社報

阿波手の杜

お知らせ

当社社報の「阿波手の杜」より続物を抜粋してご紹介いたします。

暮らしの中の神がみ

暮らしの中の神がみその3

 さて、前回はご長寿の神様でした。このご長寿がエスカレートして極まった状態といいますと、、、はい、今回は不老不死です。

日本の神話の中で不老不死といいますと、ヤマトタケルノミコトの父親の景行天皇様が晩年不老不死の木の実「トキジクノカクノコノミ」の探索を命じた話があります。遠路はるばるこの実を入手した一行は急いで帰還を果たすものの、景行天皇さまは、到着を待たずに崩御なされてしまいます。せっかく不老不死の実が届いたにもかかわらず、嘆きのあまり誰もこれを食べることはありませんでした。ちなみにこの実、現在の橘の実のことでして、万葉集では「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」と生命力豊かな「常葉の木」として読まれています。万葉集といいますと、「若返りの水」っていう伝承も有るんです。

「(前略)月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも」と老いていくことを嘆くあまり、月夜見命の持つという「をち水」を取ってきて、あなたに捧げたいと詠まれています。満ち欠けを繰り返す月神は不老不死を司るものと考えられていたようですね。

月といえば、竹取物語も忘れてはなりません。かぐや姫が月に帰るとき、離れ離れになる帝に向けて手紙とともに渡したのが不老不死の霊薬でした。かぐや姫は帝に末永く生きてほしいと願いましたが、姫を失った帝は、「かぐや姫に合うことのないこの世で、不死の薬が一体何になろうか」といって、姫の住む月に最も近い山である富士山(不死の山)で焼くことを命じます。不死の妙薬を受け取ったものの、結局使うことはなかったわけです。

このように見ると、不老不死の伝説は確かに残っていはいるものの、実際にそれを使ったという実例はないんです。人は不老不死を望むもののようですが、生きる意味を見いだせない不老不死は不要なものなのかも知れませんね。

(阿波手の杜第84号より抜粋)

暮らしの中の神がみーその33

 前回までは美容と筋トレでしたので、すっかり健康になって長生きできてしまいそうですね。今回はご長寿の神様です。

 やはり長寿といえばまっさきに思い浮かぶのは、七福神の中の福禄寿さまと寿老人さまでしょう。長い頭と顎髭姿、いかにも長生きって感じですね。どちらも中国から伝わってこられた神さまです。日本の神さまですと、石長比売さまという強力な神さまがおみえです。この神さま、「例え雪が降っても風が吹いてもその生命は石の如く不動」っていう御神徳で、つまり永遠の命をつかさどる神さまなんです。

 でもね、容姿がそれほどでもなかったようでして…ある時、天照大神のお孫さんのニニギノミコトさまが、美の神木花咲耶比売さまに出会ったとき、あまりの美しさに一目惚れして求婚をするんです。で、父親の山の神大山津見神さまに相談すると、姉の石長比売も相応しいとして娘2人をお嫁さんに贈られるんですが、ニニギノミコトさまは、美しくないという理由で長寿の神石長比売さまを手放してしまったのです。なのでそれ以来、その子孫(=天皇さま)は命が永遠ではなく寿命ができてしまったというものです。とは言っても古代の天皇様のお歳を尋ねますと、初代神武天皇さまが百三十歳ぐらい。他にも百歳を超える天皇さまが数多くお見えですので、しっかりとご長寿でいらしたようです。現代でも昭和天皇さまはご長命でいらっしゃいましたし、上皇さまもご健康でいらっしゃるので、かならずしも「長寿の神さま恐るべし」ってほどではないのかもしれません。

 更に、長生きといえば武内宿禰さまも外せません。天皇を補佐する宰相として、景行天皇様~成務天皇~仲哀天皇~応神天皇~仁徳天皇と五代二百二十年あまりにもわたりお仕えされた神さまでして、お歳は三百六十歳にもなられたとのことです。驚くべき年齢ですが、それだけのご人徳(ご神徳)をお持ちだったということなのでしょう。

