入信記ウンム・アーダム・阿部優子
光陰矢の如しと申しますが、早いもので、私が、1988年の5月に、オーストラリアのシドニーで、イスラームに入信してから、20年以上の歳月が流れ、私も四十を超えてしまいました。人生の半分近くをムスリムとして過ごしてきたと思うと、とても感慨深く、アッラーに感謝いたします。
何故かと聞かれても、理由はよくわかりませんが、子供の頃から、私は、唯一絶対の神様の存在を信じていました。小学生の頃には、テレビの「大草原の小さな家」というドラマの主人公達が、寝る前にベッドの横にひざまづいて、「天にましますわれらが神よ」と祈るのに感化されて、布団に横になってから眠りにつくまで、神様に祈っていたこともありました。
日本の宗教には、ほとんど思い入れがなくて、日本の宗教は、信仰というよりは、お金儲け、職業の一種のようにとらえていました。というのも、親戚のお葬式や法事の時に、いかにお金がかかるかという大人達の話を小耳にはさんでいたからです。良い戒名を得るため、お坊さんに緋の衣という衣装を着てもらうため、それだけのお金を払わなければならないなんて、それこそ、地獄の沙汰も金次第ではないかと思っていました。
又、母の実家に来ていたお坊さんはかなりお酒を飲む人で、私の父はお酒を飲まない人なので、子供ながらに、こんなただの酔っ払いが、そんなに偉い人なのだろうかと思ったりもしていました。父に、
「優子、時代が変わったんだよ。昔は、お坊さんといったら、お酒どころか、肉だって魚だって食べなかったし、結婚だってしなかったんだから」
と言われ、そんな時代が変わったで済まされる問題なのだろうかという疑問も持ちました。
神道には、あまり縁なく過ごしていたのですが、高校一年生の時に、生まれて初めて同級生と初詣に行きました。釧路の大晦日から元旦にかけての深夜は、とんでもなく寒かったのですが、非常に沢山の人が神社に来ているのに仰天しました。初めてのことで勝手がわからず、友人に、
「お賽銭っていくら払うの?」
と聞くと、
「いくらって決まってはいないけど、多いほどご利益があるからケチケチするのはよくない」
と言われ、私は
「そんなものは、全部神社のたぶらかしだ!このお賽銭が神社の収入源だから、神社に来て、お賽銭を払って、お願いしろ、お賽銭が多いほどあなたのためになりますよ、ご利益ありますよって言うんでしょ?本当の神様だったら、わざわざ神社に来なくても、家にいても、どこでも、お賽銭なしでただで願いを聞いてくれるはずだ!」
などとわめいて、大憤慨してしまいました。そして、わずかな小銭をちゃりんと投げ込み、お願いなんぞをする気持ちは消え失せ、隣にいる友人をふと見ると、長々と何かを祈っていて、後で聞いたらお賽銭もかなり出したと言うので、唖然としました。その友人とは、一緒に教会で英会話を習っていたので、彼女に、
「阿部ちゃんってキリスト教の方が好きでしょう。この前、英会話で、ゴッドはグレイトだとか言ってたもんね」
と言われました。(今、気がつきましたが、ゴッドはグレイト-神様は偉大である-は、イスラームのアッラーフアクバルと共通するものがあります)
それから、私が日本の習慣で絶対受け入れられなかったのが、火葬です。小学校に上がる前に、初めて火葬場に行き、死んだ人を火で焼くということに、大きな衝撃を受け、拒絶反応を示し、人を焼いた臭いに吐きそうになりながら、私は死んでも絶対にこんな風に焼かれたくないと、強く心に思いました。
前述のように、高校一年生の時に、ルーテル教会で、アメリカ人宣教師夫妻に英会話を習うようになりました。私は初級者クラスで奥さんに教えてもらっていました。その時間に、英語の聖書の簡単なところを少しずつ読まされました。そして、私が子供の頃から神様と思っていた御方は、この聖書に出てくる神様だったんだと思うようになりました。決して英語が堪能だったわけではなく、お経を聞いても、音の羅列でまったく意味は理解できませんが、それよりは、英語の聖書の方が、まだ理解できたのです。
でも、馬鹿な十代の娘だったので、それについて深刻に考えたりするよりは、楽しい高校生活を送ることが一番大事だったので、キリスト教徒になろうとか、日本語で聖書を読んでみようとか、そんなことは全く思いもしませんでした。
