mantra.torus

第6集 「『適塾』精神の試練と縦と横の方向軸」 【6~56】+α

*インド・マントラ・ト―ラス=>ホロコスミクス

6藤原肇:2011/12/07(水) 11:01:44

私のように答えは自分で見つけるもので、本に書いてはいけないと考える者は、何が問題かを見つけるのが重要だから、分からないと気づくことによって、考える能力を磨けるのだと信じている。

われわれ日本人の歴史感覚の中枢には、春秋時代の価値観が強く支配しており、特に『春秋左伝』の政治感覚である、だが、私は董仲舒の思想の『公羊伝』に従い、言葉が含む意味を噛みしめながら、何度か繰り替えしてこの本を読む。

そのお陰で、執筆の狙いがリーダーシップ問題にあり、それが欠如している日本の現状が、人材枯渇と亡国現象の原因であり、そこに問題解決の鍵があると分かるはずだ。

だから、その克服のための最良の方策としては、日本の枠の外に人材を求めることだが、その実現のために発想を根本から改め、哲学を身につけることに取りかかる。また、次元転換を図る上で必要なのが、『ジャパン・レボリューション』の中で指摘した、回天への志向だという理解に至る。

正慶さんが亡なったので惜しいが、暴政を葬る言葉として役立つのは、彼と論じたデコンストラクションにとたどり着くのである。

7千々松 健:2011/12/07(水) 18:13:36

レスタイトルの<縦と横の方向軸>からはデカルト座標だけではなく、虚数の登場する「ガウス座標」が想起されますが、ここでは虚数は扱いにくいので、せめて東西(横)南北(縦)に天地(上下)を加えた三軸方向で考えたいと思います。

そもそも石材や木材をカットする時には、通常ではタテとヨコの広がりの他にタカサが必要となります。脱構築(デコンストラクション)のためには、円や球を作る場合の中心軸と直径を加えたり、角度の概念も大切になりますが、少なくとも3Dの感覚で3次元での方向感覚を鍛えて行くコトが先ずは肝要と考えます。

物事(モノとコト)を直線的・平面的・立体的に視るという感覚を鍛えれば、視力も増し、目には見えないものを観る力も増すというものです。

博士のように、表層(ステロタイプ)・中層(プロトタイプ)・深層(アーキタイプ)を重層的にかつ時間軸を加えて観察するという「メタ構造派」の視点からすれば、ガイアとしての生命体といえる地球を診断するコトと、人間個体や社会組織の病理を診断するコトとは相似象になるのは当然と思われます。

49藤原肇:2012/01/24(火) 14:36:03

上の記事を書いた後でインドに飛び、目下のところブッタガヤに滞在しているのは、きっと「生命知の殿堂」の最後の部分に、「般若心経」のマントラを書いて、それで締めくくった因縁だろう。

釈迦が瞑想して悟りを得たという菩提樹の下で瞑想するのは、何にも増して快適で清々しい気持ちになるし、それが実現できた巡り合わせの醍醐味。

インド山日本寺で夕暮れのお勤めに参加し、そこで「般若心経」ノギャーテイ、ギャーテイ、、、に唱和した感激は忘れ難いものになった。

50藤原肇:2012/01/25(水) 13:51:05

釈迦が六年間にわたり断食と苦行をしたという、前直覚山を訪れて分かったことは、この洞窟がチャート「ケイ素」でできていたために、彼はノイズに支配され続けたに違いない点だ。

「生命知の殿堂」を読んだ人なら、ドロマイトに秘密の力が備わっているのであり、石灰岩の岩山のドロマイト化したところを選ぶべきだったのではないか。

そんなことが収穫の一つとは、弁天小僧ではないが「お釈迦様でもご存知ない」ということか。インドに出かけて来た成果としてこんな観察をした次第。

51千々松 健:2012/01/26(木) 17:58:18

ドロマイトはその発見者であるフランス人の地質学者の名前に由来するという、そのドロマイトから「ドロミテ」という靴のブランドを思い出す。その昔、好日山荘という店で女性用スキー靴を初めて購入したのだが、それが確かにイタリアのドロミテ製だった。