(阿波手の杜第83号より抜粋)

暮らしの中の神がみーその32

さて、美容に続いて今回は筋トレです。力自慢の神様です。まず、うでっぷしの強い神様といえば諏訪の建御名方神さまでしょう。勇猛で怪力を誇ってまして、千人がかりでないと動かせないような大岩多い和を、手先でポイポイっと軽々と持ち上げてしまうほどです。でもこの神様、剣の神で鹿島の建御雷之男神(経津主神の別名)さまに取っ組み合いを挑んだところ、どうやら相性が悪くて易々と投げ倒されてしまったことがあるんです。上には上がいるものです。

更に取っ組み合いといえば、相撲の神さまですね。それは、野見宿禰さまと当麻蹴速さまです。どちらも怪力自慢で名を馳せていたところ、第11代垂仁天皇さまのお召しで力比べをしました。これが初の天覧相撲となります。でもこの時は今と違い足技が主体だったようです。

そして忘れていけないのは、やはり天手力男神さまでしょう。この神様は、名前の通り「力」の神様です。ある時、天照大御神さまは天の岩戸を自分で閉めて引きこもってしまいます。どの神様にも開けられなくなってしまったとき、どんちゃん騒ぎをして不審に思わせ、大御神が岩戸を自分で少し開けて覗き見た瞬間、天手力男神さまの強い強い力でその手を取って外に引き出しました。それ以来、この神様は天照大神さまが二度と引きこもってしまわれないように、いまでも伊勢神宮でお傍にお鎮まりになられています。

でもよくよく考えてみますと、大御神様が自分で開け閉めして岩戸からは隙を突かない限り引き出せなかったわけですし、ちなみにあの暴れん坊の須佐之男神さまでさえ、天照大御神さまには手を出さなかった節があって、直接的な力勝負は避けてたみたいなんですね。

ということは、太陽の女神様としてやさしげなイメージの天照大御神様ですが、純粋に力の強さで比べると、どうやら最強ランキングのトップの座に君臨する肉体派の神様のようなんですね。

(阿波手の杜第82号より抜粋)

暮らしの中の神がみその3

新型感染症の終息に向け、みんなで努力しているそんな今、「おうち時間」の大切さが注目されているようです。中でも一番人気は「ヨガ」なんだそうで、美容と健康のためにダンスやストレッチなども好まれているようです。そこで今回は「美容の神さま」です

ダイエットやストレス解消のために体を動かすことは大切ですね。さて「ヨガ」といいますと、あの独特なポーズを思い起こしますが、もともとはインドが発祥の瞑想を中心とした宗教的な行動だったようです。インドの宗教っていいますとヒンドゥー教と仏教です。このヒンドゥー教には、水をつかざどる女神様がいまして、お名前を「サラスヴァティー」さまとおっしゃいます。これが仏教に取り込まれて漢訳されますと「弁才天」と呼ばれるようになります。更にこの女神さまが、巡り巡って日本に入ってきますと今度は「市杵島姫命」さまと同一視されることとなります。はい、この神様は世界遺産の宗像大社のご祭神の一柱で、いわゆる七福神の「弁天さん」のことですね。麗しき天女さまとされ、美容の神さま&芸能の神さま&財産の神さまとされます。インドが発祥のヨガをするなら、インドつながりの美容の神さまのことを知っておいて損はありません。せっかくのおうち時間でダイエットをするのなら、この神さまにあやかって、自分も天女になったような気持ちでストレス解消してみてはいかがでしょうか。

あとせっかくならダンスの神さまも知っておきましょう。ダンスの神様といえば、舞踊の神天宇受売命さまです。世の中が真っ暗闇に包まれたときに、持ち前のダンスを披露して周りの神さまを一斉に明るく笑わせ世界を救った神さまです。ちなみにこの天宇受売さまの「宇受」とは「髪飾り」のことで、お名前の意味は「天上界の髪飾りをした巫女」となります。最古のダンサーだった神さまは同時にファッションをリードする神さまでもあったんですね。さて続きは次回、今度は筋力のトレーニングに励んでみましょう。

