障害学生の科学教育の支援について

スティーブン・ホーキング博士は車いすの天才科学者としてよく知られていますが,他にも障害をもつ科学者が大きな発見・発明を行ってきた歴史があります.総じて理工系分野の職業を選択する障害者の数は少なく,この原因として,大学や大学院教育にあるバリアの存在が指摘されています.この文章では外国の事例を中心に,障害学生の学習環境の現状と,バリアを除くための取り組みを書いています.

1. 理工系分野

英語では,「理系」と似たような意味でScience(科学),Technology(技術),Engineering(工学),Mathematics(数学)の頭文字をとった「STEM(ステム)」という言葉が使われています.このコンセプト自体は90年代にあらわれ,2003年ごろからSTEMという用語が使われるようになりました. STEM分野における人材の多様性は,国家の競争力を担保するために重要であるとの認識が高まっているようです.近い将来,STEM分野に関連した雇用が増加することが予測されています.需要の拡大は,供給のペースを上回っており,将来的な人材の不足につながります.オバマ政権では重要な政策課題としてSTEM教育を取り上げ,年間30億ドルの予算が投入されてきました.2012年のアメリカ大統領科学技術諮問委員会による報告書では,今後10年間で,STEM分野の労働力を100万人増員するという目標が提案されています(1)

 報告書では,STEM分野に携わる人材の多様性を拡大するという目標も掲げられています.多様性に富んだ集団は創造的であり,また課題解決能力に優れているといわれています.多様性を向上させるポイントとして,STEM分野への参加が少ないマイノリティの参加があげられます.人口の割合に比べて,科学技術分野の参加が少ない,女性,ヒスパニック・アフリカ系アメリカ人などのエスニシティ(民族性)に加えて,障害をもつ人の参加が注目されています.ここでは特に,障害をもつ学生の,STEM分野への参加を支援する取り組みについて紹介します.

2. 障害学生

アメリカでは全労働人口のうち,身体障害者は10.4%の割合を占めていますが,科学技術関連の職における労働人口は2.7%に留まっています.これは必ずしも,障害者が科学技術に関心がないという訳ではないようです.例えば,米国教育協議会による,障害をもつ大学の新入生を対象とした調査によって,科学分野の専攻に関心をもつ学生の割合は,障害をもっていない他の学生と変わらない割合であることが報告されています.このギャップは,科学分野に従事する人材の多様性の低下につながり,国にとって大きな損失であると捉えられています.

国立科学財団(National Science Foundation,以下NSF)は,科学技術を振興する目的で1950年に設立されたアメリカの政府機関で,さまざまな分野に対する支援を行っています.NSFは長くSTEM分野におけるマイノリティの参加拡大に取り組んできた歴史があります.NSFのレポートによると,学部ではSTEM分野における障害学生の占める割合は約11%ですが,大学院教育ではこの割合が大幅に減少し,博士号取得者では約1%となっています (2)(図1).このことから障害をもつ人がSTEM分野への参加する際のバリアは,高等教育のプロセスの中に存在し,この部分に介入することで,STEM分野への障害者の参加を促すことができると考えられています.実際に高校から大学への進学,就労にいたる変化のプロセスへの介入が効果的であるとするエビデンスが蓄積されています.

3. 実験室環境

障害をもつ人が他の人と同じように,教育・就労に参加するために行われる配慮のことを「合理的配慮」といいます(図2).障害者の教育に関する規則は,1973年に定められたリハビリテーション法の504条,障害をもつアメリカ人法(Americans with Disability Act,ADA)などによって定められています.教育機関は障害による差別をすることなく,教育における合理的配慮を適切に行うことが定められています.

 障害学生の支援においては,技術的な手段を用いて合理的配慮を提供する支援技術 (Assistive technology) が重要な役割を果たします.授業における合理的配慮の方法については充実してきており,例えば視覚障害をもつ学生への音声読み上げソフトウェアや点字ディスプレイ,聴覚障害や注意に障害をもつ学生への補聴システムやリアルタイム字幕など,さまざまな手段が利用されています(3)

 科学教育のバリアフリー化についてのガイドラインは,いくつかの団体により作成されていますが,アメリカ化学会による「障害学生への化学教育(Teaching Chemistry to Students with Disabilities)」はもっとも体系的な資料の一つです(4).アメリカ化学会は世界最大規模の学術団体で,障害者が化学を研究することや,科学分野のキャリア選択を妨げるバリアを取り除くための先駆的な取り組みをおこなってきました.「障害学生への化学教育」では,高等教育における障害学生のインクルージョンに関わる法制,合理的配慮,実験室のバリアフリー環境,実験に際して障害種別の工夫,安全衛生,障害学生のメンタリング,就労移行など,幅広い話題がまとめられています.

