献榊祭

令和6年4月14日献榊祭の案内

4月14日(日)献榊祭(えんむすび祭)

日本武尊のお手植えと伝わり、縁結びのご神木である「連理の榊」を称えるお祭りです。

今日の新型コロナウィルス感染症が懸念される状況であり献榊祭は下記の通り実施する事となりました。

<日程>

午前九時 催し事の開始 【中止行事:生花展】

午前十時 福引(午前の部)

午後一時 雌雄御榊・十二支巫女 【中止行事:山車・稚児行列】、福引(午後の部)

行列終了後引き続き 本殿祭

午後四時 催し事の終了

<催し事>

境内各所にて、「漬物即売」「みたらし」「ジュースなど販売」


<特別祈祷>

献榊祭当日は、えんむすびの特別祈祷を実施いたします。

受付時間は、午前9時から午後4時までの間です。(但し本殿祭斎行の間を除く)

ご祈祷料は、五千円・八千円・一万円のいづれかにてお申し込みください。

献榊祭(えんむすび祭)の由緒

毎年 4月第2日曜日 斎行

献榊祭(縁結び祭)は縁結びの霊徳と豊作を祈り称えたお祭りです。

当社が鎮座する鎮守の森は、昔より「阿波手の杜(あわでのもり)」と呼ばれ歌枕として多くの詩歌が詠まれた所であります。

古伝によると名称の由緒は、

御由緒~日本武尊~

日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊吹山で戦傷され、当地にたどり着いたが、尊の傷は重く再び立つ事ができなくなるのではと直感され、久米(くめ)の八腹(やばら)(食事の世話をする者)を妻である宮簀姫(みやづひめ)のものに遣わされ後事を託された。姫は話を聞き取るものもとりあえず当地に向かったが、尊は伊勢に向かった後だった。姫は人目も憚らず悲嘆され、その悲しみの姿から、だれ云うとなく、この森を「不遇(あわで)の森」と云う様になったと伝わります。

又、尊は伊勢に向かうにあたり比女に逢うことが叶わず非常に残念がり、後の世に生れ来る者に再びこの悲しみなき様にと祈願を込め雌雄二本の榊をお手植され、後にこの二本の榊は地上二メートル程の所で連理(れんり)となりました。これが当社のご神木「連理の榊」です。

御由緒~陽成天皇~

平安時代の初め、五十七代陽成天皇はなかなかお后様をお迎えなされなかった為、朝廷では非常に心配され各国司に縁結びにまつわる珍品の献上方を布令し、尾張国よりこの連理の榊を献上(「三代実録」元慶(がんぎょう)元年(八七七)二月十四日)したとあります。ご神慮により、めでたく皇后をお迎えになられ、更に皇子様までお生まれになられました。以後、縁結びのご神木として広く崇敬を受けるようになったと伝わります。

この古事をしのび、献上する様を祭りとして今に伝えております。

このご神木は今は枯れて奉安殿にお祀りされています。

当時この榊の葉を借りて祈ると諸願は全て成就し特に良縁に結ばれたので、今もそのご霊徳が厚く信じられております。

御由緒~連理の白樫~

現在境内の南、池の淵の樫の木がまた連理となっています。折しも熱田神宮の例祭の日に発見され、縁結びのご神木としてお祀りしています。

平成26年6月5日当社宮司により新たに境内の南方阿波手池の畔にある白樫が、連理となる吉祥がございました。現在はこちらも縁結びのご神木としておまつりしています。

献榊祭の起源

毎年4月第2日曜日に斎行される献榊祭(縁結び祭)は縁結びの霊徳と豊作を祈り称えたお祭りです。

当社が鎮座する鎮守の森は、昔より「阿波手の杜(あわでのもり)」と呼ばれ歌枕として多くの詩歌が読まれた所であります。

名称の由緒は、古伝によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊吹山で戦傷され当地にたどり着いたが、傷は重く再び立つ事ができなくなるのではと直感され、久米の八腹(くめのやばら:食事の世話をする者)を妻である宮簀姫(みやずひめ)のものに遣わし後事を託された。

姫は話を聞き、取るものもとりあえず当地に向かったが日本武尊は伊勢に向かった後だった。姫は人目も憚らず悲嘆され、その悲しみの姿から、だれ云うとなく、この森を「不遇(あわで)の森」という様になったという。

また、日本武尊は伊勢に向かうにあたり姫に逢うことが叶わず非常に残念がり、後の世に生まれ来る者に再びこの悲しみなき様にと祈願を込め雌雄二本の榊をお手植され、後にこの2本の榊は地上2メートル程の所で連理となりこれが当社のご神木「連理の榊(れんりのさかき)」であります。

平安時代の初め、57代陽成天皇はなかなかお后様をお迎えなされなかった為、朝廷では非常に心配され各国司に縁結びにまつわる珍品の献上方を布令し、尾張国よりこの連理の榊を献上(「三代実録」元慶(がんぎょう)元年(877)2月14日)したとあります。ご神慮により、めでたく皇后をお迎えになられ、更に皇子様までお生まれになられたと云う。以後、縁結びのご神木として広く崇敬を受けるようになったと云う。

この古事をしのび、献上する様を献榊祭(縁結び祭)として今に伝えております。

このご神木も今は枯れてしまったが当時はこの榊の葉を借りて祈ると諸願は全て成就し特に良縁に結ばれると信じられております。


現在の献榊祭では、この連理の榊の御神木を称え、新たな雌雄の榊を献納しております。

この雌雄の榊は神社の厄年会により担がれ、町内の氏子をはじめとして木遣、子供神輿、十二支巫女、稚児達が盛大な行列をなして町内を廻り、神社へと献納されます。行列が本殿へ到着し、榊を献納して後、本殿にて大祭式を行い、縁結びの霊徳を称え、町内の平安と氏子の安寧を祈ります。献納した榊は植樹され境内の杜を育みます。

過去の献榊祭の様子