200509
九月三十日(金)
一日中、人の話を聞くだけ。
朝はLHCの話、SUSYの話。寝ていた。
昼はラージNゼミ。行列模型のさわりをした。
夜はストリングゼミ。ばてばてだった。
それからゼミの予習。
だんだん涼しくなってきた。彼岸花はもう落ちた。
九月二十九日(木)
お昼ごろkikenの田中君にくっついて、kikenのパーティーにまぎれこみ、菓子をただ食いする。ニールセンと喋った。
T澤さんと、ソロンのお茶部屋で勉強する。天体核の中間発表で聞きたいやつがあったので、それを待っていたのであった。
でも、一時間遅れでちょうど始まるころ、出発を余儀なくされた。
五時から滋賀へ行く。
ぶんこさんと、大津にエレニの旅を見に行った。
六時半開演の映画で、六時に待ち合わせのはずが、僕は電車をのり間違えて、ぶんこさんは寝過ごして、結局山科で六時十分ごろ合流。大津に着いたのは六時二十分。走ってなんとかぎりぎり間に合わせた。
エレニの旅。静かな静かな映画だった。夢のように美しい映像、切ない音楽が胸を打つ。ほとんど説明的台詞のない映画なので、ストーリーは難しい。HPで読んでいったほうがよかったかもしれない。ストーリーを追う映画じゃないので。
劇中の楽団でダラブッカが出ていた。劇場に住んでいるのはいしがき寮みたいだった。途中のお祭りは、吉田寮の河内音頭大会みたいだった。ぶんこさんも同じところに反応していたようだ。
ぶんこさんは下鴨サプライズに入居希望しているので、彼女を家に連れて行き、みんなに紹介する。
あんちのムビラ友達も来て、家は音楽に包まれた。
九月二十八日(水曜日)
集中講義;LHCの話をすると見せ掛けしたのは、単なるコライダーの一般論だった。
九月二十七日(火曜日)
物理学教室のバーベキュー大会。二時から要員としてかりだされる。
机を立てたり、テント立てたり、火を起こしたりといったお仕事。
今日の肉は二十五キロあったそうだ。旬の秋刀魚は美味しかった。みなみ氏と酒を飲んで喋るのは久しぶりで、学部生のころを思いおこされる。
S研のM1の人と知り合った。
その後二次会として、ビートルズリスペクトの飲み屋へ。そこで、ポルチンスキーの自主ゼミをするはずが、できなかった。代わりにAZ君の合格祝いをしてあげた。
今日は飲みすぎた。
九月二十六日(月曜日)
久しぶりにもりせと食事。
「おいしい」もイタリア会館もフランス会館も開いていない。
ということで言ったのはマリコウジ。
スパゲティーを食った。隣でユウゲンの集まりがあったようだ。
九月二十三日(金)
昨日知り合ったしばい部の人は実は後輩の友達ということが分かった。なんとも京都的だ。
九月二十二(木)メモ
平八郎氏の誕生日会。吉田寮しばい部の人と知り合いになる。
九月二十一日(水)
一万円で買った自転車の今回の修理費、約一万七千円。
よるゼミは午後十一時からスタート。午前二時から七時間休憩してまた二十三日午前九時から再開。
九月十八日(日)メモ
マンドリン本番。
九月十七日(土):メモ
マンドリンの練習。 マンドリンの練習しただけで、一日が過ぎていった。
実家に戻る。
九月十六日(金)
朝ゼミ。先週の続き。Twisted Eguchi Kawai模型の摂動論と、数値計算。摂動論は大変だけどあまり甲斐なし。
Big Issueの取材の話は流れてしまった。残念である。
夜は住民会議。話し合うことは次の住民の選定の話。でも現状確認だけで終わった。
麻ビールが家で売られているので、買って飲んだ。こんなおいしいビールがあるのか、といった感じだった。
最近マレービッチの作品を見てうっとりとしている。代表作は 黒い正方形 白い正方形 など。これぞ絵画の極北。日本にないのかなあ。
