真実と方便

講述 近藤順子(念速寺住職) 2023年5月10日

皆さんこんにちは。今月の法話を担当します。念速寺の近藤です。よろしくお願いします。

 

前回のお話しでは、阿弥陀さんの願いの生起本末(しょうきほんまつ)、はじめと終わりの話をしましたが、その本末の本、はじめの話というのは真実の願(がん)のことで、末、終わりの話は方便(ほうべん)の願のことなのですが、今回はそのことについてお話しをします。

 

まず真実の願とは、阿弥陀さんが一人の修行者だった時に発(おこ)された48の願いの18番目の願のことです。

一方、方便の願とは19番目の願のことです。

18番目の願は、あなたが阿弥陀さんの国、極楽浄土に生まれたいという気持ちをもって念仏申するならば、必ず極楽浄土へと生まれさせてくださると誓われています。

また、19番目の願には、あなたが道を求める心を発(おこ)して、悪を離れて善を積もうと努力しながら、縁あって願いを発(おこ)して極楽浄土に生まれたいと思うようになったならば、あなたが命終わる瞬間に必ずお迎えに来て下さると誓われています。

18番目の願の中では、極楽浄土に生まれたいという気持ちと、念仏申すという条件が整うならば、誰もが生まれることができるとあります。

阿弥陀さんの浄土に生まれたくない人と念仏申さない人は含まれないわけですが、ひとたび極楽浄土を願い、念仏申す者となったならば、年齢、能力、貧富、性別だけでなく、教えに出あってどれぐらいたったか、経典の言葉をどれだけ知っているか、どれだけ真面目に生きてきたか、といったことは関係なく、どの人も等しく浄土に生まれることができるのです。

では、浄土に生まれたくない人と念仏申さない人に対してはどうかというと、その人なりのご縁を否定せず、最後には念仏の道へとたどり着いてくれると信じて、待っておられるのです。

それが19番目の方便の願です。私たちが、迷いながらも縁あって道を求める心を発したならば、たとえそれが自力(じりき)の努力であっても否定せず、うなずいていない念仏であっても否定せず、信じてもらえるならば必ず死の瞬間に迎えに行くから、安心しなさいと、今、ここに生きるということに全力を尽くすことができるように励ましてくださっているのです。そしていつか必ず、縁あって本願にうなずいてくれる日がやってくる、私たちが真実の念仏者へと成長していくことを、楽しみに待っていてくださっているのです。

つまり、真実の願だけでは漏れてしまう私たちを見越して、どんな人生を生きていても、どんな死に方をすることになっても、その人を一人の仏になる人として全面的に信頼して、本願(ほんがん)へと導こうとはたらき続けて下さっているのです。

 

お話しは以上です。

ありがとうございました。