犬吠森館(東館)跡

犬吠森館は、犬吠森字沼口の丘陵に位置する中世城館跡です。北上川を挟んだ対岸(西岸)には斯波氏の居城であった高水城跡が対峙しています。

現況は山林、神社敷地になっていますが、遺構として郭・空堀・土塁が確認されています(「岩手県遺跡台帳」)。 

館森神社参道の入口になっている丘陵西側は急峻ですが、東側はなだらかな斜面になっています。丘陵南側に帯郭と空堀が巡り、西端の主郭から東へ複数の郭が配置されています。城館の沿革は定かではありませんが、戦国末期の館主は斯波詮直(孫三郎)の叔父東民部と伝えています(「奥南旧指録」・「岩手県管轄地誌」)。しかし、高水寺斯波氏の系譜は諸説が伝えられており、叔父ではなく弟とする考え方もあります。記録を欠くため正確なことは不明ですが、斯波氏一族の居館であったと考えられます。

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紫波町観光交流協会HP・『彦部みどころ よりどころ』より

犬吠森館は、高水寺城跡(城山公園)の東側、北上川を挟んだ,対岸に位置し、主郭は現在、館森神社の境内となっております。以前は国道456号側から、鋼鉄製の階段で登れましたが、現在は腐食して危険であるため通行できません。大手道は神社東側の道で、南または北側から入ることが出来ます。
犬吠森館は標高134m、比高35mの山上に位置し、主郭の平場が神社になっております。主郭の南側に帯郭と共に空堀が巡っております。西端の主郭から東へ3~4段の郭を配置しております。。館の範囲は、沼端から沼口への道を境とし,西側だけが明瞭ですが、この東側はどうなっているのか不明であります。『南部諸城の研究』によれば五ッ森付近まで範囲に入れております。航空写真からも東側に広がる丘陵まで城域が広がっているように思われます。

当城の沿革は明確でありません。斯波氏一族の城舘である。奥南旧指録には「孫三郎の伯父東民部という人は犬吠森に居住す」云々とあります。しかし、東民部(弥三郎)は孫三郎(詮直)の叔父ではなく、弟とする説、つまり、斯波孫三郎詮直・東民部(弥三郎・犬吠森弥三郎)・女(高田吉兵衛康実妻)の兄弟説が強い。従って、詮直の弟であった民部は、父詮真の時に犬吠森を領地としその館に住んだと言います。高水寺城の東方にある館に入ったので東民部と言われるようになり、犬吠森郷(村)の地頭になったことから「犬吠森」を名乗り、氏名を犬吠森弥三郎と改名したのではないかといわれております。

また、この地域は元々河村氏の領地であり、河村一族の館があったことも考えられます。しかし、この場所は高水寺城から丸見えであり、軍事上は要害といえません。むしろ、北上川の舟運を押さえるための砦としての機能が強いように思われます。北上川の狭窄部を押さえるこの2つの城館は川を利用した舟運にとっては重要な場所と思われます。