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第18集 その他

0) 掲示板利用情報から 【2:3】

2 名前:96169 投稿日: 2013/06/14(金) 09:09:41

久し振りです。これまで何回も書き込みの努力をしたのですが、NGの言葉があるという表示で掲示板に書き込みが出来ず、そんな状態で数か月が経過しました。書き込もうとしてもできないデ、アプロウチ不能な状態が続きました。

何台か持つコンピュータのどれを使っても、書き込みが自動的に不可能になるので、ことによると妨害工作が行われ、書き込みが妨害されているという気もします。

かつて「宇宙巡礼」を運営していた人が、脱落の行きがけの駄賃として、私に楯突いて喧嘩を挑み、色んな妨害で「記事」を読めなくしたり、嫌がらせをした例もあるし、権力者が変なウイルスを注入したりした例もあつたから、読者の中にも似たケースの被害があったかも知れません。

外国に置いてあるコンピュータを使っても、書き込みができない事実に加えて、中国では「宇宙巡礼」のサイトだけでなく、カミトロニクスも開けなかった体験から、権力によるセンサーによる妨害工作も予想できます。

それは最近の盗聴関連の国内法や和製NSC計画の発足など、情報統制の動きからしても、何かが着実に進んでいることは確かです。だが、権力者たちが「なりすまし」や「ニセメール」などと言い、コンピュータ犯罪を騒ぎたてている陰で、彼らが情報管理を強化している感じです。

パームスプリングスでのサミットでの話題が、サイバーテロによる情報操作が、米中の新しい戦争行為だと認識されたように、ウェブの支配と操作は権力者の最優先課題です。私へのウイルス攻撃は熾烈で奇妙な変調が続発し、それに対抗するのに疲れましたが、辛うじてメールだけは使える状態で、監視されている感じで苦労しています。

日本語で書きこみをするために、そこで今回は他の人のコンピュータを使い、私に関連しそうなことには一切触れず、無事に壁を通過するように、自分の名も使わずこの書き込みを試みた次第です。ことによると過去の記録を保護するために、「宇宙巡礼」も裏サイトが必要かもしれません。

この問題に詳しい人たちが意見を出し合って、何らかの対策を考えて頂けたらと思います。

3 名前:千々松 健 投稿日: 2013/06/16(日) 13:50:18

昨年の金環日食のあった日に慧智研究所の霧島降臨が為された記録が「インテリジェンスしゅうれんと慧智を求める旅路」レス21に残っています。2012.5.21の7時7分7秒。この並びラッキーセブンは奇遇です。

同じ日に「カミトロニクス」レス48では「宇宙巡礼と21世紀マンダラ」のグーグルサイト立ち上げを公表していたのですが、今から思うとシンクロニティであった訳です。

BC3世紀の始皇帝の焚書坑儒とAD4世紀のアレクサンドリア図書館の破壊は相似象になります。いつの時代に於いても権力者が行おうとする思想、言論、科学、宗教等に対する統制は厳しいのですが、それはICT時代の21世紀に於いてなお更です。

Webの歴史の中で考えるならば、元々がネットワークを破壊されようとした場合に、それを少しでも緩和させるために考えられたのがインターネットだから、その技術は情報管理の方法として両刃の剣になりましょう。

1)新記事 から 【76,89】

藤原肇博士と坂田英雄画伯の対談

「国際舞台で存在感を喪失し続ける日本」

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai100101.html

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai100701.html

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai100801.html

76千々松 健:2010/03/22(月) 14:27:29

<上記の対談にヒントを得て>一部修正済み

受動型のフィード・バック方式に対して、能動型のフィード・フォワード方式は先読みして変化を積極的に取り込み、戦略的に(Want)、目標設定して(Plan)、挑戦する(Action)やり方と言えよう。

また、一見コトバは逆と思われるかもしれないが、フィード・バックは「順序」に、フィード・フォワードは「逆序」にカサネられると思う。前者は改善・改良・改革が特異なトヨタ的な経営と言えるし、後者は未来戦略に相当し、より大局観が必要とされるホンダ的な経営感覚と言えよう。

いずれにしても「順序+逆序=秩序」の考えからすれば、仕事(組織経営)には両方の方式が整備されなくてはならないだろう。大事なことは両者のバランス感覚(太極的な見方)かもしれない。

89千々松 健:2011/06/28(火) 21:52:37

失敗学の権威である畑村洋太郎氏は今回の「想定外」の原発事故に関連して、「順演算」と「逆演算」の話をしている。逆演算の思考方法を不得意とする人々には「想定外の事態は見えてこない」と言う。「事故は起こる」と最初に想定して、それを防ぐ方策をゼロベースから考える習慣を身につけないといけないと言う。

しかり。然り。これからは逆数や逆行列の数学的思考が重要になってくるだろう。『順序と逆序で秩序が成り立っている』という大局観(太極的な視点)は実はそのことを意味していると思われます。

岸田秀氏曰くの「自閉的共同体」現象にしても、携帯電話の「ガラパゴス化」現象にしても、現状の「閉塞感」はストレスの限界に来ているようです。

地球表面のストレス発散が3.11の大地震なら、

「自閉的共同体」のストレス発散は何に成るのでしょうか?

そして、政治的閉塞感のストレス発散では何が起こるのでしょうか?

2) カミトロニクスに関しての議論 から 【1:53】

1藤原肇:2011/08/11(木) 22:20:13

『生命知の殿堂』において活用したカミトロニクスに関して、未知の読者から早速とても有意義な提言が届き、この問題をより良い方向に発展させるために、その提言を公開するので皆さんで議論を進めて下さい。

それにしても、「宇宙巡礼」の常連とは違った世界の人から、最初の反応が提言の形であったことは実に刺激的でした。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/jf/proposal.pdf

私のような古いグーテンベルク世代にとっては、紙とエレクトロニクスの合成を試行錯誤して、カミトロニクスの実用化の発明に至ったとはいえ、電子化の問題に深入りする能力には限界があります。

より若い世代による賑やかな議論を通じて、カミトロニクスが新しい知の領域として発展し、どんどん改良され利用されるように願ってやみません。

3千々松 健:2011/08/14(日) 12:19:19

50年前に実際に起きたソ連の原子力潜水艦事故をテーマにした「K19」映画(2002年ハリソン・フォード監督・主演)について、キーワードの「ASK」をコメントしたことがあります。

本当はそれに映画の一場面でも映像をリンク出来たら良かったと思っています。(その台詞の入る30秒間のチョット見だけでもOKですから)

http://8w1hflkm.jp/thinking/ask.html

5藤原肇:2011/08/14(日) 16:17:51

1で私が『皆さんで議論を進めて下さい』と書いたのは、千々松さんが指摘しているaskを試みたつもりです。そして、公開した提言画サイトからエラーとして撥ねられ、何度も試みて最後にhttpを外しましたが、より若い世代から解決案や別の提言が反応としてなかったので、ガッカリしていたところに、シンクロニシティでaskの意味論が現れたので驚きました。

この未知の読者は本が書店に並んだ時点で読み、鯉帯にあるように興奮して眠れずにカミトロニクスを試し、著者に問題点を教える労を取ったのでしょう。未知の読者だけに大いなる感激です。私は本を買っただけの人は読者だと思っておらず、買って眺めるだけの人ではなくて、批判や意見を言ってくれるような人を読者として好みます。

その件に関しては『生命知の殿堂』の記事の中に、予習もしないで講義に出席する最近の大学生について、書いているように思うのでこれ以上の議論を省略します。日本全体が閉塞感に支配されているとはいえ、「宇宙巡礼」の中まで低迷した空気が流れ込んだのでは、宇宙が可哀そうだと言う気がします。

誰か掲示板にNGでエラー扱いされた時に、httpで始まるURLを押しこむ隠し技を知っていたら、秘法を書きこんでこの問題で苦労している私に教えて下さい。どうもコンピュータは気紛れらしく、時にはパスすることがあるので、抜け穴もあるに違いないと勘ぐっています。

6千々松 健:2011/08/14(日) 21:38:13

特別な裏技ではないのですが、普段は「ワード文章」ではなく「メモ帳」機能にて文章を作成し、その中にリンク先【http://以下】をコピーして置き、投稿時には一括してコピーして貼り付ける様にしています。私の記憶では今まで拒否されたことはなかったと思います。多分、シンプル・イズ・ベストなのかも知れません。