キリスト教の聖職者は結婚できないはずなのに、どうして、このご夫婦は結婚できたのだろうかなどと疑問に思ったりして、プロテスタントとカソリックの違いもわかっていなかったし、ルーテル教会で読んでいた聖書には、目鼻のついていないのっぺらぼうの線画ではありましたが、イラストが付いていたので、聖典にイラストが描いてあるなんて、なんと不謹慎な、などとも思っていました。
高校を卒業してから、札幌のドイツ系カソリックの女子短大に進学したので、学校で、聖書学、宗教学、聖書文学、などという科目が必須科目としてあり、それらを取らないと卒業できないので、強制的にキリスト教のことを勉強させられました。私は、神様のことも、イエス様のことも大好きだったのですが、現在のキリスト教は、知れば知るほど矛盾点や解けない疑問がありすぎて、理解できませんでした。
イエス様のせいではないけれど、キリスト教が、本来の彼の教えとはすっかり違うものになってしまって、イエス様、可哀想などと、同情を覚えたりもしました。ある時、宗教学の時間に、一人の同級生の女の子が、手を上げて、神父に質問しました。私達の世代はシラケ世代などとも呼ばれ、授業中に誰かが質問するなどということは皆無だったので、それはちょっと驚くべき出来事でした。彼女は、キリスト教を批判してやろうとかそういう態度ではなくて、純真に心から質問しているようでした。
いわく、「聖書を読んでいると、同じことについて場所が違うとまったく違うことが書いてあるのは何故ですか。」それに対して、神父は、へらへらと笑って、「いやあー、ほら、聖書は、古い本だから」と言ってのけたのです。私はその答えを聞いて、私がキリスト教徒になるのは、絶対無理だという結論に達しました。信じられない回答だったため、その神父の名前は今でも覚えています。
初詣には、その後二度と行きませんでしたが、一緒に初詣に行った友達とはその後も付き合いが続きました。一度、彼女の乗った飛行機が、悪天候のために着陸できない事態となりました。
「もう、機内は大パニック。私も、もう死ぬんだと思って、お母さん!お母さん!と泣きわめいていた。今でも毎晩、その悪夢にうなされる」
と言われました。私が、
「本当にお母さんって叫んだの?あんたのお母さんに何ができるっていうのよ?」
と言うと、彼女は、怪訝な顔で、
「じゃあなに、あんたは、お父さんって言うわけ?!」
と言います。私が、
「そういう時は、神様を呼ぶものだ」
と言うと、
「本当、キリスト教の学校出ましたって感じだよね」
と隠れキリシタン扱いされました。
さて、日本にいると、
「あなたの宗教は何ですか」
などと、質問されることはありませんが、海外では、よく聞かれました。そういう時私は、
「私は特定の宗教には入っていませんが、唯一絶対の神様はいると思っているので、無神論者ではありません。カソリックの学校に行ったので、一番わかる宗教はキリスト教ですが、キリスト教は知れば知るほど、何かが違うと思って、キリスト教徒にはなれませんでした」
と答えていました。それを聞いて、
「君は、ムスリムのようだ」
と言ったのが、十一年前に癌で亡くなった、前の夫です。私はイスラーム教のことは何も知らなかったので、
「ちょっとあなたは何を馬鹿なことを言っているの。あなた達は、アラーの神様とかいう神様を信じているんでしょう?私の信じている神様は、聖書に出てくる神様で、あんた達の神様とは違うのよ!」
と言いました。当時の私は、「アラーの神」というのは、イスラーム教徒だけがあがめる多神の一つで、日本の山の神とかそういうのと同じもので、偶像かなにかを拝んでいるんだろうくらいにしか思っていなかったのです。すると彼は、
「アラビア語の聖書に出てくる神様の名前は、アッラーだ。だから君の信じている神様はアッラーなのだ。アッラーというのは、アラビア語で、唯一絶対の全能の神様のことなのだ」
と言いました。私はアラブ人というのは、全員イスラーム教徒なんだと思っていたので、
「なんで、アラビア語の聖書なんてあるのよ?アラブ人って皆、イスラーム教徒でしょう」
と言いました。すると、
「エジプト、レバノン、シリア、パレスチナ、イラク、アラブ人だってキリスト教徒は沢山いる。だから、アラビア語の聖書があっても全然おかしくないのだ」
と言われました。
自分の無知をさらすようで恥ずかしいですが、そんなことは初耳だったので、私はなんだか頭がぐらぐらしてきました。それにはおかまいなく、彼は、
「キリスト教のどういうところが納得できなかったのかを教えてくれませんか」
と聞いてきたのので、私は、はっと我に返って、べらべらと疑問点を並べ立てました。
