創造性を育む紙版画

創造性を育む教材としての版画の意義とそれを実践するための紙版画の有効性について、私の考えるところを述べています。


創造性を育む紙版画


愛知産業大学 通信教育部 准教授 山口雅英

1.用具、素材、手法の多様性

版画制作は一般的な絵画制作に比べると、多様な用具、素材、手法を経験することができます。これはとても重要なことです。

あらかじめ構想された作品を完成させるために効果的に用具や素材、手法を用いる、という考え方があります。大切な考え方です。しかしその一方で、この用具や素材、手法を用いるとどんな表現が可能かと考えるところから作品を構想するという制作も重要な意味を持ちます。前者が演繹法的な制作のスタンス、後者が帰納法的な制作のスタンスということができます。どちらも人間にとって大切考え方ですが「創造性に資する」、つまり新しい価値と出会うための手法としては後者のほうが有効になってきます。既存のものから可能性を引き出し試行錯誤しながら未知の成果に至る、これが「創造性」です。

版画の場合、絵画に比べ作品の完成が見通しにくいという特徴があります。また使用する道具も鉛筆や筆に比べると制約が多く自由に扱うのも難しいです。手法も守らねば作品を制作することができません。これらは一見欠点のように思われるかも知れませんが、実はこうしたところに創造性育成に資する版画教材の価値があると考えます。見晴らしの良い円滑な制作に比べ、より一層用具、素材、手法、そして制作プロセスそのもの、そしてどんな作品になるのかという想いが強く意識されるようになるからです。用具、素材、手法が多様であるならなおさら表現の可能性は広がり、それぞれの児童生徒がそれぞれに感じ気づき発見し構想を広げる余地も広がってきます。

例えば紙版画、「切る」「貼る」「破る」「剥がす」「折る」「削る」「引っ掻く」「塗る」「盛り上げる」など様々な加工手法があります。それぞれの手法から、それぞれの異なる表情、味わいの造形が生まれてきます。「描く」という手法だけでは出会えないものばかりです。同様に、多様な用具や素材も「絵の具と筆」からだけでは出会えない造形と出会える可能性を秘めています。

こうして用具や素材、手法と対話し触発されたながら、当初のおぼろげな作品の構想を段々とハッキリさせていく、さらに思いもよらなかった効果を発見しそれを当初の作品の構想に付け加えて行くという活動は不可欠です。「創造的」とはこのように制作プロセスが単なる決まり切った作業ではなく、そこから多様に何かが生み出される「生きた活動」ということです。

さらに用具、素材、手法の多様性だということは手をはじめ身体活動も多様になるということです。多様な身体活動は感性や思考など脳を多様に活動させ、それが想像性、創造性に繋がっていくのです。

2.複数性

版画は同じものを沢山刷ることができる「複数性」という特徴を持っています。一般には完成した作品が何枚もできることを指します。さて、「複数」という言葉は必ずしも「同じものを」という意味は含んでいません。ひとつの版からいくつものバリエーションを生み出すことができるのも版画の複数性によるものです。

同じものを何枚も刷って活用することも有意義な活動です。その一方で「創造性育成に資する版画教材」を考えた場合、このバリエーションということを積極的に活用していくことが重要な意味を持ってきます。「ひとつの版からひとつのパターンしかできない」「版が完成したら後は機械的に刷るだけ」というよりも「ひとつの版でもさまざまな表現の可能性を秘めている」「版が完成してからでもまだまだ工夫の余地がある」ということを実体験させ、実感させることは創造性を育む上でとても大切なことであり、これができるのが複数性を持つ版画の大きな魅力、価値だと考えます。

色を変えてバリエーションを作ることもできます。技法によっては図柄を入れ替えたり組み合わせたりできます。題材の設定によっては他の児童生徒とコラボレーションした表現も可能でしょう。様々な可能性と戯れながら感じ、考え、気づき、発見する、想像力、構想力を養っていくことができる学習活動になることでしょう。

また複数性は、版が完成してからだけではなく、版を制作する途中の工程に活用していくことも有効です。何度も刷れるということは、何度も試してみることができるということ。途中の段階で状態を確認するために刷ってみる、条件を変えながらその効果を確認してみる。つまり複数性のある版画は試行錯誤がしやすい表現活動だということです。試行錯誤は児童生徒の主体的な取り組みに不可欠な活動です。絵画は途中のプロセスを残しておくことはできませんが、版画ならばこうした試行錯誤の数々を「試し刷り」と残しておくことができます。完成した作品だけでなく、完成までの経験を目に見える形で残しておくことで、作者自身が自身の活動を振り返りやすくなると同時に、その活動の在り方を他者にも示し共有することができるようになります。

こうする中で失敗や予想外の出来事も自身の表現に取り入れていける、新しいものと出会える契機となると実感することもできるでしょう。失敗したり予想外の事態に遭遇する、そうした時間、場面は大切にしてあげたいものです。

3.様々な活動を含んだ制作工程

一般的な絵画制作は「描く」というひとつの活動から成り立っています。これに対し版画制作は「下絵」「製版」「刷り」といった複数の工程から成っています。異なる活動が有機的に関連し、連鎖しながら完成へと向かいます。「完成」というゴールの手前に、小さなゴールとスタートがいくつもある。小さな成果を重ね大きな成果に至る、そのようなイメージです。

