Zakkan.

この場は,'Zakkan',「雑感」として,私が日ごろ考えていること,気づいたことなどを書き留める場です.

20161231

やれやれ,自転車の後輪がパンクしました.

マウスに続き,今度は自転車のタイヤです.年末,ものがよく壊れます.

空気を補充しすぎようで,空気入れのノズルを外すと,通常であればシュッと空気が抜けるだけで済むはずです.

ところが,今回はシュッの後にシューーーと音を立てながら,後輪の接地部分は徐々に扁平に.

出先ではなく,自宅でのパンクは幸いでした.自転車屋は休業とのことで,修理は来年に持ち越しです.

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20161230

未明に,論文原稿のproofreading結果が納品されました.早速,論文をnew submission.

書きかけの論文の執筆を進めたいと思います.

マウスが故障しました.

ローラー部分の摩擦低下によりスクロールできません.

数か月以内に購入したばかりなので,劣化の速さに驚いています.

不適切な使い方をしていないはずです.

(20170109追記:故障したマウスを購入したのは20161120でした.)

メーカーが想定する平均摩耗時間はどの程度か.

一愛用者として,過去に使用してきた同一製品の摩耗時間よりも短いかと思われます.

分解してローラーの交換用パーツを分配販売すれば,まだまだ使用できるだけに,残念です.

まさに,製品の使用年数は極小値分布に従う典型かもしれません.

ガンベルの著者が手元にあるので,読んでみよう.

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20161229

終日,論文の執筆を進めました.

理論の構築をほぼ終えて,これから実証分析に着手します.

前者は文字通り論理的に得られたものであり,論理的な矛盾や演繹に問題がない限り,現実世界をそれなりに説明するはずです.

毎度,この段階で実感することは,ワクワクとドキドキの感覚です.

一発勝負で理論に現実を説明させることができれば万々歳.

ところが,経験に基づく限りでは,理論と現実の両睨みをする期間がしばらく継続するはずです.

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20161227

午後から手計算に着手.

ガリガリ計算を進め,ある程度きれいな形に帰着するも,

やっかいな定積分をどのように扱えばよいか,フリーズしてしまいました.

しばらく考えた末,手計算をあきらめ,数値積分をすることに.

定積分した結果は,とある一変数関数として扱うものの,

ほぼ一定(小数第4位以下で変化する程度)であることが判明.

数値積分しなくても,関数形からは一定値に収束することは推理できました.

その反面,どの程度の速度で収束するかは,数値計算してみないとよくわからない部分もあります.

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20161223

世間は祝日のなか,教養学部は授業日でした.

GIS演習の二回目が終わりました.

建物棟数密度を算出する例題を出しました.GISの操作法の復習も兼ねています.

糸魚川市における大規模火災に言及し,建物の疎密の感覚を養うようアドバイスしました.

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20161222

GIS演習の第1回を無事に終えました.

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20161216

学部二年生を対象に,「GISとは?」と題して講義をしました.

10時30分開始,あっという間に12時でした.

重要なことを連呼し続けました.

最後に参考文献(入門,標準,読み物)を紹介しました.

経験上,先生から授業で紹介して頂いた文献は,例外なく面白いです.

私もそうなれば幸いです.

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20161214

国際誌'Environment and Planning B'のサブタイトルが変わったようです.

旧:Planning and Design

新:Urban Analytics and City Science

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20161213

UCSBのProf. Church先生をお招きし,施設配置モデルについてご講演頂きました.

Maximum Coverage Location Problem (MCLP)について,

米国における消防署(fire stations)を事例に,

1970年代の地方行政の財政難の下で,如何に効率よく施設配置するか.

研究の背景と目的,手法,そして当時の主要な既往研究の紹介だけでなく,

当時の計算機環境の貧相さをわかりやすく解説して頂きました.

ムーアの法則に従うかのように,計算機環境は格段に向上しました.

もし,30年前であれば,働きながら実証研究することはできなかったでしょう.

laptopの計算能力に感謝です.

Church先生によるアルゴリズムの説明を聴いていたときに,残念ながら気づいてしまったこと.

私は離散空間を考えることに食わず嫌い的な苦手意識をもっているかもしれないということです.

どうも,連続空間を好んでいることを認めざるを得ませんでした.

後者の場合は微分積分の世界,分析と総合の世界です.

高校時代,数列や数え上げの類の問題には苦手意識といいますか,

面白さを見出せず,天下り的な,天からの声的な,天才の発想を求められているような感覚を抱いていました.

素直に解法を「暗記」すればよかったのかもしれませんが,私のプライドがそれを許しませんでした.

その一方で,後者の微分積分の世界は,天才肌の素質がなくても,それなりに経験を積めば,勝負できると思いました.

そもそも,このような「バカの壁」を設けてはいけません.

この点を認識できたことが,大きな収穫であったと思います.

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20161210

UTalkにて,話題提供をいたしました.

UTalkとは,カフェならではの自由な雰囲気で,研究者と参加者がコミュニケーションする場です.

参加者の皆様との議論,とても充実した時間を過ごすことができました.

このような機会を頂いたのは10月半ばでした.

かねてより,専門分野や研究成果のアウトリーチ活動をしたいと考えていました.

ところが,いざ機会を頂いてみると,何を話せばよいか,数日間悩みました.

10月下旬に,ホストの先生と事前の打ち合わせをしました.

レジュメを準備したのは打合せの一時間前.二つの内容を話題として想定していました.

この一時間は,私の研究内容を客観的に捉える絶好の機会となりました.

幸い,研究内容の重要性をホストの先生に理解して頂くことができました.

おかげさまで,打合せの場で,当日のテーマと内容は決定しました.

今後も,アウトリーチ活動をできればと思います.

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20161209

終日,分析,考察,そして執筆.

気づけば,コーヒー一杯で6時間も集中していました.

今後進めようとしている研究テーマについて,とある専門の方にお話しました.

その人曰く,とても重要な研究テーマではないかと.

就職直後の介護実習にて,深く考えさせられたことがあります.

いまの私のように,難なく自立歩行できるからこそ,気づかないことは多々あります.

都市空間にあまた存在する段差はその一例です.たかが数センチ,されど数センチ.

また,階段の上り下りを避けようとすると,都市空間は「不連続の連続」と化します.

垂直方向の移動はエレベータに限られますから,迂回を強いられます.

たまたま,こうした状況に直面する直前に,

稠密な通路網を仮定した二点間の距離分布モデルの論文を読んでいました.

このモデルでは,迂回をすることなく,直線距離や直交距離で二点間を移動すると仮定します.

正直なところ,先ほどまで理解していたはずの研究意義は,途端に理解不能になりました.

確かに,サイエンスとしては大いに知的好奇心を駆り立てられる研究テーマです.

その反面,リアリティーは全く感じられず,その社会的意義は何か,改めて考えざるを得ませんでした.

のど元過ぎれば・・・,という教訓があるように,

時間の経過に伴い,リアリティーよりも,理論的な美しさの魅力に圧倒されます.

都市平面が有する原初的な諸性質を追求する姿勢は一つの極みであるとすれば,

ピュアな都市平面にあらゆるものが盛り込まれた現実世界に愚直に対峙することも一つの極みです.

私のような研究者は,双方の視点を巧みにスイッチしなければなりません.

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20161208

論文の修正や授業の準備等に追われ,inputが疎かになっていました.

(この間,目ぼしいpapersはpublishされていなかったことも幸いでした.)

昨日から,数本のpapersを集中して読みました.

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20161207

ふと,脚本家である倉本聰さんの飼い犬を思い出しました.

以前,ドキュメンタリーを視聴していた際に,倉本聰さんが「ニシダー,ニシダー.」と叫んでいました.

何かと思ったら,飼い犬の名前でした.名前の由来は,西田ひかるさんのようです.

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20161206

研究室会議にて,学生さんの発表を聴いていたら,

芦原義信先生の「街並みと美学」の一節を思い出しました.

東京の地下鉄の路線名の改善案です.

たとえば,銀座線を「浅草・渋谷線」のように,路線の起終点で表記する方法です.

確かに,戦前のように,銀座線しかない時代であれば,現行の命名法は妥当であると思われます.

ところが,今日のように,東京の地下鉄網は複雑になってしまった場合,路線名を体系的に命名するのは至難です.

丸の内線は「池袋・荻窪線」,日比谷線は「北千住・中目黒線」,東西線は「西船橋・中野線」のように.

他方,道路網については,欧州の都市の道路網のように,道路に固有の名前を与えるべきであると提案されています.

ニューヨークのマンハッタンの場合,南北方向の通りはavenue,東西方向の通りはstreetです.

5th ave, 41st st.と記載すれば,両者の交叉点であることがわかります.

日本でも,たとえば京都の洛中のように,「四条河原町」は四条通と河原町通の交叉点であることがわかります.

通りの名称が固有に命名されれば,5th ave. 41st st. 7th ave.で経路を特定できます.

確かに,国土スケールでは,通りの名称を並べれば経路を特定できます.

国道16号,国道17号,国道18号と記載すれば,埼玉県上尾市と群馬県高崎市で右折と左折することがわかります.

他方,いわゆる生活道路まで含めますと,体系的な命名法は至難です.

パリのように,'Rue XXX'と命名し,交叉点の角の建築物の壁面にある'Rue XXX'と'Boulevard YYY'を確認しては,現在地を特定する.

こうした行為は,日本では行いません.タクシーの運転手をナビするときも,「マツキヨ向かいの丁字路を入って」という会話になります.

本書を読んで,日本の住居表示は世界的にも珍しいこともわかります.

欧州では,すべての道路は命名されていますから,通り沿いの建築物にナンバリングすることで,住居表示は定まります.

他方,日本では,道路で囲まれた街区を「番地」,街区の敷地割に応じて「号」という規則に基づいて住居表示されます.