「三位一体というのは何だ?私には全く理解できない。
神様は一つでいいじゃないか。何で三つになるんだ。
神様がどんな姿をしているかは、誰にもわからないし、イエス様やマリア様だって本当はどんな顔だったかなんて、わからないのに、今のキリスト教は、ただの偶像崇拝者でしかない。
偶像は崇拝しないというプロテスタントの人だって、十字架崇拝者みたいなもんだ。
カソリックの人は、何で神父様に罪を告白して懺悔するんだろう。
赦すか赦さないか決めるのは神様だけで、神父に罪を赦す権限なんてないし、赦しを乞うなら、人間なんか通さずに、神様に直接乞えばいいじゃないか。
日本では、コメディアンが、テレビで笑いものにしているくらいだ。(俺たちひょうきん族の懺悔の部屋のこと)
イエス様は、私を崇拝せずに神のみを崇拝しなさいって言ってるのに、なんで今のキリスト教徒はイエス様を崇拝するんだろう。
そして、聖書は矛盾点ばかりだ。辻褄が合ってない。
こっちには、十字架の上でイエス様が 『私は全てをあなたにお任せします』とかなんとか言ったって書いてあるのに、あっちには、『神よ、あなたは今私をお見捨てになるのですね』と言ったとか書いてあるんだよ。なんでイエス様ともあろうお方が、そんなこと言うんだ。
私の短大の神父なんて、聖書は古い本だから仕方ないって笑ってたんだから。
どうしてそんな信憑性のない本を聖典だなどと信じられるのか。
それに、私は、イエス様が十字架の上で死んだなんて、絶対、信じられない。
あんなに神様に愛されていたお方なんだから、神様が絶対助けたはずだ!キリスト教は宗派が多すぎる。
もし、私がキリスト教徒になろうと思ったとしても、どこにいけばいいかわからなかっただろう。
宗派によって聖書も違うというのもおかしい。
私の学校のシスター達は、シスターだから結婚できないので、中には、結婚するために黒装束を脱いで普通の人となって、結婚した人もいた。それって変だ。どうして、普通に家庭を持ちながら信仰も持ち続けることができないのだ。などなどなど。」
すると、黙って聞いていた彼が、
「驚きだ。君は、本当に、ムスリムみたいだ」
と言うので、再度私は、
「私は、イスラーム教などとは全く何の関係もない!」
と強く否定しました。しかし、
「いいから、黙って僕の話をちょっと聞きなさい!」
と、今度は彼がイスラームの観点から話し始めました。
「イスラームは三位一体を否定する。神様は一つ、これが、イスラームの教えである。
イスラームは偶像崇拝を完全否定する。イスラームでは、赦しは直接神様に乞う。仲介者はいない。
君とアッラー、一対一である。
ムスリムは、預言者ムハンマド様を預言者として尊敬しているが、彼が神様とか、彼が神の子などとは信じていない。神として、崇拝するのはアッラーだけである。
クルアーンは、千四百年前から一字一句、全く変更はなく、矛盾点はない。クルアーンは、神の言葉であって、どこの誰が書いたんだか著者不明の聖書とは全然別物である。
ムスリムは、イエス様が十字架にかけられたなどという、おぞましいことは信じていない。
イエス様は、アッラーに助けられ天にあげられ、終末の時が近くなった時に、また天から降りてくる。
十字架にかけられたのは別人で、アッラーがその人物の見かけをイエス様のように変えられたので、皆がそう錯覚しただけなのだ。
イスラームにも、シーア派とスンニー派とかあるけど、キリスト教みたいに、私はこの教会所属とかいうのはない。たとえば、僕はスンニー派だけど、シーアのモスクで礼拝しても、問題はないし、シドニーでも、スンニー派のモスクにシーアの人達が来てお祈りしてる。
イスラームには、聖職者はいない。学問を究めた偉い学者さんだって、結婚して家庭を持っているし、学者さんだけが、一日五回お祈りするけど、一般人はしなくていいということはない。などなどなど。」
彼の言ったことは全て驚きだったのですが、その中でも、なんでイエス様の話が出てくるのか全くわかりませんでした。それで、
「なんで、イスラームにイエス様の話が出てくるんですか?!」
と質問すると、
「イエス様を預言者と信じていなければ、その人はムスリムではない。イエス様は神の子とか、神とかそういうことは信じてないけど、イエス様は父親なしで生まれてきたマリア様の息子で、普通の人間で、神の預言者だったのだ。僕らの預言者ムハンマド様がそう教えてくれて、そう信じるようにと言われたのだ」
