アルバイト先で指摘されたのでふと考えてみました。
軽く「〜の方」の例文を書いてみました。
コンビニ、ファミリーレストラン、それに百貨店などでもよく耳にする言葉です。
婉曲表現することにより言葉を曖昧にし、丁寧に表す表現の手法です。
最近では、NHKでさえ「そろそろお時間のほうが・・・」などと使っています。
しかしこれは日本語の乱れであるという意見が大半です。
「ほう」というのはアルバイト以外の場面でもよく耳にします。 「ほう」は元々方向を指す場合や、2つのものを比較して一方を指す場合に用いられますが、 上記の例では特に方向を指しているわけでも比較をしているわけでもありませんので、「ほう」をつける必要はありません。 これが気になりだすと、かなりの人が「ほう」を多用していることに気づかされます。
http://sports.geocities.jp/keppa05/keppa/column/japanese.html
ではさきほどの例文を「〜の方」をなくして表記してみましょう。
上2つは必要ありませんね。これだけでも十分敬語として成り立ちます。むしろストレートに表現しているためわかりやすいです。
一方で3つ目は方角を表すために「〜の方」を使っています。ですからこれを使うと詐欺になります。
インターネットの検索エンジンで検索すると意外にもこの表現について疑問に思っている方が多く多くの文献がありました。
その中でも必ずといっていいほど出てくるのがこちらの文献です。
第 125 回日本言語学会大会(2002 年 11 月 4 日 東北学院大学)
飯田 朝子(中央大学)
この文献によりますと、上2つの例文の表現は「④話題のものをぼかして、その部面であることをいう語」に値します。
この表現についてこのように記されています。
はっきりと断定するよりも、あいまいにぼかした方が、丁寧で品よく感じるというのは、日本人に共通した感覚だ
ろう。とはいえ、「コーヒー」や「ご注文」といった、場所でないもの(「ほう」)を付けるのは、やはり違和感が
ある。「新・日本語の現場(6)『ほう』はぼかしの横綱?」
(2002 年 5月 20 日読売新聞夕刊)
「ほう」がないほうが曖昧さが消えるのですが、私たちは、つい使ってしまいます。何となくぼかした感じになっ
て、柔らかくなると思ってしまうのでしょう。
池上彰(2000: p.33)
現代は人と人の間に心理的クッションを置きたがる時代だ。よく言えば上品さ、ものやわらかさを心がけ、悪く言
えば取りすました、水くさい世の中である。そこで「ほう」を用いて事物の輪郭をことさらにぼかし、周縁のブレ
た事物像を作る日本的手法が次のように多 用され、氾濫している。<略>心理的なクッションを置くために「…の
ほう」は便利な語ではあるが、こうやたらに使われると耳にうるさく、また歯がゆさを誘発される。婉曲、ぼかし、
上品化も限度を考えたいところである。
芳賀綏・佐々木瑞枝・門倉正美(1996 p.240-41)
最近の放送で、「気温のほうは…」「時刻のほうは…」などのように、区別をするためではないのに「ほう」をつけ
た、ぼかした言い方が目立つ。「~とか」「~の部分」と同様、ぼかす表現には抵抗感を持つ人が多いので注意する。
NHK放送文化研究所(1992: p.145-46)
店員が接客に使う奇妙な言葉がある。気になるというか、嫌でたまらない。それは「~のほう」だ。<略>この「~
のほう」は、店員が客よりも下の立場にいるため、客に対して直接的表現をすると失礼になると考えて、少しぼか
して間接的にし、上品な感じや丁寧さを出すために使った商業敬語、バイト敬語だ。しかし、連発されると、気持
ちが悪い。全く不要の言葉だ。
米川明彦 (2002 年 3月 18 日読売新聞大阪版)
などと否定的な意見が多いものの、つい使ってしまう便利な言葉と評されています。
では私達はどのようにこの言葉を使えばいいのでしょうか。
私はこう考えます。
丁寧な表現、また便利な表現であるということには違いないが、出来るかぎり連発しないべきである。
※コンビニやファミレス、ファーストフード店の接客マニュアルに書いてある場合は会社の方針として仕方がないとする。
一般的に広がっているのも事実です。私達の世代はこのような乱れた敬語の中で育ってきました。
そのため違和感を感じないのも事実です。だから使ってしまうのです。そうしているうちに言葉の乱れから言葉の変化になるのです。
この流れは自然なものであり、あくまで時代の流れとして受け入れるべきなのです。