欧州では,「通り沿い」がユニットであるのに対して,日本では,街区がユニットになります.

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20161205

筑波大学にて講演をしました.

修士課程の学生さんに,実務経験から研究の話題まで,お話をしました.

質疑応答では,学生さんだけでなく,教員の方からもコメントを頂戴しました.

当初,16時前につくば駅に着き,バスで移動する予定でした.

ところが,ペデストリアンデッキ(通称:ペデ)を歩きたくなり,天久保付近まで歩きました.

その後,バスに乗る予定でしたが,追越(おっこし)や平砂(ひらすな)の宿舎を見たくなりました.

どちらもリノベーションされていてキレイになった反面,ごみステーション周辺の様子は10年前のままでした^^;

結局,芸専(ゲーセン),大学会館,中央図書館まで歩きました.

三学エリア(今はなき教育組織である「第三学群」の名残)の校舎もリノベーションされており,

実習で使用した教室は新品同様に輝いて見えました.

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20161204

明日の講演資料を準備しました.

久々に博士論文の最終審査時に使用したpptファイルを開きました.

学位を取得してから間もなく2年です.初心を忘れずに日々精進いたします.

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20161203

未明に,super-expressで依頼したproofreadingが予定より一日早く納品されました.

早速,修正された内容等を確認し,論文修正稿のresubmissionを完了しました.

resubmissionの期限は12月7日.期限に間に合って一安心です.

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20161130

ネコ・パブリッシングの'Rail Magazine'が創刊400号とのこと.私とほぼ同い年の雑誌です.

かつては,実車と模型を扱う雑誌であったものの,1990年代半ばに後者は'Rail Magazine Models(通称RMM)'として分冊化.

近所の模型店にて,自作のモデルを飾ってもらっていた時期がありました.

模型店主催の作品コンテストに応募し,RMMに掲載されたこともあります.中学時代に雑誌デビューしました.

当時,カリスマのモデラ―が数人いました.

その一人の方からの,私の作品に対するコメントも掲載されています.

塗装の技術力は高いことと,既製品のパーツの使い方がもったいないということ.

前者は素直にうれしかったものの,後者は余計なお世話だと思いました.

後者は,具体的には,サッシが綺麗に印刷された窓ガラスの既製品を使用したことです.

窓のサッシに銀色の塗料で筆差しするのは超難易度が高い技の一つです.

うまくできたとしても,どうも見栄えが悪いことに悶々としていました.

そこで,量産品ならではの均一な仕上がりに目をつけて,既製品のパーツを使用しました.

確かに,もったいないパーツの使い方かもしれません.

窓ガラスを調達するために,中古のジャンク品を潰しましたから.

当時,本気でプロモデラーになることを考えていました.

若気の至りの発想です.

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20161128

目下取り組んでいる論文の修正を経て,

並行して進めている研究を前に進めることができそうです.

できれば,年内に論文の初稿を書き上げたいと思います.

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20161127

終日,論文の修正作業に専念しました.

5時間通しで作業に集中したのは数年ぶりかもしれません.

毎度のことながら,refereesからの建設的なコメントのおかげで,論文の内容はより改善されることを実感します.

また,新たな手法を検討する機会を得ました.

振り返ると,直近に発表した論文(2013年のCPIJ,2016年のCPIJ)では,

当時の私自身にとっては未知の確率統計手法を応用しています.

今回も新たな手法を二つも深くお勉強する機会に恵まれました.

同時に,ある手法の問題点を自力で見出すことができました.

自力で見出すことができたのは,とても重要なことであると思います.

教科書を読めば書いてあることでも,与えられて気づくのと,自ら気づくのでは雲泥の差です.

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20161124

久々に雑誌「鉄道ファン」の最新刊を立ち読みしました.特集は「国鉄時代の北海道特急」です.

約30年前,鉄道ジャーナルでも類似の特集を組んでいたことを思い出しました.

当時と今日で共通するのは,車輛の老朽化です.

当時,青函トンネルは竣工前であり,青函連絡船の全盛期でした.

北海道の特急列車は函館駅を中心に展開していました.

さらには,上野駅から青森駅への寝台列車は少なくとも10往復あったと思います.

そのうち,常磐線経由の「ゆうづる」は3往復だったかと.今日と比較すると,信じられません.

今日,JR北海道の特急列車は減便傾向にあります.

20年前,函館駅と札幌駅を結ぶ「北斗」の高速化を実現し,両駅間は最短2時間59分に.

振り子式気動車の開発,線路の改良等による成果です.

その後,札幌駅と釧路駅を結ぶ「おおぞら」の高速化も実現.

高速化前,両駅間の所要時間は最短4時間25分でした.

高速化により,所要時間は最短3時間40分台に短縮.

車輛の開発と線路の改良により,北海道の高速鉄道網は徐々に充実する傾向にありました.

その後,札幌駅と稚内駅を結ぶ「宗谷」などの急行列車も特急へ格上げされ,高速化も実現.

ところが,北海道の過酷な気象条件と長距離運行は車輛の疲労速度を高めていたようです.

周知のように,石勝線での火災事故をはじめ,列車の事故が頻発.

その後,安全重視により減速運転に舵を切ると,航空便や高速バスとの比較優位性は低下.

国鉄末期に導入した車輛を置き換える予算の目途も立たず,JR北海道は減便を選択しています.

約30年前の状況から,何らかの教訓と打開策を見出すことはできるのではないかと,

冒頭の雑誌を読みながら考えました.

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20161123

竹内啓先生は著書「偶然とは何か」において,イデアに言及されています.

算数や初等数学で扱う平面図形は,三角形(二等辺三角形,直角三角形,一般的な三角形),四角形(正方形,長方形,台形,菱形,平行四辺形,一般的な四角形),多角形,円です.興味深いことは,竹内先生が前掲の著書において,イデアの本質的な意味はこれらの平面図形であることに言及されていることです.ある意味で完全なもの,理想的なものです.

「ある意味」とは,我々がフリーハンドで描く「円」は,厳密には円ではありません.

laptop画面上に描画される「円」もまた,拡大すると無数の正方形の集合です.

初等数学で扱う平面幾何の問題を解く際に,紙面上に「円」を描きます.

我々は,この「円」を正円だと認識しているにすぎず,現実には歪な「円」です.

では,現実世界において,完全ゆえ非現実的なイデアの諸性質を探求すること,過去の偉人の発見を現在の我々が学ぶことにどのような意味があるのか.

竹内先生は,前掲の著書において,数学モデルとしての統計学を学ぶ意味を,イデアを学ぶ意味とのアナロジーから説明しようとしています.

現実世界では,たとえばヒトの身長のように,正規分布―山型の分布とも,ベルカーブとも呼ばれています.―に従うとされる現象は多々あります.

理論上の正規分布もある意味で完全なものです.前述の円の例のように,ヒトの身長は完全に正規分布に従うわけではなく,一定の差異が存在します.

差異が一定以下であれば,従うと認識しようとしているにすぎません.これこそ,統計的仮説検定の勘所かと思います.

前述の図形の話題に戻ると,理想と現実の隔たりは絶望的に大きいと実感する今日この頃です.

イデアとされる図形の集合とて,完全であるとも,理想であるとも認識しがたいのが本音です.

これらが現実を捉える際の規範的なものかと思うと,現実を捉えることは途方もなく困難な仕事であると思わざる得ません.

だからこそ,知的好奇心を大いに駆り立てられるわけですが.

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20161121

終日,統計学分野の国際誌に掲載されている論文を熟読.

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20161120

マウスが壊れました.

ローラー部分の摩擦抵抗がなくなったため,スクロールできなくなりました.前回も同様の理由で使用不能に.

分解修理を試みたいものの,ネジ類はなく,下手にカバーを外そうとすると,文字通り破壊しそうになります.

深夜に壊れたということは,これ以上仕事をするなということ,かもしれません.

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20161119

とある検定統計量について,もやもやと考え続けています.

文献を調べてみると,ドンピシャな論文を見つけました.

同時に,「あの概念」は「この場面」で本領発揮することを理解するとともに,

「あの概念」について復習する必要があることを自覚しました.

統計学では,こうしたことが多々あるように思われます.

教科書を読むだけでは,ある概念や手法の必要性を十分に理解することは難しいでしょう.

冒頭のようなもやもや感を抱くことではじめて,必要性を理解することができます.

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20161118

終日,論文の熟読,分析と考察.

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20161117

OHPの全盛期に,パワーポイントがプレゼンの道具として席巻する時代を描けたのだろうか.

もちろん,描けた人がいただけでなく,アイデアに先見の明を見出した投資家がいて,さらにイノベーションを世間が受け入れたからこそ,

今日のデファクト・スタンダードがあるわけです.

かくいうことを考える理由は,パワーポイントに代わるsomethingを描けるのかどうか,疑問に思うからです.

おそらく,TEDの延長上にあるのかと思います.

一つは,スクリーンという二次元からの解放であり,三次元空間にビジュアライズする時代が目前にあるのだろう.

僕が知らないだけで,すでに使いこなしている人がいるかもしれません.

スクリーンから解放されると,学校の教室やコンベンションセンターの会議室のような場は本質的な意味をなさなくなると思います.

古代ギリシャのアゴラのような場に回帰することも.それも,バーチャル・リアリティで.この技術自体は現存するものです.

連続的な変化というよりも,不連続な変化を予感しています.

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20161116

NHK総合で再放送されたドキュメンタリー「ブレイブ 勇敢なる者」を視聴しました.

今宵のブレイブは,気象学者の藤田哲也先生でした.

NHK公式の番組解説webサイト:http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92225/2225351/

オープニングは,イースタン航空66便がJFKに着陸する直前のアニメーションです.