と言われました。それは、衝撃的な答えでした。私は、イスラームが、ユダヤ教、キリスト教とつながった宗教だなどとは全く知らなかったからです。
「じゃあ、あれですか。あなたもアダムが人間の祖とか、ノアの箱舟とか、モーゼの出エジプトとか信じてるんですか?」
と尋ねると、
「もちろん。クルアーンに彼らのそういう逸話も出てくるし、他の預言者達のことも書いてある」
と言うではないですか。私はキリスト教徒ではありませんでしたが、最初に、これが私が子供の頃から信じていた神様に違いないと思ったのが、聖書に出てくる神様だったので、もし、イスラームがイエス様や、他の預言者を否定していたら、ムスリムになるのがもっと難しかったかもしれません。
「ところで、イスラームでは火葬なんですか」
と問うと、
「とんでもない!土葬!土葬!遺体を火で焼くなんて、遺体に対する冒涜だ!絶対禁止!!」
と言われました。それから、彼が、
「ムスリムになるためには、神様はただ一つ、ムハンマド様は神のみ使いであるという二つのことを証言すればいいんだが、君は、すでに一つは信じているから、半分は、すでにクリアされている。後は、ムハンマド様を預言者と認めればいいだけである。ところで君は、ムハンマド様について、何かを知っているか」
と聞いてきたので、
「何も知りません」
と答えました。すると、
「君は読書が大変好きなようだから、ムスリムになるとかならないとかいうのはおいといて、趣味の読書の一環として彼についての本を読んでみたらどうか」
と提案されたので、
「それは良いアイディアだ」
と答えました。その後、彼が、モスクから英語の本を借りてきてくれたので読んでみました。預言者様のことについて書いてある本に、
「彼は文盲だった」という一文があり、それを読んだ時、私は、この人は本当に預言者だったに違いないと直感的に思いました。
私は、理論的な人間ではないので、理由は説明できません。今なら、文盲者にクルアーンは作れないとかなんとか言えますが、その時はクルアーンも読んだことがなかったし、ただそう感じたのです。
イスラームについての本も読んでみて、非常に納得し、疑問点にも全て答えがあるので、心の中では、これは正しいに違いないと認めていましたが、いったん口に出してしまったら、後戻りできないというか、人に、あれをしろ、これをするな、などと命令されたりするのも嫌だなと思ったりして、口に出せずにいました。
そのくせラマダーンに断食してみたりもしたのですが。断食することがどれほど大変なことなのか、それとも、そんなに大変ではないのか知りたかったし、何故断食するのかも、自分でやってみれば少しは意味がわかるかなと思ったのです。
断食してみて思ったことは、食べなくても結構人間は平気なものなんだということと、食事前にアッラーの御名を唱えて食事を始め、食後はアッラーに感謝するというのが良く理解できました。どうして断食するのかなどという大問題の答えは得られませんでしたが、断食中にこんなことがありました。
ある日の夕方、鍋でご飯を炊いていた私は、もう炊けたかなと無意識に一口ご飯を食べてしまいました。無意識で食べたので、三十分くらいしてから、
「あ!しまった!断食してたのに、忘れてさっきご飯食べちゃった!」
と気が付きました。今日一日の努力は水の泡となったのだろうか、やり直ししないとだめなんだろうかと気になった私は、故・前夫に連絡しました。すると彼が、
「食べようと思って食べたわけじゃなくて、その後何も口にしていないなら、断食は無効とならない」
と自信を持って断言するので、
「それはあなたがそう思うというあなたの意見なんですか」
と聞くと、
「いいや、断食の法規定でそう決まっているのだ」
と言われ、イスラームって本当に全てに答えがあるよなあ、と感激しました。
しかし、当時の私のような不信仰者は、崇拝行為や善行をなす前に、まずは信仰を持つことが第一で、信仰なしで、断食などをしても本末転倒で意味がありません。
さて、そんな隠れムスリムな日々を送っていたある日のことです。
ある出来事があり、ムスリムになる決心をしました。当時のことを思い出すと、あんなこともあった、こんなこともあったと、色々と不思議なことなどもあったのですが、全部書くわけにもいかないので、はしょります。シドニーの中央駅の近くに、サリーヒルズモスクというモスクがあります。当時、インドネシア人のラティーフというおじさんが管理人のようなことをされていました。彼は温厚な人で、私が、普通の日本人の格好でモスクに行っても、にこにこと中に入れてくれました。
