姉妹ハビーバさんとのかけがえのない数々の思い出や、心に秘めた思いを、皆さまと共に語り合えたらすてきですね。
姉妹ハビーバさんを想いながら、彼女から私たちに伝えられた「アッラーへの愛」を、そして「アッラーに愛されることのすばらしさ」を、新しく入信なされた皆様に、お伝えできたらと思います。
アッラーが、新しく入信なさった方々に、イスラームを知るきっかけをお与えくださいますように。
みなさま、姉妹ハビーバさんとの思いで、彼女への思いをお寄せください。お待ちしております。
同時に情報も募集中です。どんな事でも結構です。ぜひ情報をお寄せください。
「どこどこで、いついつ見かけました。」という情報も大歓迎です。
ご情報、お写真、エピソードは、welove.allah@hotmail.com へお願いいたします。
あっさらーむあらいくむ
2012年8月14日
さばーです。
ハビーバさんには個人的にも私の所属する某団体的にも、「お世話になりました」なんて簡単に言えないほど、沢山のことをして頂きましたし、沢山の事を教わりました。
「ハビーバさん」といって思い出す事は、やはり何とも言えないあの飄々とした感じ。
見ていないようで周りの様子を把握して、あぁこの人1人でいるな、この人は知識を必要としている人だな、と思ったらするっと隣に座って声をかける姿を思い出すのですが…やはりいい意味でいつも力を抜いて飄々(ひょうひょう)としている感じが何ともいえない方でした。
以前私が団体の勉強会で講師をしていた時、ハビーバさんの持参されたファイルを拝見した事が。
そこにはその日に使うレジュメだけではなく、過去のレジュメもはさんであり、その日の勉強内容と関係なく、必要な人にその場で教えられるように常時持ち歩いていらっしゃったようです。
これに私はダーイャとしてのハビーバさんの真摯を改めて知りました。そしてこれを見習って私も基本的なイスラーム説明のコピーを持ち歩くようにしました。
癌の治療で電話によるタジュウィードレッスンが中止になった後、ある日突然お電話をもらい、レッスン再開しましょう、と言われた時は驚きました。
「最近調子がいい感じだからまた始めましょう…」って。今そんな状態ではないでしょう!?ダメですよ!!と私が慌てているのに。
全力投球しているのに何故か力みが全然ないハビーバさん。
そんなハビーバさんに甘えさせて頂いてばかりいました。
沢山のことを教わったのに、一番強く覚えているのは、子供のクラスでお話された事。
「何故私達は嘘をついてはいけないのか」
アッラーがそう命令されたから。
私達はムスリムで、ムスリムは嘘をついちゃいけないから。
そう思ってしまうのですが、ハビーバさんは
「ラーイラーハ イッラッラーフ、と言った同じ舌で嘘をついて、その舌を穢(けが)してはいけないから」
とおっしゃいました。
そのクラスに参加した子供達がその日のクラスの感想で殆どの子がそのお話を聞いてよかった、と答えていました。
とにかく大人は「嘘はダメ」「アッラーがそうおっしゃったのだから」「私達はムスリムだから」と諭すのですが、ここまで納得する説明は今まで無かったと思います。
大人の私にもとても衝撃的なお話でした。
ラーイラーハ イッラッラーを唱える舌を嘘で穢してはいけない…
私が来世で何処に行くか。
天国に行きたいけど、私のような人間が行けるかどうか…
でも、天国に行ったら「あ、さばーさんも来ていたの?」と、あの声でハビーバさんに声をかけてもらえるかも…と思うと、懐かしさで視界がぼやけるのと同時に、頑張って会わせてもらおう、と現世を頑張る気力が出てきます。
アッラーが彼女に満足されますように。
天国でまたお会いする事が出来ますように。
…勿論そうなるように頑張りますが。
わっさらーむあらいくむ
「 ここの人たちは、来世の準備のために生きているのですね。 」
シリア・ダマスカスのスーク(市場)にて byハビーバさん
私が、ダマスカスの学生寮の寮長に呼ばれて、寮長室に行ってみると、見知らぬ年配の女性がいた。
寮長が紹介してくれたその女性は、フランスのイスラーム団体から、学生たちを引率して来た先生で、寮長の古くからの友人だと言う。
寮長が、私を日本人だと紹介すると、彼女は、懐かしそうな目をして語りだした。
「私のところにも、日本人の女の子が改宗に来たことがあったわ・・
彼女が、初めてモスクに来たとき、私はいくつかのイスラームの本を渡して、読んでみるよう薦めたの。 数週間後に読み終わったらまた訪ねてくるかと思っていると、何と彼女はその2日後に私のところに来て、しかも、本はすべて読み終わっていたのよ!