阿波手の杜第81号より抜粋)

暮らしの中の神がみその3

新型コロナウイルス感染症の影響で各地に不安が広がっています。まだまだ余談を許さない状況が続きますが早期終息に向け努力してまいりましょう。今回は、災禍激動の時を支えた倭姫命さまです。倭姫命さまは第十一代垂仁天皇のお嬢様で、天照大神さまのためにふさわしい鎮座地を探して、大和の国から伊勢まで巡られた神さまです。

かつて地震や津波、噴火に飢饉に疫病と、災難という災難が一気に押し寄せた平安末から鎌倉時代。「末世」とも呼ばれ、人心は荒廃し、不安から来世に望みを委ねざるを得ないといった時代が有りました。そんな折、倭姫命さまの話された教えをまとめた『倭姫命世記』がに出ます。ここには「正直」と「清浄」とを教えの中心に据えた、激動を生き抜くための知恵とも言える内容が盛り込まれており、多くの人の心の助けとなりました。この『倭姫命世記を含め、「神道五部書」と呼ばれる五つの書物の教えは、後に「伊勢神道」として広まっていきます。その一端を紹介しますと(少し難しいですが…)、

黒心(きたなごころ)なくして、丹心(あかきこころ)をもちて、清く潔く斎り慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし右を右とし、左に帰り右に回る事も万事違う事なくして、大神に仕え奉る。元を元とし、本を本とする故なり。

神に仕える時には正直な心を徹底し、左にあるものを右に動かさず、左のものは左にあるがまま変えないこと。つまり、不自然なことを犯さないようにと説明したもので、「元(はじまり)」は始まりとして「本(本旨)」は本旨として、物事の本質を変えたり間違えたりするような不正な態度を戒めているものです。

現在のように、ひとたび世情が不安定になると、どうしても「元」と「本」とが曖昧になってしまいます。こんな不安な時こそ、最も大切な中心の部分が歪められぬよう、「正直」と「清浄」との徹底が求められるのではないでしょうか。

阿波手の杜第8号より抜粋)

暮らしの中の神がみーその2

新帝陛下の御即位をお喜び申し上げ、令和と定められた新しい御代が穏やかでありますことを心よりご祈念申し上げます。

さて、「令和」は「万葉集」の「時は初春の令い月の頃、外気は美しく、風邪は和らいで・・・」からで、英訳は「Beautiful Harmony」。素晴らしい調和を予見させる元号は、まさに前回の「言霊」と言えましょう。そして今回は言葉の神様パート2です。言霊とは違い「言挙げ」という言葉があります。神さまの意思や領分を超えた主張をしてしまうことをいいます。「古事記」では、倭健命が伊吹山の神さまを討ち取りに行く途中、現れた猪に向かって、「これは神ではなくその使者だ。この程度放っておいてかまわない!」と暴言を吐きます。しかしそれは伊吹山の神そのものだったため、神に対する暴言は神を冒涜する言挙げとなり、神の祟りから命を落とすことになってしまいます。

また「万葉集」には、「言霊」を詠った柿本人麻呂が「言挙げ」についても詠んでいて、「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国、然れども言挙げぞ我がする・・・」と、日本は言挙げしない国だが、私はすると言います。更に、神の加護で国が穏やかになるならば私は何度でも言挙げしよう(神の怒りに触れようとも)と続きます。人知を超えたことを主張するのは、神の領分であると慎まれていたようです。

神社の世界では、「神道は言挙げせず」とも言われます。言霊の大切さを良く心得て、神々の領分に触れぬよう、軽はずみな発言を為さぬよう、そして尊大な主張を避けるよう、そんな態度を大切にしてきました。皆さんでも自己主張の強い人は、自己の欲望や満身を主張する人などは敬遠しがちなのではないでしょうか。それは無意識にこの言挙げを避けていたからなのかもしれません。