9千々松 健:2011/08/16(火) 21:43:43

ヒカルランド内のURLから「カミトロニクス」の威力を確認できました。実のところ、8月12日に「生命知の殿堂」を入手して直ぐにアクセスしたのですが、昨15日までは途中で止まってしまい中に入っていけませんでした。それが16日になってから問題なく入っていけて、インテルメッツオをWEB上で見ることが可能になりました。

未だ全てをチェックは出来ていませんが、例の「インテルメッツオ40」ではSENGAIが書き残した○△□の絵図の意味を出光佐三氏ご本人が「宇宙」とされ、彼の友人であった鈴木大拙が「The Universe」と翻訳して海外に紹介したことを知りこととなりました。

ただし、Space「宇宙、場」と翻訳しなかったことについては「場の研究所」の清水博先生にはご異論があるのではないかと推察いたします。

18千々松 健:2011/08/17(水) 18:29:37

グーグル検索の日々のロゴマークによると、8月17日はフェルマーの誕生日(1601年生れ)らしい。

有名なフェルマーの最終定理に関しては「mod9で見る 脱ピタゴラスとフェルマーの最終定理」のタイトルのもと、新しい数論であるモジュラー形式に於いては、全く変容した世界となることを2009年6月8日に示しました。

その根拠は、フィボナッチ数列の【mod 9】化から導き出される「FLKM系列」の特徴である1-8,2-7,3-6,4-5と9との組み合わせに在るコトが理解されるはずです。そして【3^3+6^3=9^3】ミロクの世界が成立してしまうのは驚異でした。

最近は「数学ブーム」とか言われているようですが、mod9を理解することから「宇宙巡礼」の旅路は広がることでしょう。そして、それは「生命知の殿堂」に繋がる道であると私は思います。

http://8w1hflkm.jp/pythagoras/21P.html

48千々松 健:2012/05/21(月) 15:46:02

思えば、この掲示板への投稿を初めて4年近くになりますが、かなりの量に増えてしまいましたので、私なりに一度整理をして、個人的な投稿集として下記のグーグルサイトに載せました。名前の左側の数字をクリックすれば、この掲示板の原文にリンクすることが可能です。

「宇宙巡礼と21世紀マンダラ」

https://sites.google.com/site/21mandala/home

この「21世紀マンダラ」では、金剛マンダラが神聖方陣に、胎蔵界マンダラがラセンモデルに相当いたします。

第1集:mono.koto 「モノとコトあるいはカタチとコトバ」

第2集:FF.Pantheon 「フィボナッチ数列の殿堂」への夢

第3集:books 「最近読んで印象的だった本」

第4集:Divine ratio「フィボナッチ数列や律動とラチオについて」

<金環日食を記念して>

以下、第18集まで予定

50 名前:月水金 投稿日: 2013/03/18(月) 09:43:00

今の地球の置かれた位置がマヤの暦からしても何があってもおかしくなく、天の星回りがどう計測してもただ事ならないということは、狂いが最も集約している場所に異常が集中して起きるのは天の定めで、それが日本列島における歪みとして現れている。

昨年末にあった選挙結果が示す通りの異常さから考えるならば、日本の政治や社会の狂態はどう考えても凶の極みであることは疑いの余地がない。東京電力の福島原子力発電所の爆発を招いた東北大震災を始めとして、国民を平然と裏切った民主党の自滅に続き、自民党が再登場して戦争を望む安倍政権が誕生したのを見る限りにおいては、日本は自滅に向かって大暴走しているというしかない。

そんな状況におけるここ数か月のことだと思うが、足跡が消えてしまったので心配の気持ちに支配されて、藤原さんはどこで何をしているのかと気になっていた。八白金星の藤原さんは現在において天中殺に入っており、それを察知して地の利を選んで移動したのだろうと考え、どの方角だろうかと考えて見たら「フナイ」の二月号の記事に、フランスのルルドに行ったという記事が出ていた。

最近の経歴を調べたら、掲示板の年賀の挨拶のところに「今年は50年ぶりに日本で正月を迎え、霧島神宮に初詣を試みました」とあったので、元旦に高千穂にいたとすると古式陰陽道の「方違え」からすれば、天竺の須弥山の方角かという感じがした。

そうなると次の方角はどうも西方浄土に向かい、そこで心の安静を楽しんでいるようだと思ったら、三月号ではプラトンやピタゴラスについての考察だったので、どうやら場所はギリシアらしいと分かった。やるほど、ギリシアだったか。

http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-3934.html#more

51 名前:藤原肇 投稿日: 2013/03/20(水) 13:54:13

それほどまで心配して頂き感謝します。誕生日がハロウィーンの日であり、この日はドルイド信仰の収穫祭であり、日本のお盆に似て火祭りをするとか、ケルトの習俗では魑魅魍魎を鎮めるとかで、子供たちが妖怪変化の仮装をするのです。だから、私としては大晦日だと思っていたので、大して星めぐりを気にしませんでしたが、それがアジアの五行では別の組み合わせで、天中殺と重なっていたとは驚きの情報でした。

それにしても、西方浄土まで考えてもらっていたとは、その老婆心に感謝したいとはいえ、私は目下のところシリカに興味を傾注し、そんな対談を「フナイ」に載せたところです。だから、私の浄土は薬師如来の瑠璃光浄土でして、一年前にブッダガヤを訪れた体験に基づき、目下のところ仏典のマンダラを眺めており、春になったら四国八八か所を訪れて、空海の足跡と地質の関係で辿ってみるつもりです。

52 名前:千々松 健 投稿日: 2013/03/20(水) 21:41:21

51>瑠璃光浄土に寄せて

瑠璃はラピスラズリのことですが、ドロマイト(苦灰石)は、そのラピスラズリの原石中によく含まれる白い部分で、カルシウム成分がマグネシウムに変換されたものです。

ここで、ルルド・ルリ・ラピスラズリと言葉を並べてみるとラ行が抽出されます。舌を巻いて発音する点が共通します。「羅=ラ」から螺旋、渦巻き、竜巻、流転、森羅万象の循環がイメージされます。また、トーラスの呼び名にしてもトータルにラの複数形がくっ付いていると考えたら、「陰と陽のラセンの統合体」がト―ラスの本質と言えるのかもしれませんね。

そして、フトマニ図の中心に置かれた「アウワの図象」に注目すれば、天を意味するアの渦巻きと地を意味するワの逆回りの渦巻きが確認されるのです。そして、順序+逆序=秩序としてのウ(宇宙)が描かれているのです。

前に少し述べたように、レオナルド・ダ・ヴィンチは「モナリザ」の絵にその有り様を描いていると私は確信しています。彼が日本のフトマニ図を知っていたかどうかは不明ですが、水流や歯車に関心を持ち、鏡文字を得意としていた天才のことですから、脳裏に相似象として浮かんでいたと思われるのです。

53 名前:AAA 投稿日: 2013/04/20(土) 20:05:52

カミトロニクスに関連した「生命知の殿堂」の紹介で、「ザ・フナイ」の三月号の記事としてプラトンに関連した対談が行われているようです。

冒頭の部分だけしか紹介されていませんが、興味深いテーマの対談のようです。

URLは次の通りです。

http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-3934.html#more

3) 3.11以降の世界と現代文明のゆくえ から【5,6、22-37】

5 名前:千々松 健 投稿日: 2011/06/30(木) 16:09:55

この際、大学の理学部と工学部の差異に注目する必要がありそうだ。

前者は科学を後者は技術を学ぶことが基本となる。サイエンス(科学)とテクノロジー(技術)は一連のものではなく、分離して考えるコトが大切であり、理工学部というのは二兎を追うものであり感心しない。科学技術研究所なども科学研究所、技術センターと分離するか、せめて科学・技術研究所とすべきだろう。

サイエンス軽視の風潮はフクシマ原発事故をもたらしたと言えるし、或る一定の枠の中でしか思考しないという技術屋の限界が示されてしまった。

サイエンスは奥の深いものであり、「既知のものから未知のコトを考えたり、未知のコトから既知のものを考えたり」特に自然科学分野は観察と実験をベースにした基本的な人材教育がなされるべきと思う。

