創 立 者
創 立 者
竹内 綱先生 (政治家、実業家 通称万次朗) 1839~1922
天保10年12月26日幡多郡宿毛村(宿毛市)に生まれる。
父は庄右衛梅仙。代々伊賀家の重臣であった。
綱は頭脳明晰でとくに理財の才があり、主家の財政建て直しに功をあげる。
明治23年高知県から選ばれ衆議院議員に当選した。
明治29年朝鮮の京釜鉄道の専務理事となり、以後実業家として活躍。
明治40年京釜鉄道が国有となり、東京に引き上げ、実業人として働く。
明治45年、高知市に私立高知工業高校を作った。秋田鉱山専門学校も創設。
大正11年1月9日東京の自邸で病没。84歳。
竹内 明太郎先生 (実業家、政治家) 1860~1928
万延元年2月28日、竹内網の長男として、幡多郡宿毛村(宿毛市)に生まれる。
父に従って上京し、英・仏語を学びのち自由党に入り東京絵入自由新聞を刊行する。
さらに鉱山業に転じ茨城無煙炭、夕張炭鉱、竹内鉱業、九州唐津鉄工所を経営する。
大正4年、6年、9年と代議士に当選、政友会に所属する。
また、早稲田大学理工科の新設に尽力し、私立高知工業高校を創立するなど産業教育の振興に貢献した。
昭和3年3月23日没。69歳。