所長のプロフィールと思い

1968 鹿児島市にて誕生
1984
私立鹿児島高校 英数課 入学
1987 法政大学工学部電気工学科計測制御専攻 入学
1993 キユーピー株式会社 入社 総合生産管理部門
1995 同 本社付で(株)芝製作所 設計・加工技術研修(1年間)
1996
キユーピー株式会社製造課 生産管理部門に復帰
1997 同 退職、原田屋蒲鉾株式会社、株式会社ハラショク 専務取締役
2002 同 代表取締役社長 就任
2007 両社 破産申立 同時に自己破産
2007 西原商会グループ 入社
2012 アーバンリバティス社会保険労務士事務所(弁護士事務所内) 開設
2014 アールズ社会保険労務士事務所に改称 住所移転
2015 鹿児島県社会保険労務士会鹿児島支部
 役員就任
201
7 鹿児島県社会保険労務士会鹿児島支部 支部長 就任
2019
鹿児島県最大の社労士合同事務所 開設
2021 鹿児島県社会保険労務士会 副会長 就任

■商売人としての幼少~パソコンへ、音楽へ傾倒していく学生時代

商売人の子として生まれ、個人商店に過ぎなかったお店の店頭で、5歳から販売を手伝いながら育つ。『子供が「買って」と言えば売れるから』と言われた叔母の口車にのせられ、モノが売れる事に喜びを感じていた少年時代将来はさつま揚げの会社を継ぐのだろうか・・・と思っていた。

中学生時代にNECのPC-8001を手にして、コンピュータ関連に傾倒し、そのまま法政大学工学部電気工学科へ入学。ところが入学後は一転してエンジニアリングよりもバンド活動にばかりに熱狂。大学卒業後は、やはり血が騒ぐ食品業界へ足を踏み入れる。

就職後もバンド活動を継続し、ライブハウスを回る生活と、会社の業務との掛け持ちを行う。しかしバンドは、後述の帰郷により私の都合で解散となる。

■エンジニアとして実績を積ませてもらったサラリーマン時代

就職は営業希望であったが、工学部出身ということもあり、会社からは本格的なエンジニアとして期待されていたため、生産管理も保守管理もできる人材として採用される。

年間2名しか選抜されない設計加工研修者に抜擢され、生産本部付として、キユーピー株式会社の関連子会社である芝製作所にて加工技術の習得と機械設計を学ぶ。1年後に業務用1kgマヨネーズ自動箱詰機を設計開発し、工場に持ち帰る。(退社後その初期機動コンセプトからマヨネーズケーサの根本的な概念を変えるものと認められ、退社後に社内で社内で数十年ぶりの社長賞を受賞したらしい。)

加工技術研修のおかげで、アルゴンガス溶接は自信を持っていますが、免許は持っていない上に機械も無いので、現在それを生かす場はありません。機械類の修理や構造に関する知識はある程度あるので、現在の顧客対応で活かす場面もあります。

■商売人として、後継者として企業改革へと立ち向かう

キユーピーにて活躍中に、父の体調不良という知らせを受ける。(数年後に聞いたら誤報だった)会社にも報告し、円満な形で会社を退職。帰郷することになります

少年時代のイメージとは異なり、蒲鉾・さつま揚げ製造業(業界3位)、スーパー向チルド(冷蔵)商品卸問屋(県内1位)、豆腐・こんにゃく製造業(県内2位)、コンビニエンス事業(フランチャイズ未加入)、レストラン惣菜事業と多角経営を行う300名近い従業員の会社になっていた。

しかし実態は、蒲鉾・さつま揚げ事業以外は全て赤字で、連結しても帳簿上も、キャッシュフローも赤字となる不採算事業連合であった上に、黒字に見せかける粉飾決算を繰り返しており、常に資金繰りに追われる状態であった。
更に帰郷直前から蒲鉾・さつま揚げ事業も赤字になっていた。