今思い返すと、あれでよかったのだろうか、と思わないこともないのですが、当時の私には良かったです。もし、強面の怖いおじさんに、
「そんな格好でモスクに来るな!何?お前、ムスリムじゃないのか?汚らわしい不信仰者め!帰った!帰った!」
なんて言われていたら、きっと落ち込んでいたと思います。女性セクションに行くと、「あなたはムスリムなの?」
と皆に聞かれ、
「イスラームに興味があって勉強中です」
と答えるのが常でした。
「アッラーが正しい道に導いてくれますように」
と見ず知らずの私のために、皆がアッラーにドゥアー(祈願)してくれたものです。
ボーンムスリムには、日本人の常識や感覚とは違いすぎて、どうしてこうなんだ、と思うことも時にはありますが、ラティーフおじさんといい彼女達といい、なんだかんだいっても彼らは寛容だと思います。几帳面な日本人と足して二で割ると、ちょうどいいのかもしれません。居心地が良かったので、図々しくも、そのモスクには、たまに遊びに行っては、皆が礼拝しているのを後ろで見学したりしていました。意味がわからないのは、お経と一緒でしたが、邪悪な印象しか持てなかったお経とは違って、モスクで聞く礼拝の呼びかけのアザーンや、クルアーンの響きは、なんと美しいんだろうと思って聞いていました。
その日、女性セクションには誰もいなくて、私が一人で、座っていると、小さな女の子が二人やって来ました。アメリカ人のブラックムスリムのお父さんと一緒にモスクに来たけど、お父さんは男性セクションに行ったということでした。そのうちに、スピーカーからアザーンが流れ、男性セクションのイマーム(礼拝を導く人)の声も聞こえてきましたが、私は、まだ、シャハーダ(イスラームの信仰告白証言)も言う前ですから、礼拝の仕方も知らないし、そのまま座ったままでいました。
女の子達もお姉ちゃんが五歳、妹が三歳くらいとまだ小さかったので、礼拝せずに、そのまま走り回ったり、私に抱きついたりして、遊んでいました。すると突然お姉ちゃんが私に、
「お姉さんは、ムスリムなの?」
と聞いてきました。もし、大人の人に聞かれていたら、きっと、私はいつものように、「イスラームに興味があって勉強中です」
と答えていたと思います。だって、大人の人に
「はい、私はムスリムです」
と答えたら、
「じゃあなんでそんな服装してるんですか?どうして礼拝しないんですか?礼拝しないのにどうしてモスクに来るんですか?」
などと質問されるでしょうから。でも、その時は、相手が子供だったので、ふっと「うん、そうだよ」と答えてしまったのです。すると彼女は、
「うーんとね、私も、ムスリムだよ」
と言って、にかーっと笑いました。私もにかーっと笑いました。そして、私は悟ったのです。
「そうだ、私はムスリムだ!」
と。そこで、故・前夫に、
「どうしたらムスリムになれるのか」
と尋ねると、
「シャワーをして体を清めてから、シャハーダを言いなさい」
とアラビア語の文句を教えてくれました。本当は、二人の証人が必要だったと後で知りましたが、その時は知らず、家で一人でマッカの方を向いて言いました。
さて、晴れてムスリムとなったので、故・前夫に、結婚しないかと言われました。イスラーム教徒の女性は、イスラーム教徒のの男性としか結婚できないので、私もイスラーム教徒の男性としか結婚できなくなったわけです。(イスラームでは未婚男女の交際は禁止なので皆結婚します)私は国外でイスラームに出会い、国外でムスリムとなったので、日本人のムスリムがいるとは知らず、自分が日本人初のムスリムなのではないかとすら思っていたほどだったので、北海道に帰ったら一生独身のままかもしれないと思って、かなり迷いましたが、親には事後報告で、彼と結婚することを一人で勝手に決めてしまいました。
結婚契約をして下さったシャイフ(師)が、
「もし彼女がまだ礼拝していないのなら、今あなたができることで一番良いことは、彼女に礼拝の仕方を教えることです」
と故・前夫に言ってくれたので、早速、礼拝の仕方を教えてもらい、紙に礼拝中に言う言葉をカタカナで書いて、その紙を手に持って見ながら、礼拝を始めました。シャハーダを言って三週間くらいだったかと思いますが、自分でも、礼拝していないことに、一日で五回、二日で十回と借金がかさんでいくような気持ちでいたので、見よう見まねではありましたが礼拝をするようになって、ほっとしました。
