木戸脇(八卦)一里塚

町指定史跡・記念物

藩政時代、盛岡城下と太平洋沿岸地方を結ぶ道は、藩内の主要な脇街道として整備されました。遠野街道は、遠野城下から界木峠(かいきとうげ)を越えて大槌(おおつち)へ達する「大槌街道」や、仙人峠を越えて釜石へ達する「釜石街道」とともに、閉伊郡海岸部と内陸部を結ぶ「御家中脇街道」(盛岡藩家老席日記『雑書』寛永21年10月18日条)として整備された街道です。

木戸脇一里塚(赤沢)は、盛岡城下の穀町惣門前で奥州道中から分岐して、稗貫郡大迫(現 花巻市)を経て閉伊郡横田村(現 遠野市)を結ぶ遠野街道の往還に築造された一里塚です。

この一里塚は、道路改良のため道路西側の塚は完全に消滅し、東側の道路法面の一部分に塚の面影を残しているだけです。木戸脇一里塚は、鴨目田一里塚(佐比内)とともに遠野街道の道程を示すとともに、町域では奥州道中を含めて一里塚の遺構が部分的ながら確認できる貴重な土木・交通遺産と言えます。

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   (岩手県文化財調査報告書第六十四集 岩手県「歴史の道」調査報告書 

                          大槌・釜石街道 岩手県教育委員会発行

藩政時代の遠野・大槌・釜石街道は盛岡城下を発します。街道は、ほぼ現国道396号線と重なっており、乙部から紫波町長岡に入ってまいります。柳田一里塚をすぎ1kmほど行くと「館の道標」(長岡城跡)があります。そこを過ぎ、赤沢の遠山の正音寺への道路の入り口(左側)を通り、赤沢産直や青麻神社への入り口(右側)を過ぎ、八掛の交差点(右星山・日詰方面、左舟久保・折壁峠方面)に至ります。この信号を少し南に行った所に「木戸脇一里塚」があります。国道の高低をなくすため道路を5・5mほど掘り下げたため、一里塚の西側の一基は消滅し、東側の山の急な法面上の林に一里塚の西の一基の一部が残っております。そこから4km南下したところに鴨目田一里塚(東側の一基は消滅し、西側の一基が半分ほど法面に残っている)があります。国道396号線は、佐比内産直の前を通り花巻市大迫町へと続いて行きます。