塵を払い、垢を除かん

お話:西尾朋央(福成寺住職)   2022年7月3日

こんにちは。今回担当いたします福成寺の西尾と申します。宜しくお願いいたします。

今からするお話は、以前お寺の子ども会での一コマです。ある子どもが「学校で掃除当番が毎日掃除をするんだけど、掃除って3日に1回でいいと思うんだよね。」と言いました。私が「そうかな〜。住職だったら毎日綺麗な教室で勉強したいけど」と言うと、「そんなに直ぐ汚れないよ。3日に1回の方が絶対効率がいいもん」とその子は言いました。これを聞いて皆さんはどう思われますか。私はその時子どもたちにお釈迦様の弟子、「周梨槃特(しゅりはんどく)」という人のお話をしました。

〜お釈迦様の弟子の中で1番劣っているといわれたのが周梨槃特。何故かというと自分の名前すら忘れてしまうから。そのため他の弟子からも見下され、周梨槃特は弟子をやめようと思いました。でも、そんな周梨槃特に対してお釈迦様は「塵を払い、垢を除かん」と唱えて毎日掃除をしなさいという修行を与えました。それならできると思った周梨槃特は、毎日箒を持って掃除をしました。1年、10年、20年…。ひたすらやりました。その姿に初めは見下していた他の弟子たちも、次第に彼を尊敬していき、ついに周梨槃特は掃除で「阿羅漢(あらかん)」という境地に達しました。〜

さて、周梨槃特が何故掃除だけで阿羅漢の境地に達したと思いますか?周梨槃特も皆と同じように毎日掃除をしているうちに、汚れてない日は「掃除をしなくていいかな」と思ったかもしれない。けれども修行だから「塵を払い、垢を除かん」といって掃除をした。「やらなくていいかな」「いや、修行だから続けよう」と繰り返し思いながら掃除をしていくうちに、「私の心にも『やらなくてもいいかな』という、目に見えない塵や垢が毎日降ってくる」という事に気が付いたのだと住職は思うのです。人の心にも目に見えない塵や垢が毎日降ってくる。

ですから毎日掃除を続けるとは、教室を綺麗にするだけでなく、私の心に積もる汚れを知らせてもらうものなのです。皆だって3日に1回と思っても、今度は「5日に1回でいいかも」「10日に1回でいいかも」という塵や垢が降ってくるのではないでしょうか。心に積もる塵や垢は目に見えないので、気づいた時には山盛りです。効率も大事ですが、物事を継続していくことで私の心の弱さを確認するのです。

以上が子ども会でのお話です。しかし、このお話は決して掃除に限ったことではありません。私たちが毎日お内仏に向かって手を合わせ、お念仏を唱える。それは「心に塵や垢が積もっていませんか?」という阿弥陀さんからの声を聴いていくことなのだと思います。日々の生活に追われ「いのち」を見失っている、いつの間にか自分中心のものの見方になっている、そういう私の姿を毎日知らせていただくことなのでしょう。