事故当時は原因不明とされていたところ,藤田先生がダウンバースト説を発表.

当時,局所的に生じる下降気流については明らかにされていなかったようです.

藤田哲也先生は九州工業大学にて機械工学を専攻.その後,母校で物理学の助教授に就任.

1945年8月9日の長崎原爆投下のあと,現地で被害調査に従事されています.

興味深かったのは,藤田先生が見出したダウンバースト説と爆風のアナロジーです.

藤田先生が前述の航空機事故の現場調査をされた際に,周囲の破壊状況に着目したようです.

破壊状況が原爆投下直後の長崎でみた状況と類似することから,

上空からの強い下降気流が生じたのではないかと推測されたようです.

ダウンバースト説が受け入れられるまで10年を要したようです.

竜巻の規模を評価する国際的なスケールは「藤田スケール」と呼ばれています.

藤田先生は世界的な気象学者であったものの,生い立ちや研究者としての業績を知る機会はありませんでした.

渡米した経緯,どこで身に着けたのだろうかと感心してしまう英会話力,曲げない信念,尊敬いたします.

番組の構成も素晴らしかったと思います.

映像とアニメーションを組み合わせることで,効果的な演出がなされています.

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20161115

終日,分析と考察.

夜は,とある先生方との懇親会にて,様々なアドバイスを頂きました.

宿題を課せられましたので,提出(?)に向けて精進したいと思います.

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20161114

風邪気味のため,終日静養.

前日・前々日の学会にて発表を聴いた内容の復習を兼ねて,都市計画論文集に掲載された論文数本を熟読しました.

都市計画論文集no.3が手元に届くのは10月末です.その後,学会当日までに熟読して予習をできれば理想です.

現実には,自分自身の発表準備や目下の論文執筆等に追われ,さにあらず.

このため,学会直後が勝負なのかもしれません.

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20161113

都市計画学会@文京学院大学にて,終日発表を聴きました.

流行りの研究から,空間の本質を追求した基礎研究まで,とてもお勉強になりました.

とくに,後者については,研究内容そのものはもちろん,質疑応答の場面から多くを学びました.

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恩師の研究論文を事前に読んでから,恩師の発表の聴講に臨みました.

内容は,アクティビティとしての点分布パターンの類似性と空間尺度の関係を探索的に分析したものです.

興味深いのは,部分と全体の類似性を議論するために,確率密度関数と累積分布関数の関係に着目している点です.

両者の関数は,点の位置ベクトル(の集合)と空間尺度を表すパラメータで記述されます.

「空間尺度とは,平面上のある点から周りを見渡したときの地物の見え方である」という説明は新鮮でした.

なぜなら,点分布パターンを俯瞰的に捉えがちであるからです.

俯瞰的ではなく,平面上に立ったときの見え方に着目することで,空間尺度の違いを除けば,

従来の点分布パターン分析手法を統一できるという発想は,論文を読むだけではわからないかもしれません.

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領域間直線距離の積率近似理論に関する発表からも多くを学びました.

こちらも,事前に論文を読んでから,発表の聴講に臨みました.

都市工学的基本量とLEGOのアナロジーの説明を聴いて,論文を見通しよく理解するための指針を得ることができました.

発表の最後では,「若いうちに素朴な問題を発見しておこう.数十年後に解けるかもよ.」と,若手研究者を励ますアドバイスを頂きました.

というのも,冒頭の理論は,着想から27年目にして得られた成果とのことです.

数年考えては途方に暮れているようでは,まだまだ修行が足らないことを,諭されたような感覚でもあります.

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学会終了後,修理に出していた腕時計を受け取りました.

購入は2009年10月.パリで学会発表する前に,プレゼントしてもらった腕時計です.

その後,喜怒哀楽を共に過ごした大切な存在です.

2014年2月6日,出張で大阪を訪れた時,時計が止まりました.

ちょうど,大阪駅で列車に乗ろうとしたときだったと記憶しています.

不吉な予感がしたので,家族に電話をしました(汗.

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20161112

都市計画学会@東洋大学にて論文を発表しました.主題は「道路幅員の統計分布」です.

質疑応答では,フロアの先生方より建設的なコメントを頂戴いたしました.

来年の会場は北海道大学札幌キャンパスです.

2008年以来,9年ぶりかと思います.

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20161108

終日,分析と考察に加えて,週末の学会発表の準備.

発表前の数日間の余裕は重要なので,後者を優先して進めました.

分析と考察をinteractiveに行うことで,両者の深みが増すことを実感します.

できれば,修正原稿に反映させたいものの,紙面の制約があるため,悩ましいです.

都市計画との直接の関係は弱まるものの,空間が有する一つの性質として実証的に(できれば理論的に)追及してみたいです.

追及した結果として,都市空間の本質をえぐりだすことができれば本望です.

直感的には面白そうな研究ができそうである反面,できるかどうかは本人次第です.

背景と目的だけは書き進めたいと思います.

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20161107

仙台駅と金沢駅の交通需要は一定程度ありそうです.

大宮駅折り返しをすることで,東京駅と大宮駅間のボトルネックは解消するのでしょうか.

長期的に,大宮駅の新幹線ホームを増設し,大宮駅発着の列車の定期運行,その臨時版として今回のような列車を運行する案は現実味ありそうです.

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20161105

秋葉原にて夕食難民になりました.

22時を過ぎると,意外なことにラーメン屋はclosedになります.

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20161102

吉川洋,2016,人口と日本経済 長寿,イノベーション,経済成長,中公新書.読了.

pp.72-76において,本書のタイトルの一部をなす人口とイノベーションの関係が考察されています.

とくに,日本のように労働集約型の産業が卓越しない場合,実質GDP成長率と労働力人口成長率の差分である労働生産性(の伸び)が重要であり,

労働生産性の伸びは広義のイノベーション(技術革新だけでなく,資本集約による設備投資,ソフトな技術進歩)の成否に依存します.

この点は,著者が人口減少を過度に悲観的に捉えるべきでないとする主な論拠です.

また,pp.147-151において,「経済成長とは何か」という自問自答が展開されています.

GDPの計測,有用性,不完全性に関する説明は目から鱗です.

とくに,GDPは一年間にわれわれがつくり出すものやサービスの「価値」を価格で評価したものであり,

主観に基づく評価であるゆえ,経済は人間本位であると論じています(p.148).

需要の飽和を先送りするためには,絶えずイノベーションが必要なわけです.

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20161029

佐和隆光,2016、経済学のすすめ —人文知と批判精神の復権,岩波新書.読了.

著者のご専門は環境経済学であると思っていました.

おそらく,岩波新書として「地球温暖化を防ぐ」を上梓されているからかと思います.

ところが,若手の頃は計量経済学の分野で業績を残されていることを知りました.

一見すると,本書のタイトルは内容を反映していないように思われます.

冒頭では,文科大臣通知に対する批判から始まります.国立大学における文系学部不要論として物議を醸した通知です.

この顛末については,吉見俊哉,2016,「文系学部廃止」の衝撃,集英社新書においても,詳述されています.

著者は,今日の(とくに米国における)経済学が数学(や物理学?)の僕に成り下がっている状況を憂いています.

もともと,経済学は思想に基づくものであり,マルクスとケインズ,フリードマンとガルブレイスのように,

思想に依って立つ文献を批判的に読むことで,自分の思想を明確にする必要性を説いています.

ところが,日本の経済学部では,こうした思想を明確にすることなく,「制度化された経済学」が是とされています.

制度化された経済学とは,ミクロ・マクロ・経済の各経済学のように,数学のレベルに応じて初級から上級で構成される経済学のことです.

この点については,私も反省しています.

たとえば,筑波大学の社会工学類は,制度化された経済学を是としています.

英訳すると,Institute of Policy and Planning Scienceであり,計量的に政策を科学する研究集団です.

確かに,文字通りであり,数学が苦手であると,社工の経済専攻で生きていくのはしんどいような気もします.

学生時代に,教員から上述の文献を課題図書として提示された記憶はありません.

そもそも,言われて読むのではなく,自発的に読むべきという批判を受けそうです.

ところで,経済学は文系なのでしょうか.それとも理系なのでしょうか.こうした問いは愚問かもしれません.

日本の場合,かつての国立大学には教養学部が存在し,文系理系の違いに関らず,広範な知を身につける機会はありました.

理系の学生であっても,マルクスやケインズを読んでは,夜な夜な議論に耽っていたというが著者の回想として記述されています.

今日のように,上述の「制度化された経済学」を無批判で受け入れていればよい状況において,自発的に人文知を吸収する学生はどの程度いるのか.

冒頭で,著者が文系学部不要論に言及するのは,経済学は文系の一学問であるにも拘らず,

数学の僕に成り下がっているため,不要の本丸に位置づけられてしまうのではないかと懸念するからです.

タイトルの副題の意図はここにあると思います.

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櫻澤誠,2015,沖縄現代史 米国統治,本土復帰から「オール沖縄」まで,中公新書.読了.

沖縄に関する書籍を読んだのは初めての経験です.

私は高校時代に日本史を履修していないので,沖縄に関して学習した機会といえば.小・中学校の義務教育における社会科の時間です.

もともと,日本の近現代史には興味があり,戦後の高度経済成長期については,ある程度の理解をしているつもりでした.

ところが,沖縄の戦後史については,無知に等しい状態でした.

本書では,戦後沖縄ー米軍統治下の琉球政府時代,1972年本土復帰,そして今日に至るまでーについて,多面的な視点から論述されています.

とくに,政治の変遷過程について,保守派と革新派という二項対立を軸とした記述は目から鱗です.

その根底をなすのは軍用地問題と基地に依存しない自立経済という二項対立でもあります.

二項対立の構図も,時間の経過とともにゼロイチの議論から「軍用地縮小」という考え方に変化してきた経緯もわかりました.

