投げ出さないいのち

お話 青樹潤哉(専西寺住職)/2021年10月22日

この度、共同教化の一環として、東京三組のホームページを開設し、リレー法話を始めることとなりました。どうぞお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。

 私事ですが、数年ぶりに受けた健康診断で不整脈が見つかり、一日二十四時間の心拍数を計測することとなりました。

 皆様、自分の心臓が一日、何回鼓動しているかご存知ですか。体の大きさや心臓の大きさによって若干の差異はあるものの、人の心臓は一日約十万回鼓動しているのだそうです。

 検査の結果、私の心臓は一日九万八千回ほど鼓動していました。もちろん、この世に生を受けた生年月日から鼓動し始めたのではなく、母親のお腹の中にいた、妊娠三か月頃には、すでに心音が聞こえ始めるとのことです。

 主治医の先生と話しながら、今まで気にも留めていなかった私を生かしめてきたいのちに思いを馳せてみました。

 九万八千回×三百六十五日×生きた年数+七か月。そして私が計算しているこの間も鼓動することを止めないいのち。私が私を感覚することのできない、寝ている間も私を生かしめようとするいのち。

 私の思いは、都合の善い自分だけを愛し、都合の悪い自分を投げ出したくなる条件付きの思いです。

 でも、私のこの胸打ついのちの鼓動は、都合の善い私も、都合の悪い私も、若い私も老いゆく私も、健康な私も病気の私も、どんな私も投げ出したことがありません。

 どんな私も投げ出さず、無条件に受け止めているのは、私の思いではなく、いのち自身なのではないでしょうか。

 「今、いのちがあなたを生きている」十年前の親鸞聖人七五〇回御遠忌テーマが、今、ありがたく身に響いてまいります。