たまきに誘われて内閣府がやっている就職支援サイトの適職診断をやってみた。
最近の内閣府は恋愛のアドバイスもしてくれるようだ。就職支援のサイトなのに「組織、企業にはあまり向かない」なんて言っていいのだろうか?社会のルールや常識を軽視していることが国にばれてしまった。
九月十五日(木)
学会は終わった。
トンデモ系の発表は興味があったが聞かなかった。一番もりあがったそうだ。
よその教室を覗くと、フリフリの恰好のお姉さんが発表していた。
お昼はお茶大の人たちと天王寺でお好み焼きを食べる。
地元に近いのに案内してやれませんでした。
新宿ごちそうビルで風月のお好み焼きを食べる。やはりお好み焼きは風月が一番おいしいと思う。
そしてお茶大の人たちとは別れ実家へ。そして、再び楽器を持って京都に帰る。
高校にもよった。一年生のMokoさんと知り合いになった。面白そうな人だった。
夕ご飯は、二年生と食いに行く。明日体育祭なので、夜中まで公園で応援団の練習だそうだ。
応援団にここまで情熱をそそぐのは、まるで僕の兄の世代のようだ。
で、再びお好み焼きを風月で食べた。
京都に戻る。
徹夜してゼミの予習。だけど、一行も進まない。
九月十四日(水)
再び学会;朝はとくに聞きたいやつもないので、市立大学の原子核のT子さんと一時間ばかしカフェへ。
冷たいもの食べて体が冷えた。T子さんはあいかわらず面白い人だった。
昼はアートで食事。再び講師の人と会う。
夕ご飯はお茶大の人たちと、おいしいうどん屋で。
参考:あーささんの日記
お茶大の知らなかった人たちと会う。
えりこさんには会ってすぐに変な人変な人言われた。
そしてそのまま大阪へ戻る。
学会のやつは行列模型ばっかし。でもこれぞ今年の進展ってやつはなかった。
今年の素粒子論の成果はなんなのだろう?
少し行き詰まり感を感じるような。
StringでQCDを解析ってやつは何度か聞いているが面白かった。
九月十三日(火)
今日は昼ゼミの日。何をしたんだったっけ?
ゼミ後少し休んで、アレンさんと京都駅で待ち合わせ。
しのぶが来るまで一時間ほどぶらぶらする。京都タワーに上ろうとしたが、値段の高さにくじける。
仕方がないので、京都駅内を一周する。思いがけない所(東の端)に出口の階段があり驚く。
しのぶさん来る。どちらが先に見つけれるか勝負したが負けた。
それで、地下へ行って食事。いいもの食べる。
それから、スターバックスで珈琲を飲み、積もる話をいろいろして大阪へ帰る。
字数を埋めるためにもう少し書いてみる。
ここにドラクエ2を中心とした考察があるのだが、ドラクエ2=宗教戦争、侵略者(ロトの一族)と原住民の争い、というものの見方にはっとした。ここにあるドラクエの小説も「失楽園」(不倫小説でなくミルトンの方)をモチーフにしていて非常に面白かった。
九月十二日(月)
学会へ。学会は市立大学であった。
朝九時を目指して着いたのは朝十一時。朝に聞きたいやつがいろいろあったが聞けなかった。
電車の中でギタマンの結構上のI先輩に出会った。いつも練習中寝ているね、今日はしっかりしているね、と褒められた。
昼食時、喫茶店アートで、生活保健科の講師の人と知り合いになる。あと店のおばちゃんとも仲良くなる。
石垣カフェの話でもりあがる。石垣カフェといえば、ここの京都大学の公式HPに石垣カフェが載ってある。まるで、京大公認の施設のようだ。ついでに、石垣は由緒正しいものですとの趣旨のことが書いてあることにも驚く。
で、午後の講演も聞いた。学会では若い人しか喋らないようだ。ちなみに教授クラスの人も来ていないようだ。とすると、大御所が発表する場は研究会とかに限られるのだろうか?