そして今は、数学・物理学・生物学・地学・化学、、全ての自然科学を通じて一段階上の共通項を探る「メタ・サイエンス」の進化が期待されるのです。

6 名前:千々松 健 投稿日: 2011/06/30(木) 22:26:45

【オイラーの多面体定理:頂点の数+面の数-辺の数=2】

とテオンの数列【-363,-120,-39,-12,-3,0,1,2,5,14,41,122,365】の特徴の一つである1を中心軸にした場合のマイナスとプラス方向の対称位置同士の合計数が常に2となることとの関連については、何か不思議な関係が在りそうです。

ダイヤモンドのシュトーレンカットの創始者である首藤尚丈氏は、そのあたりを研究され既に何かを掴んでいたはずですが、数年前に早世されてしまい誠に残念です。

22藤原肇:2012/07/22(日) 07:41:07

夏の霧島では恒例の「霧島国際音楽祭」が開催され、今年は7月18日から8月5日にかけて、「雄大な自然と音楽のハーモニー」と題し、第33回目の音楽フェスティバルが行われる。数多くのコンサートが催されるだけでなく、ワークショップやマスタークラスが企画され、音楽愛好家たちに至福の体験を提供するが、その音楽監督はチェリストの堤剛さんである。

「神宮の森に響くチェロとピアノの癒しの音」と題して、7月21日の夕暮れの19時30分から霧島神宮で、ピアニストの仲道郁代とチェリストの長谷川陽子による、ショパンを中心にした「かがり火コンサート」が行われた。神楽堂に隣接して作られたコンサートステージに、黒塗りのコンサートピアノが据え付けられ、客席を囲んで燃え盛るかがり火に照らされて、「レオノーレ」序曲のファンファーレの響きで始まったが、トランペットの吹奏はアレクセイ・トカレフであり、ペテルブルグ交響楽団の主任トランペッターである。

続いて中島宮司の挨拶が演奏の前に行われたが、この日は朝から雨模様だったので心配していたのに、午後には雨が上がって無事にかがり火が燃え上がり会が無事に開かれ、天の思し召しとの感謝の気持を表示したのであり、この宮司には中曽根大震災の記事を差し上げていたので、不思議で神秘な星のめぐり合わせ下での再会になった。ピアノ演奏の観察の都合で選んだ座席は中列左側で、四抱えもあるヒノキの巨木が左前方に聳え立ち、この古木の前方でかがり火が燃えているので、その彼方にステージの奏者が位置している構図が、何とも神妙でそこが聖域だけにとても印象深かった。多くの物事が根元では一本にまとまって集まる現象として、ささら的な世界が広がっている寓意なのだろうか。

23千々松 健:2012/07/23(月) 16:34:49

先の吉田秀和さんを送る会では、バッハの「G線上のアリア」が水戸室内管弦楽団により演奏されました。私は水戸芸術館の方に参列したのですが、サントリーホールの方では小澤征爾氏が指揮されたそうです。

21日の霧島国際音楽祭の前夜祭でもこの曲が入っていたと思いますが、霧島神宮での篝火と巨木の聖域で奏でられた「G線上のアリア」は、どんなにか素敵だったことでしょう!

25藤原肇:2012/07/23(月) 21:34:46

バッハの「G線上のアリア」の響きは実に象徴的であり、朱色と白色で塗り分けられたコンサートステージの中で、黄金色のピアニストと青色のチェリストのドレスに、漆黒のピアノの色の組み合わせで五色が揃い、何とも心地よい配色の空間が生まれていた。それにしても、ショパン特集としてのこの夜のコンサートの曲目が、「エチュード」、「革命」、「別れの曲」、「英雄」、「ポロネーズ」と続いていく前に、まず「夜想曲」から始まったのは順当な選曲にしても、その次にバッハの「無伴奏チェロのための」シャコンヌが配置されていたのは、何というシンクロニシティかと思わず目と耳を疑ってしまった。そして、丸山真男先生の面影がかがり火の向こうに浮かび上がり、これこそ星のめぐり合わせかと呆然とした気分に支配された。

それにしても、現在の日本は国際化という世界の趨勢の中で、皇国史観の妄想に支配された政経塾内閣の狂信的な路線を支えるマスコミにより、国境という枠組の中で物事を考えるバカな政治家たちが、古臭い経済国家主義と領土観に基づき、尖閣列島だのオスプレイだのに熱を上げている。そして、日本中が混沌の中で閉塞感と劣等感の狂気に包まれ、領土だとか民族の血といった国粋感情の中に沈み込み、狂おしい執拗低音が日本列島を揺るがせている中で、鹿児島や沖縄が戦場になりかねない忌まわしい陰謀が進んでいる。亡国に向けてのパッソ・オスティナートの不吉な旋律が、中曽根バブルや中曽根大震災という不協和音の乱れとともに、北東アジア全域に放射能と入り混じって降り注いでおり、それが大地の唸りを呼び起こそうとしている。まさに、忌まわしい精神の古層が剥き出しになり、21世紀の時代に幕末現象の維新ブームが蘇っているが、あの世で丸山先生は何と嘆いているかと思った。

マグマ溜まりか上昇し爆発して地表に積もり、シラス台地を作った南九州の霧島に、日本の古層が剥き出しになった聖域に流れていく、パッソ・オスティナードには不順な響きはないのに、海を越えた沖縄や屋久島の周辺からは、胆に響く低音の唸りの波動が伝わってくる。日本のメディアと官僚は既得権を守るために、つい最近まで小沢いじめに熱を上げていた癖に、己の浅はかな虐め習性には目をつぶり、中学生のいじめ事件を騒ぎ立てているし、文部省にいじめ対策の部門を作るとかほざいているけれど、日本全体がいじめ国家であることを忘れている。そんなことが頭を掠めているうちに、幾度かのアンコールの後で演奏者が巫女さんから花束を受け、この夜の音楽界は終了して闇夜の石段を降り、温泉に入って身体のしこりを解きほぐしてから安眠したのである。

26千々松 健:2012/07/23(月) 22:26:53

霧島国際音楽祭の音楽監督の堤剛氏は桐朋学園で吉田秀和らの育てた逸材です。その秀和は那智大社の宮司の末裔として生まれていたらしいから、きっと神聖なる感覚を持っていたに違いないと思う。本日のNHKのクローズアップ現代でも秀和が取り上げられていたが「自分で考えるコトの大切さ」と、最晩年に遭遇した原発事故からのショックも大きく「この国は病んでいる」という自筆原稿のコトバは身につまされる想いがした。

さて地図上では、霧島神宮・熊野那智大社・鹿島神社を結ぶ線がほぼ一直線上に並んでいて、かつ等間隔です。鹿島神社のある常陸の国(茨城県)は日本の原発発祥の地であるので、新県人としては一度はこの鹿島神宮に参拝しなければならないと思う。

27David 見城:2012/07/24(火) 07:09:46

夏の夜に、霧島神宮の薪能ならぬ「かがり火コンサート」についての藤原さんの文章を読み、篝火に照らされた木立の神域に流れたショパンやバッハの響きを思い、また、歴史の流れを濃縮したようなその夜の饗宴の醍醐味の一端を味あわせて貰うことができたことを感謝したい。

大木の繁る森林の中で、火をたいて夏至祭りや夏祭りをする習慣は世界各地に見られるが、個人的には、7月のこの時期であれば、那智の火祭やボヘミアングローブとのシンクロニシティを感じざるを得ない。

この霧島神宮の話を読んで、かつて那智の火祭りを訪ねた際、神域に聳え立つ大木の杉木立と、その元で行われる火祭りの迫力ある様相を見て、那智の火祭りや古神道の原点が、ギルガメッシュが森の番人であるフンババを殺す前のレバノン杉の林の中にあり、エンタシスの柱はレバノン杉の森の神秘と生命力への畏怖から生まれたものだろうと直覚したことを思い出した。

レバノン杉の森に遠征し、森の番人のフンババを殺し、自然を征服したギルガメッシュの末裔である我々の祖先が、自然を破壊・征服し、諸資源を枯渇させつつ、営々と築いてきたのが今日に至る歴史の主流である。

