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第14集 「時代の曲がり角」を読む 【21~23】+日本脱藩のすすめ再臨【1~4】

21藤原肇:2008/10/22(水) 08:09:29

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それよりもここで書きたかったのは、記事の中に老害について書いたものがあり、私も間もなく七十歳になるという事実について切実に思い、この掲示板に出しゃばって書くのを慎むべきだと考えて、この一年間はそれを慎む努力を試みた次第です。そうしたら、掲示板に書き込む人が激減したことが分かりました。

それでも、興味深いことに千々松さんや松本さんたちによって、質の高い「フィボナッチ数列」の議論として続いていたお陰で、楽しい一年間として体験できたことになり、あと十日ほどで七十歳になる私の立場としては、若い人の活躍により期待したいという気持つが高まったという次第です。

22千々松 健:2008/10/27(月) 14:16:43

満70歳の誕生日(古希)を迎えられる藤原肇博士に、この掲示板を使って、こころより「おめでとうございます」のメッセージをお送りいたします。

今まさに「時代の曲がり角」に立っているという感覚を強く持っています。

ソ連の崩壊の後20年たらずで、今度はアメリカの崩壊が始まりました。振り返れば「9.11」はその予兆であったということでしょうか。

さて、例の「カタカムナ」の探究は遅々として進まないのですが、今のところ一つだけヒントを得ることができたようなキがしています。

と申しますのは、行列数学に登場します「逆行列」が「逆序」のイメージに重なるのです。

ご存知のように多次元の行列演算はコンピューターにしかできないわけですが、上古代にあるサトリを得た人物が居て、カンを働かせることにより、逆行列の方程式を解いたのではないでしょうか。それは「カンピューター」といっても良いのかもしれません。

「行列式および行列」は数学上においても勿論ですが、行列力学や量子力学・現代物理学さらには化学、分子生命工学、経済学等のあらゆる分野に貢献して、それぞれの分野で新たな革新がなされているとおりです。

このような観点からすれば、ゲーテの言う「オルガーネ」とは「マトリックスと命名された行列」であり「オルガーネを反対に教え返す」とは「逆行列」演算することと同義になると考えられるのです。

「順序」と「逆序」の関係は対称性でもあり、回文的にも見えますが、普通の掛け算と違って、逆行列は左から掛ける場合と右から掛ける場合は違った答えが出るように、非対称性を持つことにもなります。

ゲーテも釈迦も80歳を過ぎた晩年に「真正覚」に至っているといいますから、藤原肇博士も、ぜひとも80歳以上の長寿を全うされて、ご指導くださり、次の世代への指針となり続けていただければと願っています。

23松本英樹:2008/10/27(月) 19:52:05

間脳幻想・・人類の新時代をひらくキー・ワード

小生が最初に「フイボナッチ数列」に出会い、学ばして頂いたのは藤原先生の

御著書でした。黄金分割ピラミッドの考察に深く関わり、生涯学習の一つとの

思いを強くさせていただきました。

「知の楽しみ」を教えて頂いた「恩師」と勝手ながらに思っております。

さらに、モーツアルト生誕250周年を記念にたてられた

スレッド「フィボナッチ数列や律動とラチオについて」で

http://jbbs.livedoor.jp/study/2491/#5

気楽に発言出来る場を提供していただき、誠に有難うございました。

拙い文章、理解力に目をつぶってのお言葉、本当にありがたく感無量の思いです。

我らが「恩師」藤原肇先生の生誕70周年(古希)おめでとうございます。

ますますご健勝に、ご活躍されますよう祈念致します。

以下は『日本脱藩のすすめ再臨 その2』から

1藤原肇:2009/02/23(月) 14:55:21

「宇宙巡礼」の読者の多くは『日本脱藩のすすめ』の読者であり、『ジャパン・レボリューション』のあとがきに引用したように、若き日の将基面さんはトロントでボロボロになるまで読んだのと同じで、多くの若者が読んで脱藩の契機に遣ってくれた。本自体はすでに絶版になって久しいが、読者たちの手で絶版本の電子版が完成したお陰もあり、未だに読み継がれているようなのは著者として嬉しい。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/library/dappan/dappan.html

何時の日にか改訂版を作りたいと思いつつ、『日本脱藩のすすめ再臨』というURLを企画したのだが、時間の経過の中で「語録」にお蔵入りしてしまい、共通の場がなくなり書き込みも少なくなって、何となく寂しい感じもするので復活させたいという気がするし、台湾に住めば改訂版としての復活も試みたい。そのために読者の意見や考え方を知りたいので、『日本脱藩のすすめ再臨その2』を立ち上げることにしたい。

