加賀館跡

加賀館跡は、町域東部の赤沢字駒場の丘陵に位置する中世城館跡で、地元では「清水柳の館」とも呼ばれています。現況は畑で、顕著な遺構や遺物は確認されていません(「岩手県遺跡台帳」)。

「赤沢村郷土教育資料」では「大字赤沢字駒場に北東より南西に長い丘陵があるがこれが加賀館である。保元の昔、平氏の一族加賀守平忠実がここに居住した」と伝えています。

平清盛の孫である平忠実(重盛の六男)が、家臣と共に宇都宮朝綱(ともつな)を頼り関東へ下ったとする伝承(栃木県日光市)があります。しかし、宇都宮氏が源頼朝に助命を強く訴え、正式に身柄を預かったのは平貞能(さだよし)という記録があります(『吾妻鏡』文治元年7月7日条)。源平合戦後、平家方の落人・敗残兵が全国各地に潜んだことから「平家の落人伝説」として伝承されている山里が存在しますが、赤沢にも形を変えながら伝承されたと考えられます。

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紫波町観光交流協会HP・『彦部みどころ よりどころ』より

赤沢地区は11カ所の城館があり、紫波町内でも城館の密集地帯であります。時代的に同時代に存在したとも限りませんが、それにしても中山間地で、平坦部の農地が少ない場所に城館が多い。赤沢川の上流域には金山が存在し、流路から今でも砂金が見つかることもあります。この川は平泉時代に砂金の宝庫だったことは容易に想像されます。また平泉からの東海道(あづまかいどう)は赤沢を目的地にしていたという。当時の名残として白山神社の麓には薬師堂があり、藤原清経(清衡の父親)の母の墓と言われる供養塔があります。かって付近には蓮花寺があり、磨崖碑や毘沙門天像(正音寺に保管)も残っております。地域的には白山神社のある音高山(白山館)がランドマークとなっております。加賀館跡(現在はぶどう園と墓地)は地区の中心にあり、そこに立つと、赤沢の中心部が一望できます。