 

実験室のバリアフリー 障害をもつ人にとって,実験室の空間を使うことができるかどうかは重要なポイントになります.アメリカでは,アクセスボードという機関が,アメリカの法律(ADA)に準拠する具体的な規格を作成しています.アメリカ化学会の「障害学生への化学教育」のガイドラインでは,アクセスボードの文書に基づき,実験室のドアや通路の幅,壁の凹凸,備えておくべき安全装置の種類など,実験室のデザインに関わるさまざまな基準が示されています.

 自身も四肢麻痺の障害者である米国パデュー大学アクセシブルサイエンス研究所の研究者が,生命科学の実験室のバリアフリー化に取り組んでいます(5).例えば,実験室において押しボタンでシンプルに高さを調節できる作業ベンチ,十分なクリアランスをもち,車椅子でも使いやすいシンク・ドラフト(有害な化学物質をあつかう際の排気装置)などを取り入れたスペースを構築しています.車椅子で利用する際の動線を考慮し,研究室において使用頻度の高い,作業を行うベンチ(実験テーブル)・ドラフト・シンクが小さな三角形を描くように配置しています(キッチンの基本で,ワークトライアングルと呼ばれるそうです).また,見過ごされがちな緊急用シャワー・洗眼器のバリアフリー化についても対応され,障害をもつ学生が利用できるような環境が整備されています.

実験室の支援者 現在行われているもっとも有効な支援は,実験室における作業を支援する人員を配置することです.こうした支援の実施にはADAの下,身体的なスキルではなく,実験をデザインし解析を行うことが,科目の本質的な要件であるという考え方が背景にあります.

日常生活を支援する介助者と似たような役割で,車椅子を利用する学生のために器具を移動させたり,手が不自由な学生の代わりにフラスコの溶液を注いだり,視覚障害をもつ学生の代わりに実験を観察して結果を報告したりします.ポイントは,実験のデザイン・解釈は障害学生自身が行い,支援者は学生に指示された操作のみを行うという点です.教員や周囲のティーチングアシスタントは,支援者を介することなく,直接学生とコミュニケーションをしなければなりません.

支援者の配置は多くの大学で行われていますが,科目の専門的な内容や実験操作について,ある程度習熟している必要があり,この点が一般の介助者と異なります.こうした人材として,過去に同じ科目を受講した学生(先輩)が望ましいといわれています.支援者として採用された学生には給料が支払われます.支援者の募集の際には,利用する障害学生本人がじかに選考に関わる重要性も指摘されています.こうした合理的配慮を受ける場合には,大学の支援担当者に連絡し,教員・支援者・学生同士で相談を行い,定期的に議論をしていくことが重要になります.合理的配慮のルール,申請書類や,実験室支援者手配の募集の書類などは大学のホームページで公開されています.

車椅子のパイロット ノースカロライナ州のNPO法人「エイブルフライト」は大学と協力し,障害をもつ人を対象としたインクルーシブ航空教育プログラムを運営しています(6).障害者が,それぞれユニークな方法で飛行訓練に取り組むことで,自信と自立を高めていくことを行動指針として掲げています.

脊髄損傷の受講生に対しては,飛行機に乗り込む際の教官の補助にくわえて,機首の左右を操作するペダルの代わりにT字型のハンドルを取り付けること,車椅子で乗り込みやすいように,着陸装置(車輪)が後ろ側についているタイプの航空機を選択する,などの合理的配慮が行われました.訓練中には教官による指示を受けることが必要ですが,聴覚障害をもつ受講生の場合,一般的な航空機でよくみられるような,前後に配置された座席(タンデム配列)では,教官とのコミュニケーションが難しくなります.こうした受講者には,コックピットが並列座席になっている機種を使用しています.先まれつき両腕をもたない受講生に対しては,足を使って操作する特別なハンドルを使用し,3年間のトレーニングを経て,ライセンスを取得した事例があります(7).2018年までに,合計42人の障害者がスポーツパイロットライセンスを取得し,なかにはプロのパイロットになった卒業生もいるそうです.

4. ロールモデル

障害をもつ自分は何ができるのか,どこまでできるのか.自身と似た属性をもつ人のキャリアを知り,考えることができます.実験室における支援に加え,障害を持ち,STEM分野で活躍する人間との接触することの重要性が指摘されています.障害をもつ学生が,こうしたロールモデルとなる人物を交流する機会をつくる取り組みが多く行われています.