人名に由来する北イタリアのドロミテ山塊は6000万年前にアフリカ大陸とヨーロッパが衝突した時に隆起してできた地形で、そこには3000m級の岩山が18もあり、どれも主成分はドロマイト(石灰岩にマグネシウムが結合してできた苦灰石)だそうだ。石灰岩は浅い海の海底にあったサンゴ礁で、二枚貝のメガロドン、巻貝のアンモナイトの化石も沢山出てくるというから、地球生命の悠久の歴史が刻まれていることになろう。

ゲーテはイタリア旅行中にドロミテ山塊の西の中心地に当たるボルツァーノに泊った(1786年9月10日)らしい。イタリア紀行の後で、ゲーテの思考は大きく変わったというから、イタリアの芸術文化だけではなく、地質学上の影響も多分に受けたのかもしれないと想像する。

52藤原肇:2012/02/09(木) 21:44:19

『プノンペン・ポスト』のベッカー特報担当記者から、メタ・サイエンスやエネルギー問題に関してインタビューしたいと言われ、ちょうど良いチャンスだと考えたので、彼と東南アジア問題について対談を試みた。対談は春には記事として雑誌に出るはずである。第二次世界大戦に使った以上の大量の爆弾が、カンボジアという小国に落とされた事実や、アメリカの資源戦略と侵略性の酷さについて、この対談で知って驚いただけでなく、ベトナム戦争に偏った知識しかない、自分の無知を大いに反省させられた。

それにしても、アジア全体や東南アジアの問題にについて、自分を含め日本人は余りにも何も知らない。

インドのデリーで地質学会が開かれるので、かつて大学生の頃にヒマラヤ山脈を越えて、チベット経由でインドに行く計画を立てて、その準備に北京の地質学院に留学して置き、ヒマラヤの研究をしようと考えたこともある。だが、レベルが余りに低かったことが分かり、構造地質学の世界一の先生に学ぶことを考えたのに、ソ連政府の留学生試験に落ちたお陰で、フランス留学したことは『生命知の殿堂』の中に書いた。そして、世界各地で仕事をした人生の中で最後に残ったのは、インド、チベット、アフガニスタンであり、これらは仏教伝道の歴史と結びつくので、人生の最後の時期まで取っておいた。

だが、ベッカー記者との対談をしたことで、インドやチベットについての体験に欠け、何か大切なものが脱落していると痛感し、突然インドに出かけようという気分に支配され、インド大使館にピサを取りに出かけた。そこで体験したのは想像に絶する官僚主義であり、ピサ申請のシステムのデタラメさと、尊大な役人根性にきりきり舞いをさせられ、不吉な予感に支配されたとはいえ、航空券の手配が既に先行していたから、バタバタという感じで飛行機に飛び乗り、インドの大地に降り立ったのがコルカタだ。

53藤原肇:2012/02/11(土) 22:58:14

なぜインドかという疑問への答えを考えれば、若かった時代にその源流があるのは確かで、小学生時代に読んだ『西遊記』の孫悟空が、三蔵法師と唐天竺を舞台にした冒険談が水源らしい。これまで何度も『西遊記』を読んだが、そこに秘められた錬金術の寓意に魅せられ、それが最後には秘伝探求になり、フィボナッチ数列にと係り結び、藤井先生との出会いを通じて、壮年期にそれが『間脳幻想』の結実になるが、人生は不思議な縁の組み合わせだ。

そして、中学生がわくわくした思いに包まれて、河口慧海の『チベット旅行記』を読んだことが、インドやチベットへの夢を掻き立てたことで、ヒマラヤ周辺への関心を盛り上げたのである。また、高校生の時代に座禅を体験したことが縁で、天竜寺の関牧翁老師との文通が始まり、達磨の墨絵を貰ったりしたことで、枯山水の石庭への関心が山と結びつく。そして、丹沢の沢歩きから登山趣味に取りつかれて、その延長戦上に地質学が結びつき、学生時代の体験が『山岳誌』の誕生を生んだが、それが文学少年の終止符になった。