聞き間違えでなければ弦の場の理論に解析解があるようだ。
実験の人たちと同じ電車で京都へ移動。この電車、事故ったらどうなるだろうかなんて恐ろしい想像をしてしまった。
九月十一日(日)
選挙、選挙。
やはり予想通りの結果になったか。自民が郵政民営化のみに焦点をしぼって、野党が他のところに焦点を移せなかった時点で勝負は決まっていたようなものだった。小泉氏もなかなか上手いものだ。イラク派兵をめぐっての選挙ならこのような結果にはならなかっただろう。
郵政民営化に関してはネットをまわって色々情報を集めたが、結局の所、民営化がいいのか悪いのか判断がつかない。 与党はいいところを強調し、野党は悪い所を強調する。実際の所、民営化するといいことも起これば悪いことも起こるというのが現実であろう。で、それを考慮 したうえでどちらを選ぶかとなれば、「勉強不足で分からない」としか私には言えない。
民主党は、個人がテレビ出演するときは民営化賛成といい、党全体としては民営化反対という不思議なことになっていた。民主党は右から左まで集まっている政党なので、足並みがそろっていない気がする。しっかりした野党がないのも日本の不幸であるな。
小選挙区で49%しか票を取れなかった(野党、46%、郵政反対新党5%)のに、2/3も議員数が獲得できたのは小選挙区制の不思議なところだ。もともと、小泉氏@自民党は小選挙区制反対論者で、小沢氏@民主党は小選挙区推進論者だったのに、なんとも皮肉な結果だ。
小泉氏の任期はあと一年で続投はしないと言っているのだが、その後政権はどうなっていくのだろう?小泉氏がやめればもう自民が大勝することはなさそうだが…。
あと、選挙の際に国民に与えられる情報は少なすぎると思う。各党、30pぐらいの小冊子を作って配るべきだ。
今日は母校でマンドリンの練習。参考文献:http://blog.livedoor.jp/humming555/archives/50064779.html
ここの音楽室は空気がよくていいなあ。
で、終わったあと、食べに行っておしまい。
九月十日(土)
この日の日記はhttp://www.yugen.org/central/expo3.htmlを参考に。
名古屋の辺境の駅ではるひさんと待ち合わせ。はるひさんは遅れてきた。
そして、万博へ。A野さんと会う。上の写真を撮った人。
入場待ちの長蛇の列を並ぶ。うわさに聞いていたボディーチェックは甘かった。
この前飛行機乗ったときは、乗客の中で僕だけ靴の中まで調べられたと言うのに。
僕は企業パビリオンには興味がないので、A野さんはるひ嬢とは別れて、一人アセアン地域のパビリオンと地球市民村へ行った。アセアン地域のパビリオンはしょぼかったけど、民芸品にはときめく。
ブルネイには石油掘削機の模型が置いていた、何か違うような。
地球市民村はたぶん友達の友達ぐらいでつながっていそうな人たちがたくさんいた。休憩所では心地よく休憩できた。
はるひさん達と合流。合流に苦労して昼ごはんは食えず。
そして、はるひさんとトルコ館へ。トルコ館は最高だった。素晴らしい美的感覚、これだけでもきてよかったと思えた。
後で調べると、何かで金賞をとってたり、http://glkmn.exblog.jp/1625995/ で全グローバルコモンズで三位をとってたりと確かに評価が高いようだ。
そして、三人でロシア館へ。ロシアの国の将来にいろいろと不安感を感じた。「環境にやさしいエネルギー」と原子力発電所の模型が置いてあるのは笑えないジョークだな。
それからアフリカ館へ、パビリオンと言うよりむしろバザール。混沌感がすばらしい。じっくり見てると、あれよあれよとはるひさん達とはぐれる。じっくり見たいので、「さようなら」とメールする。
結局アフリカ館では二三時間いてしまった。子供とジャンベで会話したり、店員と話ししてタンバリンを押し売りされたり、
(叩いていたらtwo thousands と言いながら、袋に詰めてくるので、Can you give me a discount? How about one thousand?と言って交渉したら、1200円まで下がった。)
