スプーンに映った自画像

ドライポイント+ジェッソアクアチント+ビンバレン刷り

蒲郡市塩津中学校での授業記録

蒲郡市塩津中学校の青山真久先生、私の紙版画に関心を寄せていただいておりました。青山先生は以前よりスプーンに映った自画像を絵画表現や木版画など様々な表現手法に展開するという授業をしてこられました。そこに何か新しい表現を加えたいとお考えになったのが紙版画に着目された発端とのこと。平成30年8月の三河教育研修会と令和元年8月の蒲郡市夏季教員研修会の二度にわたり私の講座を受講され、また個人的にも打ち合わせを進めながら、今回授業での実践の運びとなりました。

ジェッソとはアクリル系絵具用の地塗剤。粒子が粗いためこれを版面に塗るとその部分に細かな凹凸ができる。ここにインクが溜まり濃い調子を得ることができるという技法です。またビンバレン刷りとはプレス機を使わずに凹版画を刷る技法。危険である、順番待ちのロスタイムができる、使い方が難しい等の理由からプレス機が使われず、凹版画が教材として扱われにくくなってきた状況があります。しかし、ビンバレン刷りはこれらの問題を解決するものです。

紙版ドライポイントをビンの底でする技法「ビンバレン刷り」、ジェッソを使って濃淡を表現する技法「ジェッソアクアチント」を初めて公の場で指導したのは令和元年7月から8月にかけて蒲郡市、みよし市、安城市での夏季教員研修会および豊橋市での教員免許状更新講習会の4回でいずれも小・中学校の教員が対象でしたが、今回はじめてこの技法に中学生が取り組む機会という非常に意義深い機会となります。

詳細については後に記しますが、一番の予想外は刷りの速さです。今回の授業「刷り」を2時限続きになるように調整されました。100分の授業時間で①担当教員が刷りを実演しながら説明する、②子ども達がそれぞれに刷る、③刷り上がったものを見ながら版に加筆修正を加える、④もう一度刷って完成させるという内容。これだけの内容にも関わらず授業が終わる20分前、つまり授業開始80分後にははほとんどの子供が作品を完成させ片付けに取り掛かっていました。しかも全てが使い捨てで、洗浄がいる資材などないので片付けも短時間ですみました。

教員対象の研修会のアンケートで「制作の時間が短くて済むので修正の余裕ができそうだ」という回答が多くありましたが、今回このことが実証される機会となりました。

題材名:スプーンに映った自画像-紙版凹版画への展開-

日 時:令和元年9月第5週〜10月第2週

対 象:第1学年1組、2組、3組

担 当:愛知県蒲郡市立塩津中学校 青山真久先生


1.内容と時間

4時間構成(1時限目:下絵転写 2時限目:描画 3・4時限目連続:試刷り-加筆修正-本刷り)


2.制作プロセス

1)下絵転写(1時限目)

・作品下絵(2B、3Bの柔らかい鉛筆で描画)を用意する。

・版はドライポイントプレート(表面をコーティングした紙版画専用紙)。下絵を版の表面(コーティングした面)向くように乗せる。

・版に乗せた下絵の紙の上からビン(掌でにぎりしめられるサイズ)の底で擦ると描画した鉛筆の粒子が版に転写される。

2)描画(2時限目)

・転写した下絵に沿ってボールペンで描画する。版面が凹むように筆圧を強くすることがポイントとなる。

・濃い調子にしたいところは①ジェッソを塗る、②版の表面を剥がし粗い面を露出させる、③サンドペーパーで擦るといった加工を施す。


3)刷り:試刷り-加筆修正-本刷り(3・4時限目連続)

・インクは銅版画用油性のものを使用する。チューブから直接版の上に置く。量は2〜3cm程度

・プラスティックの小さなヘラ(園芸用名札)を使って、インクを版面全体に延ばすと同時に凸部の余分なインクを掻き取る。

・紙を使ってインクを拭き取る。拭き取りには漫画雑誌の紙を使用した。これは新聞紙よりも粗いためしっかりと拭き取れる。

・拭き取りはまず丸めた紙で力強く、版面のインクを版の外へ押しやるように拭き取る(粗拭き)。次に折りたたんだ紙を使って版面を力を抜いて軽やかに摩るように拭く(仕上げ拭き)。

・インクのセットが済んだらその上に湿らせた画用紙(作品用紙)を乗せる。用紙を湿らせるタイミングはインクセットの直前、早すぎると乾燥してしまうため。水で濡らしたら乾燥を防ぐと同時に余分な水分を吸い取るため新聞に挟んでおく。

・湿らせた画用紙を直接擦ると損傷してしまうため、水分に強く表面が滑りやすいクッキングシートを被せる。

・この段階で版の段差に沿って爪を押し付け筋をつけるとズレにくくなる。

・ビンの底を使ってクッキングシートの上から力を込めて擦る。刷りムラがでないように端から順に擦っていく。縦、横、斜め、逆斜めと一通り擦ったら、用紙がずれないように押さえながら端をめくり、刷り具合を確認、不足することろは更に擦る。

