より多くのひとに利用される児童文学館へ
コピーライター 田中有史
利用度合いの少なさ、その反面で運営に係るコスト負担を主な理由に、移転決定に踏みきった橋下知事。たしかに、正論だ。アクセスは悪い。地元住民以外の利用はあまり望めない立地。しかし、見ようによっては環境抜群だ。万博公園や民博などのまわりの施設と手をつないだ広報をなぜしないのか?それぞれ単独でひとをリピートさせるのは難しくても、束になってかかれば多くの集客を望めるスポットだ。「エキスポランド」、「鉄鋼館」とつぎつぎと歯抜けになっていくのは、もったいない。この場所が衰退していくのは、万博の思い出と価値を風化させてしまう。地元吹田市とも協力し、“観光資源”としての一体的な打ち出しを考えるべきだろう。それも、全国、アジアへ目を向けた大きな視点で考えるほど、面白いことができそうだ。
また、一方。ここ以外にも廃止が検討されている府立の「箱もの」すべてに言えることだが、利用されない理由の一番は、価値がないのではなく、存在が知られていないことだ。利用しないのではなく、利用してくれと言っていないのだ。「道州制」を主張されている知事になぜ、大阪府下の文化施設の「道州制的広報計画」の視点がないのだろう?単館では限られた予算でも、合わせれば、より広いエリアへ届くコミュニケーションも可能になるだろう。
つぎに、ここには「利用」という観点から見たときに、まったく異なる「利用法」で発想すべき“ふたつの図書群”がある。ひとつは知事のイメージにある「より多くの子どもたち」に見せてあげたい本だ。それは、言い換えると、もっと「閲覧、貸し出し」してあげたい本だ。それらにとっては、より多くの利用客が期待できる中央図書館への移転で状況は好転するだろう。
しかし、もうひとつの図書群、バックヤードにある貴重な図書たちはどうだろう?より多くのひとに利用されることで破損したり散逸したりはしないのだろうか?中央図書館では、どうやらこれらを隔離することなく、一般の図書と同様に扱うようだ。いずこの図書館でも本への落書きや切り抜きは痛ましいばかりだ。こちらの図書は見せない(貸し出さない)ことを前提に「利用法」を考えるべきではないのか。破損や散逸は、いちばん恐れるべき事態だ。
具体的には、破損・散逸の恐れを回避することと、いずれ中央図書館の収納能力に限界がくることを予見したうえで、バックヤードの図書は移動させない。その上で収集研究活動を継続していくことで、「アーカイブとしての資料的価値」を維持向上させていく。それをすることで、もうひとつの「利用法」が可能になる。名付けて、「見せない利用法」だ。
見せない利用法」としてはまず、版権の切れた図版類の商業的な利用の事業化ができると思う。夢かもしれないがたとえば、ユニクロが展開する「クールジャパン」のTシャツに採用されとしたら、まさに世界で注目されるだろう。広告ビジュアルや空間演出への利用、インテリアや家具デザイン、ファッションへの展開。文具やファッショングッズへの使用も面白いだろう。それらは、もちろん有料だ。「使用料」というカタチで使用期間や販売量に合わせて料金を設定することだ。
大阪が世界に誇る安藤忠雄さんや、喜多俊之さん、コシノヒロコさんが作品に使ってくれないだろうか?
また、ここが有する膨大なマンガやコミックは、いまや日本が世界に誇るコンテンツ産業である「MANGA(マンガ)」やアニメのアイデアソースであり、将来、これらをデジタルアーカイブ化することで、「輸出財」として世界に発信できる。課金システムをつくれば、世界が相手でも徴収は可能だろう。さらには、出版社とタイアップして「マンガやコミックの歴史」「キャラクター史」などのムック本の出版はどうだろう?版権切れの図書をデジタル化し、オンデマンド出版するのはどうだろう?グリコのような会社へ、パッケージデザインに使ってもらうよう売り込んではどうだろう?版権をクリアできるキャラクターをいかして、子ども用の商品企画を提案していってはどうだろう?
いままでなかった事業発想をすることで、コスト面でも維持運営へ貢献することが可能な資料なのだ。資料ではなく資源と呼ぶべき貴重図書の有効利用にこそ、この館のこれからの「利用法の本質」がある。
また、これらの貴重資料を大阪府下46大学コンソーシアムの共有資料と見れば、ものすごく稀少な教材であるはずだ。さまざまな専門の立場から、いろいろな研究を社会に役立てていけるはずだ。また、資料の社会的有効活用を学生と専門家が一緒に考えていくことで、大阪の活性化の一助となるだろう。
過日、3度目となる児童文学館のバックヤード見学に参加した。廃館を残念がっている場合ではない。知事が提唱する「より多くの人への利用」の本質を、
いまこそみんなが考えてみるべきではないか。そんな想いを強くした。
単に「閲覧」「貸し出し」だけが、図書の役目ではないと、思う。
そして、ここで申し上げた視点は、児童文学館のみにあらず、他の文化的施設すべてにあてはまることだ。“改革”“維新”すべきはまず、行政や財団という視点でしかものを見られていない、運営組織の中の人々の視点だ。
以上
あくまでも、私見ではあるが、大阪府立国際児童文学館の今後を考える、議論のきっかけになれば幸いである。