そして、外出する時は、スカーフを持参するようになりました。礼拝する時は、顔と手以外は覆う必要があるので、外出中に礼拝の時間を逃さず礼拝するためです。でも、こんなことをするより、家からスカーフをして出かける方がいいと思い、家を出る時からスカーフをするようになりました。
というわけで、最初に私がヒジャーブをし始めた理由は、あくまで礼拝のためで、見知らぬ男性から自分を覆うとか、そういう恥じらいの意識は当初はあまり持っていませんでした。でも、今となっては、友人宅で女ばかりでいても、頭を覆わずにいると、頭がスースーとあずましくない(北海道弁で、吾妻しいは「具合が良い」「すごく落ち着く」「居心地がいい」「快適」)ですし、夢の中でまで、自分が高校生で学生服を着ていても、ヒジャーブをしていたりします。
丁度その頃、あるオーストラリア人のムスリムが、どこからか、私のために日本語のイスラームの本を見つけてきてくれて、その本の後ろに書いてあった日本のイスラーム団体に、日本語訳のクルアーンを送ってくださいと手紙を書きました。
そして、送っていただき、初めてクルアーンを読みました。ずっしりと重く、厚いクルアーンを読んで、最初に思ったことは、随分ユダヤ人のことが書いてあるんだなあでした。
あれから二十年以上も過ぎたなんて、なんだか信じられません。こんな私が、今もムスリムでいられるのは、奇跡です。アッラーの御慈悲を感じます。
昨今の日本の悲惨な事件のニュースを耳にするたび、日本の人達がイスラームについて知っていたらな、と強く感じます。戦後、日本人は、焼け野原の貧乏生活からなんとか豊かに国を再興させようと、この世の暮らしをよりよくすることだけを追い求めて、それだけを生きる目的として、がむしゃらに働き続け、その結果世界第二位の経済大国となりました。
しかし、その目標を達成してしまった今、確たる信仰もない日本人には、心にぽっかりと開いたむなしい穴を埋めるものがありません。空腹だったおなかはふくれましたが、心が空っぽです。皆、何のために生まれて、何のために生きているのかもわからず、ただ惰性で、日々をやりすごしているだけのような気がします。
何が善で何が悪なのかの基準も曖昧となり、人々の道徳心や礼儀作法もなくなりつつあり、何でも、「時代が変わった」で済まし、皆、自分の欲望の声に従って、獣のように生きているだけです。
毎年三万人の人間が自殺をする国というのは、どう考えても異常です。人生は一度きりです。また、生まれ変わったりなんかしません。クルアーンの中で自殺は禁止されています。なおかつ、死んだら人生おしまいではないのです。
全くその逆で、この世の暮らしはほんの一時の戯れのようなもので、あの世こそ、永遠に続く真の暮らしなのです。この世は、来世で楽園に行くか、獄火に行くかの、試験の場所にしかすぎません。
ずるいことをして上手いことやった人が得をしたように見えても、正直者が損をしたように見えても、それでおしまいではありません。誰よりも、最も公平であられるアッラーは、正義を全うされ、審判の日に、全てを裁かれ清算されます。
歌の文句に、「誰かを愛するために僕らは生まれ、誰かに愛されながら僕らは生きてく」とか、「君を守るためそのために生まれてきた」などとありますが、ムスリムである私から言わせれば、そんなものは真っ赤な大嘘です。
その歌詞を替え歌するならば、私達人間は、「アッラーを愛するために生まれ、アッラーに愛されながら生きていく」のです。ムスリムは、はるか昔に、アッラーが全ての終末の日までに生まれてくる予定の魂を創造したと信じています。
クルアーンの7番目の章、高壁章の172節で、言われていますが、アッラーはその全ての魂を前に、
【我がお前たちの主ではないのか】
と問われました。すると、全ての魂は、
【はい、まことに、あなた様が、私達の主です】
と、答えました。
ですから、私達が、アッラーを信じることは、ごく当たり前のことなのです。日本には、善行をなして生きている善良な人々が沢山います。でも、アッラーを信じていないということが既に大罪なのです。自殺をしなくても、私達はいつか必ず遅かれ早かれ、絶対間違いなく死にます。今が楽しければそれでいいわけではないのです。手遅れになる前に、考えなければならないことがあるのです。
クルアーンの10番目の章、ユーヌス章の100節に、
【アッラーのお許しなしには誰も信じることはないのである】とあります。一人でも多くの方に、アッラーからの導きがありますよううにと、アッラーに祈る次第です。