現代の先進諸国の中で最大の森林保有率を誇る、極東の島国の日本に、自然信仰の対象である鎮守の森の緑と赤い社のコントラストが今も美しく息づいており、夏の一夜、篝火のもとその木立の中で人々がバッハやショパンの生演奏を深く味わっているという姿は、自然の器に文明のエッセンスを盛り付けたとでも言うべき不思議な取り合わせ効果を持っており、その一夕の出来事が、現代の一つの奇跡であることを示している。

しかし、現代文明の中の奇跡のオアシスのような霧島神宮の夏の一夜も、それが311以降の日本で起きている出来事だと改めて認識するとき、今、日本で急展開し続けている、ギリシャ悲劇にもないような究極の人類悲劇の中の劇中劇のような、入れ子構造の一部であることが意識され、人類が陥った深淵の深さと事態の深刻さがよりいっそう強調されるような気がした。

28藤原肇:2012/07/25(水) 22:25:44

この霧島国際音楽祭の音楽監督は堤剛さんで、数年前まではインディアナ大学の教授として、世界を舞台にチェリストとして活躍していたが、現在では桐朋学園大学の学長になっていているようだ。『オリンピアン幻想』の中に書いたと思うが、若い頃にモントレーの音楽祭に参加した時の体験談として、スイスに集まった音楽家の卵たちを相手に、トランプや議論に興じたことを綴ったことがある。当時は未だ海外留学をする若者が少なく、コンクールに入賞した音楽家たちがパイオニアだったし、桐朋学園で学んだ人たちが圧倒的だった。そうした音楽化の卵の演奏の腕前は優れていたのに、社会を見る目は温室育ちで子供っぽく、荒波の中で自活していくのかと心配したが、そんな音楽家の中で例外だったのが堤さんで、彼は政治でも歴史でも文明論にも関心を示し、議論なら何でもこなすルネッサンス人に属していた。その後の堤さんは母校インディアナ大で教え、毎年バンフで開かれる夏の芸術学院の先生として、赴任する前の数日をカルガリーの私の家で過ごし、議論を通じて音楽の世界を教えてくれたが、もし霧島で会えるなら30年ぶりの再会になる。

そんな思いでチェロが奏でるシャコンヌを聞き、丸山先生が会わずじまいで亡くなったという、天才少女で幻のヴァイオリニストとして知られた、諏訪内昌子さんのエピソードを思い出した。ソリストとして活躍していた彼女は、ふと思い当たってジュリアード音楽院に留学し、交換授業として出席できるコロンビア大学で、政治思想史の授業に出席したときに、丸山先生の名を知り著作全集17巻に挑戦したという。モルガンお雪やグーデンホフ光子の伝統で、日本の女性には物凄い才女が世界で活躍し、比較にならない威力で男を圧倒しているが、連綿と続くバカな首相たちを思うと情けない限りで、首相も天皇も女性に任せたくなってしまう。

地質学を専攻した私には古層が分かり易いが、丸山先生のお陰でパッソ・オスティナードという言葉を知り、何となくダイナミックな変化の相を感じて、私の歴史感覚にも多様性の色彩が加わり、46億年の地球の歴史に色合が出始めた。

歴史といえばハーバード大学で授業をしている、北川智子さんもサムライを男の独占から奪い、「ペアー・ルーリング」という新概念を打ち出して、左脳と右手が卓越する歴史観に異議を唱え、右脳と左腕の協調作業の役割を訴えている。しかも、彼女がショパンとバッハをピアノで弾き較べ、バッハでは主旋律を右手と左手で紡ぐと指摘したが、そこには執拗低音の秘密が捉えられており、まさに青天の霹靂の乱舞があったので、やはり日本は天照大神の世界だと痛感した。これが「かがり火コンサート」の収穫であり、霧島神宮の社殿が女性を象徴して作られたし、それに向かい人びとが参拝する理由が納得でき、豊かな知的収穫を得た一日になったと湯船で思った。

30藤原肇:2012/07/28(土) 23:01:26

夜中には雷鳴や閃光が闇夜を貫いて走るし、朝霧に包まれる空から雨粒が降り注ぐ霧島は、生命力を水で表現する地球の息吹を感じ、われわれの故郷が水の惑星であることを実感させる。悠久の時間の流れのたゆといを実感させる、大自然が伝えるこの懐かしい気分は、人間が作った文化や社会レベルの執拗低音ではなく、もっと根源的な自然のリズムと結びつく、生命の躍動を伝えるパッソ・オスティナートで、それはフィボナッチ数列のファイ律動である。そんな地球が生み出すリズムの快感に魅せられ、一年の半分近くを山歩きに費やすことで、北アルプスの穂高連峰の岩壁に遊んだ時代が、『山岳誌』の章句の中に刻印として残る。

あの頃は人生における疾風怒濤の時代で、大学一年の時は岸内閣打倒に熱を上げ、二年の夏季実習を栃木県の川俣ダムで体験し、後背地の地質調査をやったことにより、構造地質学や水資源の問題に強い興味を抱いていた。当時は秋葉ダムを始め奥只見や佐久間ダムなど、日本中がダム工事で賑わっていたし、黒四ダムなどの大計画が次々と発表になり、私は日本のダム建造能力が世界一だと思い、それをいささか得意に感じていた。

だから、フランスに留学した時に将来の抱負を聞かれて、コンゴ川にダムを作るような大計画か、サハラ砂漠の緑化をやりたいと答えたものだ。そうしたら、「世界最大のサハラ砂漠は大切な自然だから、後の世代がつきを眺めて瞑想する場所として、人手を加えずに残して置くことは考えないか」と指導教授に言われ面食らった思い出が懐かしい。

大学に入るのは山岳部のメンバーになるためで、その頃アンナプルナに出かけていたから、京都大学を受けて「桜の花散る」が続いて、浪人した後で埼玉大学の学生になったが、共に外国語としてフランス語で受験できたからだ。

というのは、中学時代から文学少年だったために、フランス語を独学からアテネフランセで学び、高校時代は御茶ノ水周辺の大学で、モグリの学生として明治、中央、日大などで授業を聞いた。

高校時代の後半は英語の授業を取らす、「こんな汚い言葉を口にしたら、フランス語の発音が濁る」と主張して、フランス語を専ら学んだとことの天罰とでもいうか、英語の能力は中学生のレベルだのに、その後カナダとアメリカに40年も住んだのだから、人生というのは実に皮肉な結果を生むものだ。

その後は市谷の日仏学院の学生になって、カトリックの神父から議論の仕方を学んだが、一般教養のほとんどはこの時に身につけたし、沢歩きを中心に山に親しむ青春を楽しんだ。

31千々松 健:2012/07/29(日) 11:33:15

<岩と水と木と・・・上高地や穂高連峰に“カンタータ”を感じつつ・・・>

真夏の太陽が照らす暑さの中でも、鹿島神宮の鎮守の森の中はひんやりとしていました。

寒中修行の執り行われる「御手洗(みたらし)」の湧水池の霊水は、地震を起こす鯰の頭を押さえ

ると伝えられた「要石」の真下辺りから流れているような位置関係にありました。ただし、この要

石にも拘らず3.11の東日本大震災で御影石製の大鳥居が崩壊してしまったのは誠に残念で、今度は

自身の森の杉大木を四本選んで再建するそうです。確かに石よりも木の方が生命力には溢れている

に違いないし、地震にも耐えられるかもしれません。

さて地震といえば今、構造地質学者や地震学者は水の影響力に注目が集まっていて、断層(岩盤の

境目)の強度が水で低下するという「水誘発説」が云われているようです。

また杉と言えばレバノン杉が思い出されますが、クフ王のピラミッドの南面地下に埋められていた

「太陽の船」二艘は、そのレバノン杉で構築されていましたから杉は水にも強いようですね。

32藤原肇:2012/08/02(木) 13:02:56

大学生になった年は60年アンポに重なり、クラス委員から全学委員に選ばれたが、当時は民青とかマル学とかの派閥抗争が酷く、パーティは部分だと軽蔑していた私は、党派性の抗争にはまったく関与することはなく、戦犯の岸内閣を倒すことに専念した。同時に日本中の大学の地質を専攻している学生を対象に、全国組織を作るためのオルグ活動をして、いろんな大学を訪れて調査と工作をしたことで、大学の実態と実力についての知識を得た。優秀な学生は花形の学科に競って行くために、どこへも行けない学生が集まるし、意欲的な学生が資源分野に関心を示さないのは昔から変わりない。だから、就職口や月給が他に較べて悪いために、人気のある学科に優秀な学生が集まるせいもあり、特に旧帝大系の地質や鉱山学科の質が悪かったが、東大では教授より助手が実力を持っていた。

