tRNAによる遺伝暗号解読を行わない例外的な遺伝暗号解読機構である終止コドンの解読機構について、tRNA擬態タンパク質分子であるペプチド鎖解因子(RF)を中心に研究しています。
リボソームという細胞内分子装置により染色体DNAからmRNA上に転写された遺伝子情報が解読されタンパク質のアミノ酸配列に変換される過程は翻訳反応と呼ばれます。mRNA上のタンパク質情報は、コドンと呼ばれるG、A、U、C4種類の塩基の3塩基ずつの組み合せを単位とする計64通り(4の3乗)の遺伝暗号により記述されています。この組み合せとその意味の対応を一覧表にしたのが、高校の教科書でも出てくる遺伝暗号表であり、生命の基本ルールです。
64通りのうち61コドンは、タンパク質を構成する20種類のアミノ酸のどれか一つとして解読されますが、残りの3コドンはアミノ酸に対応しておらず、リボソームによる翻訳反応完了の指令として解読されるため終止コドンと呼ばれます。アミノ酸に対応するコドンの解読には、tRNAというL字型立体構造(図A)をもつ機能性核酸分子がそれぞれのコドンに対応したアダプターとなることが解明され、それ以来この半世紀で数多くの研究者がtRNAによるコドン解読機構の研究で功績を残し、膨大な成果が蓄積しています。そして、tRNAが関わる病気の発症機構解明や治療応用、新規な機能性タンパク質の合成など、多様な医工学的応用研究へと発展しています。しかしながら終止コドンの解読にはtRNAが関与しないため、異端として長らく研究の主流から置き去りにされてきました。意外なことですが、Watson-Crickの二重らせん発見以来の分子生物学の教科書は、「どのような分子原理で終止コドンが解読されるのか?」という生物学上の基本的な問いに 長らく答えてこなかったのです。我々の研究室ではこれまで、分子遺伝学解析手法を中心に、生化学・構造生物学的解析との連携により、かの問いに答えるべく終止コドンの解読機構の基本分子メカニズムの解明を目指してきました。そして、研究の途上で次第に明らかになってきたことは、終止コドン解読にはtRNAのような機能性を獲得したRFと呼ばれるタンパク質分子がリボソームで機能するという事実でした。
図 A. リボソームの中のtRNA
tRNA(中央L字型の分子、青)はリボソームRNA(rRNA、 黄色、橙)と共に原始の生命系RNAワールドで密接な機能性を確立した。赤と紫はタンパク質成分であり、tRNAがRNA-RNA中心の相互作用の中で機能することがよくわかる。RFはリボソームの中で、分子擬態によりtRNA同様の機能性を発揮できると考えられる。
pdb: 2wdkより断面図を作図。
私たちは最近、この事実を鮮明に示す新知見として、酵母から我々ヒトを含む真核生物や古細菌に共通するRFの立体機能構造の解明に相次いで成功しました。驚いたことに、真核生物や古細菌のRFは、tRNAと構造が類似するばかりでなく立体構造上の機能部位もtRNAと見事に対応したのです。我々はこのような現象を、昆虫等の世界では日常的に見いだされる擬態現象になぞらえ、異種生体高分子種であるタンパク質(RF)とtRNA間の分子擬態(RF-tRNA macromolecular mimicry)と呼んでいます(図B)。
生命の物質進化では最初に機能性核酸分子が中心の原始生命系が誕生したという仮説が提唱されています(RNAワールド仮説)。tRNAは、その主要成分がRNAであるリボソームと共に現存生物の共通祖先となる原始細胞完成以前に機能を完成させたRNA分子化石と考えられています(図A)。ですから、タンパク質によるtRNA分子擬態は、進化の歴史上は後発だがより多彩な物理化学的な特性を兼ね備えた新参者であるタンパク質分子による核酸機能の戦略的乗っ取りとも考えられるのかも知れません。
図 B. タンパク質である(RF)と核酸である(tRNA)間の分子擬態
両分子の骨格はそれぞれ異なるポリマーからなるが、全体として類似の機能形態を実現している。tRNA擬態タンパク質は終止コドンの解読を通して、遺伝暗号表を拡張し高次機能の実現を可能にしているのだろう。
さて、「なぜ終止コドンだけがタンパク質のtRNA擬態分子で解読されるのか?」これは研究者に突きつけられた新たな難問です。近年、終止コドンの解読が、病気の発症に関わる重要タンパク質の発現調節や、遺伝病の重篤化等にも深く関わるタンパク質合成の細胞内監視機構と共役する現象が数多く見いだされています。この終止コドンの多義的な側面によりゲノム遺伝暗号の拡張と高次生体機能発現を可能になります。私たちは、tRNA擬態タンパク質がその物性的な強みを活かして、核酸ではなし得なかった基本タンパク質合成装置と他の生理機能因子との多彩なネットワークの形成が可能になり多義的に機能すると考えています(図B)。
(新領域創成科学研究科広報誌 創成19号掲載のものを一部改変)
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