おばちゃんと喋ったりして楽しんだ。
外では、アフリカのどこかの太鼓と踊りが。それはもう素晴らしかった。マネージャーの人まで出てきて一緒に踊っていた。
後は一人でまわる、一人には一人の楽しみ方がある。チュニジア館では陶器のおもちゃを買い込む。アルゼンチンで は、DVDをもらう。ネパールではゴシックな仏教芸術に感動する。しかもほとんどが売り物だそうだ。値段は時価。中央アジア館では木一枚からつくるブック スタンドに感動する。リビアでは陶器製のダラブッカが五千円で売っていた。異様に安いが重くてもって帰れない…。今から考えると郵送にしても買って置けば よかった。
道でインドの踊りがやっていた。素晴らしかった。
もっと見たいが、帰れなくなるかもしれないので、後ろ髪ひかれつつ帰る。
帰りのリニモも大混雑。何とかのれて、大阪へ。寝過ごして、気がついたらそこは神戸だった。ぎりぎり終電で四条畷に戻る。あぶないところだった。
九月九日(金)
完徹して、朝ゼミ発表。どんな辛くてもいつでも間に合わせていたが、今回は初めて間に合わなかった。でも量が多いというので許してくれた。
Twisted 江口河合模型。なんでTwistしたか分からない。江口河合模型はゲージ理論から場所依存性をなくした過激な理論。
徹夜は健康によろしくないですね。体温と血圧が低下してしまいます。母からもこの前夜更かしはお肌に悪いと注意されました。
で終わったら、家に帰って身辺を整理して名古屋へ。
祖母の家に泊まりに行く。東海道線を寝すごして、二時間ばかし遅刻してしまった。
祖母の家の近くの料理屋でご飯をたべる。普段めったに食べることのないご馳走であった。
そして祖母の家で一泊。
パソコンで文字をうってたら、日本語入力が突然英語入力にかわることありませんか?
それは\\とうつと英語になる機能があるからそうです。なんて邪魔な機能なんだ。
九月八日(木)
この一週間で、家にいた時間は三時間。
来週は、一日は家で寝たいけど無理かなあ。
夢:仲間を集めて神と戦う。東大寺風のお寺の巨大な秘仏が美しかった。
たぶんこのあたりにしりあがり氏の「弥次喜多 in DEEP 」を二巻から全巻購入。これをマンガ部屋におくという契約で、s坂くんから一巻の所有権をもらう。
こんなマンガ読んだことない!といった感じのマンガ。トラウマが残るほど。
今日は院試験の発表日。三時に院試験に受けに来ていたTkさんと会う。
数学図書館など案内して、後に清水寺へ。発表は五時から、次第にTkさんの緊張が移ってくる。五時に理学部に戻って掲示を見る。
落ちてた。ショックを受ける。
その後カンフォーラで食事をしていろいろ話をして、もう一度掲示を見てお土産をもらって別れた。
書き忘れていたことなど:
合宿行った時セロの先輩が無伴奏チェロ組曲を弾いていた。よかった。
オープンキャンパスのとき高校生とドラクエの話をしていて、高校生の口から「ドラクエといえば、長いパスワードですよね。」との発言が出て驚く。
いつの人ですか?
九月七日(水)
ニーチェの「アンチキリスト」の口語訳
私が「ウソ」と名付けるのは、見ているものを見ようとしない
態度のことです。見えるように見ようとしないのは、
党派的な人間の特徴です。党派的とは、
「一つの考えによって利害を持って寄り集まっているグループ」
のことですが、彼らは必ずウソつきになるのです。
たとえばドイツの歴史学会では、「ローマは専制政治だった」
とか、「ゲルマン人は自由の精神を世界にもたらした」とか、
自分達に都合のいいことばかりを「確信」していますが、
こうした「確信」ってウソとどこがどう違うんでしょうか。
こういった党派的な人が必ず口にするのが、道徳です。
あらゆる種類の党派的な人が道徳を必要とするからこそ、
(人々を不幸にするような)道徳がなくならないのですね。
を読んで、まったくその通りであるなあと感心する。
この口語訳分かりやすくていいので買おう。
夜ゼミの日、動いているDブレインを扱うのに、静止しているDブレインを無理やりに変換させて計算したようだ。