上述の議論だけでも十分読みごたえはあると思います.

本書の特筆すべき点は,経済や観光振興に関する政策の変遷過程を織り交ぜている点かと思います.

政治の話題に少々飽きてきたところで,経済や観光振興の観点から同時代の変遷をさぐる筆致は目から鱗です.

最後に,このような書籍を1978年生まれの研究者が著した事実に驚くとともに,敬意を表したいと思います.

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20161027

古山正雄,2016,安藤忠雄 野獣の肖像,新潮社.読了.

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20161026

古山正雄先生の「野獣の肖像 安藤忠雄」を読み進めています.

私からすれば,都市解析の第一世代の先生が上梓された書籍を評するのは大変恐れ多いものの,読了後にどこかで書評できればと思います.

pp.85-89の「建築の全体性と細部の精度」における,安藤忠雄の建築のつくり方に関する古山先生の以下の考察から,いろいろ考えさえられます.以下,引用:

「学校での建築教育は,図面から入る.まずは平面図をつくりましょう,(中略)柱を建てて屋根をかけます,といった具合だ.

この方法は,各階ごとの平面を重ね合わせていく設計法である.これでは立体感覚が育たない.

安藤は,ねじや機械部品のような立体物を一気につくってしまう.

彼の強みと特色は,はじめから三次元の立体を生み出すことである.次にこれを施工するために図面化していくという方法は,安藤独自のものだ.」

引用終わり.この考察を読んだときに,プラモデルのキットを思い出さずにはいられませんでした.

プラモデルのキットは,金型にプラスチックのペレットを流し込むことで成型される.

とくに,航空機のプラモデルは,曲面状かつ歪な形状をもつものを適度に分節し,可能な限り平面に近いパーツで構成しようとしているように思われる.

それがままならないパーツは,レジンキャストやロストワックスによる三次元成型を選択することも.

上述の古山先生の考察における「はじめから三次元の立体があり,それを図面化する」という過程に近い.

私が小学6年生のとき,紫斑病で二か月間入院したことがある.

絶対安静を強いられたので,できることはベッド上での作業に限られた.幸い,手先はそれなりに器用なので,不要なはがきを使用して,ペーパークラフトのケガキに熱中した.

鉄道写真から採寸する過程は,まさに三次元のものから如何に二次元へ「次元下げ」するかである.

とくに,曲面状のものを「次元下げ」する方法に悩まされた.いま振り返れば,積分そのもの,微小要素に分割してその総合で再構成するという手法をとった.

ケガキを終えてから素組みをしてみると,見事に全体は歪んでいた.細部の粗さは全体の歪み(ゆがみ)となって露呈することを学んだ.

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20161020

ほぼ終日,論文の修正作業に集中.

査読結果が通知されてから約一か月間,文献のレビューに時間を充てました.

多くの文献をレビューしても,既往研究として言及するのは僅かです.

毎度苦労することは,満足して投稿したはずの原稿を修正することです.

もちろん,シビアな査読結果を想定して投稿しています.

いかにして査読コメントを咀嚼し,原稿を修正すればよいか.

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20161019

とある論文を読んでいるものの,なかなか読み終えることはできません.

理由を端的に言えば,面白くないからだと思います.

この「面白い」という知的興奮状態は,読み手の状態に依存します.

よくある状態は,いわゆる「有名な論文」を読んでも,その面白さ,すごさを共有できない状態.

原因は,読み手の基礎学力不足です.

では,基礎学力不足を解消するために,そうすればよいか.非常に難しい課題であると思います.

当面の目標として,「基礎」を少しでも面白いと思えるようになることでしょう.

たとえば,私の場合,統計学の面白さを共感できずに苦労しました.

2005年に,「統計学を拓いた異才たち(以下,「本書」と記す.)」という書籍を購入したものの,

当時は統計学の基礎の「キ」も身についておらず,本書の記載内容から知的興奮状態に達することはできませんでした.

その後,数理統計学の教科書を数冊読み耽っては,本書を斜め読みするようになりました.

そのうち,カール・ピアソンの栄光と斜陽,ウィルコクソンとノンパラメトリック検定の話など,

今日では一冊(数冊)の教科書にすんなりとまとめられている,数々の統計的手法や考え方について,

どのような背景のもとで,どのような紆余曲折を経て,学界に受け入れられたのか,共感をもって理解することができました.

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たとえるならば,教科書の説明は詳細地図そのものです.

東京都内から新潟市へ行くために,詳細地図を多数渡されても,広域的に理解することはできません.

まずは,広域図を見て,東京~高崎~三国峠~長岡~新潟という大まかなルートを俯瞰したいです.

東京から関東の外に行くには,たいてい地形的な難所があります.新潟へ行く場合は,三国峠や谷川連峰を如何に克服するか.

なぜ,三国峠や谷川連峰を克服しなければならないのか.詳細地図では動機づけとして乏しいです.

歴史が物語るように,上越(越後の上方の意ではなく,上野と越後の意です)越えは苦難の歴史でした.

今日では,谷川岳の直下を長大山岳トンネルが貫通し,難なく上越越えをすることはできます.

ところが,百年前はさにあらず.「信越本線」が「本線」であるように,東京市内から新潟市へ行くためには,

東京~高崎市~碓氷峠~長野市~直江津~柏崎~長岡~新潟市というルートが主流でした.

「新潟へ行きたい!」という目的は,日本海を渡って,「ロシアや西欧へ渡りたい」という大きな背景に基づくものかもしれません.

そのためには,高崎と長岡の間の難所を如何に克服するかを考え続けなければなりません.

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学術論文の背景と目的を十分に理解しなければ,その先の手法の説明を延々と追っかけても,

面白いと思うことは難しいと思われます.まれに,手法そのものに面白さを見出すこともありますが.

統計学も同様,その手法が発明された背景と現実的な目的に共感してはじめて,

その先の手法を理解しようとする動機がうまれるのではないでしょうか.

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20161018

公団住宅に関するお話を聴きました.

以下,印象に残っているお話を箇条書き:

1) 建築設計部隊と敷地計画部隊は別々であった.

2) 学部卒業後,一年目の10月には数百戸で構成される団地の敷地計画に従事していた.

3) 日照時間は居住性を表す総合指標.

ほかにも,興味深いお話を聞きました.ここには書けません.

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20161016

GIS学会@大崎での発表を無事に終えました.

今回は,セッションの司会を初めて務めました.

発表内容は,消防活動困難区域の定義を再考するものです.

現行の定義は,幅員6m以上の道路網から直線距離で140m以遠の区域です.

今回の発表では,距離の定義の違いに着目して,消防活動区域に含まれる「リスク」の差を確率論的に分析・考察しました.

質疑では,研究を進展させるための建設的なコメントを多数頂きました.

学会創設から四半世紀の節目,恩師と先輩の学会賞受賞と,懇親会の場は祝賀ムードでした.

来年の開催地は仙台市です.

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20161013

RADWINPS,2016,君の名は.,Universal Music.

先日に鑑賞した「君の名は.」の音楽も素晴らしいので,サントラを購入.

個人的には,ストリングス,ピアノ,エレクトロサウンズが融合した曲を高く評価しています.

たとえば,以下の曲です:

track12: 記憶を呼び起こす瀧

track17: 御神体へ再び

前者は1分40秒の作品,後者は2分21秒の作品です.

さて,ここ半月間ほど集中して取り組んでいた作業が一段落しました.

今後しばらくは,論文の修正作業に集中できると思うと,少しうれしいです.

ある論文の修正作業を経て,新たな研究課題を見出すこともあります.

どんな課題を見出すことができるか,とても楽しみです.

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20161009

映画「君の名は.」を鑑賞しました.新海誠氏による監督作品です.

ストーリ展開への言及は敢えて控えたいと思います.(面白かったです.)

本作品に限らず,新海氏の過去の作品で描かれる「東京」から,いろいろ考えさせられます.

そして,いつも帰着するのは,フジテレビドラマ「東京ラブストーリー」のオープニングです.

1990年代初頭の東京を映像として絶妙にとらえていると思います.

とくに,公衆電話に群がる人々の姿は,今日の東京にはない光景です.

「君の名は.」で描かれている東京もまた,いまの東京を絶妙にとらえていると思います.

どのシーンも一度ならずとも見たことがあるにも拘らず,妙に新鮮に思えるのはなぜか.

理由の一つは,視点場の違いであると思います.

たとえば,「新宿」であっても,視点場はほぼ無数にあります.

視点場をどのように設定し,どのようなアングルで風景を切り取るか.

両者に応じて,「新宿」は如何様にも化けるにも拘らず,「新宿」であることには何ら変わりません.

視点場とアングルに加えて,昼夜の違い,天候の違いを考慮すると,「新宿」のバリエーションは無限大です.

総武緩行線から中央快速線を窓越しに見るのも,「新宿」なのです.

このように,視点場が無数にあると手のつけようもありません.

この点,列車の車窓は,視点場とアングルを制約してくれます.

もう一つ,山岳地帯のワインディングを自動車で走行するとき,

「ここ!」というベストビューポイントに断続的に出会います.

自動車を路肩に停車させて,「ここ!」でベストビューを撮影しようとするも,

ベストビューでないことがしばしばあります.

この感覚は,アイデアを閃いてすぐに文字で記録しておかないと,後の祭りに陥るのとよく似ている感覚です.

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20161008

職場の室温設定で苦労しています.

今年の夏を振り返ると,総じて「寒かった」と思います.

空調の設定温度を確認すると,たいてい24℃から26℃.「寒い」わけです.

とくに困るのは朝です.

自宅から鉄道駅までは外気温.

列車に乗車すると「寒く」,下車すると「暑く」.

