CRISPR/Cas9の登場でマウス受精卵への直接編集が可能になったことで、かつては唯一の方法であった、ES細胞を用いて相同組み換え(Homologous Recombination, HR)により個体に変異を導入する方法は必ずしも必要ではなくなった。しかしながら、ES細胞を用いれば比較的サイズの大きなノックインが可能であること(受精卵への直接導入法では大きなサイズの挿入はまだ効率が悪い)、さらに作製したES細胞は個体にすることなく継代・保存が可能であるので、発生致死となるような変異の保持も容易であり、致死変異保持株にさらにターゲッティングを行ってレスキューをかけることなども可能である。つまり、胚への直接ゲノム編集ではまだ出来ないことが可能であるためにその重要性はまだ消えていない。
目的変異を導入したES細胞を樹立した後にはマウス個体を作製することになるが、この際にいくつかの方法がある。胚盤胞へのES細胞直接インジェクション法は良く用いられる方法であり、ICRなどのホスト胚(体毛色白)にC57BL/6系統ES細胞(体毛色黒)をインジェクションすると、まだらの体毛色を示すキメラ胚が得られる。通常はここからさらに交配を行い、ES細胞由来の生殖細胞から変異系統を樹立する。この作業には1年近くの時間を要することから、変異導入マウスを用いた実験の律速段階となってしまうことが多い。そこでES細胞樹立と培養に工夫を凝らすことにより(フィーダーフリーでの3i培地培養)ES細胞の分化状態を厳密にコントロールし、さらに胚盤胞ではなく8細胞期〜桑実胚期にインジェクションを行うことで、胚体細胞のすべてがES細胞由来である「100%キメラマウス」が現在では迅速に得られるようになってきた。これにより交配なしでのマウスの表現型解析が可能になるためそのメリットは非常に大きい。
インジェクション法は洗練された技術を持つオペレーターが専用のインジェクション装置を用いて行う場合非常に良い結果をもたらすが、スキルを持つオペレーターが希少な人材であること、専用の装置・設備は大変高価であり誰でも買えるものではないことから、より簡便な方法としてアグリゲーションによるキメラ胚作製手法が確立されている。プラスチック培養シャーレの底に専用の針で小さなくぼみを作製し、そこに胚と適切なES細胞塊を接触させ静置して培養すると翌日にはES細胞を取り込んだ胚ができる。費用がかからず結果もインジェクションに遜色ない優れた方法であるが、くぼみの作製、胚とES細胞の配置、回収などはオペレーターのスキルに頼るため、再現性の良い結果を得るには技術の洗練が不可欠であり、また操作をロボットなどに置き換えることが難しい。特にいくつのES細胞を胚にアグリゲーションさせるかを定量的に制御することがこの方法では難しいため、ベストの条件を探索することも容易ではなく、仮にベストの条件をあるオペレーターが会得してもそれを他のオペレーターが簡単に再現することが出来ない。
こうした「匠の技」依存を解消し、誰でも容易に再現性高く100%キメラマウス作製が出来るようにするために、専用のマイクロデバイスを開発した。このデバイスは汎用の96穴プレートに準拠しており、マルチチャンネルピペット器具や、将来的に自動分注装置やセルソーターなどのロボット化に容易に対応できる。デバイスは丸底96プレートのウェルに嵌め込むようにデザインされており、上部は漏斗状で下部は内径300µmのキャピラリー形状となっている。培地を満たすと、キャピラリー下部開口端が極小のハンギングドロップになり、ここで胚とES細胞とが共培養されることでアグリゲーションが可能になる。急峻な漏斗形状のため導入したES細胞と胚は壁にとどまること無くすべて下部へ到達し、液面の曲面に沿って自然に集合する。導入するES細胞の数は濃度の調整により極めて容易に制御可能である。蒸発防止のためウェル内に培地を張りデバイス上部にはミネラルオイルを重層する。これでインキュベーターで一晩培養し、上部からチップで培地を押し出してウェルに回収すればアグリゲーションが完了する。プレートを遠心して回収することも可能である。プラスチック面と胚が接触しないハンギングドロップなので胚が貼り付いたりすることが無く、取り出しの際に繊細な胚を傷つける心配がないことも利点である。
Fig1
Fig2
