伝蓮花寺跡

(伝蓮華寺跡『御領分社堂』の表記)

赤沢白山神社が鎮座する音高山一帯には別当寺である蓮花寺が山岳伽藍を構えていたと考えられていますが、本堂跡は特定されていません。白山神社は、盛岡藩の社堂記録である『御領分社堂』では、慈徳院が別当を勤め「寂静山蓮花寺と申ハ白山之寺山号ニ御座候」と記録されています。

沿革などは定かではありませんが、承保(じょうほう)3年(1076)の白山宮(白山神社)の再興棟札(写し)から比爪氏の時代には存在していたと考えられます。

県指定文化財である毘沙門天立像・五大明王立像・七仏薬師立像は、蓮花寺附属の堂宇に安置されていた平安仏と考えられています。蓮花寺は町域西部の新山(にいやま)新山寺(しんざんじ)、五郎沼近くの大荘厳寺(だいしょうごんじ)と同じように、志波郡における重要な寺院と位置づけられ、町域の歴史や仏教文化を解明する上で極めて多くの示唆を与えてくれる重要な寺院跡と言えます。

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紫波町観光交流協会HP・『彦部みどころ よりどころ』より

薬師堂として赤沢川南方の山寄りにあったと伝えられています。この近くには、阿弥陀堂跡と称される遺跡があり、礎石六個と少なくとも室町時代より下らないとみられる古鱒四基が残されておりますがおそらくこれは蓮花寺と関係のあるものでしょう。とすれば、かなり古い時代の寺院であったことになりますが、くわしいことはわかりません。「御領分社堂」という書物には、静寂山蓮花寺といったと書いてありますが、これにはいささか疑問があります。おそらく、白山社の別当寺であったことを誤って伝えたものでしょう。いずれ、この寺を中心として、この地に仏教文化の栄えたことだけは、ほぼ疑いがありません。