職場の最寄り駅からは炎天下を歩き,「寒い」職場へ.

つまり,気温の変化が激しいため,体調に悪影響を及ぼしているわけです.

個人的には,できるだけ空調の使用を控えるようにしています.

高温のときは,「寒く」ない適温の環境で仕事をするようにしています.

夏も終わり,いまは秋.気が付けば冬でしょう.

冬場の室温設定は夏場ほど困らないのかな.

むしろ,換気が重要であると思います.

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20161007

気づけば,前回から二週間が経過してしまいました.

9月24日の未明に風邪の初期症状があらわれたので,葛根湯を服用し終日静養しました.

翌日の他大学との合同ゼミを欠席するわけにはいかないので,気合で治しました.

ということで,9月25日は合同ゼミに出席したものの,体調は絶不調でした.

バファリンを服用することで,なんとか一日を終えることができました.

以降,体調はなかなか快復せず,苦労しています.

こういうときに限って,無理に焦ってしまいます.

現時点で,outputしなければならないものは少なくとも四つです.

マルチタスクをこなすことは人並みに慣れているはずであるものの,集中力は分散しがちです.

なかなか進捗しないため,締め切りの早いほうから優先して進めています.

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20160924

9月24日のラジオ深夜便にて,アコーディオニストであるcoba氏の「私のがむしゃら時代」を聴きました.長野県生まれ.高校三年生のときに中退し,イタリアへ留学.イタリアの音楽院を主席で卒業.母校で教師として欧州を舞台に活躍することが期待されたものの,古典ではなく,アコーディオンの新しい可能性を切り拓きたいとの思いから,恩師の誘いを断る.帰国するも,仕事のない状態が七年を経過しようとしたところ,音楽スタジオでアコーディオンの演奏をしていたら,周囲の一流アーティストの目に留まり,以降,仕事の依頼が増えていく.

話の展開が面白すぎて,眠気は醒めてしまいました.

都市計画分野の一専門家として興味深いのは,「音楽スタジオでアコーディオンの演奏をしていたら,周囲の一流アーティストの目に留まり,以降,仕事の依頼が増えていく」という一連の出来事です.まさに,都市の本質であると思います.都市経済学における「集積の経済」です.

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20160922

先日,つぎの書籍(中古)を注文し,昨日に手元に届きました.

森口繁一,1995,確率表現関数,東京大学出版会.

OR学会@山形大学にて,政策研究大学院大学の諸星穂積先生が,

「施設の必要数についての最大値の分布を使った考察」というテーマでご発表され,本書は参考文献の一冊です.

梗概を読み,発表を聴いていると,良い意味で新鮮さがありませんでした.

「良い意味」というのは,私の研究と根底で共通する部分があるためです.

諸星先生のご発表を大変興味深く拝聴した後,「確率表現関数」をgoogle検索したところ,

OR学会の機関紙「オペレーションズ・リサーチ」にて,書評されていました.

http://www.orsj.or.jp/~archive/pdf/bul/Vol.40_12_722.pdf

以下,書評から引用すると:

本書の表題である「確率表現関数」とは,(累積)分布関数の逆関数のことであり,著者の造語である.

1952年に著者がこの関数を利用した研究を学会発表されたとき,

座長であったTukey教授が提案された'representing function'の訳に,

誤解を避けるために「確率」の接頭語をつけられたものだそうである.

(中略)

確率表現関数を累積分布関数をいわばヨコから眺めたものに当たる.

もともと,順序統計量や極値を扱うとき,累積分布関数の逆関数が重要な役割を演ずることは,

よく知られていたことであるが,著者はその場合も含め,逆関数を正面から取り扱うことが,

多くの場合にいかに有効かを実に見事に示している.(引用終わり.)

Tukey教授とは,情報量の単位である'bit'の概念を提唱した偉大な学者です.

本書に出会い,私の問題意識を偉大な先人が過去に代弁してくれていることを知りました.

諸星先生の研究発表を拝聴しなければ,本書に出会うことは困難であったかもしれません.

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20160916

昨日に学会発表を無事に終え,本日は聴くことに徹しました.

発表時間は,質疑をいれて20分であるものの,

1)都市空間における基礎的な量,

2)都市(空間)の隠されている構造

を追求する研究者の姿勢から,多くを学びました.

日々意識することは,美しいものを見出したいという知的好奇心と,

美しさを保存しつつ現実世界へ適用したいという実学志向の葛藤です.

個人的には,後者から前者に接近することは非常に困難であると思います.

美しいものを見出すためには,道具が必要です.

ところが,その道具は必ずしも現実世界と直接関係するとも限りません.

一見すると関係ない道具の扱い方をお勉強し,身につける.

この行為は,実学志向と相反するものかと思います.

では,前者から後者に接近することは容易なのか.

逆ほどではないにせよ,容易ではないと思います.

美しさと現実の妥協点を見出すことではじめて,

美しさを最大限残しつつ,かつ,現実世界に応用可能なものを生み出せると思います.

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20160915

OR学会@山形での発表を無事に終えました.

2020東京オリンピック関係の特別セッションの裏番組でした.

特別セッション,聴きたかったです..

内容は,集計単位問題とグラフ理論の双方に関係するものです.

Kansky(1963)が提唱した'α index'と'γ index'を実市街地に町丁目スケールで応用しました.

α indexとは,平面グラフにおける閉路の多さを評価する指標です.

平面グラフと閉路は,それぞれ立体交差を除く道路網と街区のモデルです.

交差点数を所与とするとき,理論的に与えられる閉路の総数に対する実市街地の街区の総数の比です.

γ indexとは,平面グラフにおけるノードの連結性の強さを評価する指標です.

交差点数を所与とするとき,理論的に与えられるリンクの総数に対する実市街地の道路の本数の比です.

規範的な平面グラフとして,ツリー状,格子状,デルタ状の三つのパターンを考えます.

三つのパターンに対応するα indexとγ indexの水準値を理論的に算出することで,

任意の道路網を三つのパターンのいずれかに分類することができます.

発表の梗概は,一年後に公開されるはずです.

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20160909

国際誌へ投稿していた論文の査読結果が通知されました.major revisionです.

二人のrefereesのコメントは対照的です.

一人からは,軽微な修正をすれば掲載してよいというコメント.もう一人からは,様々な修正点を頂きました.

国際誌へは過去に一度掲載されています.

投稿した翌年度に就職し,6月末に査読結果が通知されました.

その後,半年間をかけて修正作業に取り組みました.

年末に職場の同期と箱根へ旅行した際も,大量の文献とlaptopを持参し,修正作業.

(同期のみなさん,大変失礼いたしました..)

2010年12月26日,査読結果が通知されてからちょうど半年後に,再投稿を済ませました.

修正作業を通じて,様々な文献を読む機会に恵まれ,新たな研究の発想を数多く得ました.

その一つは,2011年に都市計画論文集に掲載された論文です.

2010年12月31日に理論と分析と論文執筆をほぼ同時進行で着手し,2011年2月7日に初稿を書き上げました.

再投稿を済ませた論文がacceptされたのは,2011年3月14日でした.

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20160907

都市計画学会へ投稿していた論文が掲載されることになりました.

道路幅員の統計分布(確率密度関数)の理論モデルを構築し,推定精度を検証したものです.

研究のモチベーションは,都市計画や住環境の観点から道路網の整備水準を評価する際に,平均道路幅員という統計量に着目する意味です.

平均道路幅員とは,道路面積を道路延長で除したものです.道路延長が一定のとき,道路面積が大きいほど,平均道路幅員も大きくなります.

都市の計画論や住環境評価の場面で多用される一方で,平均道路幅員という統計量から何をどこまで知ることができるのか.

意外なことに,明らかにされていませんでした.

この研究は,2014年10月20日に,「線的施設の幅」というテーマで着手したものです.その後の一年間は大して進みませんでした.

平面上に分布する大小さまざまな幅をもつ帯の集合を,ありのままで扱うだけでは何もできません.

そこで,1)帯の集合を微小幅の短冊の集合としてとらえ,2)短冊群を幅の昇順に並べ替えることを考えました.

「区分求積法」の発想です.どんなに複雑なものでも,細かくして積み上げれば求積できます.

上述の操作を経て,確率変数の変数変換というオーソドックスな方法を応用しました.

この方法そのものは,数理統計学の標準的な教科書であれば記載されています.

ところが,実データに当てはめるとなると,一工夫では済まない工夫をしなければなりません.

具体的には,実データへの当てはめ精度を高めるために,次数の高い線形多項式を適用すると,その逆関数を陽に解くことは難しくなります.

つまり,1)データフィッティングと2)逆関数を陽に解くという両者は互いにトレード・オフの関係にあります.

こうした裏話を論文に書くことはできません.論文では,こうした「足場」は取り除かれてしまいます.

一研究者として興味深いのは,こうした「足場」であり,どのような紆余曲折を経て,建築物は竣工したのかに尽きます.

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20160905

一年ぶりに北信地方を訪れました.

一年前の状況は前回の雑感として記載したとおりです.

主な相違点として,1)かがやき号に乗車したこと,2)桃の成熟が例年になく早いことです.

東京駅から長野駅までの所要時間は僅か87分.

大宮駅を過ぎて弁当を食べ終わるころには軽井沢駅を通過していました.

長野駅から,レンタカーで須坂長野東I.C.方面へ走行.

途中,エムウェーブや長野五輪時の選手村として使用された県営住宅などの「五輪レガシー」を横目に見ながら,

先日の日経アーキテクチャーの「トランスフォーマー建築」に関する記事(※)を思い出しました.

※http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/bldcolumn/14/605109/080800018/

某温泉郷にある宿泊先の女将さんとの雑談から,昨今の事情を知ることができました.

女将さん曰く,外国人旅行客は増えているようです.素泊まりかつ一週間以上の滞在が多いようです.