そして、彼女は涙を流しながら、
『 もう、大丈夫です、私は見つけたんです!私は見つけたんです! 』
と言って、固い入信の決意をしていた・・」
スブハーナッラー、彼女の語る話で、その場にいたすべての人が感動して、アッラーを讃えていた。
フランスでも日本人女性がそんな風に真実に出会って、入信することがあるんだなぁ、と聞いていた私は、次の彼女の言葉に耳を疑った。
「そうして、私たちは、彼女のイスラーム名を・・・ハウラさんと名付けたの。」
もしかして・・という思いが脳裏をよぎった。
ハビーバさんが入信されたのはフランス留学中だった、と彼女の入信記で読んだ記憶がある。
そして、入信当時の彼女の名前は、そう、「ハウラ」だった。
でも、ハビーバさんの入信は、ざっと計算しても、20年以上前・・・
その女性に、「それは、随分前の話ですか?」と聞くと、彼女が「26年前になるかしら・・」と答えた。
間違いない、ハビーバさんだった。
彼女は、私がその「ハウラさん」を知っている事にとても驚き、「彼女は今どうしているの?」と尋ねた。
それはハビーバさんが亡くなった翌年だった。
生前のハビーバさんがどんなに日本のイスラームのためにご尽力されたか、ハビーバさんが、ムスリム新聞を作られたこと、たくさんの本を書かれたこと、今いる日本人ムスリマすべての先生であったこと、
短い生涯を最後までイスラームのために生きられたことを話すと、彼女はとても喜んだ。
そして、その場にいた、先生たちと共に、ハビーバさんの魂のためにクルアーンのファーティハ章を読んだ。それは、まるでハビーバさんの魂がダマスカスを訪れてくれたような時間だった。
2009年8月 あーみな
言葉の問題からか、金曜説教中もおしゃべりしていた女性達が殆どだったのだが、
彼女だけは違っていた
部屋の真ん中くらいで、独りで座り、ズィクルしていたようだった
そして上から下まで全身真っ黒のスタイル
黒いロングスカート、黒いシャツ、黒いヒジャーブ・・・
そしてマーシャーアッラー、背も高かったと記憶している。
「この人はいったい何人だろう?」とチラチラと見ていた私。
そして彼女の方も、私を「この人は新顔だ」と思っていたようで、
礼拝後、彼女の方から 色々話しかけてきてくれたのだった。
そこで初めて「タジュウィード」という言葉を教えてもらった。
ムスリム新聞の存在も教えてもらい、無料で送ってくれるということだったので、住所を彼女に渡した。
ハビーバさんとあの日出会い、色々な話をし、情報を得る事で、イスラームの勉強・勉強会参加の第一歩が踏み出されたのだと思う。
・・・さてさて、では奥さまの方は?というと・・・。実はお亡くなりになっていた・・ということを 先生とお会いした後に知りました。
恐らく、誰かが亡くなった時にいう言葉と祈りの言葉を探して言ったのも
この時が初めてだったと思います。
お会いしたかった・・・
心底そう思いました。
その後お会いしたムスリマの方たちからも、奥さまに影響を受けたことを話してくださる方に 出会い、その体験談や言葉や応対、どれをとっても、
祝福されていた方だったのだなぁ・・・・
と思い、私も文字からでもいい、その方に触れてみたい・・と思っていました。彼女の言葉などを通して、神さまにもっと近づきたい・・そんな心境でした。で・・・。届いたんです。中田香織さんから、本が・・・。ってかなりびびる表現ですが・・・。
実は中田先生がアフガンは行くために本の整理をしていると聞き、 「 さあらの勉強になる本があったらください!! 」とお願いしていたのです。 ( 相変わらず、ずーずーしい・・・すみません・・・ )
先生からは、「了解」とだけ返信がきましたが、お互いに、どんな本がいいとか、誰の本が読みたいとか・・・何もやりとりせずでした。
正直本が届くまでの間、ちょっぴり思いましたよ~~~。 超~むずかしい本がきたらどーしよーーー。 アラビア語の分厚い本とか・・・
私がその本を受け取った時は礼拝中でした。いつもなら、きっと無視したかもしれない、ピーンポーンですが、考えもせずに中断しそのまま玄関に出向いていました。宅急便か・・・。
うわ、礼拝しなおさなくちゃ・・・。
そう思ってふと差出人を見ると・・・。
差出人 中田香織
と印刷されてあるのが見えました。・・・