蛍光相互相関分光法による細胞内解離定数の測定法の開発

研究目的

私たちのグループでは、「がん細胞の細胞内情報伝達系をコンピュータ上で再現する」ことを目的に研究を進めています。がん細胞の細胞内情報伝達系のモデルを作るには、「タンパク質の濃度」「拡散速度」「酵素反応」「解離定数」の4つの情報が必要です。私はこれらの情報のうち、「タンパク質間の相互作用の大きさ」の指標である「解離定数」に着目し、生細胞のなかで測定する方法を開発することを目指しました。この情報が細胞のモデルの構築において必須であるにも関わらず、これまで試験管内でしか測定する方法がなかったからです。

試験管内には他の分子が存在しないため、相互作用の大きさは「理想的な値」になります。しかし細胞内では、分子混み合いや競合阻害といった細胞の環境が相互作用の大きさに影響を与えます。このため、試験管内で測定したタンパク質間の相互作用の大きさは、生細胞内におけるタンパク質の相互作用の大きさとは異なると予想されます。このことから、私は生細胞内でタンパク質間の相互作用を求める必要があると考えました。

結果

まず「生細胞内でタンパク質間相互作用を定量する方法の開発」を行いました。タンパク質間の相互作用の大きさを表す指標である解離定数(Kd)を算出するためには「タンパク質の濃度」と「複合体の濃度」という2つの情報が必要です。そこで、蛍光相互相関分光法 (FCCS) に着目しました。これはレーザー光がつくる小さな領域の蛍光のゆらぎを測定することで蛍光タンパク質の濃度、複合体の濃度を算出する方法です。

この方法を生細胞内での相互作用解析に応用するため、条件検討を行いました。先行研究の測定条件は、定量的な測定を行うには不十分でした。そのため、使用する蛍光タンパク質やレーザーパワーなどを、データを見ながら1つずつ最適化する必要がありました。試行錯誤の末、細胞質で発現するタンパク質の解離定数の定量に成功しました。次にこの方法を用いて、がん化に重要なことが知られているRas-ERK経路に含まれる24種類のタンパク質相互作用を定量しました。

すると、細胞内Kdの値は試験管内Kd値に比べて大きくなる、つまり相互作用が小さくなることが分かりました。よって、細胞内では競合阻害がタンパク質間の相互作用に有意に寄与していることが示唆されました。

さらにウェスタンブロッティングによりRas-ERK経路に含まれるタンパク質の濃度についても測定を行い、Ras-ERK経路に含まれるタンパク質の相互作用と濃度について定量的な情報を得ました。これらの値を用いてモデルを構築し、数値解析を行いました。解析結果と実験データを比較した結果、Shc1がEGFRに複数個結合することが、Ras-ERK経路の活性化に重要だという仮説が立ちました。そこで実験的に調べたところ、平均して2.8個のShcがEGFRに結合していると見積もることができました。

コメント

・本研究により、生細胞内でタンパク質の相互作用を定量化することに成功しました。この方法から得られた面白い結果は、細胞内のin vivo Kdは報告されているin vitro Kdよりもかなり大きい値を示すということです。このことは、細胞内では他のシグナル分子による競合阻害によるタンパク質間の相互作用への影響がとても大きいことを示唆するものです。

・FCCSは分子を固層化する必要がなく検出感度も高いものです。このことから、今後、FCCSが生細胞内での相互作用解析に有用なツールとしてもっと広まってほしいと願っています。

・一番苦しかったのは結果①の条件検討のときです。「試行錯誤」と書きましたが、どちらかというと暗中模索に近かったです。また、テーマも手法もマニアックすぎて学会発表で人が全く来ないこともしょっちゅうありました。悔しい思いをする時期が長かったですが、その分国際学会でポスター賞をいただけたこと、無事に論文が受理されたことがとても嬉しかったです。

・研究の遂行にあたり、青木さんをはじめ、研究室内外の方々に本当にお世話になりました。ありがとうございました。

文責:定家