中学の半ばまでは日本文学を読み漁って、漱石と鴎外が日本文学の最高峰で、その下に藤村がいると思い込んでいたのに、ゲーテやトルストイで世界文学に触れ、ショローホフやロマンロランを読むうちに、日本の枠組みが桎梏になり始めた。大学二年の時に得た情報の一つに、五年後にインドのニューデリーで、国際地質学会が開催されるというニュースがあり、チベット経由のインド行きを思い立ち、その準備のための地質の研究を兼ねて、北京の地質学院に留学を考えた。だが、学問のレベルが低いと知ったのと、中国とインドが国境紛争を始め、この計画は実現しないで棚上げになった。

そして、ソ連への留学が駄目だったお陰で、グルノーブル大学のデベルマス先生に師事し、フランス体験になったことは『生命知の殿堂』に書いた。一つの失敗が別の幸運を招き、「塞翁が馬」を二十代の私は体験したことで、紆余曲折の「日本脱藩」が実現し、思いもかけない人生を体験することになった。「青春時代の失敗を伴う挑戦は、壮年時代の輝かしい勝利や、老年に手にする成功より価値を持つ」というが、レニングラード大学に留学できなかったお陰で、私の人生は運命の女神の祝福を受けた。

54藤原肇:2012/02/12(日) 10:35:59

1960年代は登山史では興味深い時期で、ウィンパーがアルプスの初登攀に挑戦して、ちょうど百年目に当たる年が次々と並び、フランス山岳会が記念山行を企画した。そのお陰で幾つかの山行に参加し、夏の間はとても忙しかったとはいえ、運命が興味深い出会いをもたらせた。当時は未だ自由に海外渡航が出来ず、一人五万円しか外貨が買えなかった時代だが、アメリカに留学して日本に帰国する前に、ヨーロッパの横断を試みたその人は、ギリシア買った中古の甲虫型のWVに乗り、グルノーブルを通過したのだった。

この日本人が「この旅行記は面白いよ」と言って、小田実の『何でも見てやろう』を置いて行ったが、その内容は私にとって衝撃的だった。特に最後のインドの部分が強烈で、私はいつの日にかカルカッタを訪れて、小田さんの体験を実感しようと思い、インド関係の本を取り寄せて読んだが、堀田善衛が書いた『インドで考えたこと』は、「目から鱗」に属す強い印象を受けた。だが、1970年代と80年代前半の私にとっては、インドやチベットは無縁の結界であり、むしろ、岩や砂の世界と密着して生きたので、泥や微生物とは縁が遠い状態だった。

だから、それまでに仏教の核心に触れる機会が生まれ、インドやチベットに関心が湧いても、その地に行く計画はしないことにして、岩と砂の世界に生きることにした。その結果、私はパーム・スプリングスの砂漠に住み、そこで30年近くも生きたことによって、遊牧民的な発想の精髄を学ぶことで、『Japan’s Zombie Politics』や『さらば暴政』を書き、リーダーシップを論じる足場を構築した。そして、次の段階で智慧の世界への移行を試み、『生命知の殿堂』をまとめた人生を得た。

1980年代の後半のある時期だったが、集英社のロス支局長と会った時に、夕食を招かれてローリーでプライムリブを食べ、その時に出会ったのが藤原新也さんで、奥さんと一緒のアメリカ旅行中だった。どんな話をしたかは覚えていないが、若かった彼がインドやチベットを放浪し、死と直面した感性を写真集にまとめ、大地と密着した彼の視座の中には、フランシス・ベーコンやモンテーニュの視座を好む、私の対局にある何かを感じ取った。

同じ藤原でも右脳と左脳の違いが鮮明であり、藤原新也が若い時代に訪れたなら、藤原肇は老境になってから泥の世界を訪れて、生と死について思索するのがいい。そんなことを思っていたら東明社の吉田社長が、ユーラシア大陸を放浪した手記があり、それを出版したいので読んだ上で、解説を書いて欲しいと連絡して来た。そこで喜んでゲラを読んで見たら、私がやりたかったことが書いてあり、若者が這いつくばって仏教の遺跡を訪れ、生と死の問題と格闘していた。

だから、素晴らしい作品だとの読後感を持ち、『物言わぬ獅子の咆哮』の著者の山西さんも、藤原新也さんの仲間に属すと痛感した。そして、私がインドやチベットを訪れる時期は、死と直面する70歳を過ぎた頃で、生命についての智慧の蓄積を試みて、心の準備を整えて置く必要があるが、ある日そんな衝動が襲うと予感した。