こうした需要に応えようと,仕舞屋をドミトリー形式の宿泊施設として再開させた事例もあるようです.

食事などは,近隣のコンビニエンスストアーで購入して済ませる例もあるようで,

宿泊施設におけるサービスの広義のアウトソーシング化が進んでいる実態を知りました.

長期滞在は,外国人旅行客に限らず,日本人の需要もあるかと思います.

たとえば,都会の喧騒から離れて,田舎で読書に没頭する.普段とは異なる環境で,もの書きに没頭する.などなど.

日本人が外国へ旅行する場合も,ひたすた観光地巡りをするのではなく,

たとえば,パリのサンジェルマン・デ・プレ界隈のカフェで,気ままに読書をする.

某温泉郷では,1998年長野五輪時は,芸者が数十人いたようです.

志賀高原へのアクセス道路などの新設・改良工事の従事者を相手にしていたようです.

ところが,長野五輪が終わり,県政も大変革すると,土木事業は大幅に減少.芸者遊びもいまはむかし.

改めて,公共インフラ事業の裾野の広さを理解しました.

温泉街のスナックを取り巻く環境も変化したようであり,

かつてはフィリピン人が多勢を占めていたものの,今日ではタイ人が大勢を占めているようです.

夜間はスナックで勤労し,昼間は果樹園などで農作業に従事する.

農業従事者の高齢化が進行するなか,彼女たちは貴重な労働力です.

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20160902

昨年の今日の今頃は長野市にいました.

朝,あさま号に乗車し,軽井沢駅で峠の釜めしを購入.

駅の清掃員曰く,「2週間ぶりに青空を見た」とのこと.

この一言が妙に印象に残っています.

当日,実は,かがやき号に乗車する予定でした.

理由は,峠の釜めしを購入するためです.

かがやき号は高崎駅と軽井沢駅を通過するため,峠の釜めしの搬出入はできません.

峠の釜めしを購入するには,両者の駅に停車する,はくたか号かあさま号に乗車する必要があります.

東京駅ホームにて,あさま号の自由席乗車口に並んだところ,意外と席に余裕がありました.

予定より少し遅れて長野駅に到着すると,雨の予報ははずれ,見事な晴天でした.

長野駅の善光寺口の駅舎は,北陸新幹線の金沢延伸にあわせて建て替えられていました.

1990年代前半まで,駅舎の意匠は,善光寺の本堂の屋根の形状を模したものでした.

ところが,1997年の長野新幹線の開業に伴い,これといった特徴のない駅舎に建て替えられました.

それから約20年,今日の善光寺口の駅舎は,木の柱と縦格子に大屋根が特徴の駅舎へ.

木の柱にある提灯には「信都・長野市」と記載されています.

この街の最大の演出は,善光寺表参道といっても過言ではないでしょう.

昼間はもちろん,夜間の参道散策も好きです.

権堂という長野市の繁華街に,「そば処 とがくし」という蕎麦屋があります.

店の外観からはお世辞にも美味しそうに思われないものの,蕎麦は美味です.

約20年前,長野を訪れて初めて食べた蕎麦は,「とがくし」の蕎麦でした.

それまで,蕎麦は好物でなかったものの,一晩で大好物になりました.

夜間の参道散策の後に,蕎麦屋で一杯,いかがでしょう.

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20160901

本日付で廃止になるという某研究科の某サイト.

今後は,某サイトに記載されている情報を,各専攻のwebサイトにて情報提供することに.

この事実を知ったのは半月前.事前のアナウンスはなかったのだろうか.

通告ベースの仕事の進め方は如何かと思います.

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20160831

結果を出すことも重要だけど,そのプロセスから学ぶことも重要です.

プロセスとは,研究そのものだけでなく,研究室における生活や人間関係も含まれます.

先輩から教えてもらったら,その知識と貴重な時間を割いてくれたことに感謝すべきです.

残念ながら,それができない人もいます.そのような人の結果は評価に値しないと思います.

短期的には結果を残せるかもしれないものの,長期的には困難に直面するでしょう.

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20160826

2016年台風10号の今後の進路が気になります.

2016年8月26日18時45分気象庁発表の台風情報によると,

8月29日の15時における予報円の半径は410kmです.

予報円の北側の経路をとった場合,関東に上陸する時点で,中心気圧は940hPaです.

中心気圧の低い台風の一つとして,1959年伊勢湾台風があります.

当時の名古屋地方気象台の観測結果によると,最低気圧は958.2hPaです.

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20160818

ほぼ終日,手計算と表計算.

未明に手計算した結果がどうもおかしい.

本来であれば,長さの二乗の次元をもつはずなのに,無次元量となってしまう.

たいてい,このような矛盾に直面することで,手計算の誤りに気づきます.

今回の場合,厳密な計算結果はとても複雑なので,その近似を考えました.

ところが,上述の計算の誤りに気づき,計算をしなおすと,厳密な計算結果は複雑でなく.

もちろん,近似を考える必要もなく.

近似というと,レイリー卿の「音響理論」を思い出さずにはいられません.

小山慶太氏は,つぎの著書において,レイリー卿の「音響理論」を事例に,近似の効用を説いています.

小山慶太,2012,寺田寅彦 漱石,レイリー卿と和魂洋才の物理学,中公新書,pp.62-67.

いくつか,引用すると:

空気や水のような流体の中で発生する圧縮波の運動を記述する正確な流体力学の方程式は複雑になるので,必然的に,然るべき近似が必要となる.

ここで物理学者としてのセンスがまさに問われることになるわけであるが,レイリーは物理学的に有用な結果が導き出せる最適な近似計算を取り入れる能力にきわめて長けていた.(p.64)

また,寺田寅彦の随筆「漫画と科学」の一節を引用することで,近似の効用を説いています.

漫画とは対象物をそのまま,丸ごと描くのではなく,その特徴を捉え,対象物の本質を抽出する術である.

同じように科学も筆の代わりに実験や近似計算を用いて,複雑な要素が絡み合う自然の中から対象とする事の本質をつかみ出す術と表現できる.

ただありのままを見ているわけではないのである.そして,その術には直感と分析が不可欠であり,それによって生み出された成果には真と美が宿っている.(pp.66-67)

たとえば,都市空間を対象に科学する場合,上述の「実験」は,現場を見ること,まちを歩くこと,手を動かすことに相当すると考えられます.

「手を動かす」とは,都市設計で図面や模型を作成すること,GISアプリケーションで空間分析をすることに相当します.

要は,エッセンスを捉えるためには,こうした愚直な経験に基づく直感が何よりも重要です.

数理的な素養に磨きをかけることも重要であるものの,それだけでは不十分です.

ちなみに,小山慶太氏の著書は,本書を含めて二冊読んだことがあります.

いま,つぎの親書を断続的に読み進めているところです:

小山慶太,2014,入門 現代物理学 素粒子から宇宙までの不思議に挑む,中公新書.

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20160817

4年前の今日,事前に予約していた書籍が手元に届きました:

Okabe, A. and Sugihara, K., 2012, Spatial Analysis along Networks: Statistical and Computational Methods, Wiley.

手元に届いてから,本書の知的な面白さとわかりやすさから,日々の通勤時に読み耽りました.

外国語で書かれた文献を理解できる知的興奮を経験することは大切なことです.

2014年に都市計画論文集に掲載された拙著の論文は,実は本書を読んで着想を得たものです.

2012年9月17日に,英語で論文を書き始めたものの,しばらくして理論の構築に行き詰まりました.

英語で思考停止状態に陥ったので,2013年1月1日より,母国語で思考停止状態から抜け出そうと試みました.

ところが,研究はなかなか進展しませんでした.

当時,並行して,2013年に都市計画論文集に掲載された論文の執筆にも行き詰っていました.

こちらは,2011年7月10日から研究を着手したものです.その後の一年間,研究はあまり進展しませんでした.

考え続けていると,2012年の秋くらいに理論の構築が一段落し,年度末には実証分析を終えました.

思考停止状態の研究を再開するも,なかなか進展しませんでした.

自分が置かれている状況を客観的にとらえると,基礎学力の不足という現実と向き合わざる得ませんでした.

研究対象は目の前にあるものの,その扱い方がわからない,あるいは,うまく扱うことができないという状況です.

「扱い方」には,能動的な学びで習得できるものもあれば,ものの見方,観察力にも大きく依存します.

ものの見方,観察力は,教わることも,教えることもできません.

できることは,あきらめずに対象を観察し続けること,考え続けることです.

並行して,能動的に学び続け,「切れる刀」に磨きをかけることです.

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20160816

終日,お勉強.きっかけは,先日の打合せです.

やはり,現場を見ること,まちを歩くこと,そして議論をすることは重要です.

教育についても,いろいろと考えさせられました.

今日の大学の責務として,研究成果を社会に還元することはもちろん,

教育成果についても,何らかの形で社会に還元する試みがなされています.

学生目線で,ある地域の問題点を明らかにし,科学的アプローチにより解決策を提示する.

地域の住民では気づかないかもしれない問題を発見し,解決方法を提示する.

一見すると,大学と地域,学生と地域で連携しているように思われます.

ところが,こうした試み自体に改善点があることもわかりました.

一つは,「教育だから」という,教員や学生の甘えです.

教育成果の地域還元は,地域の方々との貴重な時間を共有することで成立します.

お忙しいなか,教育成果を提案として聴いてくださるわけです.

だからこそ,提案内容によっては,地域の方々から厳しいご指摘を頂くこともあります.

厳しいご指摘は,期待されていることの証です.

その一方で,学生自身で何を発見し,どのように解決しようとしたのか.

その内容は,たとえ地域の方々にとって満足な内容でないとしても,尊重すべきだと思います.