デバイスが胚培養に適していることを確認するため、KSOM培地を満たしたデバイスに前核期胚を入れて2日間培養を行った。その結果胚は2日後には2細胞〜4細胞期へ成長し、少なくとも2日間の培養では胚の生存に問題が起きないことを確認した。
Fig3
実際に組換えES細胞(R26-H2B-EGFP/mCherry KIES)を用いてマウス個体作製の実験を行った。ES細胞は3i培地であるiSTEM培地(Cellartis、タカラバイオ)で樹立と維持を行っている。マウス胚はICRマウス8細胞期胚を用いている。デバイスにKSOMを少量満たし、ウェル毎に一つの透明帯除去胚を入れ、さらに懸濁したES細胞を注入した。ES細胞の数は各ウェル毎に60個、90個、150個、300個の条件を検討した。各ES細胞数条件毎に24個の8細胞期胚を用いた。一晩培養後、胚を回収したところ、20個(ES60細胞条件)、22個(ES90細胞条件)、24個(ES150細胞条件)、23個(ES300細胞条件)の胚をそれぞれ回収できた。これをレシピエントマウス(ICR)に子宮移植し帝王切開により産仔を得た。得られた産仔数は2匹(ES60細胞条件)、7匹(ES90細胞条件)、5匹(ES150細胞条件)、1匹(ES300細胞条件)であった。このうち体毛色から100%キメラマウスと判定できる物がそれぞれ1匹(ES60細胞条件)、6匹(ES90細胞条件)、5匹(ES150細胞条件)、1匹(ES300細胞条件)であった。なお、どの条件でも共培養したES細胞の一部が胚に取り込まれ、大多数は取り込まれず残っていることが確認できるため、この共培養は過剰数のES細胞で行っていることになる。
比較のため、同一培養のES細胞を用いたインジェクション法による個体作製も同時に行った。インジェクションは8細胞期胚に10個のES細胞を注入し、一晩培養後生存した合計87個の胚を移植に用いた。産子数は21匹で、このうち15匹が100%キメラマウスであった。この標準的な方法で全出産仔のうち71%の100%キメラマウスを得られたのに対して、マイクロデバイスを用いたアグリゲーション法では各条件で50%〜100%(全条件平均で87%)と勝るとも劣らない結果を得ることが出来た。
Fig4
作製したマウスが実際に生殖系列を介して次世代にES細胞由来のゲノムを伝えることを確認するため、体毛色から100%キメラマウスと判定したマウスを複数選びICRマウスと交配を行った。その結果、産まれたマウスはインジェクション法、マイクロデバイスアグリゲーション法ともすべてES細胞由来の体毛色となり、生殖系列への伝達が確認できた。
Fig5
以上の結果から、マイクロデバイスを用いたアグリゲーション法は極めて簡単な操作で8細胞期インジェクション法に勝るとも劣らない効率で100%キメラマウスを作製することが出来ることが示された。このデバイスを用いれば特別な練習をする必要なく誰でも簡単にES細胞由来の100%キメラマウス個体を大量に作製することが出来る。さらに96穴プレート使用であることから、ロボットによる実験操作が容易に可能であり、ハイスループットの実験系を容易に構築することが出来る。
従来からあるEmbryoid body作成用の比較的大きなデバイスとの比較も行った。まずEmbryoid body作成用ハンギングドロップ培養器は、形成されるドロップのサイズがはるかに大きく液面の曲率が低いためES細胞と胚がうまく集合しないと考えられ検討から除外した。V-底の96穴培養プレートでEmbryoid bodyが作製できることを確認できたため、市販のV-底の培養プレートでES細胞60個と一つの8細胞期胚を共培養して結果を比較した。24個の共培養を行い、一晩培養後に21個の胚を得て子宮移植を行った。その結果4匹の産仔を得たが、すべて体毛色は白あるいはまだら(低率キメラ)であった。このことから、底面の曲率の低い従来の大型の培養器ではES細胞と胚のアグリゲーションにより100%キメラマウスを作製することが困難であることが示され、今回作製したマイクロアグリゲーションデバイスによるマイクロハンギングドロップ環境が100%キメラマウス作製に極めて有効であることが示された。
出版論文:PLOS ONE (2018) 13(9): e0203056, DOI: 10.1371/journal.pone.0203056