ちなみに今、「この原稿を書き終えたら、今度こそ必ずご馳走を驕ってもらうぞ」と言挙げをしながら書いている私は、これが誇大な主張だとすると、私には災禍が訪れてしまうのでしょうか(泣)

(阿波手の杜第78より抜粋)

暮らしの中の神がみーその27

この連載もかれこれ十五年目。前回でやっと1日分の神様をご紹介できました。やはり日本人の幸せはいつでもどこでもどんなときにでも、多くの神さまに守られて暮らせることなんだと思います。

さて、今回は言葉の神さまです。まずは「一言主之大神」さまです。フルネームは「悪しき事なりとも一言、善き事なりとも一言、言い離つ神、葛城之一言主之大神」で、良い言葉を口にすれば良い未来が、悪い言葉だと逆に残念な事が起こってしまうといった言葉の呪力を表した神さまです。「言霊」って聞いたことありますか?こんな風に、発した言葉が現実になるという考えです。例えば『万葉集』を見ますと「敷島の大和の国は言霊の幸ふ国ぞ真幸くありこそ」(柿本人麻呂)という歌があります。これは旅立つ人への餞けの歌でして、「我が国は言霊が幸せをもたらす国です。だから私は貴方が無事であって欲しいからこそ「ご無事でいて下さい」と口に出して申し上げるのです。」という意味で、言葉に宿る祈りの力が詠まれています。

また、言葉の力といえば、祝詞を司る天児屋命さまも忘れてはなりません。更にその父神は興台産霊さまと言って、「興台」=「言言」で、言葉を生み出す霊力を持つ神さまです。更に更に事代主神さまも言葉の神さまですが、特に神さまの言葉を神さまに代わって伝えてくれる託宣の神さまです。ちなみには母神は神屋楯比売命さまと言って、楯のように堅牢な小屋の神という意味です。更にちなみに先の天児屋命さまは「小屋に籠もって祝詞を申し上げる神」という意味でして、どちらも「小屋」にまつわる神さまなんですね。つまり神さまに言葉を伝えるのも、神さまから言葉をいただくのも、小屋といった閉鎖的な空間が必要だということです。そう考えますと、神職さんが暗く小さな神殿の中で神さまに祝詞を奏上するのは本来の姿のような気がします。そしてもしかすると、神さまからの何かしらのお告げをいただいてしまうなんて覚悟もしておかないといけないのかもしれませんね。

(阿波手の杜第77号より抜粋)

暮らしの中の神がみーその22

前回は商談成功を上司に報告しました。このあとは親睦会です。でもその前に、身支度を整えるために一汗流しましょう。今回はお風呂の神さまです。

まずはお風呂にお湯を貯めましょう。水の神弥都波能売神さまと火の神迦具土神さまのお力を拝借します。ちなみに温泉の素って入れますか?温泉の神さまといえば大国主命さまと少彦名命さまです。少彦名命さまが病気になってしまった時に、大国主命さまが大分の別府温泉から愛媛の道後温泉まで海底に管を通して温泉を引き、病を癒したという神話から、そのように呼ばれています。

神さまだけでありません。古いお風呂や銭湯には「あかなめ」とか「あかねぶり」と呼ばれる妖怪もいます。人が寝静まった夜、湯船や風呂桶についた赤を長い舌で舐めるのだそうです。お風呂をいつも清潔にしておかないと、夜な夜な妖怪が現れるかもしれません。怖いですね~。

また、日本には季節湯という文化もあります。季節湯とは、平安時代に空海(弘法大師)が体を治すための薬湯として定めたのが始まりなのだそうです。空海は真言宗の開祖ですが、神社にも理解が深く、伊勢神宮に参拝した記録がある他、熱田神宮にも手植えの大楠があるんですね。

この季節湯は1月から順に松湯・大根湯・蓬(よもぎ)湯・桜湯・菖蒲(しょうぶ)湯・どくだみ湯・桃湯・薄荷はっか湯・菊湯・生姜(しょうが)湯・蜜柑(みかん)湯そして12月の柚子(ゆず)湯となっています。身近なものを用いて薬湯とするのは、季節を感じるだけでなく、季節に合わせた効能もあるそうです。ではすっきりしたところで次回は大宴会に突入です!