五年後に国際地質学会がニューデリーで開かれると知り、チベット経由でヒマラヤを越えてインドに入って、川口慧海の逆のコースで行こうと考えたが、若気の至りの無謀な挑戦を思いついたものといえる。そこで予備調査と準備を中国で行うために、北京の地質学院に留学しようと考えて、調べてみたらレベルが余りにも低いので、その思いつきを放棄したことがあるが、北京行きが実現していたら温家宝は後輩のはずだ。二年の時に専門誌の『地質学雑誌』を創刊号から読み、何が現在の最先端領域かを知ったお陰で、大学よりも世界一の先生に師事することの方が、人生の近道になると思い当たったのだった。そこで世界一の先生に学ぶ目的の実現のために、ソ連政府の給費留学生の試験輪受けたのだが、高校で英語の単位を取っていなかったことと並び、成績が良くなかったことが原因になった。今から思うと「塞翁が馬」の幸運であり、山がなく飯がまずく共産主義に固まった、ソ連で青春時代を送らずに済んだだけでなく、その逆のグルノーブルに行けたことは、何と幸せだったかと思わずにいられない。

33藤原肇:2012/08/03(金) 11:51:44

グルノーブル大学で修士をやった時は悪戦苦闘で、知っていることを言われた時は理解が可能でも、知らない新知識に関しては理解不能のために、チンプンカンだという留学症候群に陥り、級友にノートを見せてもらってやっと理解でき、三時間くらいしか眠る時間がない生活だった。

せっかく留学したのにあの頃は寝る時間もなく、岩登りの他は本を読む余裕もない苦しい日々が続き、あんな体験は二度と味わいたくないと思う。それでもビリの成績で修士課程を修了して、博士課程になったら好き放題に山に登り、ファシズムや精神病理学の授業にまで出席したし、商社の資源コンサルタントになったお陰で、自分の力で生活する道を開くことができた。そんなある日だがある会社からの電話で、そこの技術者と議論して欲しいと頼まれたが、何事かと思ってその話に乗ったのであり、それが人生における転機を提供した。そこには日本から送られた地図や図面などがあって、最初は何のことか良く分からなかったが、何と日本人はダム地点に関しての基礎になる資料を送って、ダム建設の設計をしてもらっていたと分かった。それまでは日本の技術が世界一だと思い込み、得意な気分に統帥していたというのに、日本人が担当していたのは土方作業であり、肝心なソフトは他人任せだったと知って、これは大変な秘密に遭遇したと大きなショックを受けた。

当時は未だコンピュータも一般化しておらず、数学科でも数値理論を学んでいる程度で、コンピュータに触った学生もいなかった。だが、その会社では何千分の一の模型を作り、設計の内容次第でダムの寿命まで計算して、シミュレーションする能力をフルに使い、設計サービスをするような仕事をしており、科学における落差に愕然とさせられた。日本では湯水のように浪費すると形容していたが、水に対しての取り組みも幼稚であり、フランスではエビアン水を瓶詰めで商売していたのに、日本ではようやくダム建設に取り組み始め、「黒部ダム」の計画に国民は民族意識を高く掲げたし、私もその流れの中で驕慢化していた。

その頃の私は水の惑星の地球である以上は、何よりも大切なものは水資源だと考え、自分が水資源と関係することを誇りに思っていた。水の存在のお陰で生命が誕生しており、水の流れの大河の周辺に古代文明が生まれ、農業革命が文明の歴史を育てたのだし、液体の水が水蒸気になって利用されたことで、産業革命が始まったと理解したつもりだった。その意味では実にまともな感覚を持ち合わせて、生命の歴史をあらゆるものの出発の原点にし、それに自分の人生路線を重ね合わせていたと思う。だから、まともな人生を生きるという考えを持ち、水が総ての根源であると考えいた、ターレスに忠実な弟子であることに満足する、純粋な若者の一人に私は属していたというのに、このダムにまつわる見聞はショックだった。

34藤原肇:2012/08/05(日) 22:44:42

今日は八月五日で霧島神宮の六月灯の祭日であり、大石段の上から神殿まで続く玉砂利の道に沿って、手書きの絵で装飾した数百の四角い大きな紙燈篭が並び、最後には恒例の打ち上げ花火の放列でフィナーレになるというので、十三夜の月を見上げながら木立に囲まれて歩いた。神殿と御神木の間には御手洗の泉が湧き出し、社会人として踏み出した頃を思い出して、水で始まって水に戻る人生を歩んだ生涯を実感させられた。

留学生活の概要については『山岳誌』の補説で触れたが、学位を取ってから社会人になるにあたっては、これだけ素晴らしい機構とソフトを誇っている、水のシンクタンクを持つ会社に就職したく、全力を上げて努力してみたが困難だった。当時の日本は経済的に躍進していたが、鉄鋼や造船などの重工業の基礎作りを終え、オリンピック競技場や新幹線を作った程度で、ヨーロッパでは未だ実力を評価されずに、物真似をする国という評価が強かった。だから、今から思うと嘘のようで信じるのも難しいが、日本人の私を雇えば大事なノウハウを盗まれ、真似されて輸出攻勢されるだけだという、今の日本人が中国に対して考えているのと同じ、偏見と蔑視が50年前には支配していた。当然のことで日本人の私は警戒されて、このシンクタンクに入るのは難しかったが、プレオリンピックには選手になったし、冬季オリンピックはグルノーブル市のアタッシェを体験して、ヨーロッパの貴族に親しくした関係で、彼らや市長に後押ししてもらうことが出来た。その辺のことは「Mountains of Dreams」に触れたが、ヨーロッパでは人脈の影響が強烈だから、彼らのお墨付きで日本人不信を払拭し、やっとその組織に受け入れてもらえた。だが、ダムの設計のシュミレーションをしていた、肝心の研究部門に配属されるという希望は叶わずに、中東計画という部門に回されてしまい、促成でサウジの地質構造と地層について訓練され、現場主任ということで現地派遣になった。

当時のサウジは未だ石油大国ではなく、公式には鎖国状態をしていた関係で、外国人が自由に訪れることはほとんど不可能だし、私の身元保証人は農業大臣であり、入国と同時にパスポートは大臣預かりだから、一種の人質になったような状態だった。名君のファイサル国王は国民が欲しいのだが、遊牧民は季節ごとに移動する生活で、それを定着させるには水が決めてであり、農業化が重要な国策になっていた。そこで国土改造計画が始まったのであり、サウジにとって水資源はとても重要だから、アラビア半島輪七つの地区に割り振って、国土の部分的な緑化に取り組むことになった。そして、数年前にリャドの北西数百キロの場所で、素晴らしい水を大量に掘り当てるのに成功して、当時のレベルでも世界最大だった、56インチ口径のパイプラインをリャドまで建設し、それで首都の水を確保する提案になった。そうしたら、ファイサル国王が「われわれにはアラーがついている。この町の地下から水を掘り出せ」と言い、国王がアラーを持ち出した以上は、反対することができない状況になる。地質学的には帯水層が発達している地区は限られており、リャドの地下には分布していないが、13世紀の社会である封建王国のサウジにおいて、王様の信念に反対できる人間はいない。そこでビジネスとしての事業の推進が開始になり、「Riyadh deep Well Project」が動き出して、私がその現場主任として派遣されたという次第で、思いもかけない体験をすることになった。現在のところ落ち着いているこの霧島は水が豊かで、火山灰のシラスで濾過したミネラルに富む湧水は、霧島神社が鎮座する安山岩の割れ目から奔流になって誕生し、サウジの地下水とはまったく異なる水質であり、水との縁を思うと人生の持つ連環の醍醐味が、ここにメビウスの帯として繋がる妙味を堪能せざるを得ない。明日は八月六日で広島における原爆記念日で、カンボジアに住む娘のレミの誕生日に当たる日でもあるが、日本列島はフクシマ原発の爆発による放射能に包まれ、暴政による不始末で亡国の運命が支配するのに、国民は真相を知らないで放置された状態にある。かつて石油危機の襲来を予告したことによって、「狼少年」扱いされて気違い扱いされたことがあるが、放射能亡国を言えばその再現になるのだろうか。