すると案の上のことが発生してしまい、アメリカ訪問中に「がん」だと診断された。そこで実地調査のために手術を受け、その体験をまとめた『生命知の殿堂』に、最後の締めくくりにマントラを引用し、『般若心経』のエッセンスでもある、「ギャティ、ギャティ、パラギャティ、パラソウギャティ、ポウジ、ソワカ」と書き込んだ。そうしたら、かねて危惧して警鐘を鳴らしたのに、核兵器の原発を並べ立てていた日本は、核爆発による放射能汚染に見舞われて、「中曽根大震災」の後始末で大混乱だ。

しかも、私も体内被曝で免疫力低下が顕在化し、マイコプラズマに属す感染症のために、生と死の問題を見つめる機会に直面していた。だから、泥の世界についての対談をした後で、五十数年ぶりに『チベット旅行記』を開いて,河口慧海の足跡をたどってみたら、私が乗った飛行機はカルコタに着陸していた。

55千々松 健:2012/02/13(月) 21:47:31

『羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』

最近、この呪文は元はシュメール語で、それをサンスクリット語から更に漢字で音声だけを記述したものらしい。日本語のカタカナ表現では『ギャティ ギャティ パラギャティ パラソウギャティ ボウジ、ソワカ』となる。

昨年の春に創作した自作を再度ご紹介します。

『カテカテ ハラカテ ハラミカテ ハナハラミカテ ホシソハカ』

参考:

カテは「神に向かって」往くコト。

ハラは「波螺」で螺旋状の渦のようなカタチ。

ハラミは「波螺の内容」を示している。「前の二つの数を加えて次の数にする」という数理操作(パラメーター)のコトでしょう。フトマニやフィボナッチ数列に相当します。サンスクリット語のハラミータに近い。

ハナはハンニャ=般若で大いなる宇宙意識レベルの智慧です。

ホシソハカは「星ぞ墓」か? ヒトは死んだらお星様になると言い伝えられて来たから。

通常のマントラに「ハナハラミカテ=般若波羅蜜羯諦」を加えています。

「般若心経」は仏教大乗派が小乗派を批判したコピー文と考えていますが、この最後の真言は両派に共通するものとして理解したいと思う。更に、シュメール語とヤマトコトバは表意と表音が近しい点で似ているようです。

56藤原肇:2012/02/19(日) 21:54:58

コルカタの空港から町の中心のエスプラネードまでは、市民の乗るバスの窓から街路の景観を観察したが、何となくデジャ・ビュ感覚に支配されたのは、小田実の『何でも見てやろう』の記述が潜在意識に残り、それが次々に蘇ってきたせいだろう。町の中心部を数時間ほど散策しただけで、この錯雑とした町から逃げ出したくなったのだが、汽車のキップは駅に行かないと買えない。しかも、座席数しか発券しない奇妙な制度のために、当日売りのキップの入手はほとんど不可能だ。そこで旅行業者に行き手配を依頼したら、列車はどこに行くにも満席で、その夜の11時20分発の列車ならガヤまで行けそうだとのこと。だが、座席が確定するのは夜の八時過ぎであり、座席の確認のために駅に行かなければならないが、キップ代の四割の手数料を払って脱出にとりかかった。

夜の七時に駅に行って一時マ以上も行列した結果、二等寝台の座席だけは辛うじて確保できたが、コルカタからガヤまで260kmで、料金は僅か600円だが七時間半かかるらしい。インドで一番安い交通機関は汽車だから、駅は乗客の洪水でホームに人が溢れており、いくら待っても列車がホームに到着しない。多くの旅客はホームで横になって眠り始め、列車が到着したのは明け方の四時過ぎだし、ガヤに到着したのは七時間遅れの昼過ぎであり、ブッダガヤに着くまでの旅は一日がかり以上の計算だった。それでも、釈迦が瞑想して覚ったという菩提樹の下で座禅し、釈迦や河口慧海の追体験を出きたのは感激であり、慧海が「菩提樹の梢に月のとどまりて、明けゆく空の星をしぞ思う」と詠唱した気分を偲び、結局はブッタガヤに五日間も滞在してしまった。

