大切な友人でした。
君の人間性、絶え間なき思いやりの心と友情の輝きは、私と君の沢山の弟子さんたちを感激させ、刺激を与えてくれました。
君はこれからも我々のそばにいて、我々の心の中で生き続けていくことでしょう。
君の友人であり教師である
ルドルフ・ワインスハイマー
八十嶋龍三の親愛なるお弟子さんと友人の皆様、そして洋子へ、
我々は皆さんと同様に悲しみに沈んでいます。僕たちも親愛なる友人龍三を失ったからです。
暖かく友好的な心、そしてチェロと音楽への情熱を持っていた龍三は、我々の心の中で永遠に生き続けることでしょう。
皆さん、我々の素晴らしい楽器「チェロ」への歓喜の念を持ち続けてください、これこそ間違いなく龍三の最大の念願であったのでしょうから。
心から皆さんと気持ちを分かち合って(東京にて、2012年7月1日)
ルートヴィヒ・クヴァンとベルリンフィル12人のチェリストより
敬愛する八十嶋龍三先生へ
敬愛する師を突然に失う悲しみと深い喪失感の中、世の無常を思い知らされています
ステージ上の先生の演奏を初めて聴いて即日舞台裏で弟子入りして以来、
同世代で同時代を生き続けることで共有できる希有な幸福感を、23年後に失いました。
仕事にかまけて精進を怠った弟子が新たな再出発を思った矢先に、先生は一歩先に音楽の巨匠達の集う国に向かわれてしまいました。
もうこの世であの気高く気品のある先生のチェロを聴くことは叶いませんが、心の中の憧れのチェロの音は消えません。
残された弟子は、いつかまた彼の国で先生に教わり一緒にお酒を酌み交わせる時が来るまで、」
この世でゴーシュ仲間と共に音楽に精進せねばと誓い、これ迄のご恩に深く深く感謝しています。
どうか安らかにお休みください。そして洋子先生と弟子達をお見守り下さい。
2012年7月15日
ゴーシュの会 藤田鋼一
龍三先生へ
龍三先生に初めてお会いしたのは、私が洋子先生にピアノを習い始めた16歳の時でした。
以来、私の人生の約半分を先生ご夫妻に見守っていただき、先生は父親のような存在でした。
息子が誕生して初めて会って下さった時、「大きくなったらチェロ教えてあげるね」と笑顔で話しかけられていたお姿が忘れられません。
チェロを身近にさせて頂いた先生から、息子にもそう感じてもらいたかったです。
私にとってチェロがより身近になったのは、先生の愛弟子朋ちゃんと演奏会をした時です。
先生と洋子先生のお二人から熱いレッスンを受けさせて頂いたのはとても思い出深いです。
不器用な私にも、根気強く、温かく指導して頂きました。
先生はお髭が素敵で、チェロを弾く姿も格好よく、そこから生み出される深みがあり優しい音色が大好きでした。
一方、時折冗談おっしゃる気取らない温かいお人柄でした。先生との出会いは私の宝物です。
最後に、これからも愛する洋子先生の心の支えとなっていただき、
先生の教えが大勢の生徒さんの中にずっと生き続け、未来へ受け継がれますよう、私達を見守って下さい。
吉村 美紗代