35藤原肇:2012/08/08(水) 13:37:03

今でこそサウジは石油大国として知られており、国情について色んなことがわかるようになったが、当時は鎖国状態の砂漠の国でしかなく、13世紀に紛れ込んだという感じが強かつた。

恐竜のような大型アメ車が走り回っていたが、その車を満タンにするガソリンの値段よりも、冷えたコカコーラ1本の方が高いような状態だ。また、金曜日には待ちの中心の時計広場では、泥棒の右手を切ったり姦通女性に石を投げて、公開処刑が行われていただけでなく、「目には目を、歯には歯を」というルールが支配していた。だから、自分が運転している車の事故で人を撥ねれば、同じ車で撥ねられる刑罰が行われるし、労働者のお祈りを妨害した場合には、宗教警察に捕まって鞭打ちの刑になる。

こんな状態の国に派遣されたお陰で、会社は予想もしない最高の待遇をしてくれた。だから、月給はスイスの口座に自動振込みだし、住む家と自由に使える交際費を提供してくれ、三度の食事はホテルのレストランで済ませた。会社は私に二台の自動車と二人の運転手をつけてくれ、乗用車の方はプジョーの404型であり、掘削現場用にはトヨタのランドクルーザーだったので、私は砂漠に乗り出して疾走を楽しんだ。だが、「目には目を」というルールがあるために、運転は慎むようにと言うお達しがあって、本当は若気の至りでリスキーな行為ではあった。

だが、日没後には運転手が仕事をしないし、掘削作業は24時間体制だったから、ハンドルを握って現場に出かけて行き、砂漠の星空の美しさに感嘆したものであり、幕末の日本に来たガイジンの異国体験を味わった。

当時のリャドには大きな高級ホテルが二軒あったが、町の中心のインターコンチネンタルは改装中で、飛行場の前にあるサハラ・ホテルだけが利用でき、そこで私はいつも仲間と食事をしていた。しかも、後方の広間ではよく会議が開かれており、それが当時における閣議や外交交渉だったし、お陰で大臣やプリンスとも知り合いになったが、近隣の王族が来ると泊り客は追い出されて宿替えで、そんな不思議な世界を眼前で目撃した。

農業大臣がラクダ牧場に連れて行ったり、プリンスが主催する鷹狩りにさそわれて、砂漠に生きる民の生活について学んだことで、砂漠に生きる生活のリズムが理解できた。そんな人生で知り合った中に若いヤマニがいて、彼は石油鉱山大臣になって未だ日が浅く、お互いに若かったから親しく付き合ったが、石油の持つ価値を私に教えたのは彼だった。

日本人の地質のプロがフランスの会社で働いている上に、サウジで水を掘っていることが珍しく、興味をもたれたとしても不思議ではないにしろ、ペトロミンで仕事をしないかと誘って、「水はサウジでは大事だが、これからの世界は石油だ」と断言し、私の人生航路を歪めたのは彼である。もっとも、その時点ではそれほど強い関心も持たずに、石油鉱山省を見学に行ってみたのだが、英、米、欄、独、エジプト、トルコ、レバノンなどの出身で、顧問や相談役の技術関係者に会った結論は、自分に相応しい職場ではないという判断だった。

なぜならば、エクスパットと呼ばれる出稼ぎ人の仲間に、若い段階で加わったのでは修行にならず、もっと遍歴する必要があると痛感したからだ。また、サウジは石油開発の現場に位置しており、戦争でいえば戦場に相当しているし、自分の資質が指揮官より参謀役が似合いならば、ヨーロッパかアメリカに行くべきである。しかも、この時の私が抱いていた一種の偏見に似た気分は、水は生命にとって不可欠なものだが、石油は鉱山開発に似て山師が活躍する世界であり、どうも自分に似合わないという気分がして、残りの半生を石油の世界で過ごすなどと、この段階では予想さえもしなかった。

36藤原肇:2012/08/09(木) 12:10:15

それに加えて同時進行して起きた事件があり、その強烈な印象が私を痛打していたので、山師的な石油にまつわる仕事に関して、私が懐疑とためらいの気持ちを抱き、水離れをしようという気にはとてもならなかった。かつて商社の資源開発コンサルタントとして、ヨーロッパやアフリカで仕事をした経験は興味深かったが、資源開発にまつわる話は「戦争の犬」の世界であり、時にはクーデタが起きて急いで逃げたことや、諜報にまつわる嫌な体験を味わっていたので、社会人としてはまともな仕事をしたいと考えて、この水のシンクタンクで仕事をしようという気持ちになっていた。だから、サウジの国土開発計画は予想外だったが、新しい体験として好奇心に満ちた姿勢で臨んでいたので、いろんな国から来ている人とも親しく交際し、銀行のマネジャー、大学教授、今サルタン会社の代表など、各国から来ている人たちと食事したりして付き合い、一種の仲間的なグループでの交際パターンが出来ていた。

ところがある日突然このパターンが崩れたのであり、そのきっかけはヨーロッパで戦争が始まったらしいという情報が届き、それがこの異変を発生させたのであり、その事件はプラハの春といわれた1968年の夏の事件で、ソ連軍がチェコの首都プラハをタンクで制圧したのだった。迂闊にもこの事件が勃発する前の私は気を許し、私の周辺にいた人間の多くが情報関係の人であることを忘れ、気軽に付き合っていた自分の油断に気がつき、これは大変な世界に再び紛れ込んだと覚ったのだった。そういえば、わが社の現地支配人も担当副社長の経歴からして、海軍出身だったと遅ればせながら思い出したが、海軍出身はメカに強くて外国を知り言葉を幾つも使いこなし、諜報機関で活躍する適任の人材であるから、その筋の人間であることは疑いの余地がないと判断した。ところが、私はそんな筋とはまったく関係がないのに、他の人は私も彼らの仲間だと判断しているとしたら、そんな嫌な世界から逃げ出すことが最良の選択になる。

そこで考え付いたのがアラビアのロレンスの物語であり、T.E.ロレンスの著作を活用するということを思いついたお陰で、パスポートを取り戻してサウジ脱出を実現したが、それが今度は私とロレンスを深く結びつけることになった。東京の母やスイスやフランスにいた友人に依頼して、T.E.ロレンス関係の本をサウジに送ってもらい、それを使って英仏が中東の資源権益の争奪戦をした歴史を復元し、そうしたことに気づいているとほのめかして、出国許可とパスポートを手に入れた経過に関しては、いずれそれを活字にする機会があるとおもう。あるいは、軽率にもどこかに書いてしまったかもしれないが、危機からの脱出は自分の頭を使って考えることに決め手があるが、下手なやり方をすると砂漠の中で姿を消し、簡単に一巻の終わりになりかねないのがこの世界で、その訓練と切磋琢磨が生き延びた秘訣すも知れない。この体験がフランスに戻った私が文学部の英文学科に学士入学し、T.E.ロレンスの『知恵の七本柱』を読破するきっかけを与え、『山岳誌』をジョナサン・ケープ社版の『砂漠の反乱』を手本にして、終生一代の本に仕上げた原動力になったのである。

37千々松 健:2012/08/10(金) 06:45:43

JTがマイルドセブンをメビウスに名称変更するそうですが、初めもなく終わりもない「メビウスの輪」に因んだようですね。

さて、そのメビウスの輪はクラインの壺に通じ、ドーナツ型のト―ラスに行き着くわけですが、宇宙の基本構造をト―ラスとして捉えておられる慧智研究所の藤原肇博士が長い旅路の末に、日本列島の誕生の地とも言えるかもしれない霧島に行き着いたのは神聖なる「水」が導いたのではないかと愚考します。

