YAMATO
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<YAMATO音楽活動20周年に寄せて>

 いつもYAMATOの音楽活動を応援頂き、本当にありがとうございます!
2004年から始めた音楽活動も、お陰様で今年2024年をもって20周年を迎えることができました。振り返ると、あっという間の20年でした。小6の時に佐渡ヶ島の辺鄙な片隅で、今となっては運命とも言えるギターとの出会いをなし、中学、高校は、音楽への淡い夢を抱きながら夢中でギターを弾いて歌っていましたが、その後の大学進学、中国留学、そして帰国後はサラリーマンと、一旦は人生から消えていた音楽への情熱が37歳にして再び燃え上がり、右も左もわからないまま、ただただ音楽が持つであろう可能性を信じて踏み切った音楽活動でした。それを強く後押しし原動力になったのが、故郷を離れてから年々寂れていく故郷を目の当たりにしながら、自分を育ててくれた故郷に自分なりに何か恩返しができないかという想いでした。普通に考えればとっくに夢など諦めてしまう年齢になってから周囲に音楽の夢を語り出し、やったこともなかったライブハウスでのオーディションを受けるところから始まりました。趣味ならともかく、プロを目指してというのは、周囲の目を気にしたら踏み切れなかったと思いますが、ただただ、抑えきれない心の叫びに従ったというのが正直なところでした。しかし、年齢も年齢だったので若い人のように長期的な活動はできないと思い、3年間という期限をつけてのスタートでした。それで結果が出なければ諦めるつもりでしたが、3年経った時に、当時のコロンビアミュージックエンターテインメントよりCDをリリースできる話を頂き、2008年に『月』という曲でメジャーリリースすることができました。ただ、自分自身の音楽活動の方向性を考えたときに、売れるか売れないかの商業的な音楽シーンでは自分自身のやりたい音楽活動ができなくなると思い、結果的にフリーでの道を選びましたが、プロとしての客観的な肩書を頂けたとことは、それ以降の音楽活動に大きなプラスになったのは間違いないことでした。音楽活動を始めて間もない頃、ご縁があって戦没者の慰霊に関わる鎮魂歌『涙雨』を作ったことで、国内外での戦没者慰霊祭で歌を奉納するようになり、また東日本大震災での支援活動には長らく関わりましたが、その後も熊本地震の支援、そして、北朝鮮拉致問題解決に向けた支援ソングや世田谷一家殺害事件に代表される殺人被害者遺族の会『宙の会』のイメージソングなど、”命”や”平和”をテーマにした歌も多く作るようになりましたし、また、自分が音楽を通して故郷佐渡を盛り上げたいと思った想いは、その後、ご縁のできた各地域のご当地ソングを作ることにもつながって、これまでかなりの地域のご当地ソングCDを作って来ましたが、自分が音楽活動を通してやりたかったテーマの一つでもある社会貢献という面においても、微力ながら自分の意思で関われていることで、フリーの道を選択したことが間違っていなかったことを今更ながら噛みしめています。

 さて、奇しくも自分が音楽活動を始めた2004年は、佐渡が旧市町村体制から一市に統合された年で、今年は佐渡市も市政20周年の節目であり、また、佐渡金山の世界遺産登録も控えた重要な年になります。来る6月9日(日)には、昨年に続き、改めてアミューズメント佐渡でのYAMATO音楽活動20周年記念コンサートを開催する予定でいます。佐渡金山の世界遺産登録決定を祈念すると同時に、この6年間ご縁があり20回ほど通い続け、歌も20曲ほど作った能登で発生した元旦の大地震で、多くの知り合いが被災したこともあり、能登半島地震の支援コンサートも兼ねて開催したいと思っていますので、多くの方のご来場をお待ちしています。
今後とも、YAMATOの音楽活動をご支援頂けますように、何卒よろしくお願い致します。

                                 令和6年2月吉日                           シンガー・ソングライターYAMATO