もちろん、マハボディ寺院の本殿には毎日のように通い、大地が発するエネルギーを全身で吸収し、チベット僧たちの礼拝の熱気を身近に感じたし、日本寺では「般若心経」の響きを浴びて感動が渦巻いた。また、釈迦が六年も苦行をしたという前正覚山の洞窟が、チャートで出来ていたことを確認したが、そこで骨と皮になった釈迦を追体験するかのように、下痢と風邪でエネルギーを消耗して、自分の免疫力の低下を痛切に感じ取った。

それでも力を振り絞ってラジギールを巡礼し、仏陀が弟子たちに「法華経」を説いたという、霊鷲山や多宝山に登ってありし日を偲び、ナーランダーでは三蔵法師も学んだという、当時は一万人以上の学僧がいた大学の跡を見たことで、仏教の経典を求める旅が巡礼であり、これはノマディックな生き方を示していると痛感した。

以下は「新記事」のレスから編集しました。【112~129】

120藤原肇:2012/05/05(土) 21:52:28

話は古くなるが経過をたどってみれば、インドへの放浪の旅からカンボジアに戻って一息つき、メコンの流れを眺め精気を養っていた私の所に、月刊「フナイ」の編集長からメールが届いた。「アメリカ映画<THRIVE>の中に出てくるTORUS体(円環体)が、十三年前に発表になった論文の図にある、トーラスと大極図のモデルと同じなので、まるでシンクロニシティのようだと感じた」とあった。しかも、トーラス体を論じたホロコスミックス理論に関し、日本語訳に解説を加えたものを入稿したので、近く検討用のゲラを送ると書いてあった。

一週間あまりしてPDFが届き読んでみて分かったことは、和訳に加えて解説や註が加えてあって、おそらく科学思想史のプロが参加したらしく、読み物風にアレンジした工夫が読み取れ、編集長に編集工学の素養があると分かった。

最近の雑誌の編集者や新聞記者の多くは、誤字の訂正や分らない部分を削り取る仕事が、編集だと思い違いしていると思うほど、編集と校閲の区別が出来ていないために、内容のレベルが読者に迎合しがちである。

要するに分かりやすく早く読めることが、大切だと錯覚した気風が蔓延しており、中にはマンガを入れたりしていて、分かり難いことが罪悪だと思い込んでいる。だが、分かる人は当然だからそのまま通用するのだし、分らない人は分らないと理解することで、分ろうとする努力が始まって頭脳が動き出し、自分の頭で考えるプロセスが働くのだから、サルでも分かる程度のものは本とは呼べないのだが、最近の本屋にはサル向けのものが山積みだ。私の著書の多くはヒントだけで答えが書いてなく、読み難いと言われ売れ行きが悪くて、出版社は困っている事実は承知しているが、数は少なくても自分の頭で考える人に、愛読してもらう幸運に恵まれてきた。だから、通勤電車で簡単に読み終える本などは、絶対に書きたくないと思っている。

そこで、「編集部より」と「さいごに」の註をまとめて、私の文体で書き改めて「縁起」を付け加え、翻訳と読み物スタイルには手を触れないで、ゲラを返送して出来上がったものが、「全体的宇宙論――ホロコスミックス」の記事である。

112藤原肇:2012/03/29(木) 00:00:02

「月刊・ザ・フナイ」の四月号に13年前に書いた英文記事の翻訳が、編集部によって解説を加えた形で掲載され、日本の読者に日本文として紹介され掲載になったものが届いた。

これが「宇宙巡礼」で読めるには後一か月以上かかるが、一刻も早く読みたい人は「論文」の英語版で読むか、雑誌を入手することで問題は解決する。

ただ、最後のところに追加した「縁起」の部分についての記述は、以下に張り付けておくので、私が考えている現時点における伝えたいメッセージとして、その内容をエンジョイしていただけたらと思う。