「水に始まり水に終わる」しかし、メビウスの輪の如くに実際は終わらないで、また始まるのです。霧島の霊水にはそのような意味が込められていると思います。

4) 英語版Japan's Zombie Politicsの出版について から 【1:85】

1藤原肇:2006/08/13(日) 14:59:46

目の肥えた読者に違和感を与えた『小泉純一郎と日本の病理』は、一部の人が指摘していたように編集段階で大幅に手を加えられ、ほぼ三割に相当する記述が削られていて、読みやすくなったらしいとはいえ、ある意味で鬼子的な本になってしまいました。それが『あとがき』に油絵を日本画にしたと言う形で、読者に対しての私流のメッセージになり、やるせない思いを間接的に表現したものです。

マンガをコミックスと幾ら言い換えても、マンガはマンガだけのものに過ぎませんが、大学生がマンガに熱中する日本の知的水準では、鳥羽僧正に起源を持つ日本画としてのマンガのレベルに、日本では出版の対象が矮小化されてしまい、それによってベストセラーが誕生するのです。

失明寸前の苦労をしたものが日本化して定着し、それが私の著作だとされたのではたまらないので、国際基準に合わせたものに書き改めるべく、日本語版の出版と同時に改作にとりかかりました。

そして、世界の読者に読まれる日のことを考え、苦手だが英文で書きあらためた物にすべく、どうにか努力した成果が実り本になりました。途中で目の手術をしなければならなくなり、医者からは失明するからと言う理由で、執筆を禁止されたがどうせ死ぬ身だから、目よりも名誉の方が大切だと言い張り、どうにか書き改めて出版を実現しました。そして、題名も「 Japan’s Zombie Politics」という普遍性を持たせ、小泉などと言う稀代のペテン師の名前を表題から追放し、日本全体の病理の問題を扱う診断書の形で、再生したものを世界の読者を対象にして、送り出したことをここに報告します。

内容的には日本語版に較べて、少なくとも百倍は良くなったと確信しており、自分の言葉と思想を取り戻せたと思います。詳しいことはおいおい報告していきますが、これが私の人生の総決算になると考え、日本が忌まわしい全体主義に回帰し、太史人として故国が世界の鼻つまみ国家にならないために、私に出来る社会への恩返しの一環として、現代史の総括をなし得たという気分です。

世界の大学図書館や有力都市の図書館などに、既に寄贈する仕事が着実に進んでいるので、日本の現代史についての基礎資料になって、多くの人に日本が直面している危険な風潮と、ペテン政治の実態理解に貢献すると思い、それが還暦を過ぎた私の遺書代わりになると考えています。

65藤原肇:2007/05/30(水) 14:30:25

以前、「世の中には求心型と遠心型の二種類の思考形態があり、日本は求心型でドンドン集約して行くので、縮み思考の日本文化と言われているのに対して、ヨーロッパ型は遠心的で背景に向かい拡散する。」と書いた。

そして、求心型でドンドン集約していく思考形式を用いながら、反転させて大宇宙を底に濃縮させる志向の代表が、日本列島における文化形式を現しているものに、超古代における「カタカムナ」と王朝時代から戦国時代にかけての「和歌」の世界だと思う。

和歌に関しては感性と結ぶ世界という印象が強いが、藤原定家による十次元の魔方陣の世界があり、これは数理的な利の世界に属しているから、和歌に関しては「回文と魔方陣との相関関係」に場を移して、議論を復活させるのが良いのではないかと考える。

84 名前:藤原肇 投稿日: 2010/03/11(木) 06:13:12

<キンドルへの参加>

電気書籍のアマゾンのキンドルは、二百冊分の本を収録できる。だが、目下は英語の本だけであるが、日本語のものはかなり遅れるために、英語で発信できる日本関係の本が求められている。

そういう状況下で拙著「Japan’s Zombie Politics」を日本の政治を扱った本として、キンドルにリストアップするのは如何という話が舞い込んできた。

Japanと politicsだけの検索で拙著にたどりつけ、全世界の読者が読めるなら、情報発信として絶大な価値があり、本と情報を永久に保存できるとのこと。

また、そうすれば、これまで試みた全世界の大学図書館に寄贈する仕事が、情報の公開により自動的に無限大に達成できるので、新時代の発信になりうるようです。

皆さんの意見はいかがですか。

85 名前:千々松 健 投稿日: 2010/03/11(木) 20:01:23

紙の発明と活版印刷技術の発明が世界に変革をもたらした様に、インターネットや電子書籍の出現は計り知れない変革をもたらしつつあります。

その影響力は政治、経済、宗教、哲学、文化、芸術、科学、技術などに時間と空間を越えて行き渡り、たとえそれが時代的制約をもつにしても、また、読む人や見る人にとっては暗号のようなコードにしか観えないにせよ、大変意義のあることです。

大げさに考えると出版社や新聞社が紙媒体を放棄するのも時間の問題かも知れません。

16年前に登場したボイジャー社の「エキスパンドブック」が思い出されます。文字のフォントが目にやさしく縦書きもOKになったことにビックリしました。また当時ハイパーリンクを可能にしたこともその後のインターネット時代の開幕を予知させるものでした。

個人的には、これで制作したものをCDに焼いた電子出版が可能になると簡単に考えていたのでしたが、実際には着手しませんでした。それから数年してWebが開始されて、そちらに移行したわけです。そんなことが懐かしく思い出されます。その後、ボイジャー社の技術は生かされて、著作権切れの小説などを「青空文庫」として無料で読めるのは良いことでした。

確かにスマートフォンとキンドル等の電子ペーパーとのビジネスモデルは違いがあるようですが、世界を相手に英語のコンテンツが配信できることはとても価値のあることだと思います。

5) 追悼 小室直樹氏 から

4千々松 健:2010/09/11(土) 14:30:48

数学を専門に学んだ有名人では、岡潔、小室直樹、広中平祐、藤原正彦などが一般向けの本を多く書いておられる。その一角の小室直樹氏が亡くなられたという。9月9日の誕生日を迎える直前であったのは無念であろう。

数学は哲学の基本である。中観論で大乗仏教を説いたナ―ガルジュナ(龍樹)を高く評価していたことを今回知る機会となったが、この龍樹こそ、数学的な意味での「零」の発見をインド人にもたらした人物と考えて良いのです。有でもなく無でもない存在としての「空」即ち零の発見に繋がるからです。(+1)+(-1)=0

重陽の節句に生れた東洋の偉大な人物を、9=久=空=0、メビウスの輪の如く永遠の世界へと送りたい。合掌

6T.N.:2010/09/14(火) 03:20:17

現在のところ、小室直樹氏の訃報をマスメディアで伝えたところは無いようです。小室氏の学問上の業績はさておき、何冊かのベストセラーの著者としてだけでも、この扱いは不当に思えます。

小室氏の著作は読めば面白く刺激的であるのですが、私自身が理想主義的な面を求めるのか、全幅の信頼を置くというところまでは行かず、徐々に離れるようになりました。どちらかというと、小室氏自身よりも、藤原氏を始めとした小室氏の異能を評価する方々の本を読むことが多かったようです。それでも小室氏の発言や考え方の幾つかが身体から抜けることはなく、例えば本サイトの「意味論」スレッドで、ゼロに関することを書いていたときは、”日本には有神論が無いから、そのアンチテーゼである無神論も無い”という発言が頭にありましたし、「日本の回天」41の投稿は、ソ連邦の行き詰まりの原因を”資本主義を経ずに来てしまった共産主義”としていたことが気になっていました。

藤原氏が著書の中で書かれていたように、小室氏が海外に足場を持ち、お金の心配をせずに研究に専念できる立場だったらどうだったろうか。あるいは小室氏は自分の考えを広く伝えることで、心地好い後半生をおくられたのだろうかなどとも考えます。誰にとっても人生は短く、一回きりです。

7藤原肇:2010/09/17(金) 09:35:47

台北の桃園国際空港からプノンペンに飛ぶ便は、朝が早いので空港近くのホテルに泊まる必要があり、前の晩に久しぶりに読んだのが『国民経済』だった。大塚久雄先生の名前を最初に知ったのは、どの本か忘れたが小室直樹博士の著書で、数日前に小室さんが亡くなっていただけに、この本の「解題」を中村勝己先生が書いていることを含め、めぐりあわせの不思議さをしみじみと感じた。