・刷り上がったものを見ながら必要に応じて加筆、修正(ボールペンの描画、ジェッソ塗布など)を行う。

・加筆、修正が済んだら同じ要領で刷る。

制作プロセス

ボールペンで描画する

ジェッソを塗る

サンドペーパーで擦って粗くする

表面を剥がす

作品用紙を湿らせる

インクを乗せる

ヘラでインクを延ばしながら掻き取る

紙で拭く

クッキングシートをあてビンの底で擦る

刷り具合の確認

左:版 右:試し刷り 中央:本刷り

作 品

しっかりとした刷り。髪の毛の細かい線まできちんと刷り取れている。

ジェッソを使った濃淡の調子がとてもよく表現されている。

ジェッソによる明暗の構成が明瞭である。

ボールペンの線でしっかり描画されていると存在感のある作品となる。

顔の右側、ボールペンによる描画と剥がしによる壁の表現が特徴的。

ジェッソ、剥がしの効果を使い分けている。描画もしっかりしている。

試し刷りと本刷り

一般的に版画は時間がかかるもの、これに対し美術の時間が大変短いです。なんとか作品を一度刷ったところで時間終了というケースも多いとのことです。ここで紹介する技法は表現効果はもとより制作時間が短くて済むという利点があります。教員研修会で体験された先生方からのアンケートでも「一度刷ってから加筆、修正しより良い作品にしていく時間ができる」という意見が少なくありませんでした。今回の授業はまさに実際に有効であるということが実証されました。子どもたちは一度刷った作品を見ながらボールペンやジェッソの加筆して作品を修正しいきました。また最初はうまく刷れなかったけれども2回目には要領を得てうまく刷ることができるようになった子どもも少なくありませんでした。

左:試し刷り

ジェッソで濃い調子を追加した。拭き取りも上達した。

右:本刷り

左:試し刷り

ボールペンの線とジェッソの濃い調子を追加した。拭き、刷りとも上達した。

右:本刷り

うまくいかなかった事例

ボールペンの描画が浅かったのが残念であるが、ジェッソの濃淡調子は大変きれいに出ている。

インクの拭き取りが不十分であった。必ずしも均等に拭かなくても、この状態から明るくしたいところだけを拭くということも検討して良い。

ズレてしまった。ズレの原因もいろいろ考えられる。丁寧にやるのは当然として、用紙が乾燥していてもズレやすくなることがある。

描線部のインクが刷り取れていない。ビンで擦る時の力が弱いことも考えられるが、用紙の湿らせ方が少ない(乾いてしまった)という要因であることも少なくない。

ジェッソアクアチント、ビンバレン刷りという技法が、はじめて学校教材として実践された記念すべき授業です。冒頭に述べた通り、教師の実演、試し刷り、加筆・修正、本刷りを80分という時間で実施できました。新しい技法が授業の効率を高めることを実証することができました。

子どもたちにとってはこれまで全く経験したことのない技法であり、どんなふうになるかわからない不安と刷り上がった時の驚きは新鮮なものとなったようです。勿論うまく行かなかった子どもも少なくありません。しかし、加筆修正する時間があることでより良い作品にすることができました。一度経験すると刷り方もうまくなっていきますがその一方でやはりうまくいかなかった子もいます。インクの拭き取り方、ビンでの擦り方など初心者の子どもたちでもうまくできるような方策が今後の研究課題となります。インクの拭きについては拭き方が不足だったり、逆に拭きすぎてしまい、なかなかちょうど良い拭き具合にするのが難しい。基本は画面全体を均一に拭くことではあるが、拭き過ぎてしまうよりも少し拭きが足らないあたりで一度拭くのを止め、次は明るくしたい部分を集中的に拭くという方策も考えてよいと思います。

うまくいかなかった要因のひとつとして湿らせた作品用紙が乾燥してしまったということがあります。授業では試し刷りと本刷り用の両方の用紙を最初に湿らせて新聞紙に挟んでいましたが、本刷りの時には時間が経って用紙がやや乾燥してしまいました。これに気づいて途中からは改めて用紙を湿らせるようにしたところしっかりと刷れるようになりました。またズレが生じる要因の一つとして用紙が乾きかけているということがあるのも念頭におく必要があるでしょう。用紙はしっかり湿らせる必要がありますが安価な画用紙では紙が脆くなり表面がインクにくっついて剥がれてしまうことがあります。高級なものを用意する必要はないが安価なものは避けた方がよいでしょう。

汚れ対策として新聞紙の使い方がポイントとなります。新聞紙を一枚広げインクをセットさせる。次に汚れが内側になるように新聞紙を半分におり、その上で刷るように指示がなされました。一部に指示を理解していない子どもがインクのついた新聞紙をそのまま裏返し机を汚していましたが、ほとんどの子どもは机を汚すことなく作業を進めていました。とても良い工夫だと思いました。新聞紙を節約できるということはゴミが少なくなるということです。片付けが終わった時思ったほどゴミが出なかったのが印象的でした。

インクを掻き取るヘラは、使い捨てられるものということでプラスティック製の園芸用の名札を用いました。ただ薄くて曲がりやすいので力がしっかりと伝わらないところがあります。曲がらないようにしようとするとかなり先端の方をもたなければならなくなるため、これが手が汚れるひとつの要因となります。これに変わる資材を探すことも今後の課題となります。

教材費は一人につき150円程度、しかもここにはこの先数年は使い続けられるであろうインクも含まれています。インクの量は極めて少なくて済むのですが、授業運営上各机にインクチューブを置く必要があるからです。一人当たりのインク代を100円程度とすると、一人当たり実質50〜60円程度の材料費になると考えられます。