【縁起】……ところで、この論文が掲載されたIEEU(国際地球環境大学)の紀要は、全世界の一流大学の図書館を始め、ノーベル賞受賞者たちに送られたので、読んだ人もきっと多いに違いない。だが、日本語訳が未だなかったために、日本人はその存在を知らない。だから、編集部が挑戦して試みた日本語訳を読んで、より若い世代の日本人の中から、より良い論文を書く人が現れて、新仮説の輩出に役立てば嬉しい限りだ。

奥義を解説するような仕事は、若い世代に属す人がやることであり、馬齢を重ねた私の出る幕ではなく、乗り越えの踏み石になるだけで満足だ。ただ、この論文には数少ないが引用論文があり、『賢者の石 The Philosopher's Stone』、『天才 Genius』、『関係性について Talking about Relativity』などの著書は、解説書として古典的な存在だ。だから、物理学や数学の専門家が翻訳や監修を試みた、日本語訳の本が出ているはずだ。

しかも、専門用語や論証の記述の訳に当たり、本来それらを参照することが、国際的な礼儀でもあるので、そういった配慮をされたらよい。

蛇足かも知れないが、この論文を書いた後で行われた、2000年1月の台湾における会議での講演で、この考え方を更に発展させて、「21 世紀型の高次元発想へのアプローチと人材育成のノウハウ」と 題したものを発表した。これは中国語に訳され配布されたが、私の著書の読者たちが運営している「宇宙巡礼」という名のホームページで、アーカイブに相当する「記事」の欄に、その草稿を密かに埋め込んだ。

ところが、それをヒカルランドの小暮周吾さんが発掘して、『生命知の殿堂』の巻末に、「資料」として付けてしまった。そのため、「ホロコスミクス Holocosmics」の筆者の手による、日本語による記述に近い形のものが、『生命知の殿堂』の中に存在している。

秘伝に属すものは教えられるのではなく、自ら発見して知るべきだと考える私は、50 年くらい後に見つける人が出たら、それで良いと密かに思っていた。だが、この目もく論ろ見みは見事にはずれ、小暮さんの着眼の良さのために、謎解きのヒントが公表されたので、トーラスの秘密のベールが剥はがれた。

それをいち早く読み取っていれば、「ユウレカ!! 」の快楽を満喫できるのに、多くの人は『生命知の殿堂』を読まず、カミトロニクス(※ 20 )の威力も知らないから、教えられてから気づくので遅れを取る。要するに、日本人は幾らヒントが目の前にあっても、想像力が閃ひらめく回路が眠っていて、どうしても後追いばかりで開拓者になれない。それが発信より受信に満足し、翻訳文化が殷賑を極める時代精神を生み、舶来崇拝から脱却できないのだ。

「フェルマーの最終定理」に挑んだ時に、「谷山・志村予想」を生んだ日本だが、漢字も読めない男が首相を名乗り、泥ど鰌じょうのノウミソが首相の椅子に座る時代だ。テレビがお笑い番組を垂れ流し、学生の思考能力が急速に劣化して、知的怠慢が支配しているために、日本人は『スライヴ Thrive』のような作品も作れず、教えられて知る国になり果てた。

東京も大阪も思考力が限りなく点に近い、アーカイックな頭脳の首長に率いられて、「日の丸」の前での硬直を美と錯覚し、イニシエーションの儀式を狂いの場にしている。歴史を古層に遡そ行こうするのではなく、帝王学である幾何の発想に習熟すれば、円は球に転換して力の湧出を生み、日本人は世界に雄飛できるというのに……。

トーラスを透視し現状を乗り越えて、思考停止状態から自らを解き放てば、亡国日本から脱却の第一歩になるし、新しい地平が眼前に開くのである

117掲示板管理人01:2012/05/03(木) 10:51:56

『月刊ザ・フナイ』2012年4月号

全体的宇宙像-ホロコスミクス

が宇宙巡礼HP 記事欄にアップされましたのでお知らせ致します。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/funai201204.html

118千々松 健:2012/05/03(木) 23:08:02

全体的宇宙像―ホロコスミクスに寄せて(1)

「アインシュタインの偉大な業績は物理学的な直観から生まれたが、彼が物理学のイメージで具体的に考えることを止め、数学の方程式の操作に終始するようになったので、彼の創造力は停止したのだ」というファインマンやフリーマンの見方に注目したい。