台風の風がここちよい。インドネシアからきたキキさんと昼食を食べた。
うちの家に、BIG ISSUEが取材をしたいという申し込みが一存では決めれないのでどうしようかと悩む。
九月六日(火)
発表三時間前に、発表内容の十分の五残っていて、もうだめかと思いきや、脅威の集中を発揮して、二時間で終わらせ、一時間寝る。
発表は一時半から。
今日のまとめ:十次元有効理論のアノマリーについて。
よく分からんが、アノマリー多項式が消えれば重力アノーマリーもゲージアノマリーもないらしい。
アノマリー多項式の出所は不明。Tod類とかDirac類が関係してそう。
結果として、理論のアノマリーはⅡAでは自明に、ⅡBでは奇跡的に消える。I型では消えないが作用に高次補正のCS項を入れると消える。
消えるのはストリングサイドから見ると当たり前のことだ。
終わって三時に第一食を食べる。
台風の中がんばって実家に帰る。当然、眠いので一駅寝過ごした。
帰省目的:授業料免除の書類関係と楽器の輸送。
九月五日(月)
最近見た夢:タンマウォッチで時間を止めた。
風船にのって空を飛んだ。
火曜日の発表まで待ったなし。しかし、家に昼の十二時から昼の三時まで帰って、着替えて昼寝する。
今回は…発表できないかもしれない。
九月四日(日)
朝七時にすがすがしく起きて、せっかくなので朝食後、緑地公園をランニングする。小さな森がなかなかよかった。
帰ったら食事があまっているのでパン四つを頂いた。
それから再び練習地獄。昼食後、精神エネルギーが尽きて鬱に落ち込む。
練習後回復する。解散。帰る前、宿屋から素敵なほど赤い傘を二百円で手に入れた。あまったビールをもらった。京都へ帰る。
研究室に帰って、夕食。主食:ビール、おかず:誕生日にもらったニシンの缶詰と赤貝の缶詰、今日もらったパン。これらをS坂君と分けて食べた。
実家がすし屋のくせに赤貝を恐れ多くも「火星人を干して、また戻したような味」と非難するS坂に対し「つべこべ言わず、薬と思って食べなさい。」と注意した。
九月三日(土)
マンドリンのOB演奏会の合宿へ。
OB演奏会の宣伝をしてみよう。
面倒だから、ここ を見て欲しい。
僕は戦力外なのでイチローの打率程度の部分を弾きます。死ぬほど暇な人は来て下さい。
日記:服部緑地までちんたらと電車で行く。ちなみに持ち物はカメラ(使わなかった)と楽器と趣味のダラブッカとポルチンスキーとタオル一枚であった。
服部緑地でのんびりと昼食をたべる。ぎりぎり間に合って、練習の嵐。
ご飯食べてからも練習の嵐。そして風呂に入って宴会。
宴会では後輩が飲んで素敵なほどハイになっていた。飲んでハイになれる人は羨ましい。僕は飲んでも処理速度が遅くなるしか変化がないのでつまらない。
宴会後、「ぜんぜん飲み足りません」ってことで、たいちと二次会。この日のたいちの日記
二次会後、さっきハイになってた後輩が潰れていたので介抱しみーこと部屋に運んだ。
それから、部屋でS藤先輩のありがたい話を聞き、その後、みーこ、N野、T岡と廊下で話して、三時ごろ就寝した。
九月二日(金)
朝のゼミは、江口河合模型について。
まとめ:「Wilsonの latticeはSU(N)のNが無限大で、場所依存性をなくした江口河合模型と一致する。一致するの意味はWilson loopの期待値が一致するこ と。一致することの理由は同じLoop方程式が成り立つので。ただしU(1)^4が破れていればなりたたない。実際は破れているのでクェンチしたりトウィ ストしたりする。」
お昼は数理生物のゼミ会があったので東大から来ていた霜目さんと会う。
「おいしい」が閉まっていたので、ベジのカレー屋に行った。美味しかった。それから、近代美術館へ、小林古径展へ行った。画風がなんとなく山岸 涼子に似ているような。1920年代にヨーロッパに渡ったそうだが、そのような美術の大変革期にもっとも重要な場所にいて、いったいこの人は何をやってた んだと思った。
美術館のカフェで甘味を食べて帰る。
ゼミの準備にいそしんだ。
九月一日(木)
ふみ画伯が家を見学した。プールに行こうとしたら、帽子と眼鏡を忘れた。あゆむ君が家に来る。