私たち生命分子遺伝学分野では、個々の mRNA から合成されるタンパク質量に差異を生み出しうる、tRNA 擬態分子を中心とする多様な翻訳反応の仕組みと、その反応に関わる分子のはたらきに注目して研究しています。
mRNA に書き写された遺伝情報(塩基配列情報)は、特定のアミノ酸が付加された tRNA と mRNA との塩基対合を介して、アミノ酸配列情報として解読されます。このときの塩基配列とアミノ酸の対応は遺伝暗号とも呼ばれています。遺伝暗号の解読に伴って生体内の機能性分子であるタンパク質が合成され、遺伝情報が生体機能として発現することになります。
遺伝暗号表には 20 種類のアミノ酸に対応するコドンに加えて、どのアミノ酸にも対応しないでタンパク質合成の終了を合図する 3 つのコドン — 終止コドン —が存在します。アミノ酸に対応するコドンが tRNA によって解読されるのに対して、終止コドンはペプチド鎖解離因子と呼ばれるタンパク質によって解読されます。まだタンパク質分子の立体構造に関する知見が乏しかったころ、解離因子が tRNA を分子的に擬態しているのではないかと考え、「解離因子-tRNA 分子擬態仮説」を提唱し、現在まで解離因子の分子機能の解明へ向けた研究に取り組んできています。解離因子と tRNA との類似性と相違性を検証しながら、なぜ tRNA ではなくタンパク質性の因子が翻訳終結反応を担うようになったのか明らかにしたいという思いが研究の根底となっています。
真核生物には解離因子 (eRF1/SUP45) のほかにも tRNA に擬態する分子が知られています。酵母では DOM34 と呼ばれるその分子は、tRNA や解離因子のように特定のコドンを認識しているわけではなく、翻訳反応が滞ってしまう「異常な」mRNA を認識していると言われています。tRNA 擬態分子は単純に遺伝暗号表のコドンとアンチコドンの塩基対合を擬態するにとどまらず、翻訳の過程にあるリボソームの遺伝暗号解読部位での mRNA の状態も認識することができると言えそうです。どのような状態を認識しうるのか、その共通性と特異性を明らかにしたいと思って研究を進めています。
真核生物では tRNA も tRNA 擬態分子たちも「運搬分子」の介在によって翻訳過程にあるリボソームへと進入します。これら運搬分子は翻訳 G タンパク質と呼ばれる一群のタンパク質の一種です。tRNA と tRNA 擬態分子たちは、それぞれ特異的な運搬分子とペアになって機能しています。これらの運搬分子の G タンパク質ドメインの間には高い相同性があることから、運搬分子には進化的に共通の起源をもつ機能的にも類似した分子だと考えられます。
真核生物でも原核生物でもない第三の生物として知られる古細菌の多くは、解離因子のための特異的な運搬因子を持たないことがゲノム解析からわかっていました。私たちは、このような古細菌では tRNA の運搬分子 (EF-Tu/EF-1A) が tRNA 擬態分子も運搬していることを明らかにしました。このように tRNA と tRNA 擬態分子の機能の相同性について、進化的な側面からも理解を深めることを目指して研究を進めています。
一方、真核生物の代表的なモデル生物である出芽酵母には、SKI7 という第四の運搬因子様の分子が知られています。DOM34 やその運搬分子 HBS1 と同様に「異常な」mRNA の認識に関わることは知られていますが、SKI7とペアとなる tRNA 擬態分子は未だ発見されていません。SKI7 は tRNA 擬態分子を必要としないのか、そうであればどのような状態のリボソームにどう作用しているのか、tRNA 擬態分子だけでなく運搬分子側の役割にも注目して研究を進めています。
一方で、原核生物の解離因子研究では解離因子と tRNA との大きな相違性も明らかにされています。興味深いことに、原核生物の解離因子 (RF1, RF2)は tRNA とは異なり、その機能に運搬因子を必要としていなかったのです。これらの因子は tRNA 擬態分子単体でリボソームに進入してペプチド鎖の解離反応を担います。ところが原核生物の翻訳終結反応にも、やはり翻訳 G タンパク質 (RF3) が関わっていることが知られています。この G タンパク質は tRNA 擬態分子と直接結合するわけではなく、翻訳を終結させた後でリボソーム上に留まっている tRNA 擬態分子を開放する役割を担っており、アミノ酸の転移が終わった tRNA を排出してリボソームを 1 コドン分進める役割を担う翻訳 G タンパク質 (EF-G/EF-2) に類似していると考えられています。
これらの事実は、終止コドンを認識する tRNA 擬態分子は原核生物と真核生物/古細菌では起源が異なり、これらの生物が分岐したあとで獲得されたことを示唆しています。私たちは、翻訳反応の終結という生物の根元に関わるしくみが原核生物と真核生物では異なってることに興味を持ち、このしくみの違いがタンパク質合成の制御のしくみや、タンパク質合成の全体像にどのような差を生むのか、原核生物と真核生物を対比しながら検証を進めています。
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