イメージから入るアナログ脳(右脳)で直観を受け、デジタル脳(左脳)において数式を組み立てる訳ですが、一旦、数式が組み上がった後でも、逆にアナログ脳に戻して観る必要があるのです。アインシュタインも、そうすれば「幽霊層の場」を見つけていたかも知れません。

左脳の『論理』で考えて数学的に正しいと思われる結果が出ても、どうしても右脳の『情緒』が許さない時があり、その様な時には放棄せざるを得なかったというようなことを言っていた数学者の岡潔が想起されますね。情緒の方が『美しい』と感じなければ宜しくないという訳です。

さて、その美しさは何処から来るかを考えれば「黄金比はすべてを美しくする」という訳で、フィボナッチ数列の出番となります。

119千々松 健:2012/05/04(金) 22:46:51

全体的宇宙像―ホロコスミクスに寄せて(2)

【図4】ホロコスミクスをあらわした図について

点から現実世界が空まで続く部分を【実・陽・有】とすれば、空から幽霊層の場が点まで続く部分は【虚・陰・無】と言えます。この二つの部分を統一した理論がホロコスミクス理論ということです。

フィボナッチ数列【0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233,377,610,987、、、】を法を9とするモジュラー算術で処理すれば【0,1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8;0,8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1】という24項での循環が現れるので、これを【フィボナッチ系列】と私は呼んでいますが、前半の12項を【実・陽・有】と考えると後半の12項は【虚・陰・無】と考えられます。

そうすると、偶然にも博士の次元のステップ数と一致してくるのです。空のエッジは13番目のフィボナッチ数144で9=0と成ります。また点のゼロポイントは1番目の0でもあるし25番目に再循環して現れる0にも重なるのです。言い換えますと、陰の究極が0であり、陽の究極も9即0となります。従って、初めも終わりもないメビウスの輪です。

また円の中心点を考えて点対称の位置にある二つの数字を加えると、やはり9となりゼロに還元されるのですが、これは既に「21世紀マンダラ」のラセンモデルで示した通りです。

121千々松 健:2012/05/05(土) 23:35:48

全体的宇宙像―ホロコスミクス に寄せて(3)

フィボナッチ数列がゼロからスタートすることは、他のリュカ数列やミチコ数列には見られない特徴なので、やはりフィボナッチ数列は特別扱いされると思う、しかし、既にみてきたように一度「FLKM系列」に転移すれば、全てがゼロからのスタートとして観察できるのは便利です。ト―ラスの中心を究極のゼロとしての特異点と考えれば、ト―ラスの側面、特にエッジに当たるところは究極の9で形成されると観るのも面白いかと思います。

今日の「スーパームーン」をベランダから観ながら「21世紀マンダラ」のPDFを更新しましたのでご覧ください。

http://8w1hflkm.jp/21st.Century.Mandala.pdf

122千々松 健:2012/05/09(水) 17:48:38

全体的宇宙像―ホロコスミクス に寄せて(4)

大韓民国の国旗中央には太極図が描かれていますが、「太極図」の読みは「テクト」と発音することを韓国の方に教えてもらいました。太は天に通じるテであり、極は究極の九に通じるクであり、続けた太極(テク)は宇宙を意味しているわけで、図は意図するや図書館のトですから、元来、太極図は大宇宙のイメージを表わしていたのです。

そして、易経の「陰陽太極図」は実は「全体的宇宙論=ホロコスミクス」のト―ラス(円環体)の平面投影図であったことが再認識させられるのです。

123 名前:掲示板管理人01 投稿日: 2012/05/28(月) 05:50:06

《新記事のお知らせ》

宇宙巡礼HP 記事欄に下記の新記事がアップされましたのでお知らせ致します。

『ニューリーダー』2012年5月号

生命体の共生を考える(下)

究極のエネルギー源は水にマグネシウムの驚異の力

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/newleader201205.html

124 名前:千々松 健 投稿日: 2012/05/28(月) 11:24:17

「生命体の共生を考える(下)」を読みながら考えた。

生命体の活力源を産む「ドロマイト」と呼ばれる苦灰岩が、カルシウムをマグネシウムに置換される自然の錬金術で産まれるのであれば、今度は人間が、そのMgを活用して新エネルギー技法を発見し、マグネシウム循環の未来社会を開かんとするのは、まさに人間の手で石を操ることで「拓かれる」という意味にもなりましょうか。