そうこうする間に父がガンで死亡。黒字が一つもない総合食品会社を引き継ぐこととなる。毎月1千万円のキャッシュが無くなっていく壮絶な赤字状態の中で、

    • コンビニエンス事業をフランチャイズ化

    • 豆腐・こんにゃく製造事業閉鎖

    • 物流センターのアウトソーシング

    • 従業員の大量解雇

    • 基幹業務システムの一新

    • 営業所の閉鎖

    • 新商品開発

    • インターネット販売の開始

    • 金融のリスケジュール 等

ほとんど工程を自ら手がけていく。努力の末、代表就任当初は月額1000万円のキャッシュフロー赤字であったものを、月次数十万円まで削減したが、黒字化目前で、キャッシュフローが続かず経営断念。民事再生法申請の後、破産法に切り替えてグループ全て倒産となる。金融との連帯保証人として大量の有利子負債を抱え、自己破産を経験する。

■自己破産 そして0からの出直し

倒産後は、蒲鉾さつま揚げ事業の土地建物を購入した西原商会グループに入社。業務用営業部門として2tトラックを運転しながらのルートセールス。営業第一線に投じられた際には、小規模事業者へのコンサルティングセールスを含めた実績作りに奔走し、同コースでは二度と作れないであろう実績を作る。

しかし自動車運転が極端に下手なために、全社的なルールに従い営業部門から離脱、直後に社会保険労務士試験に合格し再度退職することになりました

素人社労士からプロの社労士へ

資格を得て、独立開業後社労士したものの、実は実務も専門的な知見も無いという恐ろしい状態の中で、やる気と根気だけで開業。多くの書籍・各種研修会・インターネットコラム・他の社労士の発行するメルマガ等から、知識を蓄えながら、
・独自の就業規則
・判例や指導実態からみる法のありかたや取扱方法
等を積み重ね、現在も助成金やセミナーにも挑戦し続けています。
顧客の求めるものは、プロの社労士であり、プロとしてその期待に応えるために、取り組んでいます。

■何のためにこの職業を選んでいるのか

私の社労士として独立し、目指す姿の根幹は企業再生です。

社長時代に非常に多くのセミナーに参加し、コンサルタントとの契約をし、成功体験企業訪問・成長のメカニズム・成功する理念等を学び最大限の改革を最高速度で行いました。

しかし、結果は倒産という失敗に終わりました。それでは今現在の知識を全て使い、今の人脈や様々な手法を使ったとして、あの会社を再生させることができるだろうかと、真剣にシミュレーションも行ってみましたが、いくら検証しても結果は、いずれ倒産という結論にしかなりません。

私が帰郷した時点で既に会社は再生する素養を失っていました。そして、それを変えるために必要な非情さ、失うことへの恐怖の克服、そしてそれを決断し実行する力は、やはりその時代に戻ってしまえば、私には不可能であることを知っています。

しかし、私が信頼関係を持ってサポートするパートナーとして、過去の自分に寄り添うことができれば、再生する方法は有ったでしょう
やっていなかったコスト
カットの手法もあったし、助成金も補助金も得る方法がある。決断を促すために協力する手段もあるし、泥水がかかる矢面に立たせないこともできなくは無い。戻っても自分ではできないことが、サポートすればできたことはあった。

そして既に再生が不可能であっても、もっとソフトランディングする方法もあった。先が見えないビジネスの世界で、キャッシュが無い中で社長をすることは、自殺することを考えるほど辛いのはよくわかります。でも再起を図ることは可能です。

また、どうしても厳しい会社を再生できる手法があるなら、それはいい会社の成長を加速する手段としても転用できます。だから経営者のパートナーとなる仕事として、この仕事を選んだのです。そして常に新しい手段を考え続け、新しい方法を練り上げることが私の仕事だと考えています。

■様々な実績

○ 補助金助成金 県内初

助成金関係受給件数も多く、また新規の助成金に対する取り組みも旺盛だったことが、ことを奏して、「キャリアアップ助成金」で鹿児島県での受給第1号となりました。
中小企業庁の補助金に対して
、「受給対象にならない」とコンサルタントに断言された案件を、不正なし通したことも何度もあります。