地域の方々の期待に応えつつ,かつ,学生の自主性を尊重したい.

前者だけであれば,行政やコンサルなどがあります.後者だけであれば,大学内で十分かもしれません.

両者のメザニン的なものが,期待と自主性によって創造されるためには,どうすべきか.

現時点で答えはありません.

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20160815

確率変数XとYの積:

XY = Z. ・・・(1)

を考える.ただし,XとYが従う確率分布は未知である.

このとき,Zも確率変数となる.いま,(1)式の両辺の対数をとると:

lnZ = lnX + lnY. ・・・(2)

XとYが従う確率分布は未知なので,その対数が従う確率分布も未知である.

中心極限定理により,未知の確率分布に従う確率変数の和は近似的に正規分布に従う:

lnZ ~ N(E[lnZ], V[lnZ]). ・・・(3)

このとき,lnZの確率密度関数は:

f(lnz) = (1/√2πV[lnz])exp[-{lnz - E[lnz]}^2/V[lnz]]. ・・・(4)

ここで,

lnZ = U ・・・(5)

とおくと,(4)式は次式のようになる:

f(u) = (1/√2πV[u])exp[-{u - E[u]}^2/V[u]]. ・・・(6)

(5)式より,uはzの単調増加関数であるから,次式が成立する:

F(u) = Pr{U ≤ u} = Pr{Z ≤ z} = G(z). ・・・(7)

(7)式の両辺をzで微分すると:

g(z) = dG(z)/dz = {dF(u)/du}{du(z)/dz} = f(u)(1/z) = (1/{√2πV[lnz]}z)exp[-{lnz - E[lnz]}^2/V[lnz]].・・・(8)

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20160814

終日,書きかけの論文を推敲.

notationをどうすべきか,もやもやした日々が続きました.

毎度,notationに苦労しては,ジョン・テューキーの伝説を思い出します.名著「統計学を拓いた異才たち」の著者であるDavid Salsburgが大学の採用面接を受けた際に,面接官の一人としてジョン・テューキーがいたようで,著者の研究論文にサッと目を通しては,より読みやすいnotationに書き換えたという話です.その時間,僅か30分.

他人の論文を理解するだけでもそれなりの時間を要するにも拘らず,それを理解したうえで,より読みやすいnotationを与えるという神業です.

この能力はとても重要だと思います.

notationにはある種の慣例があります.何らかの理論を学ぶ際に,notationを理解して使いこなすことは,一つの言語を習得するのにほぼ等しいです.inputとして学ぶ際は,notationもgivenである反面,outputとして論文を書くとなると,notationをgiveしなければなりません.デファクト・スタンダードとして,notationの慣例は存在する一方で,文献によっては,ある概念が異なるnotationで表記されることもしばしばあります.だからこそ,(自分にとって)より理解しやすいnotationを与える能力は重要です.

もう一つ,EuclideanとEuclidianの使い分けについて.

前者が通例のようです.なぜか,私は後者のスペルを使用していました.

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20160813

連日の暑さは和らぎ,夜間は冷房装置を起動せずとも過ごしやすくなりました.

冷房装置を起動すると,窓を閉めなければならないので,部屋は妙に閉鎖的となります.

確かに,室温は下がるものの,だるさや倦怠感という副作用もあります.

冷房装置を停止すると,だるさや倦怠感は解消し,作業は捗ります.

冷房装置といえば,列車内での移動時も苦労します.

列車内は寒すぎる,列車外は暑すぎる,屋外へ出ればさらに暑く,職場は寒すぎる.

このような人工的な寒暖の差は,ヒトの身体に悪影響を与えること必至です.

移動から見た人工的な寒暖差の解消,換言すれば,移動から見た屋内外気温の均一化.

技術的には,建築物の断熱化により,屋内空間の室温を時間の変化に対して均一にすることは可能です.

屋外空間と屋内空間との連続性を考えると,特に前者の気温を制御するためには,より大局的な視点に立たなければなりません.

さて,過去を振り返っても,この時期はoutputよりもinputに適しているように思われます.

研究メモの更新日ベースに基づくと,研究の進捗具合は夏場に停滞する傾向にあります.

outputしようにも,ないものを,でないものをoutputすることはできませんから,

そういうときは,inputに集中するのも有効かと思います.

inputを継続すると,ふとoutputしたくなる瞬間があります.

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20160810

過去の日記を読み返していたら,進路とくに博士課程に進学するかどうか悩む学生さんの参考になるかもしれない日記がありました.

今から8年前,2008年7月25日の日記です.当時,私は修士課程でした.

以下,当時の日記です.

当時の僕と同じように悩んでいるかもしれない学生さんのために,この場に記します:

20080725

昼過ぎに研究室にいると,准教授の先生から進路について決断するよう言われた.数週間前にも同じことを言われたものの,指導教員とこの話をすることはなかった. 

進路についての決断とは,博士課程に進学するか,技術系行政官あるいは研究員として就職するかを決めることだ.研究室の研究指導方針は,博士課程に進学するかどうかによって変わる.博士課程に進む学生には,どんどん論文を書かせ投稿させる.一方,進学しない学生が学会論文を書く必要はないようだ.僕は,この指導方針の区別はナンセンスだと思う.進学するかどうかに拘らず,できれば学会論文を投稿すべきだろう.無論,就職するからといって修論を手抜きする気は毛頭ない. 

自分の考えは上記の通りだが,私の進路を心配して下さる准教授の気持ちに応えるために,そしてなかなか進路選択を明言しない私を静かに見守る指導教員に対して僕の意思を伝えるために,指導教員と個人面談をした. 

指導教員の考えは,僕の予想を良い意味で裏切るものだった. 

昔と違い,今は博士課程を修了したからといって研究者のポストを容易に獲得できる時代ではない.大学教員としての職を得ることができれば万々歳だが,最悪コンサル業務に就くこともある.博士課程に進学するにはかなりのリスクを背負う.指導教員はこの点を理解しているので,安易に進学を勧めない.ただ,本音は進学して欲しいようだ. 

ここで僕の意思を明言した. 

僕が都市工に進学した動機は,今の指導教員の下でD論を書きたいからだ.指導教員は留学を勧めるが,僕にはその意思はなく,今の指導教員の下で研究したい.幸い,学費はかからないので,生活費を如何に稼ぐかが課題だ.両親が高齢という家庭的事情もあり,いつまでも生活費を頼るわけにはいかない.生活費がなんとかなるなら,自信をもって進学したい. 

博士号を取得する方法は,博士課程以外にも論文博士という方法がある.しかし,全学的に論文博士は廃止の方向にあるようだ.専攻の教員の意見としては,論文博士の制度は残したいようだ.論文博士を取得したい需要があるのだから,教育機関として需要に応えるべきではないかというのが理由だ.もし,論文博士を取得できる機会があるならば,既述した事情もあって論文博士を目指したい. 

僕は研究者のほうが向いているかもしれないと指導教員から言われた.理由は,僕は正義感が強いからだと言う.僕の正義感の強弱はさておき,僕に対する指導教員の印象を知ることができた.期待を裏切らないように日々精進したい. 

博士課程への進学の有無を決めなければならないもう一つの理由は,現在の研究テーマがD論のテーマとして耐えうるかどうか見極める必要があるからだ.この点に関しては心配していない. 

選択肢を2つ確保しておくことは合理的であり,もう少し考える時間があっても良いという結論を指導教員から得た.良い意味で期待を裏切るとは,僕の優柔不断さを建設的に理解してくれ,時間的猶予を与えてくれたことだ. 

結論は遅くとも年度末に出すことにする. 

話題を変えて,研究について話したい. 

僕の進路ついてだけでなく,研究に対する姿勢を議論する機会を得た.先生方が日頃どのような姿勢で研究しているのかは,学生にとって興味深い.同じ研究分野でも,姿勢は研究者によって違う. 

都市解析の研究者として,都市計画とともに「これだけは誰にも負けない」といえるくらい精通する分野を少なくとも一つ持つことが望ましいようだ.例えば,ORや経済,統計,地理,心理学等だ.僕の指導教員の場合,都市と経済の両刀使いを自身の売りにしている.指導教員曰く,都市計画の専門家の話は論理的でない部分が多いと,経済学者から批判されるようだ.無論,都市計画家は良かれと思って話をするものの,そこに客観性がないがために,論理を重んじる経済学者から批判を受けるのだ.このような都市計画学と経済学との対立の中で,指導教員は両者の長短を論理的に捉えようとする.そして,指導教員のような人材が世の中で求められている. 

経済学やORは規範的な一方で,統計学は規範的でないという話を聞いた.統計は基礎体力として必要だが,統計だけを身に着けるだけでは不十分であり,経済学やORを基礎体力として身に着ける必要がある.ここで,興味深い話を聞くことができた. 

指導教員が都市解析に足を踏み入れたきっかけは,物理法則を都市に応用できないかということだ.僕と同じである. 

物理法則は理論的な美しさをもつ.物理学を規範とする経済学もまた,理論的な美しさをもつ.理論的な美しさは,現実をモデルに反映すればするほど失われる. 

都市をモデル化し,理論的な美しさを得ることができないか.この問が僕だけでなく今の研究室の先生方を都市解析という分野に誘い込んだ. 

理論的な美しさは理論家にとっては魅力的な一方で,実務者にとっては現実的でない.それゆえ,解析屋はモデルの現実への応用可能性という点で批判される.腰塚先生のように積分幾何学という強力な理論的ツールを得て,多くの面白い論文を書き上げることに感嘆する一方で,僕は必ずしも最適解が求められているわけではないところで,如何に論理的客観的定量的に問題を解決するかに関心がある.現在の研究テーマは,まさにこの問題を如何に解決するかだ.

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20160809

大学教員として働き始めてから半年以上が経過しました.