矢部孝博士の「太陽光励起レーザー」で精錬されるマグネシウムに希望を持ちたいと思います。

125 名前:藤原肇 投稿日: 2012/05/31(木) 09:10:03

「ニューリーダー」の五月号のベッカーさんとの対談は「記事」にも収録され、マグネシウムが新しいエネルギー源として希望を与えたが、この記事が出てから何人かのジャーナリストに、東工大の矢部教授について私が褒めているのは不用心であり、かなり問題の多い噂があるという忠告が届いた。

しかも、最近会ったある人から土井氏が設立した「エレクトラ」というベンチャー企業の株主が、詐欺で告訴しようとしている内容の文書を見せられた。それは!000万円エレクトラに出資した株主の一人が、矢部孝氏が代表を務める会社の内情に関し、あまりにも疑惑の多いビジネス上の不正について告発したものである。

まず第一に特許が妻の名義で会社に属さないし,善意の投資家は紙切れだけの株主にされたこと。第二に幾つもの別会社を矢部氏は設立して、役員報酬の形で一億円以上も個人として報酬を受け取り、経費その他に流用や私服が多大にあるとのことなどだ。

この内容をみて私はダイヤモンドの特許をとり、革命的なカットを発明して事業化を試みた、首藤さんのケースに酷似していると直感した。私の読者の首藤さんは建築家であり、事業の経験はないが数学がよくできた関係で、オイラーの方程式を利用した彼の画期的な発明が、ユダヤ人たちが独占支配しているダイヤのマーケットに対し、それを攻略できると考えて私は彼の新事業を全面支援することにした。

十年余り前の愚行の公開は恥ずかしい限りだが、私は老後の隠棲地をスイスのルガノにして、そこに家を買うつもりの資金を彼のために投資し、沈黙のパートナーとし事業の成長を見守った。だが、建築家の彼の事業能力は至ってお粗末であり、経費の浪費と公私混同は目に余るものだったので、見るに見かねて何度も忠告したが派手な素行は治らず、そのうち会社は乗っ取られてしまい、最後には奇妙な形で不審な死を迎えたお蔭で、私は全財産を失って多くの教訓を学んだ。

要するに、学者や研究者として発明能力があっても、未経験なビジネスの世界に入って経営者になり、他人のカネが流れ込むことで公私混同が始まって、一種のヒルズ族現象の主人公になってしまうことが多いのだ。ことによると、ベンチャー事業を始めた矢部さんの場合も、夢を分かち合おうと考えた投資家の資金の魔力に目がくらんで、公私混同の邪道に迷い込んでしまったのであれば、マグネシウムの時代にとって不幸なエピソードを生み、不明朗な印象と足跡を残したことになるが、マグネシウムの持つ価値と魅力は絶大であり、その任にふさわしい人によって事業として育ち、文明にとっての新しいエネルギーを開拓して欲しいと期待する。

126 名前:千々松 健 投稿日: 2012/05/31(木) 16:24:39

首藤尚丈氏の「シュトーレン数列」はアレクサンドリア学派のテオンの数列の発展形を意味していると考えられますが、その一般項を求める漸化式を小生なりに考察した結果は下記に公開してあります。

http://8w1hflkm.jp/pythagoras/theon.pdf

多面体の関する「シュトーレンの関係式」はオイラーの定理にテオンの数列を融合して得られる方程式ですが、それが新しいナノ炭素構造体を産んでいるのです。

それにつけても、シーズが事業に育つには、やはり8W1Hの中でも「Whose(味方になる人や組織)」が大切ですね。

129 名前:千々松 健 投稿日: 2012/07/10(火) 21:28:34

ここ数年の私なりの総括として

(1)現象論に属すステロタイプ:陰陽の螺旋形状(ト―ラス・神聖ベクトル平衡体)

(2)実体論に属すプロトタイプ:フトマニ数列群(フィボナッチ数列や黄金比)

(3)本質論に属すアーキタイプ:循環する四つの数の流れ(FLKM系列)