真野編集長に代わって新しい意見や質問を提示して、『再臨版』で展開したら良いテーマになるような、問答のきっかけになる簡明な問題提起を始めとして、新世紀にふさわしい問いかけを書き込んでもらい、新しい本の構成を皆で検討したらいいと思う。

そうしたら読者の参加型の本が出来るだろうし、出来た本を読むだけでなく本作りに加わることで、自分の手で編集工学を身に着ける機会を獲得し、『脱藩型ニッポン人の時代』やその改定復刻版の『地球発想の新時代』に似た形で、『再臨』が復活するのではないかという気がする。

これは一つの提案であり、それを皆さんの手でより良いものに作り直すことが必要であり、畏友である松岡正剛さんの「編集工学」の手法を生かして、各人が独立した編集人になるためのプロセスが、未知の人たちの発言の活性化をうながすことで、アゴラ(広場)としての掲示板の発展に役に立つものと確信している。

2千々松 健:2009/02/25(水) 10:44:09

再臨や復活や「その2」などからは映画「マトリックス」の三部作が想起されます。「マトリックス」<「マトリックス・リローデッド」<「マトリックス・レボリューションズ」で完結しましたが、やはり第一作目のインパクトは強かったですね。二番煎じに終わらせないように“再充填”するには何か工夫が必要と思われます。

そこで、インターネット時代の掲示板やブログと従来の出版物との新しいコラボレーションのカタチを試みるというのは面白いし、意義のあることと思われます。

時には語録であり、時にはディベートであり、時には議論(How to argue)であり、時にはブレーンストーミングであり、訂正や修正もあり、形成的に作り上げるのは如何でしょうか?

通常の書物とは違い、チャットとも違い、単なる掲示板とも違い、ブログとも違い、インターネットの利点を活かした新しいカタチを模索して、全体として筋の通ったストーリーが結果として描ければ最高ですね。

3千々松 健:2009/02/27(金) 10:10:33

575-77の韻律の連続を『連歌』とするならば、それは 575-77-575-77、、と前の人の詠んだ上の句に続いて、次の人が下の句を詠んでいくという、云わば和歌の世界での「しりとりゲーム」のようなもので、発句から挙句に至る一連の繋がりが一巻となるわけです。

「長歌」の方も575757-7の形式はチョット考えると5+7=12音の連続の最後に7音のおまけが付いている形です。陰の12音と陽の12音が繰りかえされて、最後に次のステップへの「のりしろ」の様に7音が追加配置されているのは長歌も短歌も同様で、57577の最小単位という意味で「短歌」と呼ばれるのでしょう。

今なぜ『連歌』のイメージが浮かんだのかを自問自答すると、実はフィボナッチ数列のmod9化による例の「ラセンモデル」のカタチからなのです。

陰の12数の流れと、陽の12数の流れで一つの輪が形成されて、次のステップに上がるには180度の捻りが生じて、同じように陰と陽の流れに引き続くというカタチから連想すると、このひねりの部分が連歌や短歌の最後の7音の「のりしろ」に相当すると観察したわけなのです。12という数の一致も不思議です。

4千々松 健:2009/02/27(金) 14:03:04

唐突にも「連歌」の話がなぜ出てきたのか、疑問をもたれる方もおられると思いますので、少しフォローしておきます。

まったくもって「編集工学」的ではないのですが、「連塾(連志連衆会)」や「適塾」や「藤原塾」などがグルグルと頭の中で回ってしまい、収拾が付かない状況でした。

その昔、文字のない時代であっても、「歌」にはリズム感が有り、記憶するにも、伝達するにも不自由はなかったと思われます。そして、音から来る、想像力や連想力が鍛えられたのではないでしょうか?

言霊は音声が先で、文字はごくごく最近のものだったのですね。

対談の形式とは少し違いますが、掲示板の形式は多くの可能性があるように思われてなりません。

和歌の世界での形式や約束事の多く整えられた歌仙などに倣わなくてもよいと思います。論議としては、噛み合っていない場合もあるかもしれませんが、それはそれで面白いし、かえって幅が広がり、結果として発想が湧くことに繋がるものと思われるのです。それこそ「善きハーモニーを醸し出すこと」を期待しようではありませんか。少なくとも日本古来の「連歌」の手法は参考になりそうです。