働き始める前は,もう少し研究するための時間はあるのかと思っていたものの,

実際に働き始めると,意外と時間はないことに気づきました.

そして,なぜそうなのか,気づいた点を整理します.

一つは,時間のメリハリです.

前職時代は,半ば意識的に,onとoffを明確に線引きしていました.

そう心がけることで,線引きすることができる環境でもありました.

たとえば,原則的に,始業時間と終業時間が明確です.

実態として,終業時間は非負の実数を定義域とするロングテールの確率分布に従いますが^^;

このため,始業前の数十分,昼休みの数十分,終業後の数時間,

職場の建物を出入りする瞬間,IDカードを「ピー」とかざす瞬間が,onとoffを切り替えるタイミングでした.

他方,現職の場合,onとoffを明確に線引きするのは困難です.

かつてはoffモードで取り組んでいた研究を,いまはonモードで取り組むことができます.

このこと自体,私自身は大変満足しており,非常に恵まれた環境にあると思います.

その反面,前職時代のほうが,メリハリはあったと実感しております.

かつてoffモードで取り組んでいたことを,いまはonモードで取り組む.

では,いまはoffモードで何に取り組むのか.

offモードという発想すらなく,常時onモードかもしれません.

現職では,研究以外にも雑多は事務をこなしています.

雑多な事務は重要ではあるので,onモードで取り組むことです.

教育にも従事しており,学生さんと研究その他について議論する時間は,私にとっても有意義な時間です.

学生さんとの議論から,新たな研究ネタを見つけることもあります.

教育は非常に重要なので,onモードで取り組むことです.

では,私自身の研究はというと,位置づけるのは意外と難しいのかと思います.

そして,無理にonとoffを意識する必要もないのかと実感しております.

実務経験がなく,アカデミックの世界でご活躍されている諸先輩は,

onとoffについてどのようにお考えなのか.

実務経験を有する一人の若手研究者として興味あります.

そして,そのような問いは愚問であるとお叱りを受けるのではないかとも^^;

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20160808

論文の修正が一段落しました.

論文の査読結果が通知され,修正意見書を読む度に,恩師の言葉を思い出します.

確か,「結果が通知されたら,数日間は放置する」という主旨でした.

論文の著者は,投稿する時点で,その論文は完璧だという自負をもっていると思います.

(同時に,どんな指摘を受けるのだろうという,期待と不安を抱いてもいます.)

それだけに,査読者から厳しい意見を頂くと,冷静に意見を受け入れるのは難しいこともあります.

だからこそ,「結果が通知されたら,数日間は放置する」という訳です.

数日後に,冷静な状態で厳しい意見を読み直すと,数日前とは違って,前向きに受け止めることができます.

何事も,(一見すると自分にとって不利な)事実を受け入れるには,一定の冷却期間を必要とします.

今回も,数日間は冷却期間を置きました.

数日前に絶望しても,数日後には修正方針を冷静に考えられるようになります.

修正方針を考えるのに一週間を要しました.

複数ある修正意見はそれぞれ強弱をもって関係します.

ある修正意見への対応が,ほかの修正意見への対応と矛盾することがあってはなりません.

強弱ある関係性,複雑に絡み合った見えない糸を解きほぐし,意見の裏を読む作業をします.

一連の作業を終えてはじめて,原稿の修正に着手します.

毎度,一連の作業はしんどいと感じながらも,修正後の原稿は修正前と比較して格段に改善したことを実感します.

このようなきっかけを与えて頂いた査読者の方々に感謝です.

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20160804

最近,スパゲッティーにはまっています.大手町にある「リトル小岩井」のスパゲッティーです.

「リトル小岩井」のサンドイッチを初めて食べたのは,かれこれ約10年前.

前情報もなく,勘だけを頼りに購入して食べたとき,「うまい!」と思いました.

その後,就職をして,昼飯用に「リトル小岩井」でサンドイッチを買うこともしばしば.

ところが,意外なことに,スパゲッティーを食べる機会はありませんでした.

今年の4月,都市のORスプリングセミナー開催日(土曜日).

「リトル小岩井」のスパゲッティーを初めて食べました.ナポリタンです.

店内はお世辞にも広いとは言えず,相席は必至です.

ナポリタンを注文すると,ホールのスタッフが「~のあと,ナポ」と厨房にオーダーを入れ,

ほぼその直後に,コールスローが出てきます.美味です.

「リトル小岩井」に足繁く通う理由は,スパゲッティーを食べることに加えて,

店の雰囲気が好きだからかもしれません.

「ナポ大のあと,ジャポ油少なめ焦がしめで,イタ油少な目.」

サラメシ時は行列必至です.

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20160803

未明に発生した千葉県北東部を震源とする地震.

地震発生時は論文の修正作業中でした.

気象庁では,地震情報を報道する際に,震央地名を使用しています.

上述の「千葉県北東部」はその一つです.以下のリンク先には,震央地名を表す地域分割図があります.

http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/joho/region/epi2.html

興味深いのは,「千葉県北東部」と「千葉県東方沖」の地域境界です.

私としては,前者と後者はそれぞれ陸と海に含まれると理解していました.

ところが,上述の地域分割図を凝視すると,「千葉県北東部」でも陸の場合もあれば海の場合もあることがわかります.

「千葉県東方沖」の場合も同様,震央は必ずしも海ではなく,陸の場合もあります.

厄介なことに,ここ数日,「千葉県北東部」と「千葉県東方沖」の地域境界を震央とする地震が多いので,

震央のわずかな違いにより,「千葉県北東部」と報道される場合もあれば,「千葉県東方沖」と報道される場合もあります.

安易な考え方に基づけば,仮にマグニチュード7.0の地震が深さ10kmで発生した場合,

前者で報道されると津波来襲リスクを過少評価し,後者で報道されると過大評価するおそれがあるかもしれません.

とくに,前者は防災の観点からも問題かと思われます.

こうした問題は,「千葉県北東部」と「千葉県東方沖」に限らず,日本全国の沿岸部でも同様です.

個人的には,ある地域メッシュに海が含まれれば,海側の震央地名を採用するのも一案かと思います.

この場合,「千葉県北東部」に区分される面積は減ります.

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20160802:

先週からの風邪が長引いています.

頭痛と目まいから始まり,発熱とともに全身の関節が痛み,

熱が下がると喉が痛み始め,いまは咳が止まらず苦しんでいます.

今回,経験則にあてはまらないのは.喉の痛みです.

たいてい,風邪の初期症状として,喉の痛みから始まるものの,今回はさにあらず.

ここ数年,風邪の治りかけは性質が悪く,咳が長引く傾向にあります.

話そうとすると,咳をしたくなり,会話にならない.

この傾向は今回も例外ではなく,とくに夜間に悪化します.

そこで,薬を処方してもらうべく,保健センターに行きました.

受付時に.「学生さんですか?」と聞かれ,「教員です.」と回答.

この勘違いを喜ぶべきか,反省すべきか.

医師に一週間の経過を説明.診断の結果は風邪(治りかけ)でした.

喉を診てもらったところ,扁桃腺の右側が大きいようです.

確かに,喉の右側に痛みがあります.それもシミるような痛みではなく,魚の骨が刺さったような痛みです.

薬を処方してもらい,しばらく経過をみることに.

受付から会計まで小一時間.もし,まちの医療機関であれば,その倍の時間はかかったでしょう.

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20160801:

先日,ボーイング社がB747-8の減産体制に入るニュースを聞いて,いろいろ考えました.

今日,日本のエアラインは旅客機としてB747を所有していないはずです.

世界的には,大型機としてB747-8をオペレーションするか,A380をオペレーションするか,

各国のエアラインでそれぞれ異なる戦略があります.座席数の観点からは,後者のほうが優位です.

興味深いのは,ルフトハンザであり,両者を器用にオペレーションしています.

ルフトハンザがB747-8をオペレーションする主な理由として,A380が発着できない空港の存在を挙げています.

具体的には,滑走路の長さが不足,ボーディング・ブリッジがA380に対応していないなどです.

先日,学生さんとの議論がきっかけで,つぎの文献をパラパラと再読しました:

Jane Jacobs, 1969, The Economy of Cities.

学生さんとの議論で,'brassiere'を思い出したため,本書を再読してみた訳です.

本書を初めて読んだのは,確か,私が修士課程に在籍時か就職後です.

初めて読んだとき,'brassiere'の意味するところが不明でした.

本書では,'brassiere' manufacturingがイノベーションとして例示されています.

1920年代のニューヨークでは,女性の下着は実に様々であり,着心地は決してよろしいものではなかったようです.

下着の多くはドレスメーカーによって生産されていたところ,より機能性の高い下着のニーズに応えて発明されたのが,'brassiere'です.

'brassiere'とは,「ブラジャー」のことです.

著者は,ブラジャーが発明された背景として,ドレスメーカーという多様かつ高度な技能を必要する産業が集積していたことを挙げています.

同様の考察は,自動車産業都市となる前のデトロイトを対象に,つぎの文献でもなされています:

エドワード・グレイザー,2012,都市は人類最高の発明である,NTT出版.

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20160731:

個人のwebサイトの運用を開始しました.

最低限の情報のみの掲載です.今後,徐々に充実させます.

学内にいるときは,サラメシとして銀杏メトロを愛用しています.

年度明けにメニューが刷新され,とくに定食が充実したように思われます.

一方で,チャオ(野菜炒め)は夜間のみのメニューになってしまいました.

ところで,銀杏メトロ横にある掲示板.

日々,落書きから得体の知れないぬいぐるみ2匹(ピンクとイエロー)まで,変化があります.

おそらく,誰かが落書きしたり,ピンクとイエローを動かしているのでしょう.

定点観測すると,なかなかシュールかもしれません.某局のドキュメント72時間のように.