○ 鹿児島青年社労士クラブの立ち上げ

鹿児島県で消滅していた社労士会青年部。それを鹿児島青年社労士クラブを構想し、会員募集・規約の作成・総会の実施等を単独で企画立案し、初代会長に就任しました。
2年間(足掛け3年)の会長職を勤めた後に2代会長へと引き継
ぎ、後輩社労士の育成と社労士県会と若手の架け橋を作り、活躍できる場を作りました。
根幹は他士業に対する人脈作り
を加速するには、個人より大人数の方が都合がいいという単純な個人的利益が目的なのですが、それも会員には公表しています。同じ利益を享受できるのですから、そこに問題はありません。

それらにより、幅広い他士業とのネットワークを作ることができました。総合的な企業の最適な支援者として税理士・司法書士・弁護士・土地家屋調査士・行政書士・弁理士等他士業とも連携をしています。

○ ハート型のさつま揚げを初製造

倒産会社の経営中での実績も紹介します。
鹿児島特産品のさつま揚げで初めて「ハート型のさつま揚げ」を商品化。今では同業者でもバレンタインで時々登場していますが、日本中誰も考えもしなかったものは、コロンブスの卵と同じで、業界で大騒ぎになりました。
実はこの異色さつま揚げシリーズは、第3弾までありました。もうあれから長年経ちますが、それに類似した商品さえ、誰も思いついてさえいません。実現されれば衝撃の商品になるでしょう。
ネット販売も取り組んでいたので、
日商100万円を稼いで、大騒ぎした時もありました。

○ 社労士合同事務所の設立

他士業との合同事務所はあちこちありますが、社労士だけの合同事務所で運営を行っているのは、県内では私が初です。同様の挑戦をされている方も多少増えてきましたが、ビジネスモデルがある程度できているので、全体的に参加者も増え、従業員も増加し、規模が拡大しています。誰もやっていないことだからおもしろいのです。

■得意分野は?

事業再生

事業再生・リストラクチャリング・業務改善には知識と経験があります。
また社労士として行う面と、経営パートナーとして行うものがあり、財務会計から労働保険分野、営業分野、新規事業進出等多数のネットワークと知識・人脈で多様な企業に対して取り組んでいます。
医療・介護・福祉・製造・販売・サービス業等、様々な職種の方に提供しています。

□ 食品関連産業

元々は食品製造業の長男。そして食品問屋の社長と小売店舗の社長をしておりました。
食品関連産業。業務用・一般用、製造・卸・販売、SCM、ロジスティクス等まで現場作業から管理手法、システムに応じたマネジメントスタイル、多数の成功者・失敗者の事例を体感し事実上の経営経験があります。販売に関してもコンビニ等のフランチャイズビジネスや外食産業、チェーンストア、製造業、インターネット販売、ギフト販売等経験も知識もあります。
会社
を大きくするのも、縮小するのも、やってきました。知識だけでできるものではありません。

□ 事業承継

私は、社労士事務所の創業者であり、製造業・問屋業の元3代目。
創業者の思いは現在
も身に染みて理解してます。しかしそれを全く分からない・分かろうともしない後継者の考え方も分かります。しかもそれはどちらも正しい。
これは根本が違います。後継者が語らない本音が創業者とは違います。そして創業者はも語らない本音があります。
それはお互いが理解しなければいけませんし、創業者も後継者も雄弁でなければ、それを語れません。
また
、赤字企業と黒字企業では事業承継の方法は完全に違います。この違いを理解されている方は非常に少ないので、多くの方に知って欲しい部分です。同じ部分がほとんど無いぐらいに違います。

IT、技術開発関連

コードの開発技術が優れているわけではありませんし、そうししたスタッフがいるわけではありません。アセンブラやロボティクス言語やVBAができる程度のレベルです。
しかし機械技術、システム開発、生産管理、販売管理、財務管理、導線管理、ロジスティクス等の知識は、技術担当の方とお話させて頂いても、概要と実務や成果に対するつながりは、理解できます。また、就労者や経営者に対して、分かりやすい説明に変換できます。
新規案件を行う時に、話が通じやすいので喜ばれてます。軽視されがちですが、本当はかなり結構重要な部分です。