というのは、空港での待ち時間を使い無料コンピュータで、久しぶりにインターネットを開いて掲示板とメールを見たら、小室直樹さんの死の記事と共に将基面博士からのメールがあった。中村先生の『近代市民社会論』には二種類あり、先生の最終講義録の学部編と大学院編で、この二冊は将基面さんからプレゼントされ、読破で慶応の経済学部の卒業と同じ、実力を涵養したという自信を獲得出来た。お裾分けとして学部編は手に入ったので、「宇宙巡礼」の書店でプレゼントできるように、手配したと記憶しているが。

いずれにしても、小室さんは得難い逸材であり、最後に対談したのは十五年前で、『意味論オンチが日本を亡ぼす』だった。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/semantics.html

この対談の冒頭の部分で、ドイツ語と英語について喋った時に、彼の表情が変化して口ごもったので、対談が中止になるかと心配したが、どうにか機嫌を直して話が継続したのであり、あの日のことを飛行機の中で思い出した。というのは、アメリカで手術した記録をまとめ、「生命知の殿堂」という題の下に、本にしようと考え手術の時までは、掲示板にも一部だけ発表したが、その後についても台湾で書き続けたのに、インターネットの不都合で送信不能だった。

「生命知の殿堂」の題を表紙において、外国語でどう表現するかと考えたが、英吾だとThe Hall of Cosmic Wisdom になり、フランス語ではLe Pantheon de la Sagesse Cosmiqueということで、この二つの題を並べて眺めると、如何にアメリカ英語は味がないかが分かる。アメリカではHall of Fameというように、ホールでパリでは市場をアールと呼び、英吾のホールに由来する生鮮市場が、パリのど真ん中にあったけれど、現在ではポンピドー広場になって、市場はオルリーに移転して姿を消した。英国人の英語にはパンテオンがあるが、アメリカ英語にはパンテオンはないので、こんな国に25年も住んだのが不思議に思えた。小室さんにこんな話をしたら、どんな顔をしたかと思いながら、稀代の天才の冥福を祈る事にしたい。

9H.Y.生:2010/09/19(日) 01:01:20

小室さんと藤原さんの対談の面白さが現れていて、藤原さんがドイツ派の小室さんを挑発しているのに、文面では小室さんが相槌を打って肯定しているように読めるが、実際には顔色が変わって口ごもったとしたら、これは貴重な対談の重要なカットだと言えそうですね。

そこで対談の部分を再現したら次のような具合になり、その時の間の取り方次第で情景が生き生きと再現される感じです。本当は小室さんもドイツ人の度し難さに対して、うんざりしていたのかも知れませんな。

藤原:特にここで強調しなければならないのは、潰れかけている原因が“セマンティックス(意味論)”にあり、日本人に意味論が分かっていないことだ。われわれは共にヨーロッパ派に属する日本人だとも言えるが、小室さんはやはりドイツ派で、著書の中にガイスト(精神)とかゲミュート(情緒)なんて単語が続々と使われている。ぼくはフランス派でドイツ語は口に合わないから、あんな野蛮な言葉は誰が喋るものかと思っている。だから、あなたの本を読むたびに鳥肌を立てている(笑)……。

小室:ドイツ語はバーバリアン(野蛮人)の言葉だという劣等感は、ドイツ人自身が抱いているんだ(笑)。

藤原:こんな話がある。フランス王が「私は神様と対話するときにはスペイン語で、人間と話すときはフランス語を操り、馬と喋るときはドイツ語を使う。犬と喋るときには英語で、若い娘にはイタリア語で話しかける」と言ったとか。ぼくはアメリカ人に「どうして英語で著書を書かないのか」と聞かれたらこの話を引用して、「犬に使う言葉で書くのは気がすすまないし、フランス語だと日本語の五倍も時間がかかり、アメリカの美徳の能率に反する」と答えると丁解する。要するに、アメリカ人は理路整然とした話なら納得するんだが、日本人は腹芸でやるし気分が先に立つ。だから、日本人は最も親密なはずのアメリカ人のみならず、世界中ともコミュニケーションができないでいる。

小室:コミュニケーションが成立していないことにさえ気がついていない。

藤原:ドイツ人はある意味で情の連中でロマンチックであり、フランス人は理に価値の基準をおく特性を持つ。小室さんの思想にはドイツ精神的なもの、つまりへ-ゲルとマックス・ウェーバーが根底にあり、ぼくは自分で言うのは恥ずかしいが、考えの基盤にデカルトとヴォルテールがある。われわれ二人の精神には情と理の差があるように見えるが、実は根底においてヨーロッパ精神で結びつき、ライプニッツに数学で通底している。だから、今日の対話のテーマであるセマンティックスを、これまで仕事みたいにして懸命にやってきた。

10千々松 健:2010/09/19(日) 16:41:52

私は最近、リスクとチャンスはWhich,Whose,Whomの中に隠れていると考えています。5W1Hのうち「H」のHowは程度を表わす「いくら、どれくらい」の意味に絞って、「How to」は上記の3つのWに譲るべきです。

本来は別々に独立してあったWhich,Whose,Whomの疑問詞をHow toの中に入れ込んでしまい、場合によっては省略して、スピードと効率を重視してしまった犯人は誰でしょうか?

私は英国人の文豪シェークスピアではないかと推理しています。なぜならば、Howの語源をO.E.Dで調べると近世までは「Whow」なのです。Whowとして、Which,Whose,Whomなどと共に独立して使用されていて、What文は9種類が平等に存在していたはずです。それを9個よりも6個の方が効率的に良いとしたのは、英語ならではの性格でしょうか。そしてWhowのWを取ってHowにしてしまうのです。まさに象徴的ですね。

「念はドイツ語で、理がフランス語なら、利が英語と言われる」のも解る気がしますね。

さて、8W1Hあるいは9Wの中では、これからはWhich,Whose,Whomを注目しましょう。どんな方法・手段を選択して、誰を味方につけて、誰を攻略するのかがゲーム上だけではなく実践の上でも重要になります。リスクとチャンスは狭い5W1Hには見当たりません。

昨年ベストセラーに登場した「悼む人」の例のように「どんなことをして誉められたのか、誰に慕われていたのか、誰を愛していたのか」即ちWhich,Whose,Whomが大切になると思うのです。そのあたりから意味論の解る日本人を育てて行く切っ掛けとしたいものです。

11千々松 健:2010/09/22(水) 22:53:51

「を月様 幾ツ 十三七ツ」とわらべ歌の書かれた「指月布袋画賛」仙涯(さんずいは無視のこと)展を出光美術館へ観に行きました。そして、念願の「○△□」の墨画にも出会えて、英語タイトルがThe Universe と付いていて嬉しく思いました。右側から左方向に○、△、□が筆使いでは1、2、3のリズムで、全体は一墨で描かれていました。その解説では「一人の人間(□)が修行をして(△)悟りを開く(○)までの過程を示した図とも解釈される」となっていました。

確かに四角形は人間に関するイメージで、人工ないしは行動を示し、三角形は理屈や迷いを示しており、円形は完成した姿のイメージとなろう。しかし、○△□の順番からすると完成・修行・人間ではどうも具合が悪い、やはり「宇宙」の方が解りやすいと思った。

更に「念のドイツ・理のフランス・利のイギリス」をヒントにして考えると、○が精神や情緒で、△が論理や理屈で、□が人の手を加えた行動すなわち人工となると考えて良いだろう。

そして、我々は宇宙の法則のように「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」で三つを統合しながら循環しつつ思考して行くのが良いと思われる。

<中秋の名月を久しぶりに観ることが出来た日に因んで>

12千々松 健:2010/09/25(土) 11:08:37

「●▲■の三拍子でワルツは踊ろう!」は「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」という稲盛和夫氏の名言にカサネて考えると良いと思う。

●では楽観的に構想する。(Want段階)

したいこと、できること、求められていることの三つの輪が重なるよう、自由奔放なアイデアを引き出せるようにするのがよい。

▲では悲観的に計画する。(Plan段階)

大事なテーマについて、問題・原因・対策・目標の四側面で分析し、あらゆるリスクを想定し、細心の注意を払って慎重にプランを練るのがよい。

■では楽観的に実行する。(Action段階)

8W1Hで具体的なアクションプランに落としたら、後は勇気を持って、思い切って行動するのがよい。

そして、結果を見て、次のレベルの●に戻るようにすれば良い。