移動に障害のある学生や研究者への合理的配慮と
基礎的環境整備

はじめに

大学に進学する障害学生の数が増加している。講義における支援についてはノウハウが確立しつつある一方、実験、実習の場面での支援は遅れており、理工系分野の科目において、障害のある人の参加は少ない。例えば、実験室の設備には立位・歩行を前提とした設計が用いられており、車椅子の利用者はこれらの多くを利用することができない。国連の人権条約では、障害のある人にも、他のすべての人と同じ教育や就労の機会を確保することが記載されているが、少なくとも大学の理工系教育の場面では、同じ機会が提供されているとは言えないのではないか。 

合理的配慮

障害のある人が障害のない人と同じように社会に参加するために、「合理的配慮」とよばれる支援の手段が用いられる。合理的配慮では、注目する職務や作業の「本質」を遂行するための、周辺的なことを支援者や道具の利用によって代替する。これは科学においても同様であるが、科学に求められる本質的な要件とは何かを考える必要がある。科学においては技術系専門職のような認定機関が存在しておらず、科学者が自身で行わなければならないことについて明確に示されていないことが多い。科学の「本質」はそれぞれの学問分野によっても異なり、また科学技術の発展に伴っても変わりうるであろう。例えば、新しい学説を提案すること、研究成果を発表すること、人類の役に立つ知識を生み出すことなどはいずれも科学の本質であるとされるかもしれない。また全米ポスドク協会では、博士研究員が有しているべき主要な能力として6つの要件を提案している(専門知識、研究能力、コミュニケーション、プロフェッショナリズム、管理能力、責任ある研究活動)1。カナダのオンタリオ大学協会の文書で、障害学生の教育の観点から、科学の本質について次のように記されている:「視覚や運動機能に障害をもつ学生は、『物理的に』実験を行う必要はないが、実験の精確な計測をアシスタントに指示できる技術的・科学的な知識をもっている必要がある/本質的なことは、実験を行うことではなく、知識やスキル、実験を観察するための指示を行うことである」2。科学の本質的な要件は、必ずしも人の運動機能が求められるものではなく、たとえ障害によって身体を動かすことができない場合でも、科学者になることができるといえる。

     科学の教育においても同様に、その講義や実験の本質的な要件は何か考える必要がある。科目の実験において本質的なことは、活動と通じて、教員が学生に学んでほしいことである。実験のデザインを理解したり、結果を解釈することが、その実験において求められるものである一方で、器具や装置を運んだり、実験の作業を代わりに行うことなどの作業は周辺的なことであり、合理的配慮の対象であると考えることができる。テクノロジーの発達により、今後も代替できること、合理的配慮の対象となることが増え、より多くの人が科学に参加できるようになることが期待される。

    実験室において車椅子利用者が作業する場合の困難は、自身の移動、物品の移動、リーチングの3種類に整理することができる。多くの場合、これらの困難は実験室に限らず、日常的な場面で経験されることでもある。

①自身の移動 まず、車椅子によって移動する能力に制限があらわれる。通路幅が狭い場合、あるいは他の人が作業する中で通過できるスペースが限られているときは異動することができない。日本の多くの大学では、実験室の面積が狭く、多くの学生が利用する状態では車椅子での移動が難しいことが想定される。また、ドアに敷居に段差がある場合は移動が難しくなる。人によるが、1, 2㎝程度が限界であろう。またクリーンルームや飼育室等、衛生上の理由で室内に別の部屋が設けられている場合でも、その区画に段差がある場合がある。また、車椅子の場合、開き戸の利用が難しく、さらに実験室では防爆のために重量のある扉が使われている場合も多く、車椅子での利用が難しくなっていることが多い。

②物品の移動 車椅子を利用する場合、物品の移動が難しい。食事を運ぶ場合などに、トレーを膝の上においては運ぶことはできるが、液体の毒劇物を運ぶ際には特に注意が必要である。また運ぶ量も立位の際に比べて少なくなる。

③リーチング 実験機器や道具は、立位でアクセスできる場所に配置されていることが多い。車椅子の場合、立位の場合と比べ、高さや姿勢の調整の範囲が限られるため、手の届く範囲(リーチ)は短くなる。例えば実験台の高さが車椅子には合わず、利用が難しいことがあるかもしれない。棚の引き出しは、高すぎるあるいは低すぎることによって使えないものがある。棚の奥行きが大きい場合、奥まで手が届かない場合もある。冷蔵庫やドラフトを利用する際にこの課題が生じる。また廃液の容器は床面に直接置いてあること場合、容器の移動や、蓋の開閉が難しくなる。またシャワー、洗眼器などの緊急用設備についても立位での利用が想定されていることが多く、利用が難しい。

     道具による対応ができる場合もあるが、課題のほとんどは支援者を配置することによっても解決することができる。実験の多くは室内の同じスペースで行えるものであるため、科目の本質的な作業については学生自身が取り組むことができる。車椅子の学生が作業する場所を定めて、本人は移動せず、代わりに支援者が物品の移動やリーチが必要な作業を行う。但し、実験のうち科目の本質的な機能を求める作業については合理的配慮の対象とならないため、支援者は実施する科目についての専門知識を持ち、何が科目の本質的要件であるかを理解するための知識があることが望ましい。過去に同じ科目を受講した学生は適任である。

     野外実習での事例として、地球科学分野の取り組みを紹介する。地球科学関連の団体からなるネットワークでは、障害に関わる合意声明として2015年に「Disability Consensus Statement」を発表している3。この宣言の加盟団体は、障害のある科学者の教育と就労の機会を促し、インクルージョンの障壁を減らすことに努めることとされており、障害者の参加を奨励すること、柔軟なカリキュラムを用意すること、障害者の能力を活かすことができるキャリアパスを整備することなどが記載されている。現在までに国内外の26団体が加盟をしている。この宣言の草案を作成したアメリカの非営利団体International Association for Geoscience Diversityでは、アクセシビリティを考慮したフィールドワークコースを開催しており、アクセシブルな開催地の検討や、テクノロジーの利用、移動時のバスの利用など、物理的なバリアの低減など多様な障害を考慮した、さまざまな手段が検討されている4 

基礎的環境整備

障害者の支援において、合理的配慮の基礎となる環境の整備のことを基礎的環境整備と呼ぶ。合理的配慮は個別の意思表明に応じた事後的な対応であるのに対し、基礎的環境整備は学生の意思表明を待たない事前的な対応である。障害者のための環境整備の取組は、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアなどで比較的よく推進されている。アメリカでは、障害当事者を構成員に含む司法省政府系機関のアクセス委員会が定めた障害をもつアメリカ人法(Americans with Disabilities Act, ADA)に基づき、これを実施するためのガイドラインとして具体的な規格を示している(ADA Accessible Guideline, ADAAG)。高等教育における実験室の設計においても、ADAに準拠した実験室のレイアウトが提案されている。ADAには障害者は、障害のない人と同じように施設・設備にアクセスできなければならないという記載があり(ADA 36.201, “No individual shall be discriminated against on the basis of disability in the full and equal enjoyment of the goods, services, facilities, privileges, advantages, or accommodations of any place of public accommodation”)、またADAのガイドラインであるADAAGには設備の5%は障害者が利用できるようにするという記載がある(ADA Accessibility Guidline Section 4.1.3、"Where there are individual work stations (e.g., laboratories, service counters, ticket booths), 5%, but not less than one, of each type of work station should be constructed so that an individual with disabilities can maneuver within the work stations"))。これらの文章は、障害学生の実験室活動の参加を支援する根拠となっている。アメリカの理化学機器メーカーでは、通常の製品に加えて、ADAの基準に準拠した製品が販売されている。州による固有の対応を定める事例もある。米国カリフォルニア州の州建築家局の基準(Division of the State Architect)では、K12の学校、コミュニティカレッジその他国の施設のアクセスや安全基準の認定を行っている。この基準では、カリフォルニア州の資金提供を受ける学校の新規の建築、改修において、すべての実験教室に障害者が使うことができる緊急用シャワーと洗眼器を設置することを義務づけている(ポリシー、PL 98-03)5,6
    アメリカ化学会、障害をもつ化学者委員会による資料「Accessibility in the Laboratory」では、ドアや通路の幅や配置、テーブルやドラフトの仕様、安全設備の配置など、ADAに基づいた実験室設備の規格が具体的に示されている7。ADAAGに記載のない実験室固有の備品については、労働安全衛生法(Occpational Safety and Health act, OSHA)、米国規格協会(American National Standards Institute, ANSI)などの内容を考慮して規格を提案している。例えばアメリカでの緊急用設備のアクセシビリティについて6、ADAAGでは、緊急用シャワー・洗眼器についてのアクセシブルな基準を定められていないが、不足している事項についてはANSIを参照している。同様にカナダのオンタリオ大学協議会からも、アクセシブルな実験室の検討項目詳細なリストが作成されている。こうした資料には、アクセシブルな実験室のデザインについて次のようなことが掲載されている。下肢障害のためのデザインとして、ドア・通路は車椅子が移動可能なスペースを考慮する、作業を行う実験テーブルは昇降が可能である、車椅子のアクセスのため設備の下部のクリアランスなどユーティリティへのアクセスが確保されること、緊急用設備について障害のある人が使えるようにすること、視覚による警報装置の設置が指摘されていることが多い7–9。また、視覚障害者に配慮したデザインの例として、壁や床と、装置のコントラストをつけて認識しやすくする、テーブルの天板の縁に隆起を取り付け、触覚によっても認識できるようにする、白杖で検知できない場所に突起物を設けないことなどが記載されている。視覚障害への対応として、種々の照明装置の配置や、アームをつけるなど、装置を可動式にすることなどの配慮の方法が記述されている。また発達障害では、光が強いストレスになることがある。設計段階での模型の作成など、照明のレベルを検討するプロセスが紹介されている。
    実際に構築されているアクセシブルな実験室の事例を紹介する。米国パデュー大学アクセシブルサイエンス研究所のブラッド・ドゥアストック(Bradley Duerstock)博士は自身も四肢麻痺の障害者で電動車椅子を使っている。生命科学分野におけるアクセシビリティの取り組みは他分野と比較して遅れているが、これは生命科学において要求されるハンズオンの技能はより複雑であるためと考えられる。博士は、障害者を含めてどのような人にも使える実験室を構築している10。車椅子で利用できる流し台、ドラフト、実験台や緊急用設備を備えている。動線を意図した設備を配置し、例えば研究室において使用頻度の高い、作業を行うベンチ(実験テーブル)・ドラフト・シンクが小さな三角形を描くように配置している(キッチンデザインの基本で、ワークトライアングルと呼ばれる)。こうした配置はキッチンやその他の職場環境で、人間工学的に優れていることが分かっている。
     米国ピッツバーグ大学健康リハビリテーション学科に所属するローリー・クーパー(Rory Cooper)博士は脊髄損傷を経験し、やはり車椅子を使用している。彼が主宰する人間工学研究室では、空間利用の効率性を高めるため、作業の関連性に応じて機器を近接して配置する方式を採用し、実験室内を移動距離を短くするようにしている(ワークセル)11。ワークセルは90年代に日本で生れた生産方式であり、工場などで多くの作業員を配置して、流れ作業で大量生産を行うライン生産方式に対し、1人または少数の作業員が製品を組み立てる方式をセル生産方式と呼ぶ。同じ作業員が複数の作業を担当するため、用いる装置を隣り合わせて「コ」の字型に囲むように配置した(細胞に見立て「セル」と呼ばれる)。こうした配置は、移動に制約のある車椅子の利用者に対して効果的である。例えば工具用の棚については、少しの力で扱える引き出しの中にラベル付きの容器を置き、そこに留め具や電子部品などの消耗品を収納している。多くの工具が無造作に収納されているような場合に備えて発泡素材による収納箱が使われている。レーザー加工した発泡素材で手工具を収納する型をつくり、いつも同じ場所に配置することで見つけやすいようにしている。雑然とした状態で探し出す作業がいらなくなる。把持機能の必要性を軽減ないしは不要にするために、工具、カード、ハンドル類を操作するカードホルダーを3Dプリンタ等で作成し利用している。

国内での取り組みに向けて

アクセシブルな実験室を普及させるために、海外の事例を参考にしつつ、国内での法令や文化に合うガイドラインを作成する必要がある。これらの基準を満たし、さらに障害者の利用が可能な整備を施した実験室を実際に構築することにより、モデルとして示すことも有用であると思われる。国内では2006年に「高齢者,障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律施行令」によって、バリアフリー化の最低限の基準として国土交通省から「利用円滑化基準」が定められており、大学などの特定建築物の増改築の際には、この基準への適合努力義務が生じる。また特別支援学校などの特別特定建築物においては、基準適合が義務化されている。通路、ドア、標識、車椅子の移動、突出物などアメリカにおける実験室のアクセス基準で参照されているADAAGの項目は、そのほとんどが円滑化基準においても記載がある。このため、アメリカ化学会に倣った、国内ガイドラインの作成も可能であると思われる。ガイドラインとして活用されていくためには、障害当事者、研究者に加えて、理化学機器のメーカーや建築関係者と対話する場が必要である。またアクセシビリティを備えた実験室環境の事例を作ることも有効であると考えている。 

参考文献

1.    National Postdoctoral Association. https://www.nationalpostdoc.org/.

2.   Sukhai, M. A. & Mohler, C. Creating a Culture of Accessibility in the Sciences. (Elsevier Publishing, 2016).

3.   American Geosciences Institute. Consensus Statement Regarding Access and Inclusion of Individuals Living with Disabilities in the Geosciences. American Geosciences Institute https://www.americangeosciences.org/community/disability-consensus-statement (2015).

4.   Marshall, A. & Atchison, C. IAGD Mammoth Cave & Corvette Museum Accessible Field Trip, Geological Society of America 2018. https://theiagd.org/2018/11/05/iagd-mammoth-cave-corvette-museum-accessible-field-trip-gsa-2018/.

5.   Nevada Technical Associates. Do Your Emergency Eyewashes and Showers Comply With ADA Regulatory Requirements? https://www.safety-video-bmsh.com/Do-Your-Emergency-Eyewashes-and-Showers-Comply-With-ADA-Regulatory-Requirements_b_24.html.

6.   Hayes, C. Handicapped accessible emergency showers & eyewashes. Industrial Safety & Hygiene News https://www.ishn.com/articles/86989-handicapped-accessible-emergency-showers-eyewashes (2007).

7.   Ellen Sweet, Wendy Strobel Gower, Carl E. Heltzel. Accessibility in the laboratory. (American Chemical Society, 2018).

8.   DO-IT, Washington University. Science Labs. https://www.washington.edu/doit/science-labs.

9.   Mahadeo Sukhai, C. M. Creating a Culture of Accessibility in the Sciences. (Academic Press, 2016).

10.  Lisa Hilliard, Phillip Dunston, James McGlothlin, Bradley S. Duerstock. Designing beyond the ADA-creating an accessible research laboratory for students and scientists with physical disabilities. RESNA ANNUAL CONFERENCE - 2013.

11.  Cooper, R., (翻訳) 並木重宏, 熊谷晋一郎, 畠中規. & 石濱裕規. 科学・技術・工学分野の実験室をアクセシブルにする方法:ピッツバーグ大学人間工学研究室の取り組み. リハビリテーション・エンジニアリング 34, 138–146 (2019).