(阿波手の杜第7号より抜粋)

阿波手の杜の鳥たち

阿波手の杜の鳥たちーその18 ハシブトガラス嘴太烏

よく似たハシボソガラスよりも、やや大きく、くちばしが太く額が出っ張っている。「カァーカァー」とか「アーアー」などと澄んだ声で鳴く。なんでも食べる雑食性で、ゴミ箱をあさったり、魚や動物の死体なども食べる。人には嫌われ者だが、鳥の中では頭が良いとされている。

(阿波手の杜第84号より抜粋)

阿波手の杜の鳥たちーその17 コサギ(小鷺)

全身が白色のシラサギの中でも小型の鷺。

くちばしと足は黒いが、足指だけが黄色い。

夏になると、後頭部から二本の長い飾り羽根が出る。

河川や水田で、小魚、カエル、昆虫などを捕まえて食べる「ガォ」とか「ガァ」など喉から絞り出すような声で鳴く。

(阿波手の杜第83号より抜粋)

阿波手の杜の鳥たちーその16 カワラヒワ(河原鶸)

形や大きさはスズメに似るが、くちばしが太く、草や木の実を好んで食べる。ヒマワリが咲き終わる頃に、目ざとく見つけては種を食べに来る。「キリリ」とか「コロロ」などと鳴き、飛ぶと羽の黄色が目立ち美しい。

(阿波手の杜第82号より抜粋)

阿波手の杜の鳥たちーその15 ツグミ(鶫)

秋にシベリア方面から日本に渡来し、春には帰って行く。冬に聞こえていた声が夏には聞けなくなり「口をつぐむ」からこの名がついた。畑や公園など地上を飛び跳ねて、ミミズや虫、落ちた木の実などを食べる。「クイックィ」とか「キョッ、キョッ」などと鳴く。

(阿波手の杜第81号より抜粋)

阿波手の杜の鳥たちその14 カワセミ翡翠

コバルト色の背と、橙色の腹をしたその姿は「空飛ぶ宝石」とも言われる。水中にダイビングをして小魚を捕え飲み込む。「チィー」と鳴いて水面を一直線に飛ぶ」清流に棲む鳥だが、近年は環境に順応して、神社の池や五条川でも稀に見かける。

(阿波手の杜第8号より抜粋)

阿波手の杜の鳥たちーその1 ムクドリ椋鳥

秋から冬にかけて、夕方に大きな群れを作り守谷街路樹などに集団でねぐらを取る。「ギュルッ」「キュルル」などと鳴き、虫やきのみを主食としている。飛ぶと腰の白色が目立つ。

(阿波手の杜第78号より抜粋)

阿波手の杜の鳥たちーその11 ケリ(鳧)

「ケリリ」と鳴く声からこの名が付けられた。

田畑や河原に生息するチドリの仲間で、普段は保護色で目立たないが、飛ぶと黒と白の翼の模様が綺麗に見える。昆虫や蛙などを主食としている。

(阿波手の杜第77号より抜粋)

阿波手の杜の鳥たちーその モズ百舌鳥

いろいろな鳥の鳴きまねをするので、この名が付けられた。「はやにえ」はよく知られており、捕らえた昆虫や小動物を、木の枝などに挿して置く習性がある。初秋には「高鳴き」と呼ばれる鋭い声で、電線や木などの高い所に止まり鳴くが、この声を聞くと秋の訪れを感じる。

(阿波手の杜第7号より抜粋)

発刊歴

第83号ー令和4年4月1日

第82号ー令和3年8月1日

第81号ー令和3年4月1日

第80号ー令和2年8月1日

第79号ー令和2年4月1日

第78号ー令和元年8月1日

第71号ー平成28年4月1日