 ノースカロライナ自然科学博物館では,STEM分野のキャリアを目指す子どもを対象としたイベントを開催し,STEM分野で働くロールモデルとなる人物に出会う機会を提供しています(8).招待講演に加えて,障害をもちSTEM分野で活躍する人材のパネルディスカッションが行われ,発展するSTEM分野の見通し,高校から大学への移行,アカデミアで成功するためのスキルに加え,障害に関わるスティグマの克服法,どのように自身の強みを突き止め,育てていくことができるのかなどの話題について,議論が行われています.STEM就労のアドバイスに加え,学生にインスピレーションを与えて参加を励ます意味合いもあるようです.毎年の記録動画はホームページ上で公開されています.

 2016年には,全盲の科学者ジョシュ・ミ―リー氏 (Josh Miele)が招待講演を行いました.氏は研究員時代に際にインターンシップでNASAに勤めた際,情報や機器にアクセスする新しいデバイスやソフトウェアを独自に開発する必要があったという経験を語っています.障害を持つ人はそれぞれの困難を解決する必要性をもち,こうした課題に取り組む能力は,常に新しい課題に挑戦する STEM分野でも通じる,としています.障害と持つ人も障害をもたない人と同じことができるべきであるという信念の下,現在は視覚障害者のためのさまざまなツール開発に従事しているそうです(「障害をもつことが科学をあきらめる理由になってはならない」).

 2017年に講演したテンプル・グランディン氏(Temple Grandin)は高機能自閉症をもつ動物学者で,ユニークな畜産施設のデザインを考案し,現在広く用いられているそうです.自閉症独自の考え方が,さまざまな学問の課題解決に役に立つと語っています. 彼女のストーリーは映画にも描かれています(9) (「あらゆるマインドが必要とされている

 2018年に講演したキャロライン・ソロモン氏 (Caroline Solomon)は,幼少期の病気により聴覚障害をもっており,現在は生物学の教授として大学に勤めています.プレゼンテーションでは手話を使います.聴覚障害をもつ学生を対象としたサマースクールを開催するなどして,障害をもつ学生のロールモデルとなっています.また,聴覚障害をもつ人材のキャリアを支援するためのネットワークづくりを行い,科学技術の専門用語の手話データベースの構築も進めています(10)(「私にできるなら君にもできる」).

参考文献

(1) Olson S & Riordan DG (2012) Report to the President. Executive Office of the President. (大統領科学技術諮問会レポート,「STEM分野の学位取得者を100万人に」);千田有一 (2013) 米国における科学技術人材育成戦略―科学,技術,工学,数学 (STEM) 分野卒業生の 100 万人増員計画―. 科学技術政策研究所 科学技術動向研究センター.

(2) National Science Foundation (2015) Women, Minorities, and Persons with Disabilities in Science and Engineering Special Report; National Science Foundation (2010) National Center for Science and Engineering Statistics. Table 7-6: S&E Doctorate Recipients, by Field and DisabilityStatus.

(3) 近藤武夫. (2016). 大学における障害のある学生の ICT 利用. コンピュータ & エデュケーション, 40, 14-18.

(4) American Chemical Society (2015) Teaching Chemistry to Students with Disabilities: A Manual For High Schools, Colleges, and Graduate Programs. アメリカ化学会「障害学生のための化学教育」.

(5) Duerstock, B., & Shingledecker, C. (2014). From college to careers: fostering inclusion of persons with disabilities in STEM. American Association for the Advancement of Science; パデュー大学アクセシブルサイエンス研究所,Brad Duerstock氏, https://stemedhub.org/groups/iashub

(6) Major, W. L., Tinio, R. R., & Hubbard, S. M. (2018). Able Flight at Purdue University: Case Studies of Flight Training Strategies to Accommodate Student Pilots with Disabilities. The Collegiate Aviation Review International, 36(2).

(7) ジェシカ・コックス氏のホームページ:https://www.jessicacox.com/

(8) STEM Career Showcase for Students with Disabilities, https://naturalsciences.org/calendar/event/stem-career-showcase-2/

(9) 映画“Temple Grandin”公式サイト:https://www.hbo.com/movies/catalog.temple-grandin

(10) STEM用語手話データベース,ASL-STEM (American Sign Language – Science, Technology, Engineering, and Math),https://aslstem.cs.washington.edu/info/about

図1.理工系分野のキャリアと障害をもつ人の割合.

図2.合理的配慮の例.段差は車椅子ユーザ―のバリアになっているが(左),スロープを設置することで移動することができる(右).