先に述べてきたとおり、「創造性」を育むためには制作プロセスが有意義な活動になるようにしていく必要があります。そのためにはこのように制作プロセスが複数の異なる活動によって成っているということは有効だと言えます。

創造性を高めるためのひとつとして、対象を分析的に捉えるというものがあります。対象をひとつのかたまりと見るのではなく、様々な要素が構成されたものだと捉えるのです。ある要素に何らかの操作を加えてみる、ある要素を取り出しほかのものに取り入れる、複数のものから取り出した要素組み合わせてみる、こうして既存のものから新しいものを作る、新しい作用を生じさせること。これが創造性です。そしてこれは「モノ」だけではなく、「工程」についても言えることです。その工程はどんな要素が組み合わさっているのか、要素相互はどのように関連しあっているのか、このように捉えることで「モノ」と同じようにあるプロセスから新しい成果を生じさせたり、新しいプロセスを創ることができるのです。

版画の制作工程の中には「下絵」「製版」「刷り」といった大まかな活動だけではなく、その中にもいくつもの活動があります。絵画ならば色も形もいっしょに描いてしまうところ、版画は色、形、構成、素材感などそれぞれを表現する活動が必要になります。こうしたそれぞれの活動に専念していく中で色について、形について、構成について、素材感について、どんなふうにしたくてどんな工夫をしたのかということを明確に自覚していくことができるのです。

4.様々な分野への活用

版画は「絵画」の一分野という考え方があります。しかし、それ以外にも版画はデザイン、工芸、実用品など様々な分野に活用することができます。「絵画」としてできあがった版画作品が、さらにデザイン、工芸、実用品などに展開していくこともできます。最初からデザイン作品や工芸作品などの装飾を目的に版画を制作することもできます。版画は単なる造形表現のひとつの「分野」を指すものではなく、造形を発想する「手法」を指す概念でもあります。アイデア次第で版画は様々な分野に応用可能なのです。逆に言えば版画はアイデア、発想力を養うために極めて有効な教材だと言えるのです。

5.創造性育成に資する紙版画

これまで様々な角度から創造性に資する版画教材ということで述べてきました。版画制作をとおして得られるもの、価値は、単に「良い作品をつくる」ということに止まらず、「良く生きる」「より良い人生をつくる」ために必要な態度、思考の仕方を身につけられるところにあると考えます。人間はそれぞれの主体的な取り組みによってそれぞれの人生を創っていきます。誰一人同じものはない、その人にとっての唯一無二の人生を創ること、それは「新しい価値」の創造です。

版画に限らず、図工、美術に限らず、児童生徒が学校で学び習得すべき大切なことの一つがこうした創造性を養うことでしょう。様々な科目の様々な教材を通し、こうした力の習得が目指されています。そして版画。これまで述べてきた版画の特性と効用が十分に生かされることでより高い創造性、生きる力を育んでいくことができると考えます。勿論「紙版画」にもそうした可能性がありますが、現状、その可能性、潜在能力が十分に引き出されているとは言い難いのではないでしょうか。

紙版画は木版画や銅版画に比べると、加工の容易さゆえ、より多様な用具、素材、手法を取り入れられる可能性があります。そうすることで従来の紙版画に比べ表現の幅も広げていくことができます。

紙版画は、他の版種に比べ、より試行錯誤がしやすいものにすることができます。技法によっては短時間に製版できるため、その分、試行錯誤に時間を回すことができます。失敗しても新たに作り直すことが容易なため、思い切った能動的な試行錯誤をする余裕も出てきます。

製版が容易な紙版画は多版多色刷りも簡単にできます。調査した限りでは版画の授業で多版多色刷りをしているケースを見受けることができませんでした。主版の図柄をもとに彩色を計画する、色ごとの形や配置を計画し製版する。こうした活動を通じ、成果を推測しながら計画的に制作する力がつきます。色版の制作は純粋に色そのものに注目する機会となります。色の形や面積、色の重なりの効果を意識する、絵画では得られない色彩経験です。

そして何より、あるもののカタチを他に写し取るというのは人間の本能と根源的欲求に基づいた営みです。そこには理屈ではないよろこびがあります。「よろこび」とは、生きるために必要なものに人間を導いてくれる「シグナル」です。人間はこれまで述べてきたような創造性を直感的に感じ取り、そこに「よろこび」を感じる力を持っています。なぜならそれが「よりよく生きる」ために必要なものだということを本能的にとらえているからです。

熟練の技術をもって手間暇と時間をかけ完成度の高い作品を完成させる、これはとても大切なことです。一方で、感性と思考の赴くまま手間暇かけず短時間で、思いつくまますぐ試し、修正し、どんどん成果を確認し、さらにどんどん展開させていける、そのような表現活動も大変重要な意味を持っています。児童や生徒はそのように世界と出会い、探り、試行錯誤し、その経験をもとに自身の世界を作り上げているのです。

紙版画は技法、題材の設定など工夫していくことで、このような児童生徒の成長の摂理に合う創造性